第二話(3)
「やったー! 着いたー!」
港町モルカの門をくぐり、わたしは万歳をして叫ぶ。
「ネエちゃん、ギリギリだったな。もうじき閉門だったぜ」
「えへへ。ありがとうございます」
鎧兜を身に付けた獣人の門番さんに笑われたので、わたしは照れ笑いをしながらペコリと頭を下げた。
「さて。どうしようかな……」
わたしは夕暮れに染まる町を見回しながら、とりあえずトコトコと歩いてみる。
「さっそく港に行くのか?」
「ううん。もう船は出ていないでしょ。泊まれるところを探すよ」
わたしはお父さんから教えてもらったことを思い出していた。旅人は町にある宿屋というところに泊まる。宿屋は酒場とセットになっていることが多い。宿屋はベッドの絵が描いてある看板で、酒場はお酒の入ったグラスの絵が描いてある看板。
わたしはベッドとグラスが一緒に描いてある看板を見つけて、扉を開く。
わあ。お客さんがいっぱい……。
目の前には酒場のスペースが広がっていて、ほとんどの席が獣人のおじさんに占められている。
「いらっしゃいませ~。お好きな席にお座りくださーい」
「あ、あの。泊まりたいんですけど」
「あー、お泊まりですか」
ハデなピンク色の髪をポニーテールにした、ミニスカートのお姉さんが応対してくれた。彼女は奥のほうを指差して、そちらで手続きするよう教えてくれる。
「今日は満室だよ、お客さん」
「ええ? そうなんですか」
奥のカウンターにいたお爺さんは、慣れた手付きで一枚の紙を渡してくれた。
「この町には星の家ってのがあってね。困ったときにゃなんとかしてくれっから、行ってみな」
「あ、ありがとうございます」
紙には町の地図が描かれていた。手書きのマルに現在地と殴り書きが添えられており、その通りの反対側の端に手書きの星マークと、“星の看板が目印”、“旅人の憩い場『星の家』”などと説明が書かれている。
地図の通りに進むと、その家はあった。家というよりは公共施設のような感じで、かなり大きな建物だ。
扉は開け放たれていて、中からランプの明かりが漏れている。恐る恐る足を踏み入れてみると、先ほどの酒場と似たようなレイアウトの飲食スペースが広がっていた。
「すみません、ここは星の家で合っていますか?」
「はい、そうですよ。ご利用は初めてですか?」
「初めてです」
受付カウンターにいたおじさんに話しかけると、にこやかに応じてくれた。
耳の丸い、ふつうの人間のおじさんだったから、わたしはなんだかホッとした。
「始めての方には、星の家の概要を説明させてもらっています」
おじさんは星の家モルカ支部の代表、エルヴァンさんと名乗る。星の家というのは主要な町には大体支部があって、どこへ行っても旅人を支援してくれるそうだ。
「支援の内容は、宿と食事の提供、装備の修理、仕事の斡旋などです」
「スゴいですね。そんなに助けてもらって大丈夫なんですか?」
わたしは素敵すぎるこの施設に、ちょっとだけ不安になる。旅をやめてしまって、ずっとここに住み着いてしまう人がたくさん出てきたりするんじゃないかしら。そうしたらさすがに寝る場所も食事の提供も無理になるのでは……。
「はい、流石に無条件に支援が受けられるわけではありません。星の家の協力者として契約をしていただきます」
「協力者、ですか?」
頷くエルヴァンさんは、次のように教えてくれた。
「星の家は町の治安部隊と連携しています。彼らの要請があれば、戦力を提供しなければなりません」
「なるほど」
「他にも、町の人の手が足りないところに、臨時でお手伝いを提供したりします。報酬がある場合もありますが、大体がボランティアになります。その代わりに町の人々から、必要に応じて物資や空き部屋を提供していただけるのです」
町の人の役に立てて、おいしいご飯が食べられるなんて。願ってもない待遇だ。
「ぜひぜひ、星の家の仲間になりたいです。どうしたら良いですか?」
「それはそれは、どうもありがとうございます!」
エルヴァンさんはニコニコしながら、カウンターの下から何かを取り出してきた。
模様が描かれた羊皮紙の上に、不思議な木製の彫刻が置いてある。円状の彫刻が複雑に絡み合い、内側にいくつかキラキラした石が配置してある素敵な置物だ。
「すごくキレイですね」
「こちらは契約印です。右手をこちらに置いていただけますか?」
印? ああ、スタンプなんだ。わたしは納得しながら、エルヴァンさんの言う通りに手を差し出した。
「星の家の契約は、星の家の象徴である、星辰石に従属の誓いを立てることで行います。こちらの魔法陣に手を置いて、『星辰石さまに従います。私を眷属とし、力を与えてください』と述べます」
「『星辰石さまに従います。私を眷属とし、力を与えてください』……ですか」
「はい。それで結構です。印を押します」
エルヴァンさんは置物を持ち上げ、わたしの手の甲に押し付ける。
わたしの手の甲には星形のマークがつき、ふわっと光った後に消えていった。
「これで契約は終了です。ようこそ、星の家へ!」
無事に仲間入りできたらしい。わたしは二階の一番奥の部屋に案内され、ここで休むように言われた。
「本日は宿泊の方が多くて。相部屋でお願いします。ご安心ください、女性の方ですから」
「あ、はい。大丈夫です」
「荷物を解いたら、下にお越しください。定食をお出しします」
「ありがとうございます!」
わたしの荷物はほとんどないから、カバンとアスンシオンを適当にベッドの上に置いてすぐに下に下りる。
「こらー! シュクイ! 剣を置いていくとは不用心が過ぎるぞ!」
「だって。ご飯を食べるだけなのに。邪魔でしょ」
「邪魔とは何事だ!」
フラグは人がいるところでは喋らないから、わたしは気にせず食堂に向かう。案の定フラグは小言を止めて黙り込んだので、わたしはホッとした。
食堂には丸い四人がけの机がいくつも並んでいるのと、カウンター席がある。どこもだいたい埋まってしまっていて、楽しそうにグラスを交わしていたのでわたしは行き場に困った。
キョロキョロしながら歩いていると、カウンター席がポツポツ空いていることに気付く。鳥の羽がたくさんついた綺麗なドレスを着た女の子が座っているのを見付けて、わたしは隣に座ろうと思い立った。
「ここ、隣、空いてますか?」
「ええ。空いているわ」
「お邪魔するね」
「どうぞ」
わたしはドキドキしながら、その女の子の隣に座る。何故ドキドキしたのかというと、その女の子の声がとてもキレイだったからだ。
透明なガラスで作ったベルを鳴らしているような、心地よい声。こんな素敵な声の持ち主と出会えるなんてラッキーだわ。
「はじめまして。わたしはシュクイというの。あなたは?」
わたしは満面の笑顔で話しかけてみた。女の子は透き通った空色の瞳と、ピンクのグラデーションという不思議な髪色をしている。頬に日焼けのような痕があり、ぷくりと丸いピンクの鼻をしている。
一番特徴的なのは耳元で、髪の毛と同じ色をした羽がエラのように生えている。見たことのない種族だなと思った。
「私はパトリシア。見ての通り、セイレーンよ。よろしく」
「セイレーン?」
わたしが聞き返すと、彼女はキョトンとする。
有名な種族なのかしら。無知な自分が恥ずかしくて、わたしは頭をかきながら笑う。
「鳥人間よ。変わっているでしょう?」
彼女は特に気にした風もなく、無表情のままわたしに足元を見せた。
そこには鋭い爪がある、ゴツゴツした皮膚の足があって、鳥さんみたいだなと思った。
よく見るとドレスのようだと思っていたのは翼で、彼女の背中全体を覆うほどの大きさだった。
「鳥の獣人さんなんだね! 初めて会ったよ。とても素敵だわ」
「そう? ありがとう」
彼女は薄く微笑んだ。同じくらいの年頃に見えたけど、ちょっとお姉さんかもしれない。落ち着いた雰囲気の女の子だなと思った。
「わたしは今朝旅に出たばかりの新人なの」
「そう。どうして旅に出たの?」
「退屈だったから、誰かの役に立ちたくて」
「あら。ずいぶん微笑ましい動機なのね」
クスクス笑うパトリシア。
その間にわたしの前に定食が運ばれる。港町だからだろう、お魚のグリルと、貝のスープとたっぷりのパン。とても美味しそうでつい歓声をあげる。
「いただきます!」
お腹がすいていたのもあり、すごくおいしい。お塩とスパイスだけの単純な味付けだけど、お魚の旨味が出ていて、深みがある味わいだ。
「美味しそうに食べるのね。良かったら私のパンも食べる?」
「えっ、いいの?」
「ええ。どうぞ」
嬉しいのだけど、本当に良いのかな。わたしは困惑しつつパトリシアのお皿を覗いた。わたしと同じメニューが並んでいたけど、ほとんど手をつけられていない。お魚が苦手なのかしら、と思ったけど、おそらく食欲がないんだろうと思う。
「パトリシアはずっと旅をしているの?」
何か込み入った事情があるのかもしれない。わたしは元気のない理由を探りたくてそう質問した。
「ええ。特に当てもなく旅をしているの。思いきって東の大陸に行ってみようかと思っていたのだけど」
彼女は深い溜め息をつきながら、スプーンでスープをつつく。
「何かトラブルでもあったの?」
「あら、あなたも船に乗れなかったからここに来たんじゃないの?」
「船に乗れない?」
わたしが首を傾げると、パトリシアは苦笑いしながら周りを見回した。
「昨日から、船が欠航しているの。だからこんなにも待ち人で溢れているのよ」
あ、そうなんだ。始めに訪ねた宿屋も、この星の家もお客さんでいっぱい。それは定常的なことではなく、船に乗る予定の人で溢れていたからだったのだ。
「竜が出たらしいのよ。近くの山から飛び立ったらしくて。星の家にたまたまいた魔術師が退治しようとしたのだけど、仕留め損ねたらしいわ」
「ええっ? また竜?」
わたしが驚いて声をあげると、パトリシアは目を丸くして言った。
「またって、以前も出たの?」
「うん。わたしが退治したんだけど」
先日出現した竜について、わたしは彼女に概要を話す。
三階建ての建物くらいの大きな竜が、近くの町のそばの山に出現した。たまたま山に来ていた親子が襲われていて、間一髪で助けた。
「本当に? あなた、そんな大きな竜を倒せるの?」
「うん。竜退治は得意なんだ」
一度しか倒したことはないけどね。大袈裟に話してしまったことにちょっぴり後悔していたとき、向かいのテーブル席についていたおじさんのひとりが、わたしのほうを指差して大笑いした。
「おい、聞いたか? あのちいさい嬢ちゃんが、竜を倒したってよ」
「そりゃあすげえや、明日の討伐に参加してもらおうぜ」
なんでそんなに笑っているのかな。大笑いの連鎖が始まった食堂に居心地の悪さを感じながら、わたしは最初に笑い始めたおじさんに向かって声を上げる。
「竜を退治するなら、協力しますよ」
「だってよ、みんな、どうだい?」
「いやあ、無理だろ。誰かおままごとに付き合ってやれるのかー?」
ゲラゲラゲラ。
カエルの大合唱みたいな大音量が響く。
なに、この失礼な人たち。わたしは頬をぷうと膨らませて黙り込んだ。
「どうですかい、コーベールさん」
「あんなお嬢ちゃんでも何か役に立ちますかね」
おじさんたちに囲まれた中心の席に、マントを着けた男の人が座っている。よく見えないけど、体格が良くて髭もじゃのおじさんたちと違い、スラリとして落ち着いた雰囲気の男の人のように感じる。
「人間のお嬢さんは困りますが、そちらのセイレーンのお嬢さんには是非ご協力いただきたいですね」
彼はパトリシアを指してそのように言った。まわりのおじさんたちも顔を見合わせて、確かにそうだとざわつき始めていた。
「セイレーンのお嬢さん、精霊魔法で私を援護していただけませんか。セイレーンは歌の奇跡で、精霊から力を借りられると聞いたことがあります」