第二話(1)
「地図は~持った。水筒は~持った」
昨日のうちに準備した旅の荷物を一つずつ点呼確認しながら、わたしは玄関で身支度を整えていた。
「アスンシオンは~持った。フラグは~持った」
「用意は万端か?」
「うん! 完璧だよ」
全身鏡の前でくるりと回る。旅のために一日かけて綻びをお直しした一張羅。新品のようにピカピカとは言わないけど、普段より素敵に見える。
「あとは、お仕事道具だよね」
薪を積んだ背負子を背負い、斧をぶら下げたところで、フラグが慌てた声を上げた。
「おい、そんな大荷物で行く気か?」
「だって。旅先で何か必要になるかもしれないでしょ」
「お前には剣の腕があるんだから、薪売りなんて効率の悪いことを考えなくてもいいだろう」
「そうかな?」
「そうだぞ」
そう言われても、長年木こりとして暮らしてきたわたしは、他のことで生活できる自信がない。
でもフラグはあまりにも強く反対してきたから、わたしは仕方なく背負子と斧を諦めて足を揃えた。
玄関から少しはなれた場所で、家を見上げる。
古ぼけてはいるけどとても大きくて立派なお屋敷だ。
しばらく無人になってしまうことに申し訳なさを感じながらも、わたしはわくわくを胸一杯にしながら手をかざして宣言した。
「行ってきまーす!」
しばらくは街道をひたすら進むことになる。エフィまでの銀杏並木を、いつもとは違う気持ちで眺めながら、わたしはスキップするような足取りで進んでいく。
「銀杏はいないかな? お別れを言いたかったんだけど」
おととい出会った可愛い銀杏の妖精さん。黄葉した銀杏と同じ色をしているから、遠目では全く見つけられる気がしない。
それでも諦めきれずに視線をぐるぐるさせていると、森のほうで何か動く影を見つけることができた。
「あれ? なんだろう」
その影は、おとといわたしが山火事を見つけた辺りにあって、その山火事の方に向けて消えていった。
「どうした?」
「えっとね。誰かが山火事のあったほうに向かっているみたい」
「竜の死体があるほうか?」
わたしは頷く。
竜の死体は大きいから、わたしにはどうしようもない。ララさんが旦那さんに対処をお願いしてくれると言っていたから、お任せしておいた。
「お片付けしてくれる人かな」
「そうじゃないか?」
面倒をおかけして申し訳ないな、と思いつつも、わたしに手伝えることはあまりないだろうと思ったので、気にせず旅路に注意を戻すことにした。
わたしはエフィの町に立ち寄り、ララさんとミミちゃんに旅に出ることを報告した。
「そうなんですか。せっかく知り合いになれたのに、残念です……」
ララさんは不安そうにそう言っていたけど、ミミちゃんは目をキラキラさせながら、
「おねえちゃん、世界を救う旅に出るの?」
と言ってくれた。
「そうだよ」
わたしがそう答えると、ミミちゃんはさらに喜んでアメを餞別に渡してくれた。
「ご迷惑でなければ、お留守のお屋敷をお掃除させていただきますね」
「本当ですか? お願いします!」
ララさんはとても優しい人だなぁ。ちょっとだけ心配だった家のこと、肩の荷が下りたような気持ちになる。
「それじゃあ、お元気で」
ずいぶんあっさりしているけど、わたしはバイバイ、と手を振って二人と別れた。
第一の目的地、港町モルカまでは徒歩で半日かかるから、あまりぐずぐずしていられない。
エフィを出発して、モルカまでの街道を進んでいく。
実はエフィよりも先の道に足を踏み入れたことがなかったので、わたしはものすごく緊張していた。
風景はこれまでの道と大差なく、ポツポツと銀杏の樹があって、綺麗に黄葉している。
初めて通る道に、最初のうちはドキドキしていたのだけど、代わり映えのしない風景が一時間、二時間と続くうちに段々と気が抜けてきてしまった。
「危険! 魔物注意、かぁ」
「この辺りにも出るんだな」
脇道への分かれ道に、そんなことが書いてある立て札を見付けたので、ついつい興味を引かれる。
「退治してあげたら、みんな喜ぶかな?」
「そうかもしれないな。行ってみるか?」
「うーん……」
世界を救いたいと意気込んで旅に出たけど。わたしの第一の目的はオギに追い付くことだから、寄り道はよしておこう。そう考えて、メインの道から外れないようにする。
そう決めたわたしだったんだけど。
「うわぁ、おっきいねぇ……!」
何気なく向けた視線の先に、見付けてしまった。街道の脇にある林に、一本だけ天高く突き出した見事な銀杏の大木を!
「フラグ! フラグ! 見て見て!」
ピョンピョン跳ねながら、わたしは樹を指差す。
「うちの近くにあるやつより大きいよ!」
「わかった、わかったから、あまり跳ねるな!」
「ねぇ、見に行っていいかな?」
側に脇道の入り口があったから、わたしはそちらに足を向ける。看板は立っていないので、特に危険なことはないだろう。
「まあ、お前が行きたいのなら、行けば良いじゃないか」
「うん! じゃあちょっとだけ見に行くね!」
わたしは小走りで脇道に飛び込み、銀杏の大木がある方向を目指す。
「わー、すっごーい」
その大木の根本にはすぐに辿り着けた。
まるでお家のように大きな銀杏の樹だ。真横に伸びた枝葉が屋根のようにわたしの頭の上を覆っている。
百人くらい余裕で雨宿りできそうだわ。
わたしは屋根の下をゆっくり回って、キラキラと光る木漏れ日を楽しんだ。
ずっと上を見ながら歩いていたわたしは、遥か高い枝で瞬く、赤い瞳に気付いてしまう。
それは先ほどからずっと探していた銀杏の妖精さんのものだった。
「あっ! 銀杏がいるよ。おーい!」
彼もわたしに気付いていたようで、目にも止まらぬ速さで近くの枝まで駆け下りてくる。
みい、と鳴いて首を傾げる姿は、相変わらず身悶えするほどかわいい。
「か、かわいい。かわいい……」
「こら、力を込めるな! 割れる! 折れる!」
フラグは大袈裟だな。手元でミシミシと音が鳴っているけど、わたしのひ弱な力であなたが割れたりするわけないじゃない。
銀杏は再びみいと鳴き、わたしの方に向けて鼻を動かす。
ああ、お腹がすいているんだわ。わたしが鞄から何か食糧を出そうと思ったとき、フラグが文句を言い始める。
「おい、忘れたのか。こいつはお前の食糧を根こそぎ食べてしまうのだぞ」
「そうだね。食いしん坊だったね」
「やめておけ! これからお前は旅に出るんだ。大切な食糧を無駄にするのは良くないぞ」
まあ、確かに、そうかもしれない。
わたしは鞄を漁るのをやめて、困り顔で銀杏を見つめた。
「ごめんね。今はあまりご飯を持っていないの」
言葉が伝わったのか、銀杏は目に見えて落ち込んだ。
「ごめんね。今度はもっとたくさんご飯を持ってくるから」
銀杏は納得したように頷いて、スルスルと銀杏の樹を上っていく。葉っぱの黄色に混じってすぐに見えなくなってしまった。
「ああ、なんだか、悪いことをしてしまった気がする」
「気にすることはない。賢明な判断だ」
フラグはそう慰めてくれたけど。わたしは思いの外落ち込んでしまって、重い足取りでその場を後にする。
落ち込んでいても仕方がない。メインの道に戻って、目的地を目指そうと思ったのだけど……。
「あれ? おかしいな」
わたしは再び、大きな銀杏の根本に立っている自分に気が付いた。
「おい。どうしてまたこの樹に辿り着いたんだ」
「えっ、わかんないよ」
この樹からもとの道まではたいした距離もなく、一本道だったはずだ。さすがのわたしでも、反対方向に歩いたりなんて間抜けなことをするはずがない。
わたしはもう一度、もと来た道を歩き出す。
銀杏の樹の他は名前も知らない低木が多い。道の脇にはすすきがたくさん生えていて、わたしの足をくすぐってくる。
カサカサと草木が風で擦れる音を聴きながら、細い道を懸命に進んだ後、わたしは再び銀杏の大木の根本に辿り着いた。
「あれ……どうして?」
もしかして、反対の道だったかしら。自分の記憶に自信がなくなってきて、わたしは逆の道に足を踏み入れてみる。
でも結果はおんなじだった。わたしはまた銀杏の大木の根本に辿り着き、途方に暮れてしまった。
「どうしよう。わたし、迷子になっちゃった?」
遠い山を見ると、日が段々と落ちているのが窺えた。暗くなる前にモルカに着く予定だったのに、このままでは林の中で野営しなくてはいけなくなる。
「どうしよう。どうしよう。あ、そうだ!」
わたしは銀杏の樹を見上げ、ポンと手を叩いた。
「おい、何をする気だ」
「わたし、木登りが得意なんだよね」
腕につけたフラグを外し、樹の根本に立て掛ける。
「まさか登る気か?」
「上から見たら、道がわかるかもしれないでしょ」
「ものすごく高いぞ、この樹。危ないからやめておけ」
「大丈夫。おととい登った竜の背中も結構高かったよ?」
フラグの反対を押しきり、わたしは太い幹に手をつける。
幹には凹凸がたくさんあるし、生え初めの細い枝も頻繁にあるので、わたしはスルスルと登ることができた。
「わ~いい眺め~」
てっぺんまでは無理だけど、わたしは中腹くらいまで登ってまず景色を楽しんだ。
眼下の木々は色とりどりだ。赤いのや黄色いの、緑にもグラデーションがあり、どこを見ても楽しむことができる景色だった。
「シュクイー! 道は見えたかー?」
「あっ、忘れてた」
下から微かに聞こえた声のおかげで、わたしは本来の目的を思い出し、ななめ下に視線を向ける。
もとの道はすぐ側にあるはずだ。ものの数分で辿り着ける程度の距離にあるはずなんだから。
しばらく探して、それらしいものを見つけた。車輪の跡がつく平らな道。あれがモルカに向かう街道だ。
「あった。あっちの方角だね」
それはわたしが何度も向かった方角で、記憶通りのものだった。迷うはずがないのに、どうして辿り着けないのかな。
首を傾げながらわたしは、再び視線を遠くに向けた。すると、何かチラリと動いたものが視界に入る。
そちらに目を向けて、わたしは驚いた。
腕だ。ヒトの腕が動いている。
こちらに手を振っている。わたしはすぐにそう理解した。
誰かがわたしのほうに手を振っている。わたしと同じように樹に登ったヒトが、こちらに手を振っている。
その樹が、わたしと全く同じ高さの銀杏の樹であることに気付いて、わたしは心底驚いてしまった。
「あれ? 同じような高さの銀杏が、近くにあったかな……」
わたしは一応、相手に手を振り返したのだけど、内心かなり動揺していた。だからつい足を滑らせてしまい、気が付いたら体が宙に投げ出されていた。
バキバキとひどい音と共に、全身に痛みが走る。
いけない、わたしったら。樹から落ちちゃったんだわと思い、慌てて近くの枝に手を伸ばす。
必死に体勢を立て直し、わたしはなんとか無事に地上に戻ることができた。
「いたたたた……」
本当にフラグの言う通りだ。危ないからやめておけばよかった。
わたしは後悔に苛まれながら、相棒の姿を探す。
すぐさまお小言が降ってくると思っていたのに、辺りは静かだ。サワサワという葉擦れの音以外何も聞こえない。
「あれ? フラグ?」
わたしは痛む体をさすりながら、幹の周りを回った。
フラグがいない。どうして?
フラグには足がないから、自分で歩くことはできないはずなのに。
「おーい。フラグー?」
風で飛ばされちゃったのかな。それとも、動物が咥えて持っていっちゃった?
辺りをうろうろしていたら、ガサガサと誰かが近付いてくる音がした。
それは動物や魔物じゃない。ヒトの歩く音だったから、わたしは警戒せずにそちらを見た。
すすきの草むらから現れたのは、先ほど遠目で見た、木の上で手を振っていたヒト。
「あっ、こんにちは」
わたしが笑顔で挨拶をすると、そのヒトはピタリと足を止める。
印象的な赤い瞳の、男の子だった。
彼は大きな赤い瞳をウルウルとさせながら、わたしを見つめてくる。
「ど、どうしたんですか……?」
あまりにも悲痛な表情だったから、わたしは不安になってそう問いかけた。
するとそのヒトは突然声をあげ、わたしに駆け寄ってくる。
「ヒトだ~! ヒトがいたー!」
「?!!」
わたしは頭が真っ白になった。
なんとそのヒトは、そう叫びながら、わたしにガバッと抱きついてきたのだ。