第一話(3)
日が高いうちに、ということで、わたしたちはすぐに出発することにした。
名残惜しそうなララさんとミミに別れを告げ、わたしはオギを我が家に案内する。
「あのね。うちには面白いものがたくさんあるんだよ」
わたしは張り切っていた。とてもウキウキして、足取りが軽かった。
我が家にお客さんが来るのは初めてだったから。
おとうさん以外のヒトをうちに上げたことはない。覚えている限りでは全くない。
「本もいっぱいあるし、わけのわからない石とかお皿とか道具とかもいっぱいあるよ。たぶん学者さんにとっては貴重なものなんだと思う」
「もしかして、その剣と盾もそうなんですか」
「あ、そうそう。よくわかったね!」
わたしは背中の剣と、腕につけたフラグをオギに見せた。彼は興味深そうにそれを眺めている。
さっきからフラグはどうしたのかな。一言も喋らない。いつもはうるさいくらいに喋り続けているのに、竜を倒したあとから声を聞いていない気がする。
「その武器も立派ですが、シュクイさんの実力もすごいですよね」
「え、あ、うん。おとうさんに剣術を教えてもらったの」
「グラウスさんは学者なのに、剣術の才能もあるんですか?」
「そうなの。あ、わたしのことはシュクイって呼んでね。きっと歳も近いし、敬語なんて使わなくていいから」
オギはあ、と言葉を飲み込んでから、少し穏やかな表情をして話を続けた。
「それじゃあ、シュクイ。……本当はグラウスさんに聞きたかったんだけど、きみに聞いてもいいかな」
「うん。もちろんだよ!」
オギの口調が柔らかくなったので、わたしは嬉しくてそう即答した。新しい友達ができたような気持ちになって胸がときめいた。
だけどオギのほうはまた硬い表情に戻ってしまって、少しだけ言いにくそうにしながらこう言った。
「あのさ、“上級竜”って聞いたことあるかな」
「上級竜?」
わたしの頭に疑問符が浮かぶ。今日は聞いたことがない単語ばかり聞いて、頭がパンクしそうだなぁ、などと考える。
「やっぱり、知らないよな……」
わたしの反応に、オギはひどく落ち込んだ様子を見せた。耳のヒレと尻尾が力なく垂れ下がり、重たい尻尾がズルズルと地面に線を描いている。
「ご、ごめんなさい……」
「いや、いいんだ。あんまり期待していなかったから」
咄嗟に謝ったわたしに、彼は素っ気ない言葉を投げかけた。
これはいけない。おとうさんを頼ってせっかく来てくれたのに。おとうさんの名誉にかけて、お客さんをガッカリさせるわけにはいかない。
「きっとおとうさんの蔵書になにか情報があるよ。おとうさんはたくさんのえらい学者さんとお仕事しているんだから! 自分で書いた本も、学者さんからもらった本もあるし……きっと知りたいことが書いてある本が見つかるよ」
家に着いたわたしは、さっそくオギを書斎に案内した。
我が家の書斎は、家の半分を占めている。一階と二階が吹き抜けになっていて、壁を埋め尽くすように本や巻物が並んでいる。
「好きに見ていっていいからね」
わたしはそう言って退席し、なにかできるおもてなしがないか、キッチンをウロウロした。
「なんだか妙な子供だな」
「わっ、ビックリした」
食器棚の奥から来客用のティーカップを取り出していたわたしは、急に聞こえた声に驚いて手を滑らせそうになる。
「フラグ、どうしたの。さっきは黙り込んじゃって」
「私は相棒としか話をしない主義なのだ」
「そうなんだ」
そういえばフラグと出会ってから、フラグはわたしとしか話していない。気にしたことはなかったけど、なるほど、そういう設定だったんだと納得する。
「妙ってどういうこと?」
「知りたいことがあって、この家を尋ねてくるなんて妙だろう。今までそんな者がいたか?」
「うーん……」
まあ、確かに。わたしが覚えている範囲では、いくらおとうさんがえらい学者さんだとしても、おとうさんを尋ねてきたヒトなんていない。
「この家にあるものは、私を含めて、価値がわかるものにしか興味を持たれないものだ。この家に興味を持つ者は、この世界では変人と言ってもいいだろう」
「ん? どういうこと?」
「私が思うにこの世界の住人は、世界の成り立ちについて深く考えるような頭をしていない。要するに、ぼんやりしているやつが多い。おまえを含めてな」
「んんん?」
なんだかとげのある言い方だなぁ。わたしは頬を膨らませて抗議の意を示した。
「特に竜人とかいうのは、恵まれた体力を持っているから脳まで筋肉でできたやつが多いと聞く。歴史などという繊細なものに興味を持つなんて、どんな風の吹き回しだ」
「そんなに変な子には見えないけどな」
フラグってちょっと偏見が強いんだよね。わたしがそうボヤキながらお茶の葉を探していると、背後に気配を感じる。
「ごめん。ちょっといいかな」
「どうしたの? なにか見つかった?」
振り返った先にはオギが困った顔をして立っていたので、わたしは彼の後について書斎に戻ることにした。
「グラウスさんの本、おれにはちょっと難しくて読めないみたいだ」
「そう? 確かに、眠たくなっちゃうくらい細かい字が多いからね」
「いや、そういうことじゃなくて、ほとんどおれには読めない字なんだ」
「?」
オギが何を言っているのかよくわからないまま、わたしは彼が誘導するほうについていく。
彼はおとうさんの書斎机のそばに立つと、机の上に積んであるボロボロの本を手にとってこう言った。
「この本が気になるんだけど、これはなんの本なのかな。手紙が添えてあったんだけど、誰かから送られてきた本?」
「たぶんそう。お客さんはこないけど、たまにおとうさん宛に手紙が来るの。いつ帰ってくるかわからないから、いつもここに積んでおくんだ」
わたしはそう答えながら、手紙を受け取った。封を開けて中の文字を読む。
「おとうさんに解読の依頼が来てるみたい。すごく昔の本だから、読めない文字で書いてあるみたいだよ」
「これ、文字というよりか、暗号なんじゃないかな。読めそうで読めないのが気になるんだ」
「へえ。そうなんだ」
どれどれ……。わたしはその本を、破らないように注意しながら眺める。
書いてあるのはなんだかミミズがニョロニョロしたような文字で、“読めそうで読めない”というオギの感想には同意できそうもない。
「うーん……わたしにはわからないな。おとうさんなら読めたかもしれないけど」
「グラウスさんにはどこにいったら会えるんだろう」
「さあ……おとうさんは発掘で世界を飛び回っているから、うちにいるのが一番会える確率は高いよ」
一年以上帰ってきていないけど……。そう付け足すと、オギはわかりやすいほど意気消沈していた。
いけない。お客さんをガッカリさせたら、おとうさんに顔向けできないわ。
わたしはなにか元気付けることを言おうと、手紙を隅々まで眺めて情報を探す。
「あっ、この本は、学園都市の学校の先生から送られてきたみたい」
「学園都市?」
オギは地理に詳しくないと言っていたな。そう思い出したわたしは、壁に貼っている世界地図を指差しながら彼に説明した。
「ここがエフィの町で、ここが港町モルカ。ここから船に乗って対岸に渡ると、学園都市アストラリアがあるの」
この街はとても栄えた都市で、世界中から知識人が集まる。すべての学者が一度は憧れる場所と聞いたことがある。
「ここには大きな学校があって、賢い子供たちが偉い先生から勉強を教えてもらうの。おとうさんはそこの先生と知り合いなのかな? たまにこうやってお手紙が来るんだよ」
封筒の裏に、差出人が書いてあった。アストラリア魔法学校、魔書術研究室、ハックフォードという名前が書かれていた。
「ハックフォード先生ってヒトが差出人みたい」
「そうなんだ」
「気になるなら、その本を持ってその先生を訪ねてみたら?」
「えっ、借りてもいいのか?」
「うん。良いよ。おとうさん帰って来ないし。それなら持ち主のところに返したほうが良いんじゃないかと思うし」
「……確かに、そうかもしれないね」
本の表紙を眺めるオギは、なんだか嬉しそうな表情だ。知りたいことが何なのかはわからないけど、手がかりが見つかって良かった。
わたしはオギをダイニングへ誘って、お茶を振る舞った。これはハチミツの香りがするお茶で、わたしのお気に入りのひとつだ。
「おいしい」
オギはそう呟いて、お茶を気に入ってくれたようだった。
段々と気持ちがほぐれてきたのか、彼はポツリポツリと身の上話をしてくれた。