第六話(4)
「姉上。そんなことよりも、早く対策を講じたほうが良くないですか」
宿木さんはにこやかにそう発言した。
「言われなくてもわかっておる! お主らには精霊石を集めて――」
「いえいえ、違いますよ姉上。それよりも問題があります」
「何だと?」
ピクリと眉を吊り上げて茜は宿木さんを見る。
茜と同じように体が薄くなっている宿木さんは、柔和な表情を崩さずに淡々と言葉を紡ぐ。
「他の大精霊の勢力の様子を探らないといけません。僕たちが勢力を落としていることがバレてしまったら、勢力拡大を狙うかもしれません」
「うぬ、一理あるな。信者どもの情報によると、西のエシフトラが妙な動きをしているらしい」
「精霊石はいつも通り信者に集めさせればいいのです。シュクイさんには違う任務をしてもらいましょう」
何だか不穏な空気を感じる。茜と宿木さんはなんだか悪い笑いを浮かべながら、わたしのほうを見た。
「人間よ、お主の処分が決まった。お主には今から、西方の翠の精霊どもの討伐に向かうのじゃ」
「翠の精霊?」
「大精霊エシフトラの陣営じゃ」
大精霊エシフトラ……。何だったっけ。三人のうちの三番目に紹介されていた大精霊さんだったように思う。
「お主はやつらが溜め込んでいる精霊石を見つけたら、さっき妾の精霊石を砕いたように粉々に砕いてしまうのじゃ」
「ええっ、そんなの無理です」
わたしは首をブンブン振って拒否した。だって、さっきは体が勝手に動いてやったことだもの。わたしの意思であれをやれと言われても出来ない。
「ふん、お主に拒否権があると思うか? お主は罪人なのじゃぞ。妾をこんな目に遭わせてそのまま逃げるなど、できるわけないよな? そうじゃよな?」
「…………」
茜の口調は強さを保っていたけど、言っていることが全然怖くない。
相変わらず大きな赤い目でわたしを睨んでいたけど、その目はどことなく潤んでいて、段々と上目使いに変わっていく。
ああ、可愛い。ズルいわ、わたしが出会う子はみんな、どうしてこんなに可愛いの。
「大丈夫ですよシュクイさん。これを持っていってください」
わたしが悶えていると、いつの間にか立ち上がっていた宿木さんが、こちらに木の枝を差し出している。
「これは……?」
「僕の本体です。向こうに着いたら、僕が加勢します」
それはたぶん、目の前の樹に生えていた植物のひとつだと思う。
灰みを帯びた細枝に、乳白色の実がいくつか成っている。粒はひとつひとつ淡く透け、ほのかな光を放っている。
おそらくこれは宿木だ。宿木さんの魂が憑いている植物だ。
「加勢するって、どういうことですか」
「その実を精霊石が宿る樹に付けてくれたら、僕はその樹に取り憑くことができます」
ああ、なるほど。精霊さんは器となる植物のそばから離れることが出来ないのね。でも、器となる植物があるところならワープすることもできる。
「この宿木を成長させたら、宿木さんが助けに来てくれるんですね」
「そういうことです。精霊石でなくても、魔石を取り込んだ植物なら僕は成長できるので、困ったら呼んでください」
「わかりました」
それなら大丈夫かな。わたしは今にも泣きそうになっている茜にニコリと笑顔を向けて、こう言った。
「迷惑かけてごめんなさい。なんとかあなたたちの役に立てるように頑張るから、少しだけ待っていて」
茜と宿木さんに見送られ、わたしは朱の森を後にした。
肩に乗っていたはずの銀杏はいつの間にかいなくなっていた。
いつからいなくなっていたのかはわからないけど、妖精さんもきっと宿主の植物の近くにしか存在できないのだろう。
お別れを言えなかったのは残念だけど、また旅先に銀杏の樹があれば出会えるかもしれない。
「ねぇフラグ。あなたの前の持ち主はイーノスさんと言うの?」
わたしは相棒にそう尋ねた。
不思議と胸がモヤモヤする。昔はわたし以外のヒトが相棒だったなんて。
当たり前のことなんだけど、少しだけ寂しい気持ちが湧きあがる。
しかもイーノスさんは、勇者としてみんなから称賛されているヒトらしいのだから。
「そうだが、過去の話だ。今の私の所有者はお前だ」
「フラグはわたしに旅に出るように言っていたよね。旅に出る前、わたしが勇者になりたいと言ったらすごく喜んでくれたけど、わたしにイーノスさんのようになってもらいたいの?」
そう尋ねると、フラグは少し沈黙した。答えにくい質問だったかなと反省していると、彼から戻ってきたのは力強い言葉だった。
「私の今の所有者はシュクイだ。イーノスなど関係がない。おまえが見聞きし考え、正しいと思うことをしろ。それを全力でサポートするのが私の務めだ」
「そっか、そうだよね! ありがとう」
わたしは本当に良い相棒を持ったなぁ。
しばらく喜びを噛み締めながら歩いていたけど、なんだか周りが騒がしいことに気が付く。
銀杏に会うまでは魔物にたくさん遭遇していたけど、その地点を過ぎても魔物が出てこない。
だけど今までたくさんの気配が感じられていた。
木陰に潜むもの、わたしの足音で逃げ始めるものなど、先ほどとは違う行動をとる彼らにハテナを浮かべるわたし。
この騒がしい声は、たぶん魔物か動物同士が喧嘩をしている。どうして喧嘩をしているのかしら?
だけど、襲ってこないなら戦う必要はないかなと思っていたので、わたしは気にせず通りすぎる。
すると、目の前にチラリと赤い煌めきが見えた。
「あれ? 魔石かな。どうしてあんなところに落ちているの」
「それは先ほど、お前が砕いてしまったからだろう」
「えっ? あれって、精霊石の欠片なの?」
わたしはそれに近付いてみた。ギラギラと光る赤い石。わたしがオギにもらった石によく似ている。
精霊石と魔石って、何が違うんだろう。わたしには同じものにしか見えないのだけど。
そんなことを考えていると、草影からバッと何かが飛び出してきた。
わたしは瞬時に剣を抜いたけど、それはわたしの足元に着地し、すぐに駆けていってしまった。
「シュクイ、魔石を取られたぞ」
「えっ? あ、本当だ」
わたしはそれが去っていった先をぼんやりと眺めていたけど、段々と不安な気持ちになってくる。
「ねぇフラグ。魔石を食べたら、動物も魔物になっちゃうんだよね」
「ああ、そうらしい」
「だ、大丈夫かなぁ」
「魔物の出現は増えるだろうな。しかし小さな破片になっていたから、そこまで凶暴な魔物が現れたりはしないだろう」
「せめてコーベールさんやアイビー先生に伝えて、備えてもらおうかな」
わたしはそう決めて、アストラリアへ向かうための歩を速めた。
全く、どうしてこんなことになってしまったんだろう。
わたしがやってしまったことになるんだろうけど、わたしの意思ではなかったのに。
「ねぇフラグ。さっきはどうして体が勝手に動いたのかな」
わたしがボソリと呟くと、フラグは驚いた声を出した。
「どういうことだ? いつの話だ?」
「気付いてなかったの? 精霊石を壊したときだよ」
「あれはお前の意思で壊したのではないのか」
わたしはキョトンとする。フラグがどうしてそう思ったのか、理解できない。
「どうしてわたしがヒトのものを壊すと思ったの? そんな悪いことをするわけないじゃない」
「だってあれは、明らかに不当に魔石を溜め込んでいただろう」
「不当に? どういうこと?」
「家にいるときも、何度か説明したと思うが……」
フラグはそう前置きして、丁寧に説明をしてくれる。
「遥か昔のことだ。イーノスによって魔石は砕かれ、細分化されて、できるかぎり全ての生物に平等に下ったのだ」
イーノスさんが勇者と呼ばれるのは、全ての魔石を独占した魔王を討ち滅ぼしたかららしい。それはアイビー先生の授業でも聞いた話な気がする。
「魔石というのは、神より与えられし『幸福の権利』を象徴するものだ。本来なら、あのように一個人や集団が溜め込んでよいものではない」
「幸福の、権利?」
聞きなれない言い回しだった。
どういうことだろう。あの魔石を持っていたら、幸福になれるってことなの?
「あの精霊はおそらく、魔石をたくさんの生命体から巻き上げてあのように溜め込んだのだ。使えもしない魔石を無意味に集めて、生命体から恨みを買っていただろう。おそらく魔物がこの辺りに多かったのは、やつらが集めた魔石を動物たちがくすねていたからだ」
「赤い目の魔物たちのこと?」
「そうだ。管理できないほどに魔石を集めて、魔物をのさばらせて……何とも迷惑なやつだ」
精霊はいつになってもそうだ。フラグは苛立ったように呟いた。
なるほど。フラグは精霊さんを嫌っていたから、わたしが精霊石を壊したのも当然だと考えたのか。
フラグが精霊さんを嫌う理由はたぶん、昔に何か悪いことが起きたからなんだろうけど、わたしにはわからない。
わからないうちは、頭ごなしに否定したくはない。
難しいことを考えるよりも今は、コーベールさんに状況を報告しなくちゃ。
朱の森はすっかり赤みを失い、どんよりとした灰色になってしまっている。わたしはその姿を見て、責任を感じながら重たい体を街のほうに向けた。
枝葉の隙間から見える空は、すっかり星空になってしまっている。
わたしはすごくお腹がすいていることに気が付き、また星の家に行けばごはんを恵んでもらえるだろうかと考え始めた。
「お仕事は失敗しちゃったけど、ごはんはもらえるかなぁ……もらえるといいなぁ……」
アストラリアに着いたとき、すでに門は閉まっていた。だけど星の家のマークを見せたら門番さんが脇の扉から中に入れてくれた。
野宿にならなくてホッとするわたし。
街はランプの明かりに満たされていて、昼間とはだいぶ雰囲気が変わっている。
星の家はどこだったかなとフラフラ歩いていると、すぐに看板を見つけることができた。
わたしがそこに入ろうとしたとき、何者かがわたしの前に躍り出てくる。
「ちょっと待ってくださーい!」
「えっ、ニノくん?」
それはフワフワな銀髪に羊の角が生えた少年、ニノくんだった。
「シュクイさん、駄目ですよ。どうしてこんな施設を使っているんです!」
「えっ、どうしてって。わたしは旅人だから……」
宿と食事の提供を受けるためにここに来るのは、当たり前のことだと思っていたけど違うのだろうか。
ニノくんは青い顔をしてわたしの手を握り、ぐいと引っ張りながら訴えた。
「いますぐ! 離れて! こっちへ来て下さい」
「どうして? 何かあったの?」
彼がこんな顔をするのは、アイビー先生に何かを命令されたからだろう。
案の定彼は、悲痛な声でこう叫ぶ。
「忠告されたじゃないですか、シュクイさん。ハックフォード先生と会ったらダメだって」
「ハックフォード先生? 別に、会ってはいないけど」
わたしの反論に、彼はブルブルと首を横に振る。
そして衝撃的な一言を放った。
「あなたに仕事を依頼した男が、ハックフォード先生なんですよ!」
「えっ……、ええ?!」
仕事を依頼した男って、コーベールさん?
コーベールさんがハックフォード先生なの?
なんて偶然なのだろう。思いもしなかった事実に、わたしはしばらく放心状態に陥ったのだった。




