第四話(3)
「そんな! あんまりっす!」
「見捨てていくなんてできないっす!」
もー! どうすりゃいいっていうのー!
頭を抱えかけたわたしだけど、あっさりと駆け出すサクヤを見て、ウォムシィたちはあわあわと柵を降りはじめた。
「オヤブーーン!! 置いていかないでくださーーー」
わたしは五匹と三匹、合わせて八匹の背中を確認してから駆け出す。
後方で、どなり声が聞こえる気がする。『家畜ドロボー!』って聞こえる。
うわあんごめんなさーい!!
わたしたちが全力で駆け込んだ港は、しんと静まり返っていた。
月明かりに照らされてキラキラしてる海には、大小たくさんの船が停泊している。
このあたりの船なら勝手に乗ってもバレそうにないけど、サクヤたちの船ではないのよね。
「こっち……」
船のありかまで、サクヤが案内してくれるみたい。わたしたちはできるだけ暗がりに身を隠しながら、ゆっくりと港を進んだ。
白い立派な灯台が見える。それは港の最奥、最も海に突き出た場所だ。
「おお……! あれはまさしく我らのエリファレット号やす」
ウォムシィがぼそりと呟いた。灯台の側には、二隻の船があった。どっちも立派な船だけど、奥にある白い船が巨大すぎて、手前の船がちっぽけに見える。
「あのちいさいほう?」
「我が家は小さくないッス!! 後ろのが化け物並みのデカさなだけでやす!!」
「しぃー!!」
金切り声をあげるウォムシィに、みんなが指をたてて注意する。
わたしたちは、手前の積み荷置き場まで移動した。
積まれた木箱の影から様子をうかがう。ここからなら船がよく見える。
灯台は、頑丈そうな石塀に囲まれていた。中央の鉄の門はかたく閉ざされていて、突破には骨が折れそう。
ぱっと見人影はないんだけど、塀の向こうに誰かいるかもしれない。油断はできない。
わたしたちは息を潜めて、陽動班の合図を待った。
「竜の咆哮が合図だったよね」
わたしは町の方を見て、オギたち陽動班に想いを馳せる。
サクヤたちを助けるためとはいえ、オギを変身させてしまっていいのかしら。
オギは竜騒ぎを鎮めるため、町のヒトに謝ろうとしていたのに。演技とはいえ、町を襲う振りをするなんて、オギが悪い竜だと勘違いされないかしら。
ブルッと身震いするわたし。
さすがに、早朝は肌寒い。同意を得ようとして仲間たちを見回したけど、そういえばウォムシィもサクヤもたっぷりの毛皮を着込んでいる。
いいなあ、暖かそう。わたしも毛皮があったら良かったのに。
そんなことを考えていた時だった。
「あ、あああ……」
ウォムシィのひとりが一点に目を向けて固まっていた。わたしもつられて目を向けると、グォオオオオン、擬音にするとそんな感じの重低音が響いた。
視線の先に、赤い体躯が見える。
竜だ。わたしの全身にビリリと警告信号が走る。
あれがオギ? 想像以上だった。民家の屋根から突き出した体に驚いてしまう。
恐ろしい形相は、温厚そうなオギの顔とはまるで重ならない。
あれは味方とわかっていても、わたしは反射的に身構えてしまった。
「吼えた、吼えたでやす!」
ウォムシィの狼狽した声でわたしは我に返る。さっきの音が咆哮だったのか。
急に辺りが明るくなった。竜が火を噴いたみたいだ。真っ赤に染まった空と、悲鳴が異常事態を演出していた。
「大丈夫、あの子は仲間だよ! 落ち着いて!」
すっかり竦み上がってしまったウォムシィたちを励ましてから、わたしは灯台に目を向けた。
一斉に明かりがつく。
市街地の方から一人の男の人が、慌てきった様子で駆けてきた。門に取りついてなにか叫んでる。
やがて、門が重そうに開き、白い服を来た人たちがぱらぱら出てきた。
一人、二人、三人……と数えていると、ぶわっと数が増え、途端に計数不能になる。
うわあ、中にあんなにいたんだ。ちょっと寒気がした。
グォオオオオン、とまた竜の咆哮が、お腹にビリビリ響いた。続いてドンドンと地面が揺れる。
オギが大袈裟に足踏みしてるみたい。すごい、これでパニックにならない人はいないだろう。
わたしがふと灯台に視線を戻すと、開いた門にもぬけの殻の内部が見えた。
「今だ、行こう!」
ウォムシィたちはびく、と体を震わせたけど、深呼吸して叫ぶ。
「ょ、よっしゃあぁぁぁあ!! いまこそら我らの家を取り戻すやすーー!!」
「うおおおおお!!!」
叫ばないと怖くてやってられないんだろう。周りに聞こえないかが気になったけど、大目に見ることにする。
わたしたちはこそこそと駆け出し、門に取りついて中を伺った。ひっそりとした場内。うん、大丈夫、誰もいない。
そっと門をくぐり抜け、足音を忍ばせて海づたいに走った。
船は、桟橋の木の杭に頑丈にくくりつけられていた。
「どうやって乗り込むの?」
乗り込み口が見当たらない。
「あれを使いやしょう」
ウォムシィが示した先には、長い木の板があった。
「あっ、ストップストップ!」
わたしは嬉々として板に取りついたウォムシィたちを小声で制止する。桟橋の端に人影が見えたからだ。
三人の男のヒトが、赤く染まった町の方を見ていた。まだこっちには気付いていないみたいだったけど、大きな音をたてたりしたらすぐにばれそうだ。
どうしよう……。
わたしが硬直していると、ゆっくりと動く黄色い頭が目に入った。
サクヤだ。彼女はどこから出したのか、自分の頭くらい大きな頭が付いた木槌を持っている。
音をたてずに男のヒトたちの背後に位置取ったサクヤは、重そうな木槌を頭上高く掲げる。
だ、だめ……と言いかけたけど、わたしは言葉を飲み込んだ。
誰もその気配に気付くことはなく、彼女は一番後ろのひとりに狙いを定め、木槌を思いきり振り下ろした。
ごいーん☆
かわいい音が響いて、男のヒトは崩れ落ちた。"一番後ろにいた"、それだけの理由で、彼はかわいそうに頭を強打された。
「なっ」
「侵入者?」
前にいた二人は、ようやく事態を察知して振り返る。けど、遅かった。大きな声をあげる前に、顔面、鳩尾と重い一撃を食らい倒れ伏す。
「さすがオヤブン!!」
「かっこいいっすー!」
黄色い歓声ににこりともせず、サクヤは足元に転がる男のヒトたちを眺めていた。
ひとりの腕がぴく、と動いた。
サクヤはそれを認めると、無表情でハンマーを振り上げ……。
「きゃー!! ストップストップー! 死んじゃうー!」
わたしはさすがにまずいと思い、止めに入った。
「トドメを」
「やめてーー!」
気絶させようとしたんじゃないの? 殺る気満々だったの?!
幸い、ただの痙攣だったようで、男のヒトは意識を戻す様子はない。
三人とも静かだ。違う意味で不安になった。
特にはじめの脳天直撃食らったヒト、生きているかな……?
「は、はやく乗り込もう?」
わたしはサクヤの手を引いて船に向かう。これ以上ここにいたら危険だ、このヒトたちが。
ウォムシィたちが木の板で船までの橋を作り、両脇を支えている。わたしはサクヤと一緒に橋をかけあがり、船に飛び乗った。
船はしんと静まり返っていて、ヒトの気配はない。
次々にウォムシィさんたちも乗り込み、板を船の甲板上に急いで回収させた。
しゃがみこんで身を隠す。とりあえずこれで侵入はバレないはず、こうしてオギたちを待とう。
「仲間たちは、うまくやってやすかねえ」
甲板にぺたりと張り付くように伏せたウォムシィのひとりが、ぽそりと呟いた。
「竜に食われてないといいスけど」
「そ、そんなこと言うもんじゃないッス!!」
「あの竜はオギのアニキッス! 味方ッス!」
「みんな、静かにして!」
油断するとすぐ騒ぎだすこの子たちだけど、わたしの一喝で船に静けさが戻った。
ホッとしつつ見上げた空はほんのり赤い。遠くで喧騒が聞こえる。町が荒れているんだわ。
当事者のひとりなのに、どこか他人事に感じていた。
こんなことをして、わたしは悪い子かしら。お父さんに怒られてしまうかな。
それより、オギは大丈夫かな。危なくなったらすぐにヒトの姿になれるけど、その前に攻撃されて、それが当たったりしたら……。
考えないようにしてたけど、今オギたちはすごく危ない状況なんだと今更ながらに思い至る。段々と心配が沸き上がってきた。
耳をすませてみるけど、仲間の声らしきものは聞こえない。
わたしは、膝を抱えて甲板を見渡した。ウォムシィたちはおとなしく絨毯のように広がっている。
あれ? そういえば。
わたしは思い出したように、もう一度あたりを見回した。甲板にはウォムシィからなる白いマットと、ややくたびれた色をした木目の床が広がるばかり。
「どうした、シュクイ」
身を低くしたままあたりを探索するわたしに、怪訝そうなフラグの声。他人と一緒だとあまり喋らない彼だから、しばらくぶりに聞いた声だった。
「サクヤ、どこへいっちゃったんだろう」
わたしはそう言って中腰で甲板を移動した。
わたしが違和感を感じたのは、白ばかり目につくこの甲板の景色だった。どこを見てもモコモコは白。手を引いて乗り込んだはずの黄色がどこにもいない。
「船室に入るのを見たぞ」
「船室?」
「ああ、そこの扉だ」
船の舳先にある扉、そこをフラグは示しているようだ。
船内にいるんならよかった。トドメを差しに戻ったんじゃないかと心配していたところだ。
ホッとしたのも束の間、
「きゃっ」
突然ガタン、と船が揺れた。
「な、なに?」
つい声をあげてしまうと、白いマットになっていたウォムシィたちも、はねあがって狼狽を始める。
「揺れたでやす!! 地震でやす!」
「ちがう、敵襲でやす!!」
「津波でやす! 沈没でやす!」
「どれもちがうーー! 落ち着いて!」
混乱はあっという間に全員に伝染して、わたしの声は届かない。
まずい、まずいわ。こんなに騒がしかったら侵入したのがばれちゃうかも。
「ああもう、あとちょっとなのに、我慢してよ、もう!」
ウォムシィは毛をまき散らしながら、駆けずり回る。全くわたしの命令を聞いてくれそうもない。
困った。どうしよう。サクヤはどこへ行っちゃったんだろう。肝心なときにいないんだから。
辺りを見回しても、探し求める黄色は見えない。
ウォムシィたちの中心で、羊毛に埋もれながら……わたしは途方にくれていた 。
その時だった。
「野郎共!! 配置につけーー!!」
凛とした声が響き渡った。
ウォムシィたちはぴたりと動きを止め、舳先を凝視する。
わたしもそれにつられて視線を向けた。
「錨を上げろおお!! 出航だーー!!!」
うおおおお、と船内は歓声に包まれる。
あたふたと配置に急ぐウォムシィに囲まれて、わたしはひとり呆然としていた。
舳先で叫ぶ人物、それは。
サクヤだった。
だけどさっきまでのチュニックと革のパンツというラフな格好じゃなく、きらびやかな赤いコートと、長いフカフカのついた大きな帽子を被った彼女だった。
ウォムシィが掛け声を出しながら、ロープを引いている。
その動きに合わせて、主柱に沿って黒い旗がゆっくりと上昇する。
羊の骸骨が描かれた旗は、どこからどう見ても海賊旗。その旗を頭上に翳して堂々と立つサクヤのその姿は、まさしく海賊船の船長だった。
続いてわたしの背後から、ガタガタ、と音が聞こえる。ウォムシィたちがハンドルを回し、船を揺らしながら錨を上げている。
あ、だめだめ、ぼんやりしてる場合じゃない。
「サクヤ!!」
わたしは彼女の足元に駆け寄って叫んだ。
「まだ出航しちゃだめだよ!」
船長として堂々と佇むサクヤは、わたしのことをちらりとも見ようともしない。大きな手振りでウォムシィたちに指示を出し、出航の準備をさせている。
わたしはさらに叫んだ。
「ベーカーさんたちを待たなきゃ!」
がた、と作業音が停止するのがわかる。たぶんわたしの声を聞いて、ウォムシィたちが迷っているんだろう。
それに気付いたサクヤはちょっと不快な表情を浮かべると、高らかに吼えた。
「構わん、進めーー!! 誰も我輩の船出を止めることはできん!!」
わーん、だめだー! わたしは説得を諦めた。このサクヤは人の話を聞くようには思えない。
『サクヤは出航したがるだろうから……』、そうベーカーさんが言ってたのを思い出す。『陸に上がったら覇気がない』、とも言ってたなあ。
確かに、さっきまでのサクヤの姿が思い出せなくなるくらい、今のサクヤは元気が良い。船に乗ると人格が変わるのかしら? 服を着替えただけでなくお化粧もバッチリしている印象を受けた。長い睫毛が揃って上を向き、今までよりも目が大きく見える。
可愛いんだけど。見惚れている場合じゃない。
錨が上がりきってしまった。あとは陸とを繋ぐ太い縄をほどくだけで、港を離れることができてしまう。
わたしは船から身を乗り出して、祈るように港を見た。
はやく、はやく来て、オギ!
視界に、港に駆け入ってくる集団が映り込む。
来た?!
違う。走ってきたのは白い服の人たちだった。先頭を走る白髪のおじさんがなにか怒鳴っている。
「いたぞ!! やつらだ!! 家畜ドロボー!!」
「きゃーー! はやく出航してーー!!」
わたしは条件反射で叫んでいた。
「……待たないのか」
手元から呆れたような声が聞こえる。
「だ、だって、船が最優先ってベーカーさん言ってたし」
変わり身早い、と非難されようが、泥棒として捕まるのは嫌だもの。
船と陸を繋ぐ縄を、もたもた外しているウォムシィたちに駆け寄る。
「どいてー!! わたしがやる!」
アスンシオンを抜き、一閃した。あっけなく縄は分断され、力なく海に向かって垂れ下がる。
「野郎共ーー!! 出航だああああ!!」
サクヤの掛け声と共に、船はゆっくりと岸を離れ始めた。
「ちくしょーー! 待てーーー!! 家畜返せーーー!! 塀弁償しろおおおお!!」
ウォムシィ牧場のおじさんが悲痛な声で叫んでいる。
ごめんなさい、本当にごめんなさい。
白い服の人たち(警察隊の制服を着ているのかな?)が、桟橋にたくさん泊めてある小型の船に乗り込もうとしてるのが見える。町の周りでゆっくりオギたちを待ってるわけにもいかなそう。
どこにいるの? オギ……。




