第三話(4)
モルカにつく頃には、薄暗くなっていた。
「なんだネエちゃん、またギリギリだな」
「えへへ、ごめんなさい……」
鎧兜を身につけた門番さん、昨日と同じヒトだったらしく、顔を覚えられてしまっていた。
わたしたちを最後にして、門が閉じられてしまう。サクヤたちは大丈夫だろうかと思いながら、わたしたちは酒場を目指す。
「酒場ってどこだろう」
「わたし、一度行ったことがあるの。多分あそこだよ」
わたしは記憶をたどりながら、ベッドとグラスが一緒に描いてある看板を見つけ、扉を開いた。
先日と同様に、お客さんがいっぱいだ。
「いらっしゃいませ~。お好きな席にお座りくださーい」
前と同じピンク色の髪のお姉さんが、声を張り上げて応対してくれる。
「どこに座ろう?」
「あのテーブルしか開いてなさそうだよ」
体格の良いおじさんたちに隠れて、片隅に小さなふたりがけの席があった。
あんな場所じゃサクヤと落ち合えないかもしれないけど、仕方がない。
わたしたたちはその席に着き、サクヤたちを待つことにした。
「オギは酒場って来たことがある?」
「いや、ないよ。お酒なんて上級竜は飲まない」
「おとうさんが、お酒は子供が飲んじゃ駄目なものって言ってたの」
「シュクイは飲んじゃ駄目だよ。あまり体に良いものじゃないから」
何だろう。オギはわたしより小さい見た目をしているのに、おとうさんみたいなことを言ってくる。
もしかして、意外と歳上なのかしら。確かにしっかりしてそうな印象はあるけれど……。
「お客さま、注文はー?」
目の前にダンダンと、乱暴に水差しとグラスが置かれる。ミニスカートのお姉さんが怪訝そうにわたしたちを眺めている。
どうしよう。注文? 何か食べ物や飲み物を買うってことよね。薪を持ってくるのを忘れたわたしは、何かを買ったりできる状態じゃないことをふと思い出す。
「ごめんなさい、人と待ち合わせをしているんです。その人が来るまで待っていただけますか?」
「ええ? 注文しないで席を占有されるとメーワクなんですけど」
「ごめんなさい。あと少しだけ」
わたしが頼み込むと、お姉さんはメニューを叩きつけるように机に置いて、渋々といった感じで去っていった。
「注文ってどうすればいいんだろう」
「さあ。おれにもわからない」
「エフィでは、わたしは薪を売っていたの。薪と交換で必要なものを手に入れていて」
それ以外の方法は知らない。おとうさんが、宝石とか木の実とか、小さいものを交換に使うと便利などと話していたような気もするけど、持ち合わせはない。
「おれは必要なものは全部支給されていたから……」
オギも困惑したように、机の上のメニューを眺めていた。
メニューには、ドリンクの欄にエールとかワインとかいう見慣れない飲み物が並んでいる。その下にフードの欄があり、チーズやフライ、パスタやライス料理が並んでいた。
ぐうとお腹が鳴る。そういえば昨晩から何も食べていない。
「お腹がすいたの?」
「あはは。ごめんね。聞こえちゃった?」
オギは気まずそうに微笑していた。
恥ずかしい。もう少しちゃんと世界のことを勉強してから旅立てば良かったと後悔していた、そのとき。
カラコロ、と音がした。店に備え付けられた木製のベルの音で、来店者を告げるものだ。
サクヤたちかしら。わたしは期待して入り口のほうを見る。
「い、いらっしゃいませ~」
なぜかどもる店員のお姉さん。
「あ、アルコールですか? お泊まりですか?」
まわりのお客さんも、ざわざわとざわめき始めている。
何が起きたんだろう?
お店が混雑しているから、入り口のほうは良く見えない。だけど不穏なものはすでに視界に入っていて、わたしはその動きに視線を奪われていた。
天井に届きそうなとんがり帽子。それが人混みの頭上の空いた領域で、左右に揺れながら前進している。
ピンク髪のお姉さんが、ひきつった笑顔で後退りしている。
お客さんもそれに関わりたくないのか、椅子ごと後退を始めたので、そのお客さんを中心にしてぽっかりと空間が開いていた。
だからすぐにわたしたちにも、その珍客の全貌が明らかになったのだった。
それは、身の丈二メートルもある巨人だった。
全身が黒マントに覆われている。てっぺんが三角になったフードを目深にかぶっていて、顔は見えない。
目の部分がくりぬかれてて、そこから金色の目がはっきりと見えた。
まずい、目が合っちゃったわ!
わたしはあわてて視線をそらしたけど、遅かったみたい。
「……こっちにくるよ」
オギに言われて、他人のふりを諦めた。
ふらつきながらその人はこっちへやって来る。
良く見るとマントには定間隔にふたつずつ、計六つの穴が開けられてて、そこから艶のある黒くてまるいものが覗いている。
ついに来てしまった。わたしたちの傍でぴたりと止まり、合計八つの目がこちらを眺めてくる。
しばらく沈黙が辺りを覆ったけど、ついに我慢できなくなったオギが、そのお客さんに冷たく言い放った。
「サクヤ、それは誰の発案なんだ?」
「……なんでわかった」
「わかるっつーの!!」
つい大声を出してしまって、オギは慌てて口を押さえる。もう目立ちすぎるくらい目立ってるから平気だと思うよ。
「サクヤが考えた。少し高すぎたか?」
「いや、問題はそこじゃない」
ため息混じりにオギは言うが、サクヤは理解してないみたい。ふわりと黒フードをなびかせて首をかしげる。
「ま、まあ、座って」
わたしは隅にあった椅子を引っ張ってきたけど、サクヤは真剣な目をして言った。
「座れない」
「えっ、じゃあ、立ったまま話すの?」
「座りたい」
「…………」
そんなこと言われてもなぁ……。
おそらく三人の羊人さんが肩車をしていて、その上にサクヤがいる。とりあえず肩車から下りてくれないと座るのは無理だろうけど、どうやって下ろしたら良いのか。
わたしとオギがうんうん唸っていると、背後から背の高い人がぬっと現れる。
四人が肩車した高さと同じくらいの大きな人だ。がっしりとした体に簡易な鎧を着けた、狼の顔をした獣人さん。
「お客さん、困りますねぇ。店内で組体操はねぇ」
「あ、すみません! すみません!」
わたしは咄嗟に謝った。獣人さんの中でも、獣に近いハーフの獣人さんだ。顔に大きな傷が入っていて、ものすごい怖そうなお兄さんだ。
必死にサクヤを下ろそうとしたんだけど、わたしの心配をよそに、彼は急にケタケタと笑い始める。
一番上のサクヤの首根っこをヒョイと掴んで、彼は言った。
「よぉ、サクヤ! 遅かったじゃねーか!」
「いたい、下ろせ」
「何だよ、せっかく来てやったのによ! 第一声がそれか?」
「うるさい、下ろせ」
お兄さんはケタケタ笑いながら、サクヤを床に下ろす。体がぽっきりと折れた状態で、黒マントの珍客はなんとなく席についた。
お兄さんは狭いテーブルに押し入るように自分の椅子を寄せてきて、元気な声で店員のお姉さんを呼んだ。
「エールをジョッキで。あとジュースを三つ。料理をテキトーに持ってきてくれ」
このお店の常連さんなのかな。お姉さんは慣れ感じで返事をして、次々にお皿やグラスを持ってくる。
「オレの奢りだ。遠慮なく喰えよ」
「えっ、良いんですか?」
「良いってことよ! まずはカンパイだ、カンパイ!」
カンパイ? お兄さんはみんなにグラスを持つように言い、わたしたちが持ったグラスに自分のジョッキをガンガンぶつける。
「カンパイ! カンパイ!」
「か、カンパイ……?」
これがカンパイというものなのかな。わたしはオギのほうを見たけど、彼も困惑した顔をしている。グビグビと景気良くお酒を飲み始めたお兄さんにつられて、わたしもグラスに口をつける。
おいしい。たぶん、山葡萄のジュースだ。
今日はなにも食べていなかったわたしには目が覚めるようなおいしさで、つい一気に飲み干してしまった。
「お、ネエちゃん。いける口だな! すいませーん、もう一杯追加でー!」
「あっ、あっ、そんな、いいですよ」
「エンリョすんなって!」
顔は怖いけど気のいいお兄さんは、その後もひとり賑やかに飲み食いして、わたしたちにもあれこれ薦めてきた。
そうこうしているうちに、店内は元の空気を取り戻していた。ワイワイガヤガヤ、楽しそうなおじさんたちの声が辺りに響く。
黒マントの珍客のことなんて、誰も気にしなくなった頃に、お兄さんはテーブルにどっかり肘を乗せて、サクヤに思い切り顔を近付けた。
「で、サクヤ。やっと船を出す気になったのかぁ?」
船? 何の話だろうとわたしたちも耳をそばだてる。
「協力者が増えた。船に乗りたい」
「このネエちゃんとボーズが協力者か?」
頷くサクヤを見て、お兄さんは怪訝そうな視線をこちらに向けた。
「本当か? ネエちゃん、ボーズ。本当にこいつらに協力する気なのか?」
「えっ、その」
改めて聞かれると、困ってしまう。わたしが回答に困っていると、オギが代わりに答えてくれた。
「サクヤに助けられたから、お礼をしたいと思っているんだけど、何を協力するのかはまだ聞いていないんだ」
そうそう。わたしも頷いて同意する。するとお兄さんは深い溜め息をつき、呆れた表情でサクヤを見遣った。
「おいおい、サクヤぁ。オマエ、ちゃんと順序を踏めよ、面倒がらずによぉ」
一方サクヤは意に介してない様子で、ひょいと肩をすくめて見せる。
それを見てお兄さんはさらに大きなため息をついた。
「すまねぇな、コイツ、言葉足らずだろ? 陸にあがるといつもこうだ、まるで覇気がねぇ」
陸にあがると? 何の話かはわからないけど、お兄さんはわたしたちの境遇に同情してくれているようだ。
無言で睨み付けてくる彼の圧に耐えられず、サクヤの後ろにくっついていた羊人さんのひとりが、挙手をして発言した。
「す、すいやせん、ベーカーの旦那。我々が勝手に盛り上がりすぎたんす……」
マントから出てテーブルについた彼は、わたしたちにつぶらな黒い瞳を向け、真摯な様子で語りかける。
「お二方、ずいぶん遅れて申し訳ありませんでした。あっしから、我々の事情を説明しやす……」
改まって何を言う気だろう。
わたしは期待と不安が入り交じった心境で、ドキドキしながら彼の言葉を待つ。
彼はテーブルに前のめりになり、前足の蹄を口に近づけて、ぼそりと呟いた。
「決してまわりに聞かれることのないよう……他言無用でお願いしやす」
たぶん、羊人さんにはこれが限界なのだろう。最大の厳しい目付きで見つめてくる彼に、わたしは数度頷いて見せる。
彼の大きな黒い目には、真剣な顔のわたしたちが映っていた。
「驚かないで聞いてほしいんす」
ごくり、と唾を飲んだ。ずいぶん思わせぶりな語りだ。一体どんな重大発言が飛び出すのだろう。
次の瞬間、彼の口からこのような言葉が放たれる。
「われわれは海賊なんす」
「え?」
なに、よく聞こえなかった。
わたしが情報を処理できないでいると、羊人さんは顔をぬっと近づけて繰り返した。
「我々は、海賊、なんす」
「か、かい、……かい、ぶつ?」
「海賊!」
だめだわ、なんか耳がおかしいみたい。何をいっているのかわからないわ。
「あ、わかった、海の種族て書いて海族」
「海の賊と書いて海賊!!何度言わせるんじゃあー!!」
「落ち着くんじゃ同志ー!」
ガシャドカッ
いきり立った羊人さんを、残りの羊人さんが取り押さえている。
せっかく目立たなくなっていたのに、周囲の視線を集めてしまっている。
ダメダメ。目立っちゃダメ。わたしは羊人さんを周りに見えないように体で隠す努力をしながら、しおらしく謝った。
「ご、ごめんなさい、変なことを言って」
「いえ、こちらこそ取り乱して申し訳ないッス」
羊人さんたちは落ち着きを取り戻し、倒れた椅子を起こして、折り重なるようにして無理矢理三人で座る。
山賊の可能性は考えていたけど、まさか海賊なんて。
海賊なんて、どう考えても悪い人だよね。
わたしは目の前がまっ暗になる心持ちで、彼らの話の続きを待った。




