第三話(3)
横穴の中は、比較的明るかった。
この部屋は洞窟というよりは大木のウロの内部になっているようで、うねうねとした樹皮の質感の壁と、天井に開いた大きな穴から外の風景が覗いているのが特徴的だった。
そこには木の葉が詰みあがった山に白い帆布がかけてある簡易的なベッドがあり、フカフカの白い毛布をかぶった誰かが横になっている。
誰だろう? わたしは眠っているらしいその人を起こさないようにそろそろと近付いた。
毛布から頭が少しだけ見えている。茶色いツンツンとした髪の後頭部が見える。
あまり大きくない体格からも、それが小さな子供であることはすぐにわかった。サクヤのお友達かしら、と思いながら眺めていると、急にその子が身じろぎをし、毛布から見覚えのある赤い色がこぼれ出る。
「あっ...…」
わたしは思わず声を出してしまった。
側頭部に見える赤いヒレ。それは数日前にわたしの家を訪れた彼のものにそっくりだ。
「サクヤ……?」
もぞもぞと寝返りを打ち、寝ぼけ眼でこちらを見る人物。
それは紛れもなく、わたしが追い付こうとして、港町モルカまで急いだ原因であるその人、オギだった。
彼もすぐ、わたしのことに気が付いたようだった。大きな青い目を見開いて、わたしを見つめて絶句している。
「あれ……? シュクイ、きみがどうしてここにいるんだ?」
「オギこそ、どうしてこんなところにいるの?」
ベッドの近くには見覚えのある彼の服と丸太のような武器が立て掛けてある。
枯れ木で作られた簡素なスツールの上に、裁縫道具が置いてあり、彼の上着が補修されているのが見て取れた。
「どうしたの? 怪我でもしたの」
彼の顔色はあまり良くなかった。首もとから肩にかけて包帯が巻かれていることに気付き、わたしは息を飲んでしまう。
「まさか、魔物に襲われたの?」
「いや、そうじゃなくて。大丈夫だから、心配しないで」
そんなこと言われても。心配しないわけないじゃない。
わたしの無言の圧におされたように、オギは気まずそうに苦笑いした。
「不意打ちを受けただけだから。大したことないし、今後は気を付けるから大丈夫」
「不意打ちって誰から?」
「わからない。だけど、強力な魔法だった。精霊の魔法みたいな」
「精霊の魔法?」
精霊というのは良くわからないけど、妖精みたいなものかしら。どうして精霊さんがオギを攻撃したのかしら、と首を捻っているとオギは再び心配しないでという笑顔を浮かべる。
「多分、間違えられたんだ。この世界には上級竜がいないから、下級竜や魔竜が現れたんだと、誰かが勘違いしちゃったんだよ」
「間違えられたって、そんなわけがないでしょ。オギはそんなに小さくて、尻尾くらいしか似ているところなんてないんだし……」
わたしはそう言いながら、ふと思い出してしまう。
モルカで起きた竜騒ぎ。近くの山から飛び立った竜を、魔術師さんが打ち落とした。仕留め損ねたから、退治するまでは船が出せない……。
なんだか、状況が似ている。その竜ってまさか、オギに関係があるの?
いや、まさか、そんなわけがないわ。そんなはずがない。
わたしはダラダラと冷や汗をかきながら、オギにこれまでの経緯を話した。
「あのね、わたしやっぱりオギを手伝いたくて、モルカまで追いかけて来たんだけど、モルカでは船が欠航していたの。竜が出たからって」
「竜が出たから欠航? どうして」
「みんな怖がっていて。モルカにいた魔術師さんが倒そうとしたけど、逃げられてしまったって言っているの。いつ竜が戻ってくるかわからないから、船が出せないって大騒ぎになっているのよ」
その説明で、オギも状況を察知したらしい。彼は頭を抱えてうめき声を上げた。
「ああ、やっぱりそうか。この世界の人たちは、本当に上級竜を知らないんだな……」
「あの。オギ、その上級竜っていうのはなんなのかな」
わたしは今更ながら、彼の種族について質問をした。もしかしたら出会った日に説明をしてくれていたのかもしれないけど、そのときは深く理解しようとしていなかった。
「上級竜っていうのは、竜なんだ。竜人とは違う。みんなおれのことを竜人と勘違いするみたいだけど」
オギはそう前置きをしてから、上級竜について説明を始めた。
上級竜というのは、竜族の一種であり、竜族の中でも特に大きくて知能が高い種類なのだそうだ。
群れで暮らし、ひとつの集落に属し、一人の首長の元で規律正しく生活する生き物らしい。
「上級竜が他の竜と違うのが、ヒト型の姿に変身できることだ」
「ヒト型の姿に変身?」
「うん。上級竜は他の竜と比べて少し寿命が短いんだ。大きな竜の姿を維持するのは負担だから、小さい体に変化することで、負担を減らしてできるだけ寿命を延ばせるように進化したそうだよ」
なるほど……。わかったような、わからないような、不思議な生態の生き物なんだな、とぼんやりと思う。
「じゃあオギは、竜の姿のほうが本当の姿ってことなの?」
「うん、そうだよ。この小さな姿はかりそめの姿なんだ。竜の姿で海を飛び越えるのはおれたちにとっては普通のことで、おれはいつものように飛ぼうとしていただけなんだ」
そうなんだ……。なんだか実感が沸かないけど、これからは気を付けなきゃと思った。
今回、間違えてオギを攻撃したのは魔術師さんだけど、わたしだって竜を退治しようと意気込んでここまで来たんだ。こういう種族のヒトもいるんだから、攻撃する前に話し合いができるか確認を取らないといけない。
そのように考えていると、背後からカチャカチャという音が近付いてくる。わたしが立ち上がり振り返ると、サクヤが編みかごを抱えてスタスタとベッドに近付いてきていた。
「熱は? 下がった?」
「うん、どうにか下がったよ」
オギの看病に来たようなので、邪魔にならないようにわたしは部屋の隅に下がる。
サクヤはオギのおでこにぷにっと肉球を押し付け、自分のおでこにも手をやり、うんうんと頷いた。
「……だいぶいい」
「熱があったの? 大丈夫?」
顔色が悪いとは思っていたけど、そこまで酷かったなんて。わたしが口を覆いながらそう言うと、オギは気まずそうに苦笑しながら答える。
「うん、ちょっとだけ。もう平気だよ」
本当かなぁ? わたしが懐疑的な目で眺めていると、突然サクヤがオギにかかっていた毛布をパッと剥ぎ取った。
「!」
わたしは目を見張る。オギは首もとだけじゃなく、お腹のあたりにもしっかり包帯が巻かれていた。しかもそこは傷が深いらしい、じんわり赤い色が滲んでいて、ふとんのシーツまで赤く染めてしまっている。
「包帯、換える?」
サクヤが大きな目でオギを見つめてそう言った。
手には一巻きの白い布が握られている。
オギは顔を真っ赤にして首を横にぶんぶん振った。
「い、い、いいよ!! 自分でやる」
ひったくるように包帯を奪うオギ。慌てすぎて傷にさわったのか、顔を伏せてぷるぷるしている。
「怪我してるの? 大丈夫?!」
「う、うん、ダイジョーブ……」
改めて服の染みを見つめる。鮮やかな赤は、できてからあまり時間が経っていないものだということがすぐにわかるもので、相当に深い傷だと把握できた。
魔術師さんの魔法は、しっかりと竜に命中していたのだ。
「これ、薬……。塗るのと、飲むの」
サクヤが編みかごから陶器のカップを取り出して、ベッドに置く。それは緑色の液体とペーストで、わたしが採ってきた薬草から作ったものだとわかる。
「ありがとう。使わせてもらうよ」
オギはそう言って、気まずそうにわたしたちを交互に見た。包帯を換えたいから、席をはずしてほしいのだとすぐに悟り、わたしはサクヤを引っ張って部屋から退散することにする。
「じゃあオギ、安静にしていてね!」
わたしは笑顔で手を振ってから、洞窟の隅にサクヤを連れていき、ちょうど良い形の石に座ってもらった。
「あの、サクヤ。お話ししておきたいことがあるの」
わたしは、今置かれているまずい状況をサクヤに伝えることにした。
港町モルカで生じた竜騒ぎ。彼らは竜を仕留めるまでは安心できないと、船を止めてしまっている。わたしを含めたたくさんの旅人がモルカに足止めされていて、討伐隊を結成しようとしている。
彼らは今日にも山に乗り込んでくるかもしれない。この場所はあまり安全じゃない。
「今のオギを見て、その竜だと結びつけられる人はいないと思うけど、あなたたちはあまり人に見つかりたくないと思っているんだよね?」
早く逃げたほうがいいかもしれないと伝えると、サクヤはフムと鼻を鳴らして腕を組んだ。
「すこし考える、待ってて」
彼女はそう言い残し、羊人さんたちの待つ入り口のほうへ向かう。
わたしは頼りになりそうなその背中を見てひとまず安心してから、オギのもとに戻ることにした。
もう入っても良いかと確認してから、横穴に入る。驚くことに、オギはベッドから起きて繕い直した上着を羽織っていて、少ない自分の荷物を確認しているところだった。
「駄目だよオギ! まだ寝てなきゃ」
「大丈夫だよ。もう大体治ったから」
「嘘よ。さっきも痛そうにしていたでしょ!」
わたしはベッドに彼を押し戻そうとしたけど、オギはガンとして戻ろうとしない。
「本当に大丈夫なんだ。上級竜は再生能力が高いんだ。このくらいの傷ならあと半日もあれば完治する」
えっ、そうなの? 確かにわたしのような人間族とは体の作りが違うみたいだから、そうなのかもしれないけど。
「で、でも、あと半日はかかるんでしょ? 安静にしてなきゃ」
「でも、これ以上サクヤたちに迷惑をかけるわけにはいかないよ」
オギに心配をかけまいと、彼に討伐隊の話はまだしていない。だけど賢い彼は多分、すでに悟っているのだと思う。竜の件でサクヤたちがこれから厄介ごとに巻き込まれてしまうだろうということに。
「町へ行って謝ろうと思うんだ。ご迷惑をおかけしましたって」
「あなたが竜だったって正直に言うの?」
「うん。丁寧に話せば、わかってもらえるんじゃないかな」
確かに、そうね。みんな上級竜という種族を知らなかっただけなのだから、正直に話せば解決するだろう。
オギは誰も攻撃していない。ただ海を飛び越えようとしていただけ。これからはヒトと同じように船を使って移動すると言えば、みんな安心してくれるはずだ。
「わたしも一緒にいくよ。一緒に謝ろう」
「ありがとう」
そう決めたわたしたちは、荷物を整理して洞窟の入り口へと向かう。
そこにはみっしりと分厚い絨毯が敷かれていて、何事かと思ったのだけど、どうやらサクヤを中心にして羊人さんたちが円状に集まっているだけのようだった。
「あ、あのー、サクヤと話したいんだけど」
一番端の羊人さんに声をかけると、ピャッと一斉に黒い目がこちらに向く。
「待ってやしたアネさんと旦那!」
「ヤロードモ! お二方をお通ししろ!」
もふもふの波が襲いかかってきたかと思うと、全身をもふもふとされ、気が付いたらサクヤの前まで辿り着いていた。
ちょっと怖かった……。
ドキドキしながらサクヤに向き直ると、彼女はとても深刻そうな顔で、白いクッションの上に正座をしている。
わたしたちもクッションを差し出されたので、その上に正座をして姿勢を正した。
「シュクイが言った通り、侵入者がいる」
おもむろに話し始めるサクヤ。
「侵入者?」
討伐隊の人たちかしら。わたしが眉間にシワを寄せると、サクヤは後ろに丸めていた茶色の紙を手に取り前に広げる。
「モルカから山を登っている。罠がいっぱいあるから、しばらくは来ない」
そうだろうなと思う。星の家でわたしをバカにしていたおじさんたちが、あの罠にかかってあたふたしているのをつい想像してしまった。
「ごめん、それはきっとおれのせいなんだろ?」
オギが申し訳なさそうに言うので、わたしは言葉に詰まってしまう。
サクヤはその発言を無視して、地図の一方を指差して言った。
「このアジトは捨てる。裏のルートから撤退する」
「このアジトを捨てるのか? おれが出ていって彼らに説明したら、ここまで来ないんじゃないか」
オギがそう提案したけど、サクヤはふるふると首を横に振る。
「これは最大の好機。オギは我々に協力する。シュクイも」
「えっ、どういうこと?」
サクヤは無言で地図を丸め、近くの羊人さんたちに何かを指示した。
「うおおお! 撤収だテメーラ!」
「全力撤収! 撤収撤収!」
とたんに騒がしくなり、あっという間にもふもふたちが洞窟内に散り散りになっていく。
「あの。サクヤ? どういうことか説明を……」
彼女はわたしに地図を押し付けて、一言だけ告げる。
「モルカの酒場に行く」
「酒場に行けば良いの?」
彼女は頷いて、洞窟の奥に消えていく。
「ど、どうしようオギ」
「……とりあえず、言う通りにしてみようか」
彼らにはお世話になったし、迷惑もかけてしまった。わたしたちに協力できることなら協力したい。
そういう共通の思いをもとに、わたしたちは山を下り、ぐるりと山の裏を迂回してモルカの街に再び訪問することにした。




