第三話(2)
わたしに渡されたのは、手のひらくらいの長さに摘まれた草花だった。ほとんどが葉っぱで、ちょっととがった形をしている。先端に青い花のようなものがついているけど、すでに原型がないほど乾燥して縮れてしまっていた。
「なんだろう、この草」
「ホタルクサじゃないか? この花の部分、独特な形をしているだろう」
フラグに見せると、そう即答してきた。独特な形と言っても、縮れちゃっているからわからない。フラグがそう言うのなら、そうなんだろうと考えて辺りを見回す。
「この草、どの辺りに生えているの?」
羊人さんたちに聞いてみたけど、皆一様に首を傾げる。
「その花は、オヤブンが摘んできたんす。竜の旦那の看病に必要なものらしいんすが、普段は使わない薬草なので、我々には良くわかりません」
「そっか」
サクヤって博識なんだな、と思った。罠の作り方も、薬草の効能も知っているなんて、すごいわ。
「生えているところをわざわざ教えなくても、見つかるようなものなんでしょう、きっと」
わたしはそうやって楽観的に解釈したのだけど、思うようにそのホタルクサを見つけることができなかった。
「アネさん、気を付けてくださいッス。あそこに罠が仕掛けてあります」
「アネさん、あちらにも罠があるっす、注意ッス」
「けっこうたくさんあるのね……」
わたしたちはいま、山道から外れた獣道を歩いているのだけど、少しでも決まった道を外れると罠に足を取られてしまうらしかった。
「罠のある位置は我々にも完全に把握できていませんから、罠がない道を覚えておくのが良いッスよ」
「罠がない道には、印がないッス! ほら、分かれ道には矢印が描いているでしょう?」
羊人さんが指差した分かれ道の一方に、確かに矢印が刻まれている。矢印が指す方向につい行ってしまいそうになるけど、正解は逆なのね。なるほどなぁと思う。
「そういえば、オヤブンはこの草を、水汲みのついでに採ってきた気がしやす」
「水汲み?」
「ええ。近くに川があるでやす。いつもオヤブンが一人で汲みに行くんす」
へぇ。サクヤって、働き者なんだなぁ。たくさんの子分がいるのに、わざわざ自分で水汲みに行くなんて。
特にあてもないので、わたしは川に案内してもらうことにした。たどり着いた場所は広々とした入り江で、澄んだ水にゴツゴツした岩がゴロゴロ転がっている。
「あ、見て!」
わたしは対岸の草むらを指差した。数は少ないけど、青色の小さな花がついている草が生えている。
「あれはまさしく、オヤブンの薬草ッス!」
「やったわ! 摘んでくるから待ってて」
わたしは川へ入るためにブーツを脱ぎ、靴下をその中に丸めて入れた。
すっかり秋の気候で少し肌寒いけど、そこまで水は冷たくない。川の流れも穏やかだし、川底が透けて見えるくらいにきれいな水だ。
上着の裾をつまみ上げながら、わたしは川に踏み込む。ヒヤリと心地よい水温。ザブザブと進んでいくと、膝下まですぐに浸かってしまう。
深い場所を避けながら行けば、スカートを濡らさずに対岸に手が届きそうだ。
「アネさーん! 転けないように気を付けるッスよ!」
羊人さんは水が苦手なのか、誰もわたしを手伝おうとしない。わたしははーいと返事をしながら、慎重に足を進める。
半分くらいきたところで、わたしはふと妙な違和感を覚えた。
「?」
わたしは足を止め、回りをぐるりと見回す。
川上にあるからだろうか、周りには大きめの角ばった岩が多くて、死角は多いほうかもしれない。
でも、広い入り江で木などの障害物は少なく、きれいな水で川底まで見えるから、危険があれば早めに気付けるはずだ。フラグもいるし、アスンシオンもある。向こう岸の奥にある茂みに怖い動物や魔物が潜んでいても、充分対処できる。
しばらく観察して、危険はないはずと判断したけど、再び歩いたときにやっぱり妙な気配を感じた。
透明な水には、小魚はいない。貝もいないし、カニもいない。石と藻ばかりがあって、注視すべきところすら見つからない。
どうして違和感を覚えるのだろう。
足元を注視しながら歩くと、わたしの動きに合わせて水面が揺れる。
でも一瞬、水面が乱れない場所があった。
直感的に判断した。これがわたしの感じていた違和感なのだと。
「シュクイ!」
フラグの鋭い声と同時に、わたしは剣を抜いた。
背後に跳び、抜く勢いのままに水面に刃を叩きつける。
バシャッと水が跳ね、わたしの身長ほどの長さの水の塊が、川から跳び上がった。
「擬態魔法か」
フラグがそのように呟く。水柱を立てて着水したその水の塊は、水深が深い場所に潜んでしまい、わたしの目には捉えられない状態に戻ってしまっている。
「アネさんー? どうしました?」
「危ないから、川から離れて!」
わたしは羊人さんに向かって声を張り上げる。
「え? え? なんスか? なんスか?」
「なにかが川の中にいるの! 魔物かもしれないから、下がっていて!」
魔物という言葉を聞いて、羊人さんたちは悲鳴を上げた。パニックを起こしかけているような騒ぎが聞こえてきたけど、わたしは気にせず水の塊が消えた場所に注意を向ける。
擬態魔法とフラグが言ったけど、それはまわりの水と同じ色に体の色を変えてしまうものらしい。先ほどまでの状態だったら、相手の居場所は全くわからなかっただろう。
幸運なことにわたしの咄嗟の攻撃で、少し傷をつけることができたみたいだ。目を凝らしてみると、僅かに赤い色が染みだしているのがわかる。
深みから静かに移動し、こちらにじりじりとにじり寄ってくる。傷から血が流れてしまっていることに、相手は気が付いていないのだろう。
わたしは剣の先を水に浸け、左右に動かして波を立てる。こうすると、相手の体格がわずかに浮かび上がってくる。
魚かしら。いいえ、足がありそうな動き方だわ。爬虫類かしら。
あまり素早くなさそうな印象を受けるけど、さっきの攻撃はかわされてしまったからなぁ。
わたしは足元の石をいくつか拾い、相手の左右と後ろに投げる。ワニさんっぽい体格だなとか、たぶん相手がこちらを噛もうとしているのだなと大体見当をつけ、攻め方を決めた。
近くの平たい石を足場にして、わたしはできるだけ音を立てずに高く跳躍する。
ワニさんの後ろに同じような岩があるので、そこにストンと着地する。
そして間髪いれずその生き物の、おそらく側腹部があるだろう場所を狙って思い切り剣を突き立てた。
手応えがあった。おびただしい量の赤い液体が水に混じり、バシャバシャと水面が跳ねる。
真っ赤な血によって、擬態魔法はすっかり意味をなくしていた。わたしが想像した通りのワニさんが、大きな口を開けながら頭を振り回してくる。
わたしはそれをしゃがんで避けて、下顎から上顎に剣を突き立てた。
口を固定されたワニさんは、剣を抜こうとのたうち回っていたけど、段々とおとなしくなっていった。
「はぁ、怖かった」
擬態魔法が解かれ、ぐったりとお腹を水面にさらしたワニさんを見てわたしはホッと一息つき、アスンシオンを回収する。
「こらこら、シュクイ。アスンシオンを不用意に手放すな! 持っていかれたらどうするつもりだったんだ」
「まあ、良いじゃない、うまく倒せたんだし」
わたしはサッとアスンシオンを布で拭いてから、背中の鞘にしまう。
「じゃあゆっくり薬草をつもう!」
対岸に近付くと、ホタルクサが群生している場所が見えてきた。ホタルのような花というのも、なんだか納得だ。青い花の形は羽を広げた虫のようだし、その真ん中に黄色いおしべが生えているのがホタルの発光部のようだった。
とは言え、ホタルを実際に見たことはなくて、お父さんの本に描いてあった絵でしか知らないのだけど……。
「アネさーん!! お怪我はありませんか?!」
「なんて恐ろしい化物が川に……」
わたしが岸に戻ると、羊人さんたちが目をうるうるさせながらわたしの周りに集まってくる。
「ああ、恐ろしい。我々だったら食われていたッス」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
「ううん。皆が怪我をしなくて良かった」
わたしの言葉に、羊人さんたちはうっとりするような表情を浮かべている。
完全に味方になっちゃった感じかな。まだこの羊人さんたちが山賊じゃないと確認できたわけではないけど、もう別に良いかと思えてきた。
「さあ、帰りましょう」
「帰りましょう」
羊人さんに促され、わたしは川を背を向けて歩き出す。
そのとき背後から、バシャバシャ、と音がしたので、ギョッとして振り返った。
「え……なに、あれ」
そこで目にした意外な光景に、わたしの背筋がサーッと凍っていく。
バシャバシャしているのはワニさんの白いお腹が浮いている周りで、何か黒くて小さな生き物がその亡骸に群がっていた。
バシャバシャ、バシャバシャ、バシャバシャ。
しばらく見ていると、それが魚の群れであることに気が付く。それがワニさんの体を食べているのだということもすぐにわかった。
魚って、なんでも食べるのね。でもさっきまで全く気配はなかったのに、どうしてこんなにたくさんの魚が集まっているの?
ワニさんが怖くてどこかに隠れていたのかな。ワニさんが倒されたお陰で、出てこれたのかもしれないけど……。
バシャバシャ、バシャバシャと水しぶきを上げる黒いモヤには、小さな赤い光がチカチカしている。魚さんの目が、赤く光っているようだった。
「どうしたッスか? アネさーん」
「いや、なんでもないよ!」
わたしはひどく不安な気持ちになった。
だけど、羊人さんたちを不安にさせたくなくて、わたしはその場を駆け足で離れることにした。
「オヤブーン! ただいま帰ったッス!」
「聞いてほしいッス! またシュクイのアネさんが大活躍だったッス!」
狭い洞窟に滑り込み、三匹の羊人さんたちは転がるように洞窟の奥に向かう。
羊人さんたちに引きずられるようにしてやってきたサクヤは相変わらずかわいくて、思わず顔がにやけてしまった。
「はいこれ、どうぞ!」
わたしはかご一杯につんだホタルクサを、彼女に渡す。彼女はホタルクサと、わたしの濡れたスカートの裾や髪の毛を交互に見て口を開く。
「充分。ありがとう」
サクヤは基本的に無表情であるけど、少しだけ目を細めて白い歯を見せた。
可愛すぎる……。わたしはまたフラグを力一杯にぎったので、手元からミシミシと音が鳴る。
だけど御褒美はそれだけで、サクヤはそれ以上なにも言わず、わたしからくるりと背を向けた。
ちゃんと仲間として認めてもらえたのだろうか。不安になったわたしは、彼女の後をついていく。
「すみません、わたし、仲間になると言ったんですが、ひとつだけ気になることがあって」
「……なに」
彼女は言葉数が少ない。それはいつものことらしく、特に怒っているわけではないようなので、わたしは怖じ気つくことなく口を開く。
「今、麓の町では大騒ぎになっているんです。竜が出現したって。魔術師さんの攻撃によってこの森に墜落したって聞きました」
「…………」
「あなたが竜を匿っていると聞いたのですが、本当ですか?」
わたしはそう尋ねつつ、そんなわけがないとも思っていた。
なぜなら、この洞窟は狭いからである。
ものすごい大きな竜と聞いていたから、そんな竜を運んだり隠したりはできないと感じていた。
「竜は今、どこにいるんでしょう。もしかすると、探しにきた町の人に鉢合わせするかもしれないから、心配で……」
そのとき前を歩いていたサクヤが、ピタリと足を止める。
洞窟は奥に行くにつれ暗くなると思いきや、天井に穴が開いているらしく、ほんのり明るい光が射し込んでいる。
サクヤが横穴を指差して、わたしを振り返った。
「え? どうしたの」
サクヤはなにも言わない。ただ横穴に向けて爪の長い指をまっすぐ指している。
ここに何かあるの?
入れということかな。
わたしは促されるままに、その薄暗い横穴に足を向けた。




