間章 ゼロ地点
明華礼香にとって、阿智良湊という男はとるに足らない、自分には一生関わる事の無い人間だと思っていた。そもそも、クラス替えが行われる日までその名前を成績順位の張り出しで何度か目にしたことがあるくらいで、さして校内で有名というわけでもなかったので、尚更興味もなかった。
無論、明華自体が他人にそこまで興味がある人間でもないというのも影響しているのだが、ましてや同性ならいざ知らず、異性に対してはなおさら仲良くするなどという気はさらさらなかった。
いつからこんな考えになったのか明確な根拠は本人の自覚するところはある物の、それが別に悪いことだとも思わなかった。この学校での3年間が終われば大半の人間との縁は切れるし、両親のいない明華にとっては交際費などというものにお金をかけるわけにもいかなかった。
粗暴な言葉遣いや態度も今に始まったことではない、これまでの生活の中でこれが一番楽に日々を送れるという事に気が付いたのだった。しかしながら、年頃の女子である明華にも化粧や髪に対しての手入れなどの興味は年相応に残っていた。
始業式のあの日、あれが彼女の失敗の始まりだった。エンコンとの戦いではあったものの、あまりにも場所が悪すぎたためエンコンを引き付けて場所を移そうとした。その時だった。空間の異変はエンコンと対峙する時には常に付きまとう厄介なものだった。基本的には感知できるものくらいしかこの空間に引き込まれることは無い。それかエンコンに狙われた際に引きずり込まれる一般人はまれにいた。
しかしその男はさも普通の事のようにその空間に存在していた。思わずよけきれず、その男の背中を蹴ってしまう事となったが、幸いなのは身体リミッターの解除式を発動していなかったことだろうか。
何でここに人が?しかもこいつただの……え?いや違う?
そんな違和感を持ったがその次に考えたことはエンコンからこの人物を守らねばならないという事、すぐさま後ろを確認するとエンコンが攻撃態勢に入っていた。こうなってはまずい、ここで倒す。
その光景を見られたものの、偶然巻き込まれた哀れな一般人、気にすることは無い。しかしあの時の違和感には気になるところがある物の、今はこの空間を壊し、こいつを外部に出してから残るエンコンを倒して金を稼ぐ。素早く感が肩を変えたのだった。
しかし、スマホのメッセージには『多分、今の人が原因かも』というメッセージが入る。やっぱりかと思うと同時に明華には申し訳なさが残った。もしかするとこっちの世界のほうに引き込む切っ掛けを明華自身の接触により作ってしまったのではないだろうか?そんな後悔が少しよぎる。
――――
そうしてコンビニだ、明華よりも先にその空間に一人で侵入しその異常性を見て固まっている、しかし何か感じるところがあったのか何かを探しているようだった。本当にあの阿智良という男が?
そんな疑問をよそにするも、何の力も持っていない状態でエンコンに立ち向かう姿には少しだけその心意気というか覚悟の決め方はいいものだなと思った。
そうしてエンコンの討伐も終わったころだ、この空間に対しては少し時間がかかるだろうと思っていたところだった。阿智良が何か取りつかれたようにその空間の異常の根本となっていた式を、まるで演習課題を解くかのように止まることなく解いていく。なんの力もない、いやそれはもう無理だ、学校での連絡でもあった『阿智良湊が関数の能力者である可能性が高いっていう計算結果がでた』そんな連絡。
もう少ししたらこいつは本当に力を自覚してしまうかもしれない。そんな危機感が明華に襲い掛かった。こんな世界に来てほしいとは思わない、どうにかして引き止めないといけない。そんな使命感に似た何かが芽生えた瞬間でもあった。
廊下での転倒時に無意識とは言え、できかけの小さなものだったとはいえ異常値空間を解いて、あっという間に空間を消滅させる。あの時には最大級の脅しをかけたつもりでいた。
それからの1週間ほど、阿智良からはしつこく接触を試みるも、なんの反応も示さず時には脅しにも近い形で追い返していた、これ以上関わるのはまずい。いつ明華自身が巻き込んでうっかりと自覚するタイミングを作り出してしまうかもしれない。
そう思っていた。相変わらず『明華さんはどうするの?』といった連絡に対しては一貫して追い返すべき、無駄にこっちの世界に引き込んでもおそらくあいつのためにはならないし、普通の人間が来て喜べるような状態ではないというのは明華自身が経験から知っていることだった。
いつ死ぬかもわからない、そのくせ毎日のように発生するエンコン、よくわからない派閥争いなのか明華の力を求めるもの、明華を邪魔者として排除しようとするもの、そんなエンコンだけではなく人間の醜い損得感情や思想の違いで衝突のある世界。できることなら明華自身もさっさとこの舞台から降りたいと何度願ったことか。
いつも通りエンコンを始末した後の石、ストレージなんて呼ばれているが、この中にいろいろな計算情報が残っているもので、これの情報量で買い取り金額が変わる。わけだが、明華はこれを売って日々の生活費と学費を稼いでいた。毎日の日課に組み込まないといけないことではあるが、一回の買い取り金額が大きければ積極的にエンコンを退治しに行こうとは思わない。
そこで見たのは、阿智良、戸上、鹿野がマリアの喫茶店で集まっているところだった。阿智良が鹿野と仲がいいのは知っていた。戸上と学校で話すようになったのももちろん何度か目撃しているので知っていたが、まさか放課後集まるほどに仲良くなっているとは予想外だった。
「チッ、面倒だな……」
このまま素直に店に入って阿智良に合うのは面倒なことになるのは見え切っていた。なので、裏口の方の扉をたたきそのままマリアとは別の人物、ユリスとかいう男だった。
明華がわざわざ裏口から来た理由を察したようで、ユリスは喫茶店の内部の事を見てきたのか、唐突にこんなことを聞いてきた。
「あのテーブルにいるのがお前の売った石に入っていた人物か?」
そんなことを聞かれたが、やはり連絡のあった通りもうある程度の人には知れ渡っている。ともすれば、他のやつらも気が付く可能性だって出てくる。苛立ち、焦りが沸き起こるが。それを吐き出せるような場所ではないのも自覚していた。何なら今後のエンコンとの戦いで発散すればいいかと考えていた。
「おおよそ自覚はないだろうが、私と一緒の空間に入ってきた男なら手前のソファに座ってる男だ」
隠したところで意味はない、それなら特段どこの組織にも肩入れしていない奴らには知らせておいて損はない、むしろ引き留めてくれる可能性もある。
「分かった、これは前回の意思の鑑定分、今回の分はまた次回の時でいいのか?」
「いつも通りでいい」
そんなことを言いながらカバンから石をユリスに手渡す。それと引き換えに前回の分の売却益を受け取った。30万とはなかなかだ。おそらく阿智良の情報分上乗せされたとみていいだろう。そもしても、これが本当に阿智良湊が関数の能力という事なら、もう少しくれてもいいだろうにと思ってしまった。
「すこしいいか?」
そういって、ユリスが店のさらに奥の方へと連れ込む、あぁ、阿智良たちが出てきたから気を使ってくれたのか。と思ったが次の言葉が衝撃的過ぎた。
「予定にはないが、今日その阿智良という男に我々が少しだけ接触する」
「ッ!?……そうか」
おそらく本当に関数の能力者なのかを調べようとするのだろう。おそらくこれもラプラスの悪魔の片鱗を持ったあいつの計算通りなのだろう。いや、より安定した計算結果を出すために接触させようとしているのか。そんなことはどうでもいいが、少しだけいらだちを覚えた。
――――
そんなイライラとした日々、ストレスを抱える日々にまたしてもイライラの種が一つ増えた。目の前にいるのはモカの能力で作り出された手下。基本能力者に対してはあまり対抗出来ないものの、数が多く、消耗した後に真打のモカがやってくるというのが彼女の取る戦法だった。
それは何度も彼女の所属するNullsの方針でもあるのか、能力者たちを襲ったり、組織を襲ったりして一種のテロ組織のような立ち位置となっていた。
「れーちゃん、関数の子知ってるんでしょ?ラプラスからも言われてるじゃん?どっちに付くのって」
数十体の手下を屠り続け、少し息が上がってきたころに真打のモカが現れた。白いパーカーに民族衣装風の柄の入ったサルエル。相変わらずダボっとした服が好みのようだ。
「私はそういうのは関係ない、エンコンで金を稼げればそれでいいんだよ」
「でもそれを許してくれる界隈じゃないのも分かってるっしょ?」
「じゃあ、今少なくとも今ここでお前を殺せば少しは期限が伸びるな」
手下のおかげでいいストレス発散にはなったが、根本を蒸し返すようなモカの話題に再び考えざるを得なくなり、いくつもの式を同時展開しようとしていた。
「あたしにそんなつもりは無いって、あたしはただ楽しければいい、この力を縛られたくないだけ、だからその子があたしの目的の邪魔になるなら敵認定するだけ、れーちゃんはどっちでもない。ただちょっかい出したくなるだけ」
「乱暴なちょっかいだな、もう少し女らしくかわいらしくしたらどうだ?」
「アハハ!れーちゃんにだけは言われたくないね」
それもそうか、と納得してしまった。明華自身も自分よりも数段女性らしいモカには釈迦に説法だった。
「あたしはラプラスの案に乗っかってみるよ、とりあえず今のところはね」
やはりそうか、そうだろうなとは明華自身も予想済みの事だった。ただ楽しむことを第一に考えるモカは、阿智良の能力が何であれ、能力者の仲間が増えるのはうれしい事と考えるのはあまりにも当たり前の話だった。
――――
そしてよりにもよって次の日だった。昼食を食べ終えいつものように一人になれる場所を探し屋上の階段の踊り場で一人時間をつぶしていた。するとどこからよってくるのかやはりというか阿智良がやってくる。それに舌打ちをし無視することを決め込む。
やはり傷の事聞かれたけど、そんなことはどうでもいい、逆に自分の心配をしろバカと言ってやりたくもなったが、こいつと話すのは気が引けた、何がきっかけになるかわからないからだ。
ただ、次の言葉があまりにも予想外すぎて、思わず反応せずにはいられなかった。
「なんでこんな付きまとうんだって明華は思うと思うんだけど、僕が明華を知った時の出会い方がラブコメフラグに限りなく近いからっていうのもあると思うんだよね」
「は?ラブコ……おまえ何言ってんだ」
あまりにもバカバカしい、高校生にもなってまだそんなアニメと現実の区別がつかないやつがいるとは思わなかった。特大の馬鹿を見るような顔をしていたに違いない。
「たぶんね、それだけじゃないと思うんだ、僕は時々する明華の目が気に食わないんだよ、そんなに綺麗でかわいいのにさ、僕がエンコンに襲われた時もあの変な空間から出るときも、廊下ですっころんだ時ももそう」
どういう目をしていたんだろうか、そんな自覚は無かったがそれにこいつは気づいたという事、それが意外だった。たった何度かの接触でそこまで気が付く物だろうか?それとも何か能力者の勘というものでも働いたのかは分からない。
「どうしていつも悲しそうで、おびえたような目になるのか、それが知りたいんだと思う、それを取り除いてあげたいって思うんだよね、僕が憧れてる人ってのはさ、自分の他の届く範囲の人なら全力で助けちゃうような人でさ、僕もそうなりたいんだよね」
馬鹿だ、こいつは本当に馬鹿だ、いや、ただ純粋なのかもしれない。自分の憧れを追い求める一方で私みたいなやつを気に掛けるくらいの優しも持っている、もちろんそれには打算的なものもあるかもしれないが、ここまで全く敵意を向けられず、ましてや、私の態度に嫌悪することもなく、心配されるのはいつぶりだろうか。そんな不思議な印象を持った。
「だからさ、直接的な力にはなれなくても明華を助けることなんていくらでも方法があると思うんだ、僕を利用すればいいんだよ」
そんなことを言われ打ち明けてみてもいいのでは?なんて考えが一瞬でもよぎれば違ったのだろうけど、明華は微塵も思い浮かばず、逆に早くこいつを遠ざけなければと、逆に使命感に駆られてしまう。
「まぁ、最近知り合った喫茶店のマスターが言ってた言葉まんまだけどね」
「はぁ……」
立ち上がって僕の事を避けるように階段を降り始める。ここにいてもこいつが自ら去ってくれる可能性は低そうだし、自分の方から避けていくことしか今はできないし、何か自分の根本を揺さぶられるような気もした。
「いつか連絡先でも交換してくれたらうれしいんだけどな」
そんな日が来るとしたら、それはどんな日になっているのだろうか、今の明華には想像すらつかなかった。
一旦ここまで、間章はいらないかなと思ったのですが、なんとなく書いてみたくなったので書いてみました。次の話から2章スタートします。




