死にたいわけじゃない
一方そのころ。リーナは一人、人里離れた森の獣道を歩いていた。
ヴェザルナの占術によって、ブラッディマッシュの居場所を大まかに把握したリーナは、その場所に向かっていた。
彼女を衝き動かすのは、内側から湧き上がるマグマのような黒い感情だ。
ウィルへの復讐、腐った世界への怒り、そして何よりも先に逝った妹たちへの追慕。これらの感情が、身体の内側で黒炎となって燃え盛っていた。
「例えこの身が燃え尽きようとも、必ずあいつだけは殺してやる……」
ふと、リーナは木の葉のざわめきに混じって、不穏な気配が近づいてくるのを察知した。
数人の男が、森の闇から這い出てくるように姿を現した。粗末な革鎧をまとい、刃を鈍く光らせた野盗たちだ。十人はいるだろう。
彼らは、リーナの整った顔立ちと、身体の曲線を舐め回すように見つめた。
「お嬢さん、女の一人旅は危険ですよ。イヒヒッ」
男の下卑た笑い声が響く。
「こいつぁ極上だぜ。親分に内緒で俺たちで喰っちまうか」
醜悪な欲望を隠そうともしないなんて、男という生き物は、どうしてこうも愚かなのか。
リーナは凍えるような目で、男に向かって剣を一閃した。その刀身に宿った漆黒の炎が迸り、一番近くにいた男は煤となって散った。
「こいつ!? ただの女じゃねぇ!」
「囲って一気に行くぞ!!」
驚愕した野盗たちが、武器を構えて迫ってくる。リーナは冷ややかに、蔑んだ笑みを浮かべた。
「燃え尽きなさい」
黒い炎が渦巻き、たちまち野盗どもを呑み込んだ。絶望の叫び声が、森の静寂を引き裂く。静まり返ったあとには、焦げた匂いと灰だけが残った。リーナの影が笑うように揺れ、ヴェザルナの声が甘く響く。
「ああ、美味しい魂だったわ」
リーナは黙って頷いた。穢れた魂を喰らえば、ヴェザルナは力を増す。そうすれば自分も強くなれる。その力が、自分を支配される側から、支配する側へと押し上げてくれるのだ。
視線を足元に落とすと、燃えカスの中にバンダナが落ちていることに気が付いた。炎と牙をあしらった紋章が描かれている。
「この紋章……さっきの奴らは流焔牙団の一味だったようね。確かこの付近に根城があるという噂だけど……」
リーナが呟くと、ヴェザルナが楽しげに跳ねた。
「……穢れた魂が、たくさんいる場所を見つけた。案内してあげるから、私に全部食べさせて」
「分かった。行くわよ」
騎士団も手を焼く武闘派の盗賊団も、リーナとヴェザルナからすれば、力を得るための糧でしかなかった。
流焔牙団のアジトがある洞窟の入り口は、巧妙に岩肌に偽装されていた。素人目には見抜けない隠し扉だが、ヴェザルナの魔力感知はそれをたやすく看破した。
リーナが扉を押し開けて中に入ると、見張りがいた。
見張りはすぐに得物を持って、侵入者を迎え撃とうとした。だが、悲鳴を上げる暇もなく、黒炎の奔流に見舞われ、瞬時に灰になった。
洞窟の中は、血の臭いで満ちていた。魔道具で照らされた薄暗い通路を、リーナは堂々と進み、次々と襲い掛かってくる盗賊どもを、遠慮なく焼き払った。
洞窟の奥に、他とは違うプレッシャーを持った大男が、豪華な毛皮の椅子に座っていた。
リーナは、ゆっくりと歩きながら問いかけた。
「あなたが流焔牙団の首領なのかしら?」
体中に傷跡がある大男は、目を見開いてリーナの美しい姿に見惚れる。ほどなく立ち上がって、舌なめずりをした。
「流焔牙団のアジトに一人で乗り込んでくるなんざ、どんな強者かと思えばイイ女じゃねぇか。どうだ、俺の女にならねぇか?」
口元を歪め喉の奥で嗤う首領を、リーナは下卑た獣を見るような目で睨みつけた。
「汚らわしい。死になさい」
「調子に乗るなよ! 小娘が!!」
首領が剣を抜いて振り上げるが、すでに遅い。リーナが剣を振るうと、黒炎は一筋の光となり、首領を瞬時に呑み込んで跡形もなく消滅させた。
その後は、ヴェザルナが気配を探り「食べ残し」が無いように洞窟内を焼いて回った。
洞窟内が静かになると、どこからか女たちの呻き声が聞こえてきた。声の方に向かうと、鉄格子の奥に女が何人も捕らえられていた。
憔悴しきった彼女たちの顔は、かつてのシャノンや自分たちの姿を思い出させた。
リーナは苛立ちを覚えながらも、鉄格子を黒炎を纏わせた剣で斬り裂き、女たちを解放した。
「盗賊どもは全員始末したから、あとは自由にしなさい」
女たちは次々に這い出して逃げていくが、一人の少女が動けずにいた。その体は衰弱しきっていて、瞳には光がなく、ただ絶望だけが宿っている。
リーナは手をかざし、治癒魔法を施した。動けるようになった少女の身体がわずかに震え、嗚咽が漏れた。
「……殺してくれれば、良かったのに。両親を殺されて……攫われて……乱暴された。もう、生きているのも辛い」
リーナは手に黒炎を灯らせて、虚ろな顔の少女を見下した。
「そう、死にたいのなら殺してあげる」
黒炎の禍々しい輝きに、少女は目を見開き、ハッとしたように涙を拭った。
「死にたいわけじゃない。けど、力のない私は、これからどうやって生きていけばいいか分からない」
リーナの唇がかすかに動く。
「あなたをこんな目に遭わせた連中を、見返してやりたいと思わない?」
「でも、ここの盗賊はあなたがみんな殺したんじゃ……」
「男なんて、皆同じよ。あの手の輩は世の中にいくらでもいる。あなたが望むなら、男に支配されない力をあげる」
それは、過去の自分自身に語りかけるような言葉だった。少女は息を呑み、やがて魅せられたように立ち上がった。その瞳には、さっきまでの絶望ではなく、渇望が宿っていた。
「力が、欲しい……」
少女の呟きに、リーナは微笑んで返した。
「いい子ね。私はリーナ、あなたは?」
「私はシェリー。リーナお姉さま、よろしくお願いします」
シェリーの控えめな笑顔を見て、リーナは今は亡き妹たちの影を重ねていた。




