EP 39
その時、急に弥一の中で警戒アラートが鳴った。これ以上杏とこの話を続ければ、そのうちに自分が混乱して、暴走状態に陥ってしまうんじゃないか、そう不安になった。
「俺、もう帰る、」
その言葉を遮って、「あんなのは形だけの不幸な結婚ですよ」
アラートは鳴り続いている。が、なぜか反論したくなった。防御本能でも働いているのだろうか。
「そ、そんなはずはない」
「弥一さんの元カノさん、騙されてるんじゃないですか?」
「壱花が元カノ……だなんて俺、言ったっけ?」
弥一はすでに混乱し始めていた。
「そ、それを言うなら、あんただってジェインCEOの友達なんだろ? 彼はそんな人じゃないって、主張するのが普通だろうがよ」
「ジェインは悪い人じゃありません。でも、彼は彼が育った環境によって、多少打算的なところがあります。純朴な壱花さんだからこそ、丸め込まれて、」
「そんなことないって! だって、あんな幸せな結婚……他にはないくらい、で、」
幸せ?
傍目から見れば、だ。
でも本当は壱花が不幸だったら?
「愛してるんでしょ?」
どっと心臓が飛び上がるほどの衝撃な言葉だった。
「っ⁉︎ な、なんだって?」
「ジェインより、あなたの方が壱花さんへの愛が深いかもしれませんよ」
「やめろ! おれ、は、俺は、で、でも……」
「できるでしょ、弥一さん。あなたなら。あなたの壱花さんへの深い愛があれば、壱花さんに緑色の紙切れにサインを書かせることぐらい」
「もういい!」
その言葉を振り払うように、杏をその場に置き去りにして、弥一は駅へと向かった。今日は直帰の予定。途中で酒でも飲みたい気分になったが、前回の杏との出会いのようなことがないとも限らない。
「こんなことになるなんて……めんどくさ……」
そのまま、ぐったりと力尽きたように、家路についた。
✳︎
「くそっ、まさかこんなことになるなんて!」
スタッフは全員帰り、真っ暗に消灯したオフィスの一角、そこだけ灯りをともし仕事をしていたジェインは、昼間のことを思い出し、デスクを握りこぶしで叩いた。
「なんなんだよ、和田 弥一!」
ふーと細く息を吐いた。少しだけ、意識が明瞭になる。
SOTの担当者が、和田 弥一と知って驚いてしまった。
(まさか自ら手を上げてきたんじゃないだろうな)
あり得るのかもしれない。弥一がまだ壱花を諦めきれずにいる、その可能性はある。
(遠距離のとき、あれだけ執着していたからな)




