EP 32
壱花は段ボール箱を1つずつ開きながら、先ほどのジェインの言葉を反芻する。
「わかったよ! 壱花ちゃんが俺と一緒にいるときが一番幸せって言ってもらえるまで、禁欲する!」
(ききき禁欲ってあれのことだよね。あれの!)
正直、結婚までしたのだから、そういう行為があっても良いと思っていた。
元カレ弥一なんかは、付き合っていた後半の頃なんかは、会ったらすぐにホテルに直行みたいな付き合いだったので、男の人はみんなそんな感じだと思っていた。だから、ジェインとそういう関係に至らないことが、不思議でならなかった。
「淡白なのかな……」
ダン箱の中から、アクリルガッシュの絵の具を出した。画材を置く棚も揃えられている。引き出しの中に次々と収めていった。家具がこうも揃っていると、順調にいけば明日一日で片付けられるだろう。ジェインの心遣いが嬉しかった。
「淡白ってなに? したいと思わないってこと?」
あとでネットで調べてみよう。筆を揃えて、ガラスビンの中へと挿す。
「……私に魅力がないのかな」
思い出すのは、イギリスでのホームパーティー。想像していたホームパーティーとは違い、まったくもって豪華で華やか過ぎるものだったが、そこでこの目に映ったのは、社交界の煌びやかさだ。招待された女性はみな、スタイリッシュに磨かれていた。
(つい最近まで私……)
黒のワンピースに重い黒の前髪。黒ぶちメガネ。マンガやイラストを好む、完全なる陰キャ。それが一気に明るく輝かしい世界へ。だが、そこは壱花にとって、ある意味地獄と言ってもいい。
蝶や花や鳥のように美しい女性たち。その女性がみな、ジェインを褒め称え、そして好意を持っているのだから。そしてその女性たちをジェインの妻にと画策する、ジェインの伯父フレディ。
ジェインの導きがなければ、心は折れ、打ちのめされるところだった。
(攻撃、凄かったもんね。どれだけHP削られたか)
ふふと力なく笑った。けれど、自分の味方でいてくれるのは、ジェインの父と兄。心強かった。
ジェインの母親に会ったことはまだないが、自分の婚約指輪を普通郵便でとはいえ緩衝材付きで封筒に入れ、送ってくれたのだから、きっと良い人に違いない。
「イラストの上達ももちろん大事だけど、自分に魅力が出るように女子力も鍛えなきゃ!」
ふんっと鼻息を吹き、そして空になったダン箱を潰す。そうこうして片付けているうちに、コンコンとノック。ガチャと開いたドアの隙間からジェインが覗き込んで、「夜ごはんの用意ができたよ!」と伝えてくる。
「わかりました、ありがとうございます。今行きますね」
新たな決意を胸に、壱花は自室を後にした。




