死に戻り傀儡女王は逃走する
「じゃあね、お姉さま。来世で幸せになってね」
そう言い放ち、リリーはエルシーを湖に突き落とした。
最期にエルシーが見たのは、柔らかく微笑む妹。
姉をこの手にかけたというのに、一欠片の申し訳なさや罪悪感も感じさせない笑みだった。
◆◆◆
エルシーは王国の王位継承権第一位の王女だったが、あまり華のある人間ではなかった。
容貌は悪くはなかったが、取り立てて美しいという訳ではない。
ありふれた茶髪に緑の瞳。平民に紛れていてもおそらく誰にも気づかれないだろう。
要領が悪く苦手なことの方が多い。
正妻である王妃の子であり、王位継承者の中では一番身分が高かったが、それだけだった。
対して、一つ下の妹、リリーは常に人々の中心にいた。
側室の子の第二王女。蜂蜜色の髪に垂れ目がちな緑の瞳の愛らしい容貌で、異性だけでなく同性をも虜にした。
姉とは逆に何をやっても卒なくこなす。
「こんなに素晴らしい才能を持った子は見たことがありません! 王国の未来は明るいですね」
家庭教師はそう言っていつもリリーばかりを褒めた。
エルシーについての誉め言葉はいつも決まっていた。
「いつも真面目に取り組んでおられます」
真面目さだけがエルシーの取柄だった。
エルシーとリリー、共通するのは同じ緑色の瞳を持つことくらい。
何もかもが逆で、エルシーは常にリリーに劣等感を抱いていたが妹として深く愛してもいた。
「リリーはすごいわね。私とは違って、なんでも出来て」
「いいえお姉さま。これくらい誰でも出来ますわ」
そう言ってリリーは笑う。
どうやら本心からそう思っているらしく、エルシーはいつも気まずい思いをしながらぎこちなく笑い返していた。
リリーの思う「普通」の基準が高くなったのは、オルブライト公爵家の嫡男、ウィリアム公子の存在が大きい。
ウィリアムはエルシーの一つ上で、年が近かったのもあり三人はいつも一緒に過ごしていた。
輝くような金髪に碧眼の美少年で、リリーと同じく何もやらせても上手くこなした。
エルシーは二人といると、自分が場違いであるかのようないたたまれない気持ちになった。
エルシーが十五になったとき王が病に倒れ、すぐ後にウィリアムとの婚約が決まった。
エルシーは将来国の女王となる身だが、あまりにも凡庸。
そう判断した周りが、優秀なウィリアムを王配とすることで補おうとしたのだろう。
思うところはあれど、その頃にはウィリアムに淡い恋心を抱くようになっていたエルシーは喜んだ。
ウィリアムは国を統治していく上で必要なことを全て学んでいた。
エルシーが難しい問題に悩んでいると、いつもなんでもないことのように助言を行う。
実際、その通りにするとすべてが上手くいった。
そのうち貴族たちは、何か問題が起こるとエルシーを通さずウィリアムに直接相談するようになり、気付けば会議はエルシー抜きで行われるようになった。
エルシーに発言権は無かった。
「ねえウィル、私も一緒に考えたいの。次期女王は私よ」
そういってウィリアムに詰め寄ったが取り合っては貰えなかった。
「エルシーは何もしなくても大丈夫です。私がやった方が早いし、リリーもいるので」
その頃にはウィリアムはエルシーよりもリリーといる時間の方が長くなっていた。
様々な問題について議論しては笑いあい、二人で国を導いていた。
城の人々は誰もが二人をお似合いだと誉めそやす。
実際、リリーがウィリアムに惹かれているのは誰の目にも明らかだった。
エルシーの目にも。
誰に軽んじられても仕方ないと諦めがついたが、ウィリアムに軽視されるのは辛かった。
もっと求められたかった。
願いは虚しく、やがて二人の決定をただ認可していくのがエルシーの仕事になった。
王が倒れて五年後、王が儚くなりエルシーは正式に女王となった。
しかしただの傀儡と化した女王を尊重するものは誰もいなかった。
ある日、エルシーはリリーに誘われ、城の近くにある湖を訪れていた。
こうして二人で出かけるのは久しぶりだった。
舟に乗り、他愛無い話をしては笑いあった。
幼い頃に戻ったようでエルシーは幸せだった。
「ねえ、お姉さま。私、気づいたんです」
リリーが話を切り出す。
「お姉さま、無能は罪ですわ。邪魔なんですよ、居座られると……。私が女王になった方が皆幸せになります。ウィリアムも。ねえ、そうではなくて?」
それまでと全く変わらない無垢な笑顔だった。
「だから、ここでお別れです。……じゃあね、お姉さま。来世で幸せになってね」
そう言ってエルシーを湖に突き落とした。
エルシーは始めは必死にもがいたが、すぐに止め、諦めて沈んでいった。
リリーの言うことに納得してしまったからだった。
(生まれて来ないほうが良かったのかもね)
そうして女王は水底に消えた。
◆◆◆
エルシーが目を覚ましたのは王城の一室。
王女時代に使っていた部屋だった。
(私はリリーに殺された筈じゃないの……?)
困惑していると、ノックの音と共に侍女のリサが入ってきた。
記憶より随分と若い。
「お目覚めですか、殿下。陛下が呼んでおられます……。急いで支度致しますね」
「陛下が呼んでいる? 女王は私の筈じゃないの」
そう言うとリサは顔をしかめた。
「失礼ながら殿下、気が早すぎます。すぐにそうなるでしょうがお慎みいただいた方が賢明かと」
混乱しながらも準備が終わり、リサに連れられて王の寝室に向かう。
なんとなく、察してはいた。
王の寝室で寝ていたのは、亡くなる直前の父だった。
(戻ったんだわ……。女王に即位する、前に)
「エルシー……。聞きなさい。次の女王はお前だ……。ウィリアムとリリーの言うことをよく聞いて、賢明な統治を行いなさい……」
「はい、お父様」
過去と同じく、それが父と交わした最期の会話となった。
その日の夜、エルシーは王族のみが知っている緊急用の通路を使い王城をこっそり抜け出した。
もう戻ってくる気はなかった。
未来を知っているからといって上手くやれる自信は全くない。
女王になってあんな思いをして、挙句の果てに殺されるのはもう御免だった。
相当量の宝石類を城から持ち出していたので移動手段や食べ物には困らなった。
時には馬車に乗り、馬を借り、なるべく遠くへ逃げた。
あてはなかった。ただ遠くへ行きたかった。
ウィリアムやリリーは始めは自分を探すだろうが、すぐに諦め、やがていない方が都合が良いことに気付くだろう。
それに見つからない自信もある。
エルシーは初めて自分の地味な容貌に感謝した。
そうしてある森の中を歩いているとき、足を滑らせて崖から転落した。
逃げることすら上手くできないのか、とエルシーは自嘲した。
逃亡から十日ばかり過ぎた頃だった。
◆◆◆
全身の痛みでエルシーは意識を取り戻した。
体が上手く動かない。何箇所か骨が折れているかもしれない。
呻きながらもぞもぞと動いていると、男の声がした。
「おっ、目を覚ましたみたいだな。大丈夫か? なんか食えそうか?」
薄っすら目を開ける。
少し年上だろうか。くすんだ金髪の精悍な青年がこちらを心配そうに覗き込んでいた。
言われてみれば空腹だ。
エルシーが微かに頷くと、男はそうか、と笑い足早に奥の方に消えた。
改めて辺りを見渡す。
小さな小屋のようだった。橙色の明かりが温かく室内を照らしている。
エルシーが寝かされているすぐ横には小さな椅子と机。
机の上には書物が置いてあり、男はこれを読みながらエルシーの目覚めを待っていたらしい。
壁には猟銃のようなものが立てかけられている。
「山羊の乳で作った粥だ。食えるだけでいいから食え。食わねえと元気になんないぞ」
戻ってきた男はそう言って器に入った粥をエルシーに差し出した。
湯気が立っていて良い香りがする。
エルシーは起き上がり受け取ろうとしたが、体が上手く動かなかった。
「ごめんなさい……。体が、動かなくて」
そう言うと、男は慌ててエルシーを抱き起こし、匙で一口ずつ掬って口に運んでくれた。
恥ずかしくはあったが有り難く受け入れた。
「気が利かなくてごめんな」
男はそう言って笑った。
セオという名で、薬師をしているらしい。
近くの村から来る客の相手をしながらこの森の中で暮らしているという。
「まあ、ゆっくりすることだ。焦っていたら良くなるもんも良くならねえ」
エルシーはセオの好意に甘えることにした。
どのみち動くことは無理そうだった。
大分回復し動けるようになった頃、エルシーはセオに切り出した。
「お礼をしたいのですけれど……。持ち合わせがなくて、代わりに何か出来ることはありますか」
持ち出した宝石類は崖から落ちた際に全て失ってしまっていた。
「気にすんな、森の中だと助け合うのが当たり前だ。エルシーも、誰かが困ってたら助けてやんな。……って言っても気にするよな。そうだなあ……」
少しの間考え込むセオ。
「じゃあ、仕事を手伝ってもらおうかな」
そこから、セオは色々なことを教えてくれるようになった。
薬草の見分け方、調合の仕方、動物の世話の仕方。
どれもはじめは上手くいかなかったが、セオは辛抱強く教えてくれた。
何回失敗しても怒らなかったし、毎回失敗した理由と改善点について簡潔に教えてくれた。
「いずれ出来るようになる。俺もはじめは失敗ばかりだった。大丈夫さ」
そう言って笑ってくれた。
期待されるのは初めてだった。嬉しかった。
どこが間違っていたのかを確認し、次からは気をつければ何事もだんだん上達した。
上達するのが嬉しくてもっと頑張った。
気づけばセオと同じ様に仕事をこなすことが出来るようになっていた。
その間、セオはエルシーに過去のことを詮索しなかったし、追い出そうともしなかった。
ただ優しい時間が過ぎていった。
ある日、薬を受け取りに来た客がリリーが女王に即位したことを話していた。
ウィリアムも今頃リリーと結婚して仲良く国を治めているのかしら。
そう考えると少し不思議な気持ちになったが、悲しくはなかった。
エルシーの中では全て終わったことだった。
◆◆◆
エルシーが小屋の中を整理していると、奥の方から丁寧に畳まれたドレスが出てきた。
崖から転落した際に着ていたものである。セオがしまって置いてくれたのだろう。
今着ている平民の服と比べて肌触りが全然違う。
(あの頃はこんなに質の良いものを毎日着ていたなんてね)
エルシーは少しの間懐かしみながら眺めていた。
「エルシー……。戻るのか。元の場所へ」
いつからそこに居たのか、背後からセオに声をかけられる。
振り返ると、いつも飄々と笑っているセオが泣きそうな顔でそこに立っていた。
「セオ? どうしたの、そんな顔して……」
「エルシーが元々すげえいい暮らしをしていたのは分かってる。本当はこんなボロ小屋にいるべきじゃないってのも。だけど」
セオは必死に言い募る。
「俺が側に居てほしいんだ。仕事が嫌なら辞めても良い。行かないでくれ……」
そこまで言うと、セオはエルシーを掻き抱いた。
暫く言葉を失っていたエルシーだったがやがてそっと抱きしめ返した。
「行かないわ、どこにも……。馬鹿な人ね」
そうしてエルシーは全ての事情をセオに話した。
貴族の出だとは思っていたが、流石に王女だとは思っていなかったらしく事情を聞いたセオは大慌てだった。
それを見てエルシーは笑う。
幸せだった。欲しかったものは全てここにあった。
◆◆◆
チリンチリン、と呼び鈴が鳴る。久しぶりの客だった。
セオは森に獣を狩りに行っているので、エルシーが出るしかない。
はあい、と足早に向かい、エルシーは扉を開けた。
「……久しぶりですね、エルシー。随分、探しました」
ウィリアムが無表情でそこに立っていた。
あれからずっとエルシーを探していたのだろうか。
どうしてここがわかったのか。
衝撃で動けなくなっているエルシーの腕をウィリアムが強引に掴んだ。
「さあ、帰りましょう。あなたの居場所はこんな小汚いところではない筈だ」
「嫌! 離して! 私が居なくても別に困ることなんてないでしょう!」
エルシーは必死に抵抗した。
絶対に戻りたくなかった。地位も名誉も要らない。
自分を必要としてくれて愛してくれる人がいる。
ここより行きたい場所なんてない。
エルシーを強引に連れて行こうとしていたウィリアムが突然吹き飛び、地面に倒れた。
セオが帰ってきたのだ。
「おい、なんだお前、エルシーを離せ!」
「この方は貴様みたいな汚い平民が気安く呼んで良い方ではない!」
「やめて!」
エルシーは叫んだ。
そうしてウィリアムに向き直る。
「セオは私の夫よ。貴方にどうこう言われる筋合いはないわ」
それを聞いたウィリアムの表情が崩れた。
「何故! 煩わしいことは全てやって差し上げたのに。私はただあなたが側にいるだけで良かったのに!」
「私がいつそんなことを望んだというの!」
ウィリアムが押し黙った。
暫く沈黙した後、静かな声で言う。
「……帰りましょう。今ならまだ不貞行為も許します。リリーも待っています」
「何度も言わせないで。嫌よ。こんなところまできてご苦労様、帰って頂戴」
「私を愛していなかったのですか……?」
ウィリアムが涙を流しながら問うた。
エルシーは静かに答える。
「愛していたわ。でも、愛していたからこそ許せないこともあるのよ。私、誰に軽んじられても平気だった。でも、貴方にだけは求められたかったわ」
「じゃあ、帰って、一緒に」
何か言いかけたウィリアムの言葉をエルシーは遮った。
「でも、もう全て過ぎたことよ」
◆◆◆
ウィリアムを追い返した日の夜、二人は必要最低限のものだけを持って小屋を出た。
国を出よう。もっと遠くへ。見つからないところへ。
あてはなかったが平気だった。
二人ならどこへ行っても大丈夫、心の底からそう思っていた。
そうしてエルシーとセオは隣国で暮らし始めた。
暫くして、元いた王国で内乱が起こったという噂が流れてきた。
仲が良かった筈の女王と公爵家が反発し合うようになり、政治が乱れ、国が荒れているらしい。
消えた第一王女の元婚約者が先頭に立って反乱を起こしたようだ。
その情報はエルシーの胸を一瞬騒がせたが、すぐに忘れ去られた。
エルシーは大事にすべきものを大事にすることで忙しかった。