一.クラヴィトーを解体した日
きのうで今年の玩具作りは終わり、取引先への納品もすんだ。
魔法玩具工房の掃除をしてから、僕は、居間へ戻った。
「るっぷりい、ご主人様、次は居間のお掃除ですか。ツリーの飾り付けは?」
僕の頭のうえにいるのはピンクの小花模様のおしゃべりなクマのぬいぐるみ。
ぬいぐるみ妖精のシャーキスだ。僕が端布で作ったテディベアに生命が宿り、ぬいぐるみ妖精になったのである。
「居間は親方が掃除しているから、木を切ってくるのは明日だよ。今日はもうすぐ夕ご飯の時間だから」
しかし、居間で親方は、ぞうきんを片手に小型ピアノによく似た鍵盤楽器『クラヴィトー』の前で突っ立っていた。
「こりゃ、もうだめだな……」
親方はクラヴィトーの蓋を持ち上げ、中を覗き込んで深いため息をついている。
「るっぷりいッ、壊れたのなら修理すればいいじゃありませんか!」
ぬいぐるみ妖精シャーキスは僕の頭から飛び上がり、親方の頭上をぐるぐる飛び回った。
親方も僕も魔法玩具師だ。玩具の小さなピアノだって、本物のピアノの構造を調べて作るんだから、家具や楽器を詳しく調べてミニチュアを作るのはお手のもの。
家具や道具なんかの修理はたいがい自分でやれるんだ。
「ニザ、お前はどう思う?」
僕の名前はニザエモンだけど、親方は短くニザと呼ぶ。
僕はちょっと背伸びして、蓋の中を覗き込んだ。
「金属部品がかなり錆ついていますね。修理するならぜんぶを入れ替えることになると思います」
「そのとおりだ。お前の見立ては正しい。これも部品の寿命なんだろうな」
親方はうなだれた。
「こいつはなあ、若い頃に材料の切り出しから手作りしたんだ。普通のチェンバロとはちょっと違う。クラヴィコードとチェンバロの中間みたいな楽器なんだ」
クラヴィコードやチェンバロとは、ピアノよりも古い仕組みの鍵盤楽器だ。
最初に発明されたのがクラヴィコードで、改良されてチェンバロになった。この国での正式名称はクラヴィチェンバロという。
お隣の国ではクラヴサン、別の国ではハープシコードとも呼ばれる。
簡単に説明するなら、ピアノのご先祖様だ。チェンバロがどんどん改良されて、やがてピアノに進化した。
「それでわしは自分で作ったこいつを『クラヴィトー』と名付けたんだが……」
親方は、クラヴィトーの蓋のちょうつがいを取り外した。
彫刻のある蓋はひび割れ。クラヴィトー本体の響板も、離れた所から見てもわかるほどに歪みが生じている。
「もともと大型楽器向きの素材じゃなかったからな。半分くらいは魔法玩具になる材料も使ったし」
クラヴィトーは魔法玩具ではない。
親方はきれいな音色を出したくて、手に入る限り最高の材料を組み合わせた。その結果、魔法玩具に使う材料もたくさん使うことになったというだけだ。
「代用になるものはないんですか?」
「それがな、最初に修理が必要になった頃に探してみたが、同じ物を使わないと微妙に音が違うんだ。どうしても気に入らなくて、けっきょくあきらめたんだよ」
鍵盤は黒檀と月光石だ。
月光石は月の魔法を帯びた貴石。軽くて透明感がある。その美しい色合いを揃えるために、親方は一つの大きな石から鍵盤の数だけ切り出した。そのため、同じ色合いのものはまず手に入らないという。
ボディの響板は『月の樹』という、この国には生えていない珍しい木を、親方が自分で切ってきて板に加工した。星座や花の彫刻は、本業の玩具作りをしながらだったから、とても時間がかかったそうだ。
音を出す弦は、普通のチェンバロと同じ真鍮弦が使われている。
それにも親方は、より良い音が鳴るように、額に角がある小型の馬の尻尾の毛を合成したという。
角があるなんて、変わった馬もいるんだな。
クラヴィトーは鍵盤を叩けばその後ろにある木片が跳ね上がり、弦を『爪』が引っ掻くように弾いて音を鳴らす。
爪を動かすバネは普通のイノシシの毛だが、爪は、これまた世にも珍しい鳥の羽の軸で作られている。しかも一羽から数本しか取れない尾羽だ。
その爪が老朽化して割れているから、鍵盤を叩いても音が出ない。
親方は若い頃、遠い別の国に住んでいた。そこで知り合いだった猟師さんからたまたま譲り受けたものだったので、その珍しい鳥もこの国にはいないのだ。
「なにしろ若い頃ってのは、自分の技術を使うことに夢中でなあ。思いつく限り最高の物にしたくて、あとの手入れは考えずに作っちまったんだ。若気のいたりってやつだな」
親方は照れくさそうに笑った。
「その当時は良いチェンバロは高くて買えなくてな。玩具のチェンバロを作るからといってチェンバロ工房へ頼み込んで作り方を教えてもらったんだ。ミニチュアもよく作って売ったもんだった」
親方が得意とする玩具に、精巧なミニチュア家具がある。
小さなバイオリンは弓で弾けば音が鳴る。
手の平サイズのトランクケースには鍵をかけられるし、ドールハウスを飾る小さな食器は陶器やガラスだ。銅製の鍋にフライパン、お茶のポットやスプーンやフォークは本物と変わらない銀細工。
これらは子供の遊び道具というより、お金持ちの人がインテリアとして購入していく高級品だ。
「もはや修理は無理だな。新しいピアノを買うことにしよう」
親方は残念そうだったが、おかみさんはにこにこしていた。
「あら、道具には必ず最後があるものよ。わたしはたくさん弾いて楽しませてもらったわ。良い思い出はけっして色あせないものだから、心残りは無いわ。さあさ、二人とも、夕食前に片付けてしまいなさいな」
と、おかみさんには言われたけれど、夕食前には片付かなかった。
親方がとてもていねいにクラヴィトーの解体作業を進めていくので、僕もできる限り気をつけて細かい部品までていねいに分解していった。
そうしたら予想以上に時間がかかり、夕食のあともクラヴィトーの解体作業にもどらなければいけなかった。
いまは冬の休暇の時期だから本業の玩具作りはないけれど、すぐにクリスマスだ。新年を迎える準備もある。あまりのんびりしてはいられない。
親方と僕はクラヴィトーをすっかりバラバラにした。それから木材・金属・石など、素材ごとに仕分けする作業にかかった。
ひどい錆が付いてもろくなった金属部品は再利用できない。処分する物は一カ所へ集めた。
「親方、この彫刻のある板もぜんぶ薪にするんですか?」
星座や花々の彫刻は、貴石や貝殻の薄い破片をはめ込んだ象嵌細工になっている。傷みが少ない部分はまだ何かに使えそうだ。
「わしはいらんから、ぜんぶニザの好きにするといいよ」
良い部分だけ切り取れば、僕の手の平くらいの大きさの板が何枚かになるだろうが、寄せ木細工にすれば使えるだろう。
僕は響板を抱えて中庭へ出た。
良い部分を切り取った残りの板きれは、冬の間の燃料にするので細長く割った。
これもこの冬のストーブに使う大切な燃料になるんだ。僕は割り終えた細い木をまとめた。
「今年は雪が遅いな。このぶんだとクリスマスまで降らないかもしれんぞ」
親方が、クラヴィトーの脚だったものを四本持ってきた。割る必要がないそれは、薪小屋の薪の上にそっと置かれた。
まだクラヴィトーの脚の形をしているそれを見た僕は、いっそう寂しいような気分に襲われた。
「もったいないなあ……」
どれほど精魂込めて作られた特別な道具も歳月を経れば古くなり、いつかは壊れる。最後は処分しなければならないのだ。
「はは、もう木材としては古びているし、ニスを削り落としたら細くなりすぎるだろ。新しい玩具は新しい材料から作る方が手間が少ないよ」
「たしかにそうですけど……」
僕が呟いたときには、親方は家に入っていたので聞こえなかっただろう。
シャーキスが屋根から飛んできた。
「るっぷりい、ご主人様、流れ星が落ちてきますよーッ!」
「え、あ、ほんとだ」
キラリ、青く光った星が、天からまっすぐ落ちてきて、スウッ……と消えた。
あ、また流れた!
「るっぷりい、ご主人様、願いごとは唱えましたか? 流れ星が消えるまでに願いごとを三回唱えると、お願いがかなうのですよ!」
「へえ、ほんとうに?」
流れ星が消えるまではあっという間。そんな短い時間に願い事を三回唱えるなんて、すごい早口でないと間に合わないぞ。
「るっぷりい、もちろんですッ。星が流れている間に流れ星の精が願いごとを聞いてくれますから!」
「空の上を飛んでいるのに地上の声が聞こえるのかい?」
「るっぷ、だって流れ星ですもの。今夜はとくにたくさん落ちてますから、流れ星の精もお空にいーっぱい、いるのです!」
シャーキスとお喋りしているあいだにも、流れ星は蒼白い尾を引きながら、いくつもいくつも天から降りそそいでいた。
「るっぷりい、もっと近くで見てきますね!」
シャーキスは再び屋根の上へ飛んでいった。煙突の上に座って星空を眺めている。
流れ星の精とお喋りでもしているのかな。
こんなに変わったぬいぐるみ妖精のシャーキスが僕の前にいるのだから、宇宙に流れ星の精がいても不思議ではないけどね。
僕が板きれを割り終えたら、親方がクラヴィトーだった木の部品の残りぜんぶを抱えて出てきた。これで廃材の運び出しは完了だ。
ちょうどそのとき、薪小屋の上に見える天空で星がまたたいた。
「ほお、冬の流星群か。季節が巡るのは早いもんだ」
蒼い星が落ちてくる。
夜空の縁からつるりと足を滑らせて。
たくさんの星の光がシャワーのように降ってくる。
まるできれいな夢のなかにいるみたいだ。
親方が「うーむ」とうなった。
「これだけすごい流星群を見られるのは何十年かに一度だぞ。眺めているなんてもったいない。せっかくだから少し拾っておくか」
え、拾う?
「流れ星をですか?」
僕にはたしかにそう聞こえた。