彼女の願い
時は数ヶ月前に遡る。
荻野月は山敷家でとあるものを発見していた。
それはカエデの妹であるあかりの部屋に入った時だ。
本来の目的は荻林の使用していたであろう制服を見つけるために入ったのだが、彼女は惹かれるように本棚の前に立っていた。
「どうして……ここに」
余り感情の起伏が激しくない彼女だが、生まれて初めて見せたかもしれない驚きを見せる。
それだけ彼女にとって驚くべき現状が起こっていたのだ。
一番左の上……そこには彼女が昔から探している本が存在した。
その本の名前は──クロイス。
あらゆる事象もこの世の理ですら書き換えてしまうとまことしやかに囁かれている禁断の書。
そんな目覚しい本がなんてことない家庭のごくごく普通な後輩の妹の家に存在していた。
彼女は恐る恐るその本に手を伸ばす。
しかし、手に取ることは止め伸ばしている手を元に戻した。
「子供の頃に見たのと少し違う」
本は偽物だと分かるとそれまで高揚していた感情は栓をされていない風船のよう一気に萎んでしまう。
本来のクロイスの書の色は青。
記憶違い、なんてことも考えられるが、彼女にとってそんな間違いを侵すことはありえない。
誰よりもクロイスの書を欲しがり、誰よりもクロイスの書を使って叶えたい願いがあったからだ。
「制服見つけた。戻ろう」
ほんの少しだけ本棚にあった本を名残惜しそうに見つめる月だっだが、 後ろを振り向くとベッドの上に、お目当ての物が乗っかっているのを見つけたのでそれを手にし、踵を返して部屋を後にする。
その姿はいつか本物を見つけると息巻いているようにも思えた。
☆
そしてまたとある日。
荻野月は山を気怠そうな足取りで歩いていた。
しかも夜に、だ。
どうしてこうなっているかは数時間前に遡る。
昼過ぎにカエデの家へ知佳と名乗る女性になってしまったあかりの様子を見に行ったが、何処かに行っているらしく玄関の錠は閉められていた。
最初は買い物に行ってしまったのかと思い、その場で数分待っていたが帰ってくることはなく、電話を掛けてみても圏外なのはおかしいと感じた彼女はカエデたちをそれとなく探していた。
本人はそれとなく探していたと思っているだけ。
別に血眼になっている訳では無い、と自分に言い聞かせるが歩きながらも何度も何度もカエデに電話を掛けている様は『必死』と言わざるを得ない。
あかりの部屋の本棚であんなものを見つけてしまったんだ、レプリカと言えど何かしらの効力があってもおかしくない。
月は駆け回った。
学校に繁華街、病院やテーマパーク……住宅街。
だがどこを回ってもカエデやあかりの姿を見つけることは出来ない。
まさか、と思い旧荻野邸に向かった彼女だが、二人の姿は見つからない。
帰ろうと玄関に戻ると月の行く手を塞ぐべく、旧荻野邸にはある人物が居た。
人物と言っていいのか分からない、この世の言葉で表現するならば骸骨、又はドクロ。
背丈は成人男性の平均身長ほどで数にして三体。
目玉などなく見えているのか分からないが、月を視界に捉えると骸骨たちはゲラゲラと笑い月へ襲いかかる。
その笑い顔は「いい獲物を見つけた」とゲスな笑みに見えた。
「甘い」
月は制服のスカートから小さな小瓶を取り出す。
それは荻野陽が使っていたものとは違う。
中身は透明な水のような物が入っているだけだった。
小瓶を開けることなく一人の骸骨の顔面に向かって叩き割る。
するとどういう理屈か骸骨の顔面は綿あめに水を掛けたかのように溶け始めた。
「フッ酸」
別に笑った訳では無い、彼女はフッ化水素酸を略して言っただけだ。
痛覚がある訳ではないのに骸骨は痛そうによろめく。
残りの二体はフッ酸を浴びされた仲間を気遣う素振りを見せた後、月に襲いかかる。
「あげる」
月は腰にぶら下げてあった手榴弾二発を骸骨の口にぶち込むと距離をとる。
刹那、激しい爆発音が玄関に鳴り響き、床は少し削れ、粉々になった骸骨だったものが散乱していた。
「彼女の仕業?」
人の形をしたゾンビなら見たことのある月だったが、骨だけのものは見たことがなかった。
姉である陽がまたちょっかいを出して来たのかと思ったが、それにしては余りにも脆すぎる。
手榴弾を使ったのが勿体ないくらい脆かったのだ。
「ここには何かある?」
そう考えた彼女はもう一度部屋をくまなく探索することにした。
一階を探索する。
厨房や使用人の部屋だった場所にさっきの骸骨が何体か存在していたが、叩いただけで粉々になってしまう程の脆さ。
まるで何十年も前の物の骨を使っているかのように思える。
だが、彼女が抱いた不信感を拭うようなものは何一つなかった。
それならば、と思い二階を駆け上がる。
二階は彼女が思っていた以上に何もない。
この前、姉妹喧嘩をした場所にもやって来たがさっきも見たので何ら面白みもない。
「考えすぎ……」
この邸宅には変わったものを引き寄せると言うことを小さい頃から知っていた月は考え過ぎだと自分に言い聞かせて再び玄関に戻ってくる。
粉々になった骸骨は元の形に戻ることなく、無残にもその場に粉々になったまま。
「帰ろう──」
そう思った矢先、玄関から一番近い使用人の部屋だった所が反射して光っていた。
夜が近く夕暮れにしては少し遅い、そんな時刻に反射するものがあるのだろうか。
不審に思った彼女は導かれるかのようにその部屋に向かった。
古く脆そうなベッドと、これまた古く脆そうなドレッサーが置いてあるだけの簡易的な部屋。
その中にキラキラと光る破片が目に留まる。
「ただのガラス片……」
こんなものに時間を取られただなんてバカバカしい、そう思いその破片を拾おうとする。
そこで月は異変に気付く。
「下から風が来る」
ベッドの下から風が来ている。
本来なら下から風なんて吹かない。
下から風が吹くということは、空洞になっていることが考えられる。
空洞ということは地下がある可能性が高い。
ここで幼少期を過ごしていた月ですら知りえなかった情報。
期待と不安で心が満たされていく。
だけど不思議と恐怖は感じない。
彼女は不死身だから故だろう。
ベッドをズラすと、真四角の穴が空いており、奥に続く階段が見つかる。
階段は石で出来ており、何年も使われていないからか所々が苔むしている。
中に進むにしても灯りが無ければ何かあった時に不便だろう。
そう考えた彼女はガラケーをポケットから取り出すが、彼女の使っている機種にはライトが付いていない。
それに気付き再びポケットに仕舞うと、躊躇うことなくベッドを蹴って破壊し始める。
「これでいい」
程よい木片を手にし、そこに持っていたライターを使って先端に火をつける。
言わば即席たいまつの完成だ。
たいまつを持って彼女は地下へと続く階段を降りていく。
階段は十かそこらしかなく、すぐに地下にたどり着いた。
通路は人ひとりが入れるくらいの狭さしかなく、真っ暗でたいまつが無ければ何が何だか分からなかっただろう。
壁は誰かが這い上がろうとしたような手の痕がいくつも存在していて、不気味そのものだった。
その手の痕は全くもって階段に向かって這って行こうとするものではなかった。
地下があるのを分かってて、この上に邸宅を建てたのか、それとも何らかの実験を邸宅がしていたのか。
ここでは小さい頃の記憶しかないので考えても分からないことだらけだった。
さらに奥へと進む。
やがて突き当たりに差し掛かり、そこは来た道より広く、何かの宝石だろうか? ぼんやりと琥珀色に輝いている。
その中央に何やら腰丈くらいの石碑があり、月が喉から手が出る程欲しがっていた物も存在していた。
「クロイスの書……灯台もと暗しとはこのこと」
これまでの頑張りは何だったのか、と言わんばかりに小さく溜め息をつく。
月が初めて見たあの時から十数年の月日が経っていても尚、クロイスの書は新品同様綺麗な輝きを放っている。
何の躊躇もなくその本を手に取った。
持った手からこの本が生きているのではないかと錯覚させるほどのじんわりと暖かな温もりが伝わる。
それと同時に通路からミシミシ、ベキベキと言う音が響き渡った。
何かと思い、たいまつの灯りを通路に向ける。
すると、そこに居たのは沢山の骸骨たちだった。
通路も階段も使用人の部屋も骸骨がいっぱいになっている。
一体一体は大したことは無いが、全て相手にするとなると文字通り骨が折れる。
「勿体ないけど──」
まだ残っている手榴弾を投げようと、腰に手を掛けるがここでこんな物を使ってしまったら骨は粉々になり、粉塵爆発を起こす危険性をゆうに持っていた。
そうなれば母との思い出が詰まった旧荻野邸は木っ端微塵、それだけでなくクロイスの書もボロボロになり使えなくなってしまう。
流石にそれだけは避けたい。
「一体一体仕留めるしかない」
覚悟を決め、ありとあらゆる関節技やチョップを決めて骸骨を処理し始めた。
そうして全て処理していると完全に日は落ち、疲れきった月は山の夜道を一人で歩いていた。
「疲れた……」
流石の不死身でも疲れるようだ。
気怠そうな足取りで山を出ると今日の目的であるカエデとあかりに出会い、少しだけ会話をした後に彼女は自分でも気付かないほどほんの少しだけ口角が上がり、満足した表情で家に帰るのであった。
──彼女の願いは時期に叶う。




