ーエピローグー
リビングに向かうと朝ご飯を用意していたあかりと、ソファでぐったりと疲弊しきっている月先輩、それとは対象的にニコニコしながら周りに花びらを撒き散らかしているようなオーラを出して月先輩を見つめている陽先輩が居た。
「お兄ちゃんやっと起き……みさとちゃん!?」
足音が聞こえたのか、あかりはこちらを振り向くと手に持っていたお茶碗をその場に落として美里に駆け寄り抱きついていた。
お茶碗は床ギリギリの所で陽先輩がキャッチをしている。
「ふへへ、おはよう。あかりちゃん」
「みさとちゃん、みさとちゃんみさとちゃんみさとちゃん──」
どうしたらいいのか分からない美里は抱きしめられ身動きが取れないまま頬を赤らめて恥ずかしそうにしていた。
あかりは何度も美里の名前を叫び大粒の涙を流している。
それだけであかりは美里のことが大好きなんだと誰が見ても分かるだろう。
美里が眠ってしまったせいで何日かは料理もろくに作れないほどだったしな。
「おかえりなさい?」
「ただいまです。月先輩、陽先輩、ご迷惑をお掛けしました」
疲れているのか月先輩はソファに座ったまま美里を見つめて訊ねるように喋っているが平常運転だ。
美里は笑顔で二人に戻ってきたことを伝えると陽先輩が自分の手を叩いた後に喋り始める。
「積もる話もあるかもしれませんがご飯にしましょうか。食べ終わったら美里さんは私と……いえ、カエデくんとあかりさんとで一緒に病院へ向かってください。美里さんの身体に異常がないか検査をしますので。タクシーは私が用意しますね」
あかりは未だに美里から離れようはしないので陽先輩が代わりに朝ご飯の用意をしてくれていた。
本来ならば俺も手伝うのが陽先輩ルートに繋がるイベントになるかもしれないが今日の俺は無理だ。
「今日は疲れたし学校サボれるならそれで」
「本当ならお兄ちゃんを叱るところなんだけど……そのことについてタクシーの中で詳しく聞くからね?」
「あはは、重ね重ねご迷惑をお掛け致しました」
苦笑いをしてから生まれて初めてかもしれないほど美里はとても申し訳ないと思っているのか頭をぺこりと下げた。
あの美里がだぞ?
朝は正拳突きで俺を目覚めさせるより永遠に目覚めなくさせようとしていたり、あんだけ苦しめる料理を作っておきながらも自分は一切食べないで俺に全部押し付けるそんな美里がしおらしくしているので俺は弄ることにした。
「ぷぷぷ、あかりさん見ましたか? あの美里さんが我々に向かってこうべを垂れましたわよ」
俺は自分の口を手で隠しながら笑い、あかりに訊ねる。
気分は三十歳にもなっているのに未だに結婚が出来ていない悪役令嬢だ。
そのせいで性格が歪んでしまったのか、元々歪んでるから結婚が出来ていないかはご想像にお任せする。
「お、お兄ちゃん何そのキャラ。確かに私の知る限りじゃ初めての行動なんだけどさ、お兄ちゃんのキモが濃すぎてどっからツッコミを入れたらいいのか分からないよ?」
もちろん、あかりも乗ってきてくれると俺は圧倒的信頼をしていたのだがあかりは冷めた目で俺を見つめ、ドン引きをしてからどうしたらいいのか少々手をこまねいていた。
「あかりさんが冷めた目になってしまったようにご飯も冷めてしまいますよ」
上手いことを言ったと思ったのかドヤ顔の陽先輩が俺たちに早くご飯を食べろと促している。
ここ何日間か出番があまりなかったからか嬉しそうだ。
そうして俺たち三人はご飯を食べて荻野姉妹の父さんが経営している病院に向かうことにした。
家を出ると目の前にはタクシーが止まっている。
「それでは私たちは美里さんが目を覚ましたことと今日は検査をするので付き添いであるカエデくんとあかりさんは公欠扱いにすることを学園に伝えてきますね」
「あかりの方も大丈夫なんですか?」
「問題ない。問題があるとすれば私が今から陽と二人で学校に向かうということだけ……」
月先輩は心底憂鬱そうにぽつりと呟いていた。
俺と美里を助けるためにわざわざ美里の夢の世界へ足を運んで罠をしかけてくれたのに現実世界では姉である陽先輩にイタズラをされて最悪な目覚め方をする。
想像しただけでもとてつもなく可哀想になってきた、今度何か甘い物でも奢ってあげよう。
「それじゃまた。月先輩、ありがとうございました。先輩が居なかったら今頃どうなっていたことか」
「そう思うなら一緒に登校して欲しいけど次にこんな状況があったらよろしく」
そう言うと月先輩は足早に学校を目指した。
それを追うように陽先輩も早足になる。
どうして足早なのか語らずとも分かるだろう。
「俺たちも行くか。聞きたいことが山ほどあるしな」
「あはは、お手柔らかにお願いします……」
タクシーに乗って病院を目指す。
前には誰も乗りたくなかったようで俺が真ん中、左はあかり、右は美里が座っている。
運転手に何も言わずとも俺たちが乗ったのを確認すると車を動かし始めた。
「お兄ちゃん、みさとちゃんに何を聞こうとしてたの?」
「美里だけじゃないぞ、あかりにも聞いておきたいんだ。美里の妹の美来についてな」
右に居る美里を見るとあかりに向かって手を合わせて謝るジェスチャーをしていた。
俺には美来のことは秘密だったのだろう。
「どうして……お兄ちゃんが、みきちゃんを知ってるの? た、確か先輩は大丈夫だ、って言ってくれてたのに……」
あかりは動揺し始め、小声で「先輩」と言うワードを口にしていたような気がする。
それを聞いて俺は一つの仮説が立てられる。
荻野姉妹とは中学で何かしらの知り合いであり、美来と美里が事故に遭い悲しむ俺の姿を見せたくなかったからか記憶を消したのだろう。
だから月先輩は俺と端島で出会った時に俺のことを色々知っていたと考えると合点がいく。
「そのことについては私の方から話そうかな」
仮説だが色々と思考をめぐらせていると美里の声が聞こえ、夢の中で起こったことを淡々に話し始めた。
夢の中に事故で死んだはずの美里の妹である美来が人ならざる姿で居たこと、それに追い掛けられて大変だったこと、月先輩が助けに来てくれたが罠を仕掛けただけで現実世界の陽先輩にイタズラをされて消えていったこと……その後のことも。
奇妙な話だったがタクシーの運転手は気にする様子もなく、目的地に向かって運転をしているだけだ。
もとより、俺たちに微塵も興味なんてなさそうに感じる。
「そうだったんだね……ちなみにだけど、お兄ちゃんはみきちゃんのこと覚えてないんだよね?」
「ああ、一昨日くらいに昔の記憶で遠足行く前の夢でさ「四人で食べよう」みたいな話をしてたのを思い出してさ。四人って誰のことか分からなくて、その当時は健と仲が良かったか? と考えると違う気がして鎌かけてみたら美里がボロを出してな」
あかりが恐る恐る俺に訊ねると俺は嘘偽りなくあかりに伝えた。
今思えば健も小学校からの付き合いだったような気もしなくもないが低学年から一緒に居たかは定かではない。
ただの腐れ縁だし昔から遊んではいたがハッキリ言ってそんなに仲がいいと自信満々には絶対言えない。
ましてや、あかりと美里は健のことをよく思ってないから一緒にご飯を食べたいとも思わんだろうしな。
「みきちゃんがお兄ちゃんに助けてもらいたくてサインを出していたのかもね」
「そんなに俺と美来は仲が良かったのか?」
「んー、私からお兄ちゃんに教えていいのかな」
あかりは美里を見つめると美里はこくりと小さく頷いた。
「そっか……みきちゃんとお兄ちゃんはね、恋人同士だったんだよ」
「俺……彼女居たのか──」
年齢=彼女いない歴だと思っていたが、そうか俺は彼女が居たことがあったんだな。
心臓を掴まれるような驚きではなく、じんわりとまるでお漏らしをしているような驚きの感覚だった。
「美来とは一年くらい付き合ってたのかな? 私があの時、二人にプレゼントをしようと思ってなければあんなことにはならなかったと思う。本当にごめんなさい……ごめんなさい……」
事故にあった状況がフラッシュバックしたのか美里は自分の手で顔を抑えながら涙を流していた。
「謝られても美来が彼女だったっていう実感がイマイチ湧いてこないし姉である美里の方が辛かっただろ。もう謝るな。でもそのせいで俺はアニメを毎日狂ってるように見るオタクになってしまったのか」
どうして俺はこんなにアニメを見て感情豊かになっているのかという長年の疑問は解消された訳だ。
「あ、それは違うよお兄ちゃん。みきちゃんと一緒にアニメを見てたりしてたからね。どちらかと言うとみきちゃんの方がアニメ好きだったかもね」
どうやら違ったようだ。
あかりは首を左右に振りながら否定し、アニメ好き度でも美来に負けていたらしい。
「ふ、ふーん」
美来の影響でアニメ好きになったのか、好きになった美来と同じ話がしたかったからアニメを見まくっていたのか。
気にはなるがあえてここは聞かないでおこう。
どっちも違っててただのアニメ好きだったら恥ずかしいからな!
「だからお兄ちゃんに助けてもらってみきちゃんは嬉しかったんじゃないかな」
「私に殺されるよりはずっと良かったと思う。そう言えば、美来は最後に何を言っていたの?」
二人は似てるようで少し違うリアクションをとる。
こればっかりは本人に聞かないと分からないが、結果的に一生消えない後悔を美里に背負わせることがなかったので良しとしよう。
「お姉ちゃんをよろしく、だとよ。最初はあんな姿だったけど夢にまで出るほど美里のことを好きだったんじゃないのか?」
「そ、それはどうなのかな……」
美里は歯切れの悪い受け答えをする。
肉塊の姿で美里の夢にずっと居座って呪いを掛けていたのなら美里は美来のことをよく思っていないのかもしれない、それが例え姉妹だったとしても。
だが美来は望んであの姿になって呪いを掛けていた訳ではなさそうだ。
「みきちゃんが夢に出てくるってことは何か理由があったんじゃないのかな?」
「う、うん。そうだよね。美来はそんなことをする子じゃないって分かってるし」
美里は何度も頷き、まるで自分に言い聞かせているようだった。
「俺は何も分かんないんだよなー。記憶って戻せたりしないかなー?」
「それは多分不可能なんじゃないかな」
チラッと、美里を見ると頬に手を当て首を傾げながら答える。
予想は出来ていたが改めて他人に言われるとショックだ。
「薄々気付いてたぜ……元カノの記憶だけなくなるなんて変なレッテルを貼られるなら難聴主人公の方が何倍もマシだったかもな。でもそれだけ俺にとって辛い出来事だったんだろ?」
二人が俺の記憶を抹消したってことは美来の死を受け入れられずに相当参っていたに違いない。
もし、そんな記憶が戻ってしまったら今の俺は何をするか皆目見当もつかない。
「ま、まぁそうだね。お兄ちゃんは知らない方が幸せだと思うよ」
「我が妹の言っていることだ、多少は知りたかったりするけどそういうことにしておきますか」
あまりの理解の良さに少々驚いていたのか少し間をあけて、あかりは頷く。
俺はこれ以上何があったのか聞かないと心に決めると狙ったかのように車は停止してドアが自動で開いた。
目的地である病院に着いたようだ。
病院に着くと看護師がやってきて美里は車椅子に乗せられドナドナされていった。
特に用事もない俺とあかりは待合室でテレビを見たり待合室に置かれていた飴を常識の範囲まで口の中に入れて食べては時間を潰していた。
二時間ほどで検査が終わり俺たちは各々家へと帰宅する。
検査の結果はすぐに出されて体重は少し減っていたものの身体の異常は見られないそうだ。
それからは先輩たちと一緒に俺の家で美里の快気祝いをした。
もちろん事前に陽先輩と言っていた「美里ちゃん、おかえり」とデカデカな横断幕も事前に陽先輩が用意をしていた。
恥ずかしがりながらも美里はどんちゃん騒ぎをして、俺たち天文部は更に親睦を深めていった。
「あ、健を呼ぶの忘れてたな」
気付いたのはお開きになる少し前だ。
そもそもアイツは天文部に無理矢理入部させられているのも知らないし、呼ばなくて正解だったかもな。




