夢の中へ
暗い、黒い、まるで暗黒のような場所だ。
俺は起きているのか寝ているのかさっぱり分からない中途半端な状態。
まるで底なし沼にでも横たわっているような、キリストのように磔をされているような、そんな感覚だ。
呼吸もしづらく、意識していないとそのまま気を失ってしまいそうになる。
「何処なんだ、ここは?」
必死にもがき、自由を求めるが俺の身体は金縛りでもあったかのように動くことが出来ない。
「カエデ、来たんだ……」
目の前にフェードインしたように現れたのは何処か悲しそうな表情をした美里だった。
彼女の服装は昨日見たワンピース姿ではなく、高校の制服を着ている。
俺はさっきまで月先輩としていたやり取りを全てを思い出す。
これは夢だ、月先輩が俺を気絶させて無理矢理夢の中へと連れていった。
その際に俺は美里のことを思っていた。
なのでここは俺の夢の中ではなく、美里の夢の中だろう。
「美里、一緒に帰ろう。お前はここに居るべきではない」
「私は酷いことをしたんだよ? 人の欲望を弄んで──」
「それは済んだことだろ!?」
俺は美里の言葉を遮って怒鳴りつけた。
「どうして……どうしてカエデはそうやっていつも私のことを心配してくれるのかな……」
美里は涙を流し、その涙を自分の手で拭っている。
嬉し泣きだろうか、悲しくて泣いているのだろうか、それとも嘘泣きなのか。
俺はよく分からない、だが分からくていい。
「ここから出てじっくり話そう」
俺は言うことの聞かない重い体を無理矢理動かす。
ゆっくり、ゆっくりと美里の元に近付いて俺は美里の頬に垂れた涙を俺の手で拭った。
「それに散々迷惑掛けておいて、はいさようならとはいかないだろ?」
「カエデ……」
真っ黒な暗黒な世界はまるで吸い込まれるかのように消えていき昨日居た駅前の風景に変わった。
これで目を覚ませば晴れて美里は昏睡状態から回復される。
陽先輩に伝えて解決策を探らずとも簡単に解決しそうだ。
「ウ゛ウ゛ゥゥゥウウウウ──」
そう安堵を浮かべていると、低い呻き声にも似た重低音が辺りを響かせる。
それは地獄から這い上がろうとする死者のような声で俺は聞いただけで身の危険を感じとった。
百メートルくらい先に人の皮を全て捲ってしまったかのように赤い人のようなものが四つん這いになっている。
一言で表すならば肉塊だ。
「な、何だあれは……」
存在に気付きうめき声のした方向を見た俺は驚愕する。
「私の一部……って言った方が正しいのかな。ある時を境に私の夢に現れるようになったんだよね」
バツが悪そうに下を俯きながら美里が答える。
あれが美里の一部だと?
言葉を疑い二度見をする。
とてもだが美里には似ても似つかない。
だが美里も嘘をついているようにも思えない。
「あれをどうにかしないとここから出れないって訳か?」
「うん、でもどうにも出来ないよ。私は一生ここから出れないし目覚めない。これは私が選んだ罰なんだよ。だからお願い、カエデ。私のことはもう忘れて」
あの手紙の縦読みはそういうことだったのかよ。
美里のことは忘れて楽しく生活しろってことか?
「そんなの出来る訳ねぇだろ! 俺はこの先も美里とあかり、月先輩や陽先輩、ついでに健と楽しく馬鹿やって学校生活を過ごしたいんだ。身勝手なこと言ってるんじゃねぇ!」
きっと俺の方が身勝手なことを言っているのは重々承知している。
だが美里も身勝手なことをしているのだ。
何が一生ここから出れない目覚めないだ?
悲劇のヒロインを演じるのならばシンデレラのように毎日嫌がらせを受けられていてボロボロの服でも着てろよ。
今の俺は相当怒っているのかもな。
「早く逃げるぞ!」
俺は美里の右腕を無理矢理掴んで走り出す。
前の夢の中でも立ち寄った洋服屋は他の店と繋がっているので先ずは近くにあった階段を駆け上がる。
俺たちは逃げたのにも関わらず肉塊は四つん這いになったまま動こうとしない。
「何だ、これなら普通に──」
後ろを向いてから前に向き直した瞬間だった。
赤い人のようなものは俺たちの目の前に存在している。
複数体居るのかと思い、後ろを振り向いたがそこには居なかった。
どうやらワープをして来たか、目にも止まらぬ速さで追いついてきたようだ。
「だから言ったでしょ。私はここから出れないんだって」
「諦めんなよ! ここはお前の夢の中なんだろ? なら足掻いて見せろよ。瞬間移動とかミサイルとか出せないのか!?」
生憎俺には何も出来ない。
だが美里は違う、これは美里の夢なのだ。
本人の夢ならば何だって可能にさせる、そんな力が備わっていてもおかしくない。
って何かのアニメで言っていた気がする。
「ええっ!? きゅ、急に言われてもそんな」
必死に美里へ訴えかけるがどうしたら良いのか困っている様子だ。
「良いから移動だ! このままじゃ俺たちは殺されてしまう!」
煮え切らない美里の肩を揺さぶって訴えかける。
殺されてしまったら夢の中とはいえどうなるか皆目見当もつかない、最悪俺は美里のように目覚めない身体になるかもしれないのだ。
しかも、ここは他人の夢の中、俺は夢すら見ることも叶わずに一生眠ってしまうかもしれない。
そんなのは絶対に嫌だ、せめて美少女に囲まれていい夢を見ていたい。
俺のしょうもない願いが揺さぶりを強めて美里は決心が着いたのか。
「も、もう、しょうがないなぁ。ダメでも文句言わないでよね……えいっ!」
一瞬、呼吸が困難になった。
まるで鼻や口を空気という蓋で閉めてしまったようなそんな感覚だ。
「ここは……学校か? 美里はそんなに学校が好きだったんだな」
移動した先は俺たちが通う高校の教室だった。
律儀にも俺の服装は制服になり、靴も上履きに変わっている。
「制服着てたし駅前からも距離が離れてるし、逃げるならここかなって思ったんだけど、カエデだけを駅前に置いてこようかな」
ムスッとした表情を浮かべて俺を睨む。
「やめてくれよ……俺が殺されたらどうなるか分からないんだからな」
「カエデを生かすも殺すも私の匙加減で決まるんだね」
「ニコニコするな! 全く、さっきまでの美里と今の美里を合わせてやりたいくらいだぜ……」
さっきの表情とは打って変わって今は俺をいじって楽しんでいる。
痩せ我慢にも見える行動だがなよなよしている美里より断然いい。
「それであれから逃げ続ければいいのか? それとも何かの装置を五つほど起動させてから脱出ゲートに向かうのか?」
俺たちは何となく自分の席に座って会話をする。
本当は今日も学校に行かないといけなかったのだが確実に遅刻だろう。
夢の中の学校だが出席扱いにしてくれないものかね。
「あはは、カエデは相変わらずカエデだねぇ。何を言ってるのかさっぱり分からないよ。多分だけど逃げても時間稼ぎにしかならないと思う……私は戦うしかないと思ってる」
美里は肉塊と戦う意思を見せていた。
おぞましい存在の肉塊を倒せるのか疑問に駆られるが殺らなければ殺られる、俺はそう思って気合を入れる。
「あれは美里の一部だって言ってたけど何なんだ?」
「私にも分からないんだよね。でもあれは私の一部なんだな、ってすぐに理解出来たの。少し前までは私が優勢で抑え込めていたんだけど……連鎖強盗の時に力を使い過ぎちゃったみたい」
美里は苦笑いをしながら説明をしてくれる。
何か分からないけれど自分の一部だと理解は出来た……昔に見たことがあったのか、それとも肉塊が美里の一部だと洗脳しているのかもしれない。
「とりあえずは隠れてた方がいいんだろうな。こんな時に先輩たちと連絡取れれば良かったんだけどな。月先輩に手刀で気絶させられて気付いたらここに居たんだぜ? しっかり説明してからにして欲しかったものだ」
肉塊を見つけても今は何も対処が出来ない。
それなら確実に倒せるよう隙を見せた時に狙うしかない。
「カエデに色々言っても無駄だと思ったんじゃないのかな? 懸命な判断だよ」
「うぐぐ……合ってるのが悔しいぜ」
幼馴染である美里にそう言われるとそう思ってくるのが悲しい。
「来た──」
美里が無声音で俺に教える。
肉塊が美里の一部ならばここに来ることも計算のうちだったか?
廊下ではカタン、カタンとヒールを履いて歩いているような音が響き渡っていた。
「どうしたらいいんだ」
「やり過ごすしかないかもね。こっちにきて」
美里は教壇へと手招きする。
どうやら中に隠れるようだ。
流石に高校生二人が入るには狭過ぎたがこれで見つかって死ぬよりはマシだ。
呼吸を殺して俺たちは密接になる。
それでも美里の顔が近く、甘く懐かしい香りが鼻をくすぐった。
理解すると急激に俺の心臓は鼓動を速める。
早く……早くしてくれ……。
俺は肉塊が遠ざかるのを切に願った。
カタン、カタンという音は段々と遠くなっていく。
どうやらやり過ごせたようだ。
「ぷはぁ〜死ぬかと思った」
俺はすぐに教壇から出て深呼吸をする。
だが美里は動こうとしない。
「どうしたんだ?」
間抜けな声で俺は美里に訊ねる。
まさか俺と密接して恥ずかしくて腰が抜けてしまったのだろうか。
「カエデ! う、後ろっ!?」
美里は左手で自分の口を抑え右手の人差し指を俺の後ろを差した。
俺は美里が指を差した方向を向くと、赤いそれはニッコリと微笑む。
目も口も真っ黒で点と線があるだけでこれはシミュラクラ現象なんだと思い込みたくなる。
右手には鎌を持ち振りかざす動作をする。
俺は咄嗟に兎のように四足で飛びそのまま回転をした。
その直後背中には風圧と重低音が漂ってくる。
どうやら教壇を破壊したようだ。
「美里!?」
中には美里が居た。
心配になる俺だが勢いよく俺の手を引っ張る者がいた。
「大丈夫、逃げるよ!」
美里は教壇から抜け出せていたようで今度は自分から逃げると言い出した。
その一言でまだ一生眠る訳にはいかない、またみんなと騒ぎたいという思いが伝わったような気がした。




