入校祭
そもそも、フリーエンとは何なのか。この疑問に対しての完璧な回答はまだ見つかっていない。
フリーエンの起源とは?
フリーエンで作られた氷の壁「デルタ」はいつ誰が、何のために作ったのか?
なぜ、フリーエンを使える人間と使えない人間がいるのか?
フリーエンへの謎は日に日に深まるばかりである。
それでも、あえて言葉にするならば、フリーエンは世界の土台という表現が一番近い。
時に、それは兵器として争いを生み、
時に、それは作物や土などの自然に恵みをあたえ、
時に、それは文明を発展させる鍵となる。
この世界で、フリーエンは万物の根幹的存在に位置している。
またどんな原理で、フリーエンを使えない子供が生まれるかも未解明な部分が多く、現状では遺伝障害の一種として扱われている。ただ一つ、この症状は規則性を持たず、偶発的に発生することが分かっており、「予測不可能、治療不可の不治の病」として恐れられることも多い。しかし、生命活動に支障が出ることは無く、そういった子供は大抵、農業職や軍職のようなフリーエンの能力が求められる仕事ではなく、フリーエンの能力を理論側で支える技術職や学術職であったり、フリーエンを使わない職業に就き、障害と共存しながら生きている。
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「まもなく、オーガス王立公園前に到着でっせ。人混みに気をつけてくださいな。」
家を出て馬車に揺られること約数十分、ついに目的地「アーガス王立公園」に到着した。普段見る落ちのどかな景色とは対極的に、祭りで活気づいた街並みが視界に広がる。
「久しぶりの馬車移動は疲れるわね。腰が痛いわ。」
「腰が痛いのは別の理由でしょ。年とか。」
「なんですって?」
今年で12歳になるリグルカは、寮生活や学業に完全に慣れ、小生意気な口を叩くようになっていた。こういう口達者なところは母親の血が流れている証であり、最近は2人揃うと互いに口が止まらなくなる。現に今も口論がヒートアップしている。
すると、それに見かねたラクサスが二人を制止するように言葉を被せた。
「さて、式典まで時間もあることだしどうする?」
「んーそうね、あんまり屋台に寄り道しすぎて、はぐれても困るしこのまま会場に向かいましょう。」
「あ、言い忘れてた。私、リンネ達と屋台まわる約束あるから、3人でまわってね。
じゃあそういうことだから、バイバイー。」
「え、そうなの?あ、ちょっと待ちなさいルカ!」
「式典が終わるころには馬車停に戻ってくるから!」
馬車を降りた途端、唐突に友達との約束を打ち明け、リグルカは母の返事も聞かないうちに走りだした。彼女は自身の高い運動神経を存分に生かし、人混みをすり抜けるように消えていく。
「もう!先にそういうことは先に言っておきなさいよ。リトはお姉ちゃんのああいうところは見習っちゃだめよ。」
「まあまあ、あれぐらい許してやれ。」
「最近家に帰るといつもあんな調子なのよー。あれが反抗期ってものなのかしら?」
普段中々見ることができないリグルカの成長を目の当たりにし、娘の態度にある程度の理解を示しつつも、内心は見えないところで大人になっていく娘に、淡い寂しさと大きな不安を感じるエルティアであった。
リグルカが走っていったのもつかの間、今度は帝国軍の伝令小隊が3人の前に現れ、無慈悲な伝令を告げる。
「ラクサス大尉!伝令をお伝えします!本日、10:30に開かれる緊急会議への招集命令がかかりました!」
「了解。直ぐに向かうと伝えろ。」
「はっ!」
「ちょっとまさかあなたまで?今日は暇って言ってたじゃない。」
「そのまさかだ。緊急会議だから抜ける訳にはいかない。すまんな、リト。」
「い、いえ! お仕事頑張ってください。」
「ああ。じゃあ気を付けてな。今日も多分帰れないから夕食は必要ない。」
軍から緊急招集がかかったらしく、ラクサスは2人に別れを告げる。これは夫が軍人である家庭でよく見られるやり取りだ。実際エルティアも呆れつつも、いつものことかと割り切って、しぶしぶ了承する。基本的にこの国では、家族全員が集まる機会は入学祭や建国祭など、特別な日しか無いという家庭も多い。だからこそ今日のような祝日は家族連れが増える。
「結局いつも通り2人だけね。うふふ、大丈夫よリト、今度あの2人にママが仕返ししてあげるから。」
お母さんは、満面の笑みでそう語りかけたが、額には血筋が浮き出て、目も全く笑っておらず、僕はまあまあと苦笑して母の怒りをなだめた。正直言うと、今朝からずっと父さんと姉さんとの距離感が掴めず、家族全員での行動に気まずさを感じていたので、いつも通り二人がいないことに安堵している自分がいた。
父さんを見送ってから、僕たちも園内に入り会場まで歩き始める。気の強そうな子、眠そうにしている子、大笑いしてる子、色んな子達がいる。周りを観察しながら、どんな子なら仲良くなれるだろうと頭を悩ましていると、お母さんが急に話しかけてきた。
「いい?リト。今日はリトが、これから長い時間を一緒に過ごす子達との初めての
顔合わせよ。リトも緊張してると思うけど、それはみんな一緒。少し勇気を出して声をかけてみるだけで、直ぐ仲良くなれるわ。最初の一歩が大事よ、頑張って!」
どうやら、何に緊張しているか見抜かれていたらしい。お母さんのアドバイスで僕の気持ちも少し楽になる。
「うん、頑張る!じゃあいってきます。」
「いってらっしゃい!ママはそこの観覧席か、馬車停か、案内所のどれかには居ると思うから、何かあったらそこを探して。それと帰りは節約のために3人徒歩で、馬車停のあたりで集合してから帰りましょ。」
「え。歩き?」
「そうよ。」
――― 歩きか。
今日の帰りは地獄だという事実から現実逃避しつつ、入学者指定席に足を踏み入れた。手に持っている番号表を頼りに自分の席を探す。
「あそこかの端か。」
自分の席を発見し歩いていくと、僕の席の隣にすでに人影があることに気づいた。これはさっそく友達を作るチャンスかもしれない。僕は、歩きながら脳内で会話のシミュレーションを始め、戦いに備える。
ああでもないこうでもないと、呟いているうちに席に到着し、僕の戦いが始まった。
「あの!初めまして!僕リト・アルスターって言います。本日はご、ご入学おめでとうございます!」
――― あ、失敗した。
あまりの緊張に、声が上ずり意味不明なことを口走ってしまった。そして何より顔も見ずに俯いて挨拶してしまったので、相手の顔も様子も分からない。間違いなく、第一印象は「ヤバい奴」という評価が下されるだろう。しかし、失敗を後悔していてもしょうがないので、直ぐに顔を上げ、相手を確認する。するとそこには僕より少し背の高い少女が、驚いた顔でこちらを向いて座っていた。琥珀色の眼、淡い赤色の短髪、右手の小指には無装飾の銀の指輪をはめ、中性的な顔立ちが印象的だった。
彼女と眼が合って数秒後、彼女の口が開く。
「君も入学生なんですよね。なんで君が入学を祝ってるんですか?」
「あ、いやごめんなさい。言い間違えました。」
「なんで謝るんですか?」
「ごめんなさい。」
「随分変な人ですね。私の名前はケファ・ユグレットです。」
「ど、どうも。」
てっきり無視されるか、あしらわれるかのどちらかだと想像していたので、彼女の切り返しに呆気にとられてしまった。彼女は淡白に最低限の一言を伝え、もう話すことは無いと言わんばかりに、真っすぐ前を向き、感情が消えたように無表情になる。誰の顔にも笑顔が訪れる祝いの日に、たった一人静かに佇む少女の存在は少し浮いていた。
――― 何を考えてるんですか?
彼女への純粋な疑問から、そう問おうと口を開いた瞬間、
「っ!」
――― パァーン!
僕の声が喉を通り空気に触れることは無く、代わりに式典の始まりを告げる空砲の音が、アーガスの大地に響いた。