久しぶりの朝
「起きてきなさいーー。リトーーーー!!」
隣のベスおじさんのラッパの音で目を覚まし、いつもと変わらない薄暗い窓の外をぼうっと眺めていると1階から、僕の起床を催促する声が聞こえてきた。昨夜見た悪夢でびっしょりになってしまった背中を軽く拭き、直ぐにリビングへと降りて行った。
「おはよう~、お母さん」
「おはよう、父さん、リグルカ姉さん」
「おそいよ、今日でしょー、育成学校の入校祭。お友達たくさん作るチャンスなんだから気合いれなさい。」
今日は彼の住む帝政国家アストニアの年に一度の入校祭の日。この育成学校とは、帝国中に点在する55個の寮制学校を指しており、9歳から15歳までの間、帝国中の子供達をいずれかに在学させ、「誇り高きアストニア帝国の礎となる軍人や技術者、学者、農民などの育成」を教育方針としている。といっても大陸大戦以前の、複数の国が乱立し統合されていなかった時代には無かったものであり、実施されてから日の浅い新教育制度でもある。
そして彼、リト・アルスターは本日からアストニア第六育成校に入学する。入学校の振り分け方は単純に住んでいる地域を基準にしており、彼の住むアーガス地方は、第六育成校の管轄になっている。
「いただきます。」
「母さん、これちょっと焦げてないか?」
「ごめんごめん、焼きすぎちゃった?」
「ママー、シャツどこにしまったの?見つかんないんだけど―――」
「知らないよーー。ルカがちゃんと整理整頓しないからそうなるんでしょ。」
まだ覚め切っていない眼をこすりながら、ぼそぼそと朝食を取り始める。今日は、アルスター家にとって特別な日、リビングはいつも以上に慌ただしい。母であるエルティアはバタバタと忙しそうに化粧、着替えや料理をこなし、寝癖をつけた姉のリグルカもパンを口に咥えながら、雑に制服に着替えている。その一方で、父であるラクサスは週報紙を片手にコーヒーを飲んでいる。その落ち着いた様子は、一家の大黒柱としての威厳を示しており、すでに身支度を整え誰よりも早く出発の準備を終わらせていた。
「ちょっとお父さん!! それこの子のお茶でしょ。なに飲んでるのよ。」
「ん。すまん、間違えた。」
「大丈夫です。父さん」
「…」
コーヒーとお茶を飲み間違えるという信じられない間違いをしたラクサスを、エルティアが指摘する。常人ならば赤面してしまうような間違いだが、それでもなお平静を保ち、ラクサスは表情一つ変えることなくリトに謝罪する。それに対してリトも、まるで部下が上官に対して業務報告するような面持ちで言葉を返す。それは誰が見ても、親子の会話の様子とは思えないほど窮屈なものだった。
清々しい朝に似合わない、重く暗い空気が少しの間2人を覆う。
「間違えたじゃないですよもう。今日のリトの入校祭、あなたも緊張してるんですか?」
「緊張ではない。」
2人の間に流れる空気を断ち切るように、エルティアが会話に割り込んできた。ラクサスの一番の理解者である妻のエルティアから見ても可笑しい間違いだったので、彼女は茶目っ気のある口調で夫の間違いをからかい、場を和ませる。
「そういえばリト。フリーエンは使えるようになったか?」
「ま……だ、使えないです。」
「そうか。まあ、気に病むことはない。フリーエンが使えなくても軍で活躍している人間はいる。自分に合った方向を模索してみるといい。」
声に抑揚を付けず、諭すように父さんはそう答えた。
そう。僕はフリーエンが使えない。能力的な得手不得手という意味ではなく、根本的にフリーエンを使うことすらできないのだ。珍しいことなのだが、数千人に一人の割合で生まれるらしく、病院でも大して驚かれることは無かった。とはいっても僕自身、物心つく前からフリーエンを自在に操ることに強く憧れていた。だから僕なりに色々な方法を試してみた。本を読み、人に聞き、体を使い、思いつく可能性を何度も何度も試した。しかし、一向に使えるようになる気配はなく、今日の日にいたるまでも、一度も使えていない。
――― なんでだろうな。どうして僕なんだろう。
父さんからの励ましの言葉は、僕を努力ではどうしようもない壁にぶつけた。そして今の僕では、ただその壁に打ちひしがれることしかできなかった。
「は…い」
僕は苦虫を嚙み潰したような顔で、父さんの言葉に小さく頷いた。
普段軍の仕事で忙しい父さんは家に帰ることは少なく、リグルカ姉さんも寮生活を送っているので基本的に家にいない。だからお母さんと二人で過ごす日常が当たり前だった。そんな僕にとって、久しぶりに迎える家族全員での朝は複雑なものだった。
朝食を食べ終えた僕も、二階の部屋に戻り新品の制服に袖を通す。寝癖のついた少し髪を水で整え、歯を磨き、身支度を整える。すぐに準備を終わらせ、家の門の前で待つ3人の所へ急いだ。
「これで戸締り良しと、じゃあいきましょう。ほら手つなごう、リト。」
僕の落ち着かない様子を察して、お母さんはそんな提案をしてきた。
家族全員の準備が完了し、入校祭の会場行きの馬車停に向けて歩きだす。上着を羽織るには少し暖かい今日、新たな出会いを祝うように、木々や花草が風に吹かれ楽しそうに揺れている。僕は募る新生活への不安をかき消すように、お母さんの右手を強く強く握りしめた。
「馬車の時間にちょうど、間に合いそうだな。」
「よかった。それにしてもルカ、久々に家に戻ってきたからやっと言えるけど、あなたの部屋物多すぎよ。帰ったら片付けなさい。」
「ええー、めんどくさい。」
「めんどくさいじゃありません。」
エルティアとリグルカの他愛もない会話が終わらないうちに馬車停に着いた。ここからは馬車停を出発して馬車で移動する。入校祭の会場は、自宅から馬車で30分の距離にあるアーガス王立公園。ここはアーガス地方最大の総面積を誇り、入校祭に限らず、多くの祭典や行事がここで開催され、アーガスの人々にとって聖地のような場所になっている。
入校祭に乗じて活気づく商店街や、のどかな風に揺れる田畑を過ぎ、馬車はゆっくりと歩みを進める。目的地に近づき、周囲の歓声のボリュームも上がる。
馬車に揺られていた僕も、荷台の窓から身を乗り出し、顔を覗かせてみた。すると、そこには会場を彩る豪華絢爛な装飾や陽気な音を響かせる音楽、そして絶え間ない人通りで賑わう光景が広がっていた。気づけば、僕は先程までの緊張感が消えるほどの高揚感を感じ、馬車が止まるまでその光景に釘付けになっていた。