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愚直の輝き

作者: 風吹(かざふ)流人(るにん)

仏教説話を小説にしたい。

そんな思い筆を下ろした作品です。

愚直とは、主人公が気持ちを通わせる一人の仏弟子のことです。

愚直な人間は、現代では好まれません。嘲られ蔑まれ、疎外されます。

しかし、かつて愚直さが光を放った時代があります。そんな良き時代に思いを馳せていただければと思います。

■朝の森


森は闇と靄に沈んでいた。

ドゥスタラは、その中じっと座禅を組んで瞑想をしていた。

やがて、東天から昇った日の光が靄を通して、森の中を黄金色染め始める。

靄を生んでいるのは、地面から立ち上る朝の水蒸気だった。その水蒸気がドゥスタラの鼻腔に強い土と草の匂いを運んできた。

それを、むしろ歓迎するかのように彼は思い切り朝の空気を吸い込んだ。

まるで、朝の精気を体に入れるかのように、ドゥスタラは、うんと腕を空に向かって突き出し、背をそらして大きく伸びをした。


「ドゥスタラよ。」


心を震わせるように低く、そして穏やかな声がした。


「シュリハンドク様。」


「いつもそなたが先だな。」


「いえ、いままでこのように早く休むことがなかったので、朝も人より早く目が覚めますので。」


「どうかな、ここには慣れたかな?」


声の主は、シュリハンドク、仏弟子の中では十指に数えられる人で、歳は40を過ぎていると聞く。

しかし、そう聞いていなければ、まだ20をいくつもでていないとも見えるし、50を過ぎていると言われればそのようにも見える。

実に捉えどころのない相貌をしていた。

しかし、その表情は声と同様で穏やかで、いつも心に染み透るような笑顔を浮かべていた。


この人がかつて、国一番の呆け者と言われた人なのか。

親近するほど、そのような愚鈍な人物だったとは想像もできない。

確かに鋭さはないが、その代わりたいへんな深みと慈しみに満ちた人物だった。


「実のところを申せば、まだ戸惑うことばかりです。ここでは、欲を抑え、怒りを鎮め、妬み嫉みを出さぬよう正しい生き方を教えられ、実践することを求められます。

こう申しては恥じ入るばかりですが、いままで自堕落に生きて参りました。それを急に変えよと言われてもなかなか教えられる通りには参りません。」


「ドゥスタラよ。」


黄金色の朝日の中、シュリハンドクは陽の光にも負けぬ明るい笑顔を顔に浮かべた。


■仏弟子未満


「そなたがここに参ったのは、決して本意ではなかったことはよく存じておる。」


ドゥスタラは一瞬顔に緊張の色を走らせた。


彼は、貴族の出であった。

しかも、王族のかなり高位の一族に連なる者だった。

そして、彼の家は長らく跡継ぎに恵まれず、男子の誕生を待望していた。

そこにやっと生まれた一粒種がドゥスタラであった。

当然、両親のみならず、周りの大人たちは溺愛した。その中自分の強い自我を矯められることもなく、また大人を喜ばす術を狡猾に身につけた彼は自分の狭い世界の王になった。

自然に、自我は走るままとなり、欲の心は暴走し、気に入らぬ者に怒りは噴き上げた。

そして、美しい娘を巡り、同族の子息と諍いの果て、ついに怒りに任せて彼を手にかけてしまった。

それを王が知るところとなり、ドゥスタラは身を拘束された。王はこの狡猾な放蕩者を許す気はなかった。国のためにならぬと、誅殺するつもりであった。

しかし、ドゥスタラの両親は必死に助命の嘆願をした。我らの家財全てを王に献上し、身は奴婢に落ちるとも、何卒我が不肖の息子の命ばかりはお救いください、と。


なれど、罪あるものを許せば国の法が揺らぐ。

ドゥスタラの両親の気持ちも痛いほど分かった王は悩んで、かねてより信奉していた仏陀に悩みを打ち明けた。

仏陀は、こう答えられた。


「ならば、ただちに首を跳ねるが良い。なれど遺骸は私が貰い受け、再び命を与えて仏弟子として生かそう。」


つまり、公には処刑をしたことにして、世間から隠し、仏弟子として第二の人生を送らせようと言う仏陀の申し出だった。

そして、彼はそれまでの名を奪われ、質の悪いことを意味するドゥスタラと言う名前を与えられた。ひとえに、彼が名前を呼ばれる度、それまでの行いを思い出して身を慎むためであった。

名を奪われ、仏陀の元へ送られるドゥスタラに王は厳しく言い渡した。


「命を助けるは、仏陀の大慈悲に接すれば、そなたが更生すると思うからじゃ。

もし、そなたが仏陀を裏切り、また俗世に舞い戻ることあらば、きっと地の果てまで追いかけ必ず誅してくれるから、さよう心得よ。」


それを神妙に受けたドゥスタラは、仏陀の元で仏弟子の真似事を始めた。

しかし、もとより自ら望んで来たところでないので、何事にも身が入らない。すぐに嫌になって投げ出したくなる。

だが、もしそれで放り出されでもしたら、今度こそ本当に死ななければならない。

それで、必死に修行の初歩の初歩の真似事をなんとか続けているのであった。

それでも、ドゥスタラは朝早く起きて、静寂な森の中で座禅を組み瞑想をするのを好んだ。そして、この場所は口うるさい他の仏弟子から離れて一人になれる彼だけの特別な場所だった。

ところが、彼のこのひと時の隠れ家に時折おとずれる人物がいた。

それが、仏陀の十大弟子の一人、シュリハンドクであった。


■久遠劫の正覚


「ドゥスタラよ、そなたがここに参ったのは、決して本意ではなかったことはよく存じておる。」


十大弟子の一人、シュリハンドクがドゥスタラの経緯を仏陀から聞かされていても何ら不思議ではない。

ドゥスタラは、気を取り直して答えを返した。


「はい。おかげで私はこのように生きながらえております。それにはとても感謝しております。しかし、と言って、私には皆さんが求めておられるものが理解できないのです。」


「仏陀のさとりのことを言っているのかな?」


「はい。聞けばさとりには、低いさとりから高いさとりまで52段の位があり、その1段目ですら、一生や二生をかけてもなかな得られぬそうではないですか。

ましてや、最高位の仏陀のさとりに至るまでは、久遠劫と言う無限の時がかかると聞きます。

まるで海の水を貝殻で汲むようなことを、毎日厳しい修行で繰り返しているのが、私には理解できないのです。

そんなことで、一生過ごしてしまって死ぬ時に後悔しないものなのでしょうか。」


「ならば、以前のそなたのように欲や怒りに身を任せる生き方をして、最後それで命を取られても満足すると言うのか?」


「それは・・・違います。」


身に覚えのあるドゥスタラの態度は神妙だった。


「確かに、久遠劫の正覚はまことのことだ。しかし、仏陀の教えとは本来根機を選ぶものではない。現にこの私も今生で高いさとりを得られているではないか。」


木々から漏れる朝の光のベールをまとい、ドゥスタラにはシュリハンドク自身が光り輝いて見えた。


「わ、我が師よ。」


思わず、ドゥスタラはシュリハンドクを師と呼んだ。


「我らは等しく仏弟子だ。師弟の間柄はそぐわしくない。なれど、そなたが知りたいこと、聞きたいことあらば何なりと答えよう。」


■ チリを払わん、アカをのぞかん


「なれば、シュリハンドク様がどのようにして今のような高いさとりに到達されたか、知りとうございます。」


「それも久遠劫で結んだ縁ゆえじゃ。それが今生、良き師、正しき法、そして正しき教導に導かれて結実したものに他ならない。

なれど、今はそなたも等しく仏弟子である。それも久遠の教導に導かれた縁が実を結んで現れた結果に違いない。」


「私がですか・・・。」


「さよう。ならば、私がどのように、良き師仏陀に導かれたか、話をしよう。」


そう、シュリハンドクは遠い目を空に向けて、ポツポツとかの聖者の物語を語り始めた。


・・・


私が仏陀とお遇いしたのは、まだ、二十歳前のことであった。

私は、そのころ国一番の呆けものと言われ家族からも持て余されていた。

なにしろ、自分の名前すら満足に覚えられぬのだ。仕事を言いつけても、何一つまともにできぬ。外へ使いにやれば、いつも帰り方が分からなくなり、家族が探し回る始末であった。

しかし、その自分を母だけが庇ってくれたのだ。「アホウよ」「呆けものよ」と周りは散々罵ったが、母だけは「お前は少し足りないところはあるが、この世で一番心根がきれいだ」と褒めてくれた。

そんな辛い日々を母だけをあかりに生きてきたが、やがて父が死に、母も死んだ。

そして、日ごろひどく私を罵っていた兄が、もう庇うもののいなくなったのを幸いと辻に放り出したのだ。


「お前のようなやつは、もう二度と家に帰ってはならん!どこなりと行くがよい!」


そうしたら、私のような呆けはとても生きてはいけない。もう、死ぬしかないと悲しくて、悲しくて辻に立ち尽くして泣いておった。

泣いても泣いてもとめどなく涙が溢れた。

ついには、身体中の水が全て流れ出て、からからに干からびて死ぬのかと怖くなった。

しかし、涙はどうしても流れるのをやめなかった。

ところが、その私に優しく声をかけるお方があった。


「そなた、何をそのように悲しげに泣くのじゃ?」


その尊いお姿に私は、一瞬言葉が出なくなった。


「よい。ゆっくり息を吸って気持ちを落ち着かせて喋ればよい。」


私は、その慈愛あふれる眼差しに、正直に自分のつらい境遇を打ち明けたのだ。


「実は、私は生来の馬鹿者でございます。あまりにおろかなので、実の兄にも捨てられてしまいました。これからどうしたら良いのかと途方にくれておったのでございます。」


そのお方は実に優しく微笑んで、いままで誰も言ってくれなかった言葉をかけてくださった。


「お前は、自分がおろかだと知っているではないか。世の中のものは、みなおろかでありながら、自分がおろかだとは知らない。それに比べて自分をおろかだと知るお前はもっともさとりに近いのだ。」


私は思わず、手を合わせ、その方を伏し拝んでいた。

それが、私と仏陀との出会いであった。


仏陀は、私を精舎に連れ帰られ、他のお弟子方と同じように仕事をお与えくださった。

そして、一本の箒と塵取りを渡され、一句の聖語をお与えくださった。


「よいか、シュリハンドクよ。そなたに仕事を与えよう。この箒で一心にこの場所を掃くのだ。そして、こう唱えよ。

『チリをはらわん、アカをのぞかん』と。」


■開眼


「シュリハンドクよ。そなたに仕事を与えよう。箒で一心にこの場所を掃くのだ。そして、こう唱えよ。

『チリをはらわん、アカをのぞかん』と。」


与えられたのは、わずか数部屋ほどの狭い場所であった。

しかし、その日からそこが私にとって大切な聖域となった。

その場所を隅から隅まで箒で掃いて、行ったり来たりしながら、教えられた『チリをはらわん、アカをのぞかん』を唱え続けた。


しかし、生来の呆けものの私は、その短い言葉さえ満足に覚えることができなかった。


ある時、箒を抱えてもじもじしている私に仏陀が声をかけてくだされた。


「どうしたのだ、シュリハンドク。」


「申し訳ありません。『チリをはらわん』の後がどうしても思い出せないのです。」


「そうか。」


そして、仏陀は何も仰らずに残りの半句を教えてくださった。


「よいかな。シュリハンドクよ。『チリをはらわん、アカをのぞかん』じゃ。さあ、唱えてみよ。」


「有難うございます。『アカをのぞかん』でした!え・・・。」


「どうしたのか?」


「あ、『アカをのぞかん』の前はどのようなお言葉でしたでしょうか。」


こんな調子であった。

しかし、そんな私に仏陀は根気よく『チリをはらわん、アカをのぞかん』を教え続けてくださった。

それも、何年も何年も、同じやりとりばかり繰り返していたのだ。

しかし、一度だけだが、仏陀が私のことを褒めて下さったことがあった。


「シュリハンドクよ、お前は同じことを何年繰り返しても少しも上達しないが、それに腐らず私の言うことを守ってよく続けている。

それは、他の弟子に見られぬ殊勝なところだ。」


それは私にとって、まことに勿体の無いお言葉であった。

そこで、叶わぬまでも少しでも御心にかなうよう、より気持ちをこめて掃除に励んだ。

狭い場所であったが、『チリをはらわん、アカをのぞかん』を唱えながら、それこそ舐めるように隅から隅まで掃いて回ったのだ。

そうしたところ、いままで見ることができなかったものが見えてきた。

それまで、隅から隅まで掃き清め、チリひとつ無いと思っていたのに、気のつかないところに意外にチリが積もっていたのだ。

そして、こんな声が百雷のように私の耳に聞こえてきた。


「きれいだと思っているところに、こんなにも気がつかないチリや汚れがたまっているではないか。自分のことを愚か者と思っていたが、気づかないところで、どれほどバカで愚かなところがあるか、知れたものでないぞ。」


そして、その時、頭の靄が晴れ、広い世界が私に飛び込んできた。

ついに、大悟が徹底したのだ。


■愚直の輝き


そこまで話して、シュリハンドクは深く息を吸い込んだ。その聖者の立てる低い喉の唸りが、朝の清浄な空気を震わせた。

そして、

ふううと長い息を吐き出した。


「シュリハンドク様、あなたはどれくらい長く仏陀に与えられた聖語を唱えながら掃除三昧で過ごされたのですか?」


「そう、いつの間にか20年が過ぎておった。」


「20年も・・・ひたすら『チリをはらわん、アカをのぞかん』と唱えておられたのですか。」


「呆れたかな。」


「い、いいえ。なんと言うか、恐ろしいまでに愚直なお話です。果たして人間がただひとつ事にそこまで打ち込めるものなのでしょうか。」


「いや、私にはそれしかできなかった。だから、それをひたすら繰り返すしかなかったのだよ。まさに、仏陀は私のことを深く見抜かれて、もっとも相応しい、そして私にしか出来ない行を授けて下さったのだ。」


ドゥスタラは、一呼吸を置いてシュリハンドクに尋ねた。


「私にもできるでしょうか。私は他のお弟子の皆さんと比べてましても、意気地も根気もありません。とても私の進める道でないと気持ちがくじけそうになります。」


「仏意計りがたしじゃ。仏陀のご教導に間違いがあろうか。私がその生き証人だ。

できるできぬより、ただ愚直にやって見なされ。押しても引いてもビクともしない壁も、たゆまぬ精進で崩せるものなのだ。」


「どうか、このような愚鈍なものではありますが、よろしくお導きください。」


「心得た。

さあ、そろそろ朝餉の支度にかかる時刻じゃ。精舎へと参ろうか。」


「はい。」


そうして、二人の仏弟子は、座禅を解き立ち上がると、いまは銀色へと転じたまばゆい朝の光の中に溶け込んでいった。


(おわり)

有名な仏陀の十大弟子シュリハンドクの話を膨らませて小説にしました。

「輝き」のタイトル通り、随所に光の描写があります。少しでも、読まれたみなさんの心に差し込む日の光であればと願います。

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