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ボンベイブラッド

作者: 榎降雪

 亡くなった有銘涼子が人を殺して回っている。

 そんな噂話を若い看護師から聞かされた。涼子が亡くなってからここ数日、立て続けに院内で殺人事件が起こっていることからそのような噂が流れ始めた。

「馬鹿馬鹿しい、そんなのあり得ないってわかるでしょう」

 救命医の池田はそのような感想を述べた。

「だって殺された二人とも首をかき切られて大量に血を流して倒れていたって言うじゃないですか。出血多量で死んだ涼子さんが血を求めて殺したって言われていますよ」

 

 有銘涼子はバイクに撥ねられ、この病院に運ばれてきた。外傷が酷く、多量に出血をしていて運び込まれたころには既に意識を失っていた。すぐさま輸血の準備に取り掛かったが、涼子はいわゆる稀血で適合する血液が病院内には無かった。適合する輸血バッグを取り寄せたが、到着前に涼子は息を引き取った。涼子の死亡確認をしたのはほかならぬ池田であった。


 第一の殺人の被害者は涼子を撥ねたバイクの運転手で、大学生の男だった。派手に転倒し、体のあちこちを骨折し、この病院で治療を受け、そのまま入院していた。

 朝、看護師が病室を訪れたところ、血染めのベッドに喉元を真一文字に切り裂かれた死体が横たわっていた。


 第二の犠牲者は病院に勤務する看護師だった。夜勤の当番だったのだが、席を外してしばらく戻らないでいたのを、同僚が探しに出たところ、第一の事件と同様に殺されていたのが廊下で見つかった。


 殺された二人の間には何の関わりもなかった。殺人鬼でもなければ別々の犯人がいるというのが警察の見解だそうだ。


「その殺人鬼っていうのが有銘涼子なんです」

 看護師はなおも有銘涼子犯人説を支持した。経験が浅いうちからこんな事件の渦中の病院に勤務していて舞い上がっているのだろう。池田はそう考えた。

「わかった、わかった。君も涼子に殺されないよう気を付けてくれたまえ。さあ、仕事に戻って」

 まだ話足りないようだったが、看護師は自分の持ち場へと戻っていった。


 池田は書類仕事に戻った。次から次へと仕事が降ってきて、いつまでたっても終わりが見えなかった。池田は上司にいじめられていた。上司である救命課長はほかにも救命医はいるのにも関わらず池田にばかり雑多な仕事を押し付けてきた。同僚の救命医たちは巻き込まれるのを嫌って、見て見ぬふりをした。自分の何がそんなに気に入らないのか、池田には分らなかった。


 黙々とキーボードの打ち込み作業をしていると、事務員から来客を知らされた。また作業が遅れる。そう思い舌打ちをしながら席を立ち、客を通してあるという小会議室に向かった。

 そこには男が一人、待っていた。男は捜査課の警察官で、三吉と名乗った。


「お忙しいところ、恐縮ですが……」

 型通りの語句を並べた後、三吉は池田が二つの殺人の犯行時刻にどこで何をしていたか尋ねた。

「私も容疑者と言うわけですか」

「いえ、そうではありません。上からの指示でして、ローラー作戦と言うやつです。とにかく病院関係者をしらみつぶしにあたっているという状況です」

「そうですか。ええと、私のアリバイでしたっけ。私は二つの事件の時どちらもたまっていた書類仕事をやっつけていました。何人かの同僚の医師と看護師も見ていると思います。」

 三吉は頷いて二人の被害者について知っていることはないかと尋ねた。池田は首を横に振った。


「何やら気味の悪い噂が流れているようですね、事故で死亡した有銘涼子が足りなかった血を求めて人を殺しているのだとか」

 脈絡もなく、三吉が言い出したので、池田は苦笑した。

「いいんですか、警察官がそんなくだらない噂を気にしていて」

「別に気にしちゃいませんよ。ただの世間話です」

「彼女はボンベイ型と言う稀血だったんだ。百万人に一人の割合で出現するとも言われている。仮に涼子が殺人鬼だとして目当ての血液型を見つけるのに百万人がぶっ殺されちゃいますよ」

「それもそうですね。いや、今の話は忘れてください」

「話は終わりですか? 私も忙しいのでね。人を殺す暇もないくらいに」

 三吉は肩をすくめて池田の退出を促した。

「涼子に憑りつかれないよう、気を付けてくださいね」

 池田の背中に刑事がそう声をかけた。池田は会議室の戸を閉め、「馬鹿らしい」と吐き捨てた。


 池田は自分のデスクに戻り、書類作業を再開した。一枚、また一枚と片付けていった。

「今日も泊りか」

 21時を指している時計と、残っている仕事をメモしたものとを眺めて、呟いた。

 ふと、なんで自分だけこんなに忙しいんだ。そう思った。それこそ殺人が起きて警察に疑われなくても済むほどに机に向かっている。

 ごく短時間でその答えは浮かんでいた。と言うより端から明らかだった。

「あいつのせいだ」

 次から次へと仕事を増やす上司の救命課長。奴さえいなければ、自分の生活は平穏なものだったのに。

「死んでくれればいいのにな」

 この一言は本気で願ったものではなかった。しかし、池田は看護師、それに刑事から立て続けに聞かされた話を思い出した。

「涼子がホントにいるなら、あいつを殺してくれればいいのに」

 池田は恐ろしいほど簡単に、ある狂った考えにたどり着いた。

「涼子が殺すんだ。俺じゃなくて、涼子が。俺が涼子になればいいんだ」

 池田はふらふらと立ち上がり、居室を出た。奴は今夜急患に備え待機しているはずだ。


 池田は一時的に保管されている医療廃棄物の中からメスをくすねた。

 この病院は涼子の事故以来方針が変わり、一定の稀血用輸血バッグを保持することになっていた。池田はそこから涼子が得ることのできなかったボンベイ型の血液を盗み出した。そしてその場でメスを輸血バッグに突き立て流れだした血液を頭からかぶった。

「血をやるよ、涼子。あんたが求めていた血だ」


 池田は救命課長の個室の戸を叩いた。鍵は普通在室時は開けられているので乗り込んでもよかったが、この部屋に入るときはノックをするのが習慣になっていた。中から入室を許可する声が聞こえ、池田は戸を開けた。上司は池田の姿を一目見て、目を剥いた。

「池田君、なんだその恰好は」

「池田? 誰ですそれ? 今の僕は涼子です」

 池田は一歩一歩憎き上司との距離を詰めた。上司も後ずさったがついに窓際まで追い詰めた。

「あんたには死んでもらわなきゃ。心当たりはありますね? 何か言い残すことはありますか?」

 池田は最後に一言上司が謝罪するのを期待した。何を言われようと殺すのは決まっていたが。だが上司の口からは意外な言葉が発せられた。

「池田君、後ろの女性は誰だい? 血だらけの」

 まさか、本当に涼子が? 池田は後ろを振り返った。しかし、涼子の姿を確認する前に血しぶきが視界を遮った。 


 通りかかった看護師の通報で警察が駆け付けた。救命課長はその場で逮捕された。彼は池田の死体のそばにメスを握って立ち尽くしていた。現行犯逮捕だ。それまで大人しいものだったが、手錠をかけようとした際激しく抵抗した。

「俺じゃない、涼子だ。涼子がやったんだ」

 そう喚いていた。


 三吉は運び出されていく池田を冷ややかな目で見送った。彼の手にもまたメスが握られていた。

「池田先生、私は注意したつもりなんですが、あんたも涼子に憑りつかれちまいましたか」

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