09 避難所にて1
09避難所にて
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俺が最初に避難した場所、いや、隔離された場所は母校だった。
と言っても中学校。元母校だ。
マンモス校で、敷地も広かったし、災害時避難場所にも指定されていた。
近隣の住民だけ、というわけにはいかなかった。
非感染者を集めた街から追い出された人達も入ってくる。
必然的に、非感染者に対する陰口が連日聞こえてきた。
非感染者達にしても別にそこまで良い生活をしているわけではないのはSNSで知っていたが、特におばさん連中はこういう話が好きだ。
おっさん連中はそれに政治を絡めて何か言っている。
それはそれでストレス解消になるのかもしれないが、一部本気の連中もちらほらいて怖かった。
毎日の様に新しい人達が入ってくる。
俺は古参で、確か第3陣だったと思う。その後一ヶ月経つ頃には管理員の一人になっていた。
やっと大学生になれると思った矢先に世界がこうなってしまったが、このまま世界が崩壊するというのも考えられない。とりあえず責任者だし、今後就職する時に役立つだろうという打算があった。
インフラは既に切られていたが、避難所には発電機が運び込まれていて、インターネットも通じる。
俺の場合は仕事もあって体を動かしていたから、特に悩む様な時間も無かった。
朝起きて、働いて、ご飯を食べて、ちょっとインターネットを覗いて、眠る。
以前よりずっと健康的な生活をしていた。
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思えば、避難所には子供が少なかった。
その当時は気付かなかったが。
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第何陣だったか覚えていないが、ある日、俺の知り合いが入ってきた。
それで俺の世界は傾き始めた。
俺の中学卒業に合わせて、単身赴任だった父の元へ家族皆で引っ越した。俺、妹、母の3人。
俺は地元から離れて、全く知らない土地の高校に通うことになった。
まぁ、例のごとくイジメられた。
と言ってもテレビや週刊誌の話題に上がるほどの酷いイジメではない。
DQNの機嫌が悪い時にボディーを殴られたりケツを蹴られるとか、クラスで突然やり玉に上がって笑われるとか、女子に酷い扱いを受けるとか。
その程度だ。加担しているのはクラス全員というわけでもないし、俺を殴るDQNを苦い顔で見ているクラスメイトもいた。
別に、汚物をかけられたり、器物破損を食らったり、便器ダイブとか、そういうのは無い。
その微妙さのせいで、いまいち法的に反撃というわけにもいかず俺は黙って受けていた。それにうちの家庭は裕福でもない。法的に戦う体力なんて無いし、これからまた転校や引っ越しで親にお金を使わせるわけにもいかない。
志望大学は県外だった。大学に合格したらバイトしながら一人暮らしをするつもりだったので、とにかく勉強に打ち込んだ。
イジメが酷くなってきたのは2年からなので、だいたい2年間の微妙なイジメに耐え、俺は志望校に合格し、ここから新しい毎日が始まると、そう思っていた。
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