外伝3
50x 外伝3
「だめっぽいね」
私は思わず声を出した。
ショッピングモールは正面のガラスがバリンバリンに割れていた。
割れたガラスには固まった血が大量についている。
映画で言えば、既にショッピングモールのシーンが終わった後だ。しかも思いっきり悲惨なパターンで。
「何か回収するっすか?」
「やめとこ。多分巣になってる」
私達は近くにあったオシャレなカフェに入った。
「雑草とか蔦が成長してるっす。これはこれでいい感じっすね」
ナツリンが嬉しそうに言った。
確かに、そんな外観になっている。
ゾンビの警戒ばかりしていた私とは違う。
いや、ナツリンは多分ゾンビの警戒もしながら気付いたのだろう。
単純な体力では私の方が上だけれど、こういう所では完全に劣っている。
委員長も眼鏡で少し微笑みながらオシャレなカフェを見ていた。
□
「コーヒー豆ってどれぐらい持つもんなんすか?」
「あー、もう無理じゃないかな? 缶の飲料とか、ペットボトル飲料とか無い?」
「缶はあったっす。ペットボトルは多分…… 冷蔵庫の中にあると思うっスけど……」
「うん。やめておこう」
ゾンビが居ないか念入りに確認したオシャレカフェのカウンターで何やかんやと掛け合い、席に着いて、缶から出した飲料をガラスコップに入れて飲んだ。
食べ物の缶詰はまだまだもつけど、缶の飲料は、もう選別しないと飲めない。
ガラスコップは割れてしまうから持ち歩いてない。テーブルの上でキラキラと窓辺の光を反射するガラスコップの姿が宝石の様に感じた。。
お兄ちゃんは嫌いだったけど、私は好きだった。
カフェとかファミレスとかカラオケボックスとかで友達とわいわいやるの。
ナツリンも委員長も同級生だけど、同じ学校に通っていたわけじゃない。避難所で出会った。
同級生だから、避難所内の学校で一緒に勉強した。
お兄ちゃんのメールによれば感染者避難所では学校無かったらしい。
思えば非感染者避難所の学校は、洗脳以外にも、家族と離れるのに慣れさせるためってのもあったんだと思う。
□
ゾンビ騒動は仕組まれていた。
中間層と上の中から下までの裕福層を切り捨てて、ピラミッド構造を作り直す。
社会の機械化と、そしてゾンビという、防衛戦力の価値とそれを操る権力者の威光を過大に評価させる害獣の広がりがこれを可能にした。
地球のパイは限られている。
宇宙開発はもう間に合わない。
資源を有効に活用する。文明を保つために、偉い人達はこの方法をとった。
エグい曲線の角度で鋭く尖ったピラミッド構造。
広い土台で鋭い針の先の点を支える。
画鋲みたいだ。
ゾンビ虫の発見がこれを加速させた。
私には生き残るべき人類の因子があった。
でも多分、実験台になるだけの末路だったんだろうけど。
そうじゃなければ工場だ。
何処ぞの権力者の子供を産まされていただろう。
真っ平ごめんだ。
両親はどちらもその因子が無かった。
私が18歳を過ぎたらなんやかんや理由を付けて引き離されて処分されるだろう。
早いか遅いかだった。
避難所で要職だった両親はそれを知っていたし、知った上で私を送り出してくれた。だからもう、後悔しない。
非感染者避難所はゾンビ虫に感染していない人じゃなくて、そういう因子を持つ人間とその保護者、身内、そして偉い人とその家族で構成されていた。
ゾンビ虫の有無なんて実は関係なかった。
むしろ、一定の人数を国民皆検査の時に感染させた。
知っている人間はごく僅かだというのに、こんなに上手くいっているのがうすら怖い。
どんなB級映画だよホント。
□
「これからどうするっすか?」
ナツリンが言った。
とりあえずショッピングモールに行くという目標は達成された。
「お兄ちゃんなら…… 多分北を目指すと思うけど……」
ゾンビは所詮生物だ。寒い地域では生きられない。
服装に気をつけたり、燃料で暖を取ることができる程の知恵が無ければ無理。
ゾンビ虫は時間を掛けて人間の身体行動をほぼ全てトレースできるようになるらしい。でも知恵は無理だ。野生動物よりは賢くなるらしいけど、その程度。
だから、北に向かえばゾンビが居ない所に辿り着ける。
だけど、
「うーん、北っすか……」
ナツリンは苦い顔。委員長もメガネを曇らせた。
私たちは、北に移動する為の準備中、騒がしい中をこっそり抜け出してきた。
他にも逃げた人はいるけど、ほとんど捕まった。
私は既に『同化』が始まっていたし、ナツリンも委員長も身体能力が高かった。
私達のグループではこの3人だけが逃げ切れた。
捕まった人達も殺されはしないだろうけど、北に運ばれた後どんな扱いをされるのか考えたくない。
北には、支配者層が住む計画になっている。
交渉が上手くいっていたら、ロシアに国連が移されたかもしれなかったそうだ。無理だと思うけどね。
多分もう、防衛線が張られている。
それがどこかは分からないけど、日本ならまず第1に津軽海峡だろう。それ以上北は分からない。
お兄ちゃんなら1人でも普通に青森まで行ってしまいそうで怖い。
「うーん。ゆっくり、ゆっくり北に行こうか。お兄ちゃんが青森まで行ってたら、だいたい事情把握して戻ってくると思うし。そこそこ寒い感じの地域までは行ってみよう」
「琵琶湖! 琵琶湖見たいっす! 琵琶湖のほとりをぽてぽてと歩いてみたいっす!」
ナツリンのドヤ顔を見ると、何かのネタだというのはわかる。
多分お兄ちゃんならわかるだろう。非常にマズイ事だけれど。
「ところで」
ナツリンがバッグから一つの缶詰を取り出し、テーブルに置いた。
さっきカウンターの裏で物色したものを詰めていたバッグだ。
「これ、パイナップルの絵があるっす。てことはパイナップルの缶詰でいいんすよね?」
缶詰に書いてあるのは外国語だった。アルファベットっぽいけど記号みたいなのも混じってる。英語ではないみたい。
多分安いから使っていたのかも。
「うん。賞味期限は……微妙に切れてるけど、これぐらいならまだ形残ってると思う」
程度によるが、缶詰は腐らない。
製造過程で加熱しているから腐敗の原因になる雑菌が中に居ない。
フルーツ缶は加熱していないものもあるらしいけど。
「でもこの缶、開けるとこ無いんすよ」
見て見ると、確かにプルタブが付いて居ない。
「ああ。缶切りが必要なやつだね」
「……カンキリってなんすか?」
私と委員長が凍った。
まさか、缶切りを知らない世代……
いや、私も委員長も同級生だけど。
□
缶切りを探すのが面倒だったので、缶と一緒にバッグに入っていたデザートフォークを取り出した。
勢いをつけるわけではなく、ゆっくりと缶に刺した。
片手に全体重を掛ける。自分の体を持ち上げる様に。ふと、片手で自分の体重持ち上げられる女子はどんだけいるんだろうかと思った。
ずぶずぶとフォークが入って行く。
缶の端をザクザクと刺していき、最後にフォークを捻って大きめの穴を作る。
そこを掴んで引っ張ると、まだ繋がっていた部分がキンキンと音を立てて千切れていく。
パイナップルの香りが広がった。
「食べれそうだね」
「美味そうっす! 久しぶりのフルーツっす!」
ナツリンが本当に泣きそうな顔で喜んだ。女子力たけーな。
「それにしても、やっぱりゾネさん凄いっすね。10円玉曲げとかできるんじゃないすか?」
缶切りを知らないくせになぜそんな古風な力技を知っているのか。
「女子としては複雑だよ。ま、便利だけどさ」
パイナップルはこの酸味。歯ごたえ。本当にパイナップルだった。
私の筋肉の出力は高い。
私は連中の言うところの『ホモ・サピエンスの次の生物』になってしまったからだ。
□
ゾンビ虫は特定のmiRNAに反応する。
細胞は核の中にDNAを持っているが、分裂するときにはもう少し小さなRNAを出して、それが情報をコピーし、細胞を複製する。
このmiRNAというのは、同じように核の外で存在する小さなRNAだが、近年様々な研究が行われ、結構重要なものだと言われている。
その辺は私もよくわからない。
ともかく、このmiRNAは細胞の外にまで飛び出す。
なぜかこれが、ゾンビ虫に感染する。卵の状態でも、ゾンビ虫の細胞に侵入し、ゾンビ虫の細胞内に存在する寄生細胞に取り付く。
すると今度はその寄生細胞のデータを読み取り、変化し、再び血中に飛び出し、体の細胞に戻ったら、その寄生細胞を作りしてしまう。
これは本来、人体が損傷を受けてゾンビ虫が孵化した時、ゾンビ虫が人間の細胞に取り付いてから起こる現象だった。
しかし、特定の遺伝子情報を持つ人間は、ゾンビ化せずにこの現象を起こせる。
ゾンビにならないまま、脳を支配されないまま、細胞内にもう一つの寄生細胞を作り出す。
これが、先住のお隣さんミトコンドリアとも相互作用して、妙に高いエネルギー効率をだし、その他、ゾンビ特有のあの異常な再生能力も発現させる。
鳥類よりも遥かに多いATPを作り出し、普通の人間からしたら異常な筋力が出る。
おまけにテロメアにも作用しているらしい。
さもなきゃ再生能力は出ないのかもしれないけど、そのせいで寿命もどんなもんかわからない。
私が脱走した時よりもずっと研究が進んでいるだろうし、私が盗み見したのもごく一部だ。
ゾンビ虫の発見はだいぶ昔らしい。
ほとんど患者なんていなかった。
そう、このゾンビ虫、実は感染しにくいのだ。
このゾンビ騒動は人為的に起こされた。
私の様に因子を持つ人間は保護され、その他は放り出された。
避難所内でゾンビ虫は多少感染を広げただろう。
厄介な事に、大怪我で発症するものなので、ゾンビ虫がいなくて発症しなくても『ゾンビになる前に死んだ』として処理されてしまうのだ。
感染者だったのか非感染者だったのかを判別する方法が無い。
私も人為的に感染させられて、今じゃ人類じゃなくなっているらしい。
おまけに、この寄生細胞が細胞内に複製された後、免疫細胞がゾンビ虫を食う抗体を作り出す様になるため、体内のゾンビ虫も全滅している。
まるでゾンビ虫は寄生細胞の乗り物だったみたいだ。
生命の神秘というやつだろう。あんまり興味ないけど、死にかけた時脳みそに虫が湧くのが避けられるのはうれしい。
ナツリンも委員長も因子がある。
いざとなればゾンビ虫に感染させようと思っていたけど、当分必要ないなコレ。
お兄ちゃんは因子が無かった。
だけど、それで良かったと思う。
因子のある男は実験台にされて処分される割合が多い。
私達の通っていた避難所内の学校も男子がやたらと少なかった。
保護者を別にすれば、あそこにいた若者はつまり全員因子があったはずなのに。
女性はいずれ新人類工場になるため最終試験まで実験に使われる事は無かった。
この因子が遺伝するかはわからない。両親とも因子は無かった。
だけど、既に変化してしまった人類からなら、寄生細胞はミトコンドリアと同じく遺伝する。
つまり、私とお兄ちゃんに子供ができたら、その子供は生まれた時から新人類って事だ。
別に作る気無いけどね。
確かに血は繋がってないけど、一応兄妹だしね。
□
パイナップルを食べると止まらなくなって、次は桃缶を開けた。
めちゃくちゃ美味しかった。
ナツリンがとろけそうな顔をして、委員長もメガネが揺らいでいた。
「じゃ、行きますか」
「ういっす!」
委員長もメガネクイっと返事した。
この日本で、何の連絡手段も無く、1人の人間と出会う。
道行く人や町の人から情報を聞く事さえできない。
かなりの無理ゲーだけど、でも、なぜか私にいは確信があった。
お兄ちゃんは生きている。
そして、私はお兄ちゃんと出会える。
両親の友人の子供だったお兄ちゃんがウチに来た時と同じ様に、きっとそういう運命なのだ。
私達は北を目指して歩き出した。
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