38 ショッピングモールから逃げるよ
38ショッピングモールから逃げるよ
セックスなんてするわけがない。
病気が怖すぎる。
医療処置が期待できないのに、そんな危険は犯せない。
という理由を口にしたら女性に嫌な思いをさせるんじゃないかと思って、
「いや、すみません。ゾンビ騒動があってからEDになってまして。申し訳ないです」
と答えた。
我ながら結構空気読んだと思う。
しかし、それでも
「じゃあ口で……」
とか、
「手で……」
とか、EDだって言ってるのに。
「だから、勃たないんです。ゾンビ騒動で色々ショックを受けて……」
と、ED知らないの? みたいな感じじゃなく、自然に、ごくごくしぜんに説明セリフを吐いてみたのだが、女性はしょんぼりして涙をポロポロこぼし始めた。
ナニコレ。
□
中古品どころか廃棄品だった。
女性に失礼な発言だが、俺が言ったんじゃない。連中がそういう意味の事を言った。
つまり、彼女は飽きたらから捨てられる予定らしい。
そんな女性を押し付けてくるとは。
いや、そんな女性だから押し付けてきたのか。
彼女は美人だと思う。
だが、耳が少し変形していた。
引っ張られたり叩かれたり、床や壁に頭を押し付けられながら犯されたりする内に、耳の軟骨が変形してしまったと言う。
気をつけて見なければ分からない程度だが、女性にとってはショックだろう。
顔が良いせいか、耳の事を凄くコンプレックスに思っているみたいだ。
「この耳のせいで……」
と、泣きながら語る。
多分それだけじゃないと思う。
だけど、絶望的な状況の中で問題はひとつだけだと思いたいのだろう。解決できようができまいが心はその方が楽だ。
彼女は初期からこのグループと一緒にいるらしい。
それで、長い間犯されていた。
新人が入ったり、見捨てられたり殺されたりしているのも見てきている。
その辺の話もべらべら喋った。
体も結構傷だらけで、全裸で迫ってきたときから気にはなっていたが一度泣いた後、
「これはあの時の傷で、こっちは……」
などと、プロレスラーみたいな話を始めた。
とにかくよく喋る。
自分の事、その中でも耳や傷など、自分でも気にしている事を延々と話した。
これは精神障害の一種だ。
俺はよく知らないが、承認欲求とか、受け入れてくれるか試しているとか、何かそういうのだった気がする。
俺は外から来た。
自分で言うのも変だが、素行も良好だ。
というか、素行が荒い奴の気が知れない。
もうダメだという時に俺に目を付けたというのも分かる。
自分を扱ってきた人間とは違うから。良いかどうかは別として。
最初に耳、そして傷、さらに、連中に犯されたという話。
避難所でそうやって殺された女の死体を処理していた身としては、今更な感じだったので特にひいたりとかも無かったのだが、そんな落ち着いた態度が彼女の機嫌を良くさせたらしい。
「連れて逃げて!」
と迫られた。
彼女の眼球が震えている。怖い。
さらには聞いても居ない他の女の悪口まで喋りだす。
自分以外の女の悪い所を挙げて、自分を良く見せようという事だろう。
自分を連れて行くべきだ。他の女なんてどうでもいいから、自分を助けるべきだ。
さらに連中がこのショッピングモールに辿り着くまでどれほどの悪行をやらかしてきたかも語った。だいたい予想通りではあったが、思っていたより好き放題だったみたいだ。
「連中の事は捨てて自分を避難所に連れて行って」話の合間合間に、何度もそう言った。
彼女は喋り続け、俺は心の震えを悟られない様に頑張った。
□
結局何もしなかったのだが、彼女はそのまま俺のテントで眠った。
喋り疲れたんだろう。
妙にスッキリした顔をしている。
俺は夜明け前に行動を開始した。
まだ空が暗い。
でも起きれる。
日々の生活習慣に感謝だ。
テントから出ると、左側へ進む。
屋上には室外機がちらほらと並んでいて、それを固定している金具にロープを掛けた。
ショッピングモールの左側には駐車場への入り口があるのだが、ここに来た時俺は連中の指示に従って右回りで裏に入り、非常口から入店した。
連中は左側を気にしていない。汚物を捨てているからでもあるが、各階駐車場の入り口や途中途中に格子シャッターが降りていて入れないからだ。
俺はそちら側にロープを垂らす。
250kg耐久という事だから多分大丈夫だと思うのだが、本当にこれで人一人吊れるのか心配だったので二重にした。
ボルダリングは興味があったけどやった事が無い。妹はやっていて、よく誘われたんだけど。やっておけばよかった。
とりあえず、カラビナをベルトに引っ掛け、ロープを通した。
何もひっかかりが無いので、手を離したら普通に落ちる。
ロープはロール一本まるまる取ってきていた。
連中もロープを取ってきていたので、あまり警戒されてない……といいが。
下から引っ張って外れる様に結び目を作り、下に落とすロープは二本分。ギリギリだが、地上まで届いた。
俺は高所恐怖症ではないが、初めての体験だ。かなりビビっている。
でも、逃げなければならない。早急に。
女が俺のテントに来て、監視が居なかったわけがない。
外に人影は無かったが、隠れるところはいくらでもあった。
こっそり話を聞くぐらいはしていただろう。
俺は一応避難所から来た使者という事になっているから、さっさと殺すよりも情報を聞き出してから殺すつもりなのかもしれない。
おかげで未明の現在まで生きている。
だが、連中が起き出したらヤバイ。
ロープの存在に思い至っていたら既に来ていると思うので多分まだ少しだけ余裕はあると思いたい。
わからんが、とにかく今すべき事は、目の前のロープを少しずつ降りていく事だ。
両足でロープをはさみ、手の握りを緩めたりしながら少しずつ降りていく。
タオルを手に巻いているけど、結構熱い。
特に4階を通り過ぎる時は神経を使った。
柱の陰になっているから向こうからは見えないけど、こっちからも見えない。
暗闇の中、この柱の陰から連中が飛び出してくるんじゃないかとヒヤヒヤした。
マチェットで切り付けられたら俺はなすすべ無く落ちる。
即死ならまだ良い。
中途半端に生き残ったら拷問コースだ。
さっさと逃げる。
それに、女の事以外でも気になる事があった。
だからこうやって逃げる準備を整えていた。
女の事はきっかけに過ぎない。
□
窓際の飲食店コーナーで、なんちゃってカフェ遊びをしていた。
飲み物を並べてみたり、お菓子を並べてみたり。
それぞれのテーブルに、お菓子と飲み物。
飲料缶とパックなのでカフェって感じではないが、並べていると面白かった。
それが崩れていた。意図的に荒らされたとかではない。何かがテーブルに当たって、上のものが落ちた様な。
そのことについて、ショッピングモールの連中は何も言ってこなかった。
我ながら不気味な光景を作ったと思うが、アレはなんだったのかとか、そんな事も全く聞かれない。
俺自身誰にも言っていない。
監視役のおっさんでさえ、その時は隣の定食屋で食料を物色していた。
食品コーナーで奪ってきたものを、こうやって並べて食べずに楽しむとか、自分でも何やってんだよとは思ったのだが。
多分、居る。
出入り口を全部確認したわけじゃない。
多分、連中も見回っていない。
俺の監視役が「こんなところあったんだな」と何度も言ってた。
ズサン過ぎる。
それでも今まで生きてこれたのは奇跡の様なものだ。
いや、今まで生きて来られたから、緩んだのかもしれない。これぐらい平気だって。
大胆な行動が多かったみたいだから「自分が死ぬわけない」と思い込んでいるのかも。
ゾンビ騒動前からそういうのは居たが。
あれがゾンビの仕業という確信がある。
パックのお菓子だが食われているものがあった。
ニオイをかいで、口に入れ、ビニールパックを噛んでちぎって食べた。
野生動物のようだが、ビニールを食べてはいけないものという認識はできたようだ。人間の頃の記憶が多少はあるのか、それとも、記憶に頼らずとも、梱包を破って中身を食べるというのが行動として刷り込まれているのか。
さらに、かなり汚れてはいるものの、手でちぎった様なものもあった。
もし手でちぎったなら、器用さに知能も増している事になる。それどころか、動かないものでも気付いて食べる様になっている。
猿でもこれぐらいはやるが、ゾンビがこれをやったと思うと恐怖がこみあげてきた。
人間の仕業じゃない証拠に、缶ジュースは放置されていた。
床に転がっていて、凹んだりしているが、プルタブを開けられたものは一つも無かった。
こんな所にいられるわけがない。
□
俺は地上に降りた。
見上げるとこんな高いところから降りたのかと今更になって足が震えた。
目の前には、フェンスがある。
これを越えれば、ショッピングモールの敷地の外だ。
ここに来たときの様に馬鹿正直に正面大通りへ抜ける必要は無い。
だが、問題がある。
今はまだ暗い。
遠くの空が白み始めているが、まだゾンビがいるかもしれない。
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