第八話 『八』
次に意識が戻ったときには、僕はグランドにいた。そのグランドは世界選手権で使われているようなものだ。隣には外国人。さらに隣には外国人。僕は外国人に囲まれていた。両側にいる外国人の筋肉は相当なものだ。いくつもの試練に耐え抜いたのだろう。それでも、僕は負けていない。この自慢の筋肉で僕は世界を目指す。皆の声援が聞こえる。
『ボルト!ボルト!ボルト!ボルト!』
僕はその声援に答えるため、観客席に手を振る。人生で一番のスタートダッシュを決めなければならないのだろう。もし、失敗なんかしてしまったら、僕の負けになってしまうかもしれない。両サイドにいる選手は手強い。僕は不安ばかりが募る。僕は連覇をしなければならない。僕は国を背負っているんだ。大事な仕事なんだ。僕の役目なんだ。プレッシャーなんて吹き飛ばさないといけない。僕は走ることだけに集中しなければならない。集中、集中。僕は腰を上げる。次の瞬間、ピストルの音が聞こえる。合図だ。僕は走る。どこまでも、走る。いや、僕が目指しているのはあのゴールだ。あそこに着けば、僕はゴ
ールすることができる。あれを誰よりも速く行かなければならない。走る、走る。僕は風の抵抗を無視する。走る、走る。ゴール。僕は何着だ。
『ボルト!ボルト!ボルト!ボルト!』
一着だ。僕は世界一だ。僕は興奮する。画面を見る。一着にボルトと書いてあった。連覇だ。僕は飛び上がった。ガッツポーズをした。
「けけいけあこあこじ」
僕は恒例の決めポーズをし、世界中の人に向けて叫ぶ。
「寝るか」
誰かがその言葉を言うと、観客席は壊れていった。僕がいたグランドが壊れていった。そして、どこか見覚えのあるグランドに移る。ここは小学校のグランドだ。そこで、僕は倒れていた。ああ、ここは僕の過去だ。小学校最後の運動会で僕は大恥をかいた。徒競走で扱けてしまったのだ。そのおかげで最下位だ。僕はなかなか立ち上がることができなか
った。皆、冷たい視線で僕を見る。つらい。僕は立ち上がろうとする。
『ぷくくく、だせえ』
誰かが僕に対して笑った。その声が聞こえた瞬間、その場から立ち上がることができなかった。僕は土のなかにいたい、と思った。そうすれば、誰かに見られることはない。まあ、両親が来なかったことが唯一の救いかもしれない。僕が虐待されることはないから。そこで、午前の部は終わる。僕は弁当を広げる。自分で作ったものだ。おにぎりと焦げた玉子焼きと揚げ過ぎたから揚げが弁当に詰まっている。僕は食べる。不味い。僕は涙を流す。
『あいつ、泣いていないか。だせえ』
また、誰かが僕を笑う。いつのまにか、僕は涙を流していた。僕はボルトになることができなかった。両親がいない中、走って扱けて最下位になった。それが僕だった。僕はおにぎりを食べた後、弁当と一緒に体育館のトイレへ行った。そこで、焦げた玉子焼きと揚げ過ぎたから揚げを捨てる。そして、流す。涙とともに。僕は、そこから一歩も動けなくなっていた。仕方なく、僕は昼休みのチャイムを待つことにした。そのチャイムを聞いたら、僕の体も自然と動き出すだろう。僕は現状を全て受け止めることができない。だからこそ、抵抗なんてすることもできない。いっそのこと、このままトイレに居続てしまおうか。そっちのほうがいい気がした。戻っても何のいいこともない。ここなら傷つくことはないだろう。
「かけこのものまままけお」
よく聞こえなかった。僕は耳をその音がする方に意識させる。
『あいつのせいで負けたみたいなもんだよ。徒競走で扱けるとかださ過ぎるだろう』
その言葉を聞いた瞬間、僕の体は動き出す。くそ、こんなことを聞かせるためにわざと動かなくしたのか。一体、誰がこんなことをしたんだ?誰の陰謀だ?両親か?あのむかつく同級生か?それとも、お前か?僕はトイレから出てすぐ、どこか遠くへ走って言った。一体、どこへ向かおうとしているんだ?何でいちいちそんなことを言わなければならないんだ。どいつもこいつも、僕を苦しめることしか考えていない。もういいじゃないか。僕が何をしたって言うんだ?ただ、運動会で扱けただけじゃないか。何が悪い。いや、悪いか。六年生にとって最後の運動会だった。その舞台をこの僕が壊したんだから。せっかく優勝を目指していたのに一部の奴のせいで(僕だけのような気もするのだが)、優勝を逃してしまったんだから。もう二度と戻って来ない運動会。何で後ろを向こう、とするんだよ。過去のことをこだわるなよ。別にいいじゃないか。誰だって間違いや失敗があるんだよ。何で、僕はこんなにつらい思いをしなければならないんだ。分からない。過去なんてどうでもいいんだよ。前を向いて走ったほうが絶対良いって。そっちのほうが速く走れるから。そんなこともどうでもいい。僕が勝手に人のやっていることに対して、文句を言う資格なんてないのに。どうせ、何にも考えずに言ってるくせに。僕はただ走る。景気を良くするために一曲なんか唄うか。いや、そんな気分じゃない。僕はただ走る。息をしたくないんだ。