第六話 『六』
僕は眼を覚ます。僕は土のなかにいた。やっと現実に戻ったんだ。そんな気がした。それでも僕はまだ掘り続けていた。鉄の棒で掘ったときと違って、スイスイと軽々に掘れてる気がした。一体、僕はどうなってしまったのだろうか?自分が生まれ変わったような気分になっていた。今まで怠ってきた脱皮が今やっとできた気がする。僕は進み続ける。すると、そこに陳腐な家があった。それは自分の家だ、と思った。本当の僕の家は地上にあるはずなのに、地中にある家が本当の家だ、と思えた。僕は別人になった気がする。そう考えないと、今の気持ちをどう説明すればいいのか分からない。とにかく、僕はあの家のなかへと入りたい、と思った。いや、それは少し違う。帰りたい、と思ったんだ。あの家は僕の場所、そう確信した。ああ、誰かが僕を支配する。
一体、僕の身に何が起こったのだろうか?それよりも、何故地中に家があるのかを考えるべきことだということは分かっている。だけど、私は……わ、私?わた、僕の意識が消えていく。ああ、この体は僕のものじゃなくなるんだな、とか思い始めている。そんなことを考えた時点でもうこの体は僕のものじゃないのかもしれない。それでも、僕は抵抗する。そんなことになるなんて嫌だ。この体に僕は何年棲みついている、と思っている。生まれたときからずっといるんだ。この体は僕のものだ。誰だか知らないけど、僕の体は誰にも渡さない。そうすると、僕ははっきりと自分の意識がまだこの体に宿っていることに気付く。だが、依然として体はあの家の方へ向かっている。僕の意識はあるのに、何故掘るのをやめないのか?まさか、僕の意識は脳の一部しか繋がっていないんじゃないのか?体を動かす神経に繋がっていないんじゃないのか?もしもそうなら、これは僕の体、と言えるのだろうか?そんなことを考え続けている、と急に恐ろしくなった。今までもずっとそうだったのかもしれない、と思ったからだ。この体を動かしていたのは、別の誰かということになる。また、僕の意識が消えそうになる。駄目だ、まだ消えたくない。抵抗しろ、それが僕の役目だろうが!僕の意識ははっきりする。大丈夫だ、今はまだ大丈夫だ。そう呟いた。ああ、口を動かす神経には繋がっているようだ。
そう考えていたら、地中にある家に着く。そこは土で作られた家だった。当たり前だ。地中に立派な豪邸はまだない。いや、やろうと思えばできることなのかもしれない。実際に地下鉄だってあるし。でも、こんな山奥のなかにそんなものは作られないはずだ。たぶんだけど。
僕は辺りを見回す。いくつもの穴があった。この穴を通れば、また別の部屋があるように思えた。そこに、僕が通った穴はない。僕は掘りながら、自分の後ろ足で自分の掘った場所を埋めていたからだ。
何故だろう?この家には親近感がある。いや、そもそもこれを家と呼ぶ時点で問題があるような気もするのだが。
「じあえおにえあいあい」
誰かが『おかえり』と言った。懐かしい気がした。僕は声をする方に振り向く。そこにはモグラがいた。
「けおあのえあえあえいあのあ」
モグラは『今までどこに行っていたの?』と言った。モグラが喋るなんて聞いたことがない。一体、あのモグラは何者だ?いや、モグラはただのモグラに過ぎないか。
よく分からない。何で、僕はモグラに対して懐かしい、という感情を抱いているのだろうか?一体、僕はどうしてしまったのだろうか?
「かおえのあおえあおえけあか」
モグラは『あらまあ、こんなにもたくましくなっちゃって』と言った。今、やっと分か
った気がする。私はモグラだったんだ。何で、人間だ、と思ったのだろうか?たぶん、それは私が地上によく顔を出していたからだろう。そこから色々と見た。人間という生物をよく見た。夫婦なのに喧嘩をする人間。人間を殴る人間。人間の首を絞める人間。人間を罵倒する人間。人間を土のなかに埋めた人間。そんな光景を見ていた。だから、いつのまにか私はあの人間のような生物だ、と思っていたんだ。私はあんな体など持っていなかったはずなのに。私の体は眼の前にいるモグラと変わらないはずなのに。いや、母さんと全く変わらないはずなのに。
「かけかおえけおえっけおえ」
母さんは『どうしたの?つらいことでもあったの?』と言った。いや、そうじゃないんだよ。やっと元の自分に戻れて嬉しいんだよ。やっと取り戻したんだよ。私は涙を流していた。嬉し涙を。私は母さんを抱き締めた。モサモサしていて気持ちがよかった。
……違う。こいつは母さんなんかじゃない。僕の母はこんな毛なんてない。僕の母は地中になんかいない。土の上にいるんだ。だから、僕の母は普通の人間だ!モグラなんかじ
ゃない!