第五話 『五』
また意識が飛んだ。風景はさっきと変わらない。何にも変わらない。いや、少しだけ違う。物が少しだけ減った気がする。それに今の僕は壁のように囲まれていない。さっき、僕を囲んでいた物たちはどこへ行ってしまったのだろう?水を垂らしていた冷蔵庫が見当たらない。エアコンも見当たらない。ラジカセもテレビもパソコンも扇風機もヒーターもゲーム機も電子レンジもカッターナイフも本もCDもゲームソフトもスピーカーもアニメのポスターも雑誌も時計もぬいぐるみも本棚もクローゼットも瓶も缶も空の弁当箱もライトノベルもイラスト集も……どこにも見当たらない。僕が探すたびに消えていってしまっているような気がした。
辺りを見回した。もうそこには何にも残されていなかった。あの一瞬で一体どこへ?分からない。この崩壊も僕が関わっている、ということしか分からない。どのようにして崩壊してしまったのか?僕は悩み、妬み、痛み、恨み、悲しみ、楽しみ、憎んだ。何に対してだろうか?分からない。今の僕には得体の知れない何かが渦巻いていた。頭がおかしくなりそうだ。頭の悪い奴がよくなる症状だ。要するに僕は頭が悪くて、阿呆である。だから、こんな世界にいるんだ。僕は落ち込んだ。飛び込みたい気分だ。だけど、そんな場所なんてもうない。物がなくなったことで、落ちる場所がなくなってしまった。辺りはただの土。向こう側はどこまで行っても土。草などは未だに生えていない。こんなところで自殺という行為を行えるのか?僕には分からなかった。それでも、僕は自殺しよう、と思った。どうにかして、この世界を終わらせたい。そのとき、また、誰かの声が僕の頭のなかに響いた。
死ぬな、死んじゃあ駄目だ。
生きろ
生きろ 生きろ
生きろ 生きろ 生きろ
生きろ 生きろ
生きろ 生きろ
生きろ 生きろ 生きろ
生きるんだ!
耳を塞ぎたかった。いや、そんなことしても意味がない。その声は僕の内側で響いているのだから。不便で仕方がない。何でこいつは頭のなかに棲みついているのだろうか?分からない。僕は頭を殴った。痛かった。これが本当の痛み。やっと知れた気がした。こんな世界で知ることがある、とは思いもしなかった。案外、この世界も捨てたものじゃないなのかもしれない。いや、そんなことはありえないはずだ。この世界はいつも残酷なはずだ。僕を殺そうとしている。生きさせよう、と仕向けている。今も、感じているはずだ。他人の視線を。あの冷めた視線を。僕は生きたくない。死にたい。でも、死ねない。それを焦らす世の中。僕は恐怖を感じている。生きづらい。生きていても死んでいるようなもの。今までの人生で生きているような感覚はなかった。僕は自分が脱殻のようだ、と思った。だけど、それは違う。僕には僕なりのちゃんとした魂があった。意識もあった。だから、脱殻ではない。いや、脱殻と言っている時点で、もう脱殻じゃないのかもしれない。頭が痛くなる。頭を押さえる。この行為を何度続ければいいのだろうか?もう、こんな繰り返しなんて嫌だ。抜け出したい。いつまでも土のなかにいたくない。でも、土のなかから抜け出しても大して何にも変わらない。いや、余計につらい思いをするだけかもしれない。ならば、いっそのこと孵化せずにこのまま土のなかにいようか。そのほうがいいのかもしれない。この土のなかが僕にとって、唯一の居場所なのかもしれない。僕は羽ばたきたくない。ミンミンと泣き叫びたくない。僕はもう何もかもが嫌になった。こんな世界なんかと立ち向かいたくない。このまま誰もいない場所へ。
風が吹いた。まだ、終わっていなかったのか。これから僕は何をしようか、と考えた。何もすることがない、と思った。何もできない、と思った。このまま永遠いても何の意味もないような気がした。地上よりは気楽に過ごせるかもしれない。あそこにはつらいことしかないから。救われることなんかない。ここなら、少しはあるかもしれない。このなかだったら。
次の瞬間、可愛い女子たちが僕を囲み始めた。これは二次元の娘たちではない。ちゃんとした三次元だ。何故か、僕は愕然とした。ああ、そういうことなんだ。本当に何にも変わらないんだ。それでも、悪い気はしなかった。彼女たちは僕の体のいたるところまで触り始めていた。だが、彼女たちの眼は冷めていた。やはり、何にも変わっていない。彼女たちの行為に僕は何の抵抗もしなかった。ああ、僕はこんな行為を望んでいたんだな。僕は彼女たちが裸になればいいな、と思った。すると、彼女たちは服を脱ぎ始める。それで、僕のあそこは硬直する。簡単なもんさ。僕は童貞だからね。ま、まさかだとは思うけど、あんなことやこんなこともしてくれるのかな?すると、彼女たちは僕にあんなことやこんなことをした。うひょー、こんなことを大人はするんだな。僕は少し感心した。そこで思う。ああ、僕もそれなりの性欲を持っているただの人間だったんだ、と。結局、あいつらと僕の差ってほとんどないんだよな。涙が出そうになった。いや、もうすでに眼から流れているのかもしれない。彼女たちの冷たい視線がつらかった。彼女たちは結局現実の人なんだ。これが二次元だろうと、三次元であろうと、どっちみち僕を冷たい視線で見ていただろう。だって、僕はそれを意識していたから。無意識に意識していたから。ああ、何だかつらい。このつらさもあの現実のつらさと大して変わらない。ああ、何で僕はこんな残酷な世界に生まれてしまったのだろうか?僕は誰を恨むべきなのだろうか?僕には分からなかった。
気付いたら、僕は涙を流していた。涙を拭かずに、ただ流し続けていた。結局、これが僕なんだろうな。いいんだ。こんな気持ちになれたのも、あの土のなかに埋められたからだ。それは親に感謝すべきことなのかもしれない。でも、このあとに待ち構えているものは変わっていない。僕はあの悪の根源に直接処罰されるのだ。それは決定事項なんだ。誰も途中退場なんてできない。何で、僕だけがこんな目に遭うのかも分からない。分からないからこそ、恐れているのかもしれない。また、涙が溢れる。この涙は重たい。大事に取っておくものであろうか?いや、そんな価値なんてない。僕は眼を閉じる。そして、心を落ち着かせる。ふうー、これでいい。どうやら、僕は滝本竜彦にはなれそうにない。僕は出来損ないの阿呆だからであろうか?それは関係ないんじゃないの?よく分からないけど。どれがどれかなんて。