第十四話 『十四』
僕は二次元にしか興味がない。三次元なんてクソだ。反吐が出る。いつも汚物を見るような眼で僕を追い詰める。腹が立った。あそこが立った。いや、それは冗談だ。三次元なんかで立つ理由なんてあるもんか。僕は二次元だけでしか欲情しない。オナニーしているときは、常に頭のなかで二次元とやっていることを想像する。いや、妄想する。
「ぐへへへ、きょ、今日のあみたん、さ、最高だよ」
僕は一番のお気に入りを握り締めて、もう何を言っても言い逃れのできない変態的な発言をした。
「ち、ちなみに、あみたんと言うのは、ぼ、ぼ、僕の最高の嫁だ。ま、毎週、深夜の二十四時にやっているアニメに出てくる、きゃ、キャラクターだ。か、可愛くて仕方がない。や、やっぱり、に、日本のアニメは世界一だ……な、何てね」
誰に向けるわけでもなく、そう喋っていた。これではあの十八禁のゲームの主人公と同じではないか。いや、ある意味ではそうかもしれない。まあ、さすがに妄想を現実にすることはできないけど。
土のなかは妄想の溜まり場だ。いくつもの幻の世界が埋まっている。それらを掘り起こすのは僕。どんな世界が出るのかはお楽しみ。神のみぞ知るって奴だ。
お楽しみ袋を思い出した。子供の頃(今も子供だが、それ以上に小さかったとき)親に千円を渡されて、これで好きなものを買いなさい、と言われた。僕は何を買おうかな、とデパートの店内で物色していた。千円分のお菓子を買おうかな、飴玉をたくさん買おうかな、それとも、三階に行ってゲームを買おうかな、とか思いながら、階段を上って、ゲーム売り場へ行くことに。だけど、そこに千円で買えるゲームなんてどこにもなかった。僕は溜め息を吐きながら、一階で千円分のお菓子を買おう、とゲーム棚から離れようとしたとき、その棚の隅っこのほうに、紙袋が置かれているのが眼に入った。そこに近づくとその正体がいよいよ分からなくなった。値札には千円と書いてあり、商品名はお楽しみ袋だった。自分の手元の千円と値札を見比べる。丁度だ、おつりが出ない。僕は紙袋を持って、レジへと向かった。買った後、すぐに階段の近くにあるベンチに座って、大きな紙袋をゆっくりと開けた。
……少し長い回想をしてしまった。本当だったら、一言で済む話のはずなのに。だが、それも仕方のないことなのかもしれない。このくそったれな人生のなかで、まだマシなほうの部類に入るのだから。少しぐらい浸ってもいいじゃないか?それぐらいの時間は許されてもいいはずだ。
また、脱線してしまった。結局、僕が言いたかったことは土のなかもお楽しみ袋のように、どんな世界が入っているのか分からないということだ。
「ほ、本当に一言で終わるとか、ま、マジ受ける」
今回の世界は僕がオタクになっていた。とは言っても、現実と大した変わりはない。現実の僕もアニメを毎日のように見ていて、毎晩のように同人誌を読んでオナっていた。さすがに、フィギュアとかは買ってはいないけど。もし、持っていたら、ハアハアとか欲情しながら、眺めることも……たぶん、ないだろう。
とりあえず、周りの状況を確認することにした。どうやら、あのゲームの主人公のようにコンテナに住んで引きこもっているわけではなさそうだ。二階建ての住宅で、その二階の一室で変態的な行為に営んでいる。自分と重なって見えることに、情けない、と思う。他人から見れば、自分もあんな風に見られているのだろう。
オタクの彼と僕が他人に近い存在だからこそ、そのことが痛いほど分かった。とは言っても、僕は僕であり、彼は彼であり、そして彼は僕でもあるんだけどね。それでも、他人と言えるのは僕と彼には意識の違いがある。彼は、この世界に前から住んでいて、僕は彼に招待された、ただの客人に過ぎない。つまらない映画を見に来た客に過ぎない。いや、見に来た、と言うよりは、強制的に連れて来られた、と言ったほうがいいかもしれない。お前も制作協力者なんだから、見に来いという感じで。
『あ、あみたん、い、愛しのあみたん。ぺ、ペロペロしたいよ』
さすがに、こんなオタクも滅多にいないような気がした。やはり、子供の僕だから少し誇張してしまっているのかもしれない。本当のオタクが気に障った、と言うのなら、この場を持って謝りたい、と思う。
ごめんなさい……とでも言う、と思っていたかよ。物語のなかで謝ろう、とするなんてありえない。そんなものはあとがきで十分だ。とりあえず、嫌な気分を吹っ切らせて、物語を進めることにしよう。
『な、何で、君は二次元の世界にいるの?な、何で、僕は三次元の世界にいるの?お、教えてよ、ねえ、お、教えてよ。い、愛しのあみたん』
フィギュアの彼女にそんなことを言っても、何の反応を示してくれなかった。僕は孤独を感じていた。自分だけが上手くいっていないんじゃないか?自分だけが不幸になっているんじゃないか?自分だけがスタートラインから一歩も進めていないんじゃないか?
……いや、こんなのは悪循環だ。これ以上、こんなことを考えていたら、余計に気が滅入ってしまうだけだ。もう、今はフィギュアのことだけを考えていよう。二次元のことだけを考えていよう。
『き、君の世界に行きたいよ。き、君と一緒にデートしたいよ。あ、あんなことや、こ、こんなことをしたいよ。な、何で、僕は君の世界に行けないんだろう?』
何で僕は三次元でしか生きていけないのだろう?何で二次元で生きることはできないのだろう?いつも夢想ばかりして、自分だけを慰めている人生なんてあんまりだ。神はいつも意地悪ばかりをする。神は神に相応しくない、と思った。神には悪魔という名がお似合いだ。いつも人の願いを踏みにじる。いや、こんなことをさせられるのは僕だけなのかもしれない。もしも、そうなら僕は憎む。死んだ後でも、憎み続ける。
「じゃあ、創ればいいじゃないか。だって、ここは土のなかだろう?どんなことでも許される。だって、ここは現実じゃないんだから」
僕は彼に嘘を言った。土のなかで自分の意志だけで世界を創るなんて不可能だ。あくまでも、ここはお楽しみ袋のなかで無造作に引き抜いたひとつの世界でしかない。そこから何かを生み出すことはできない。感じることはあっても。だってそうだろう?ただの人間がレールを変形させることなんて、できないのだから。
結局、僕らはレールに従ってでしか、動くことができない。彼には残酷なことを言ってしまったのかもしれない。だけど、希望を持って欲しかった。最初から絶望なんてあんまりにも酷い話ではないか。もし、本当のことを知ってしまったら、彼の精神は崩壊へと向かっていくかもしれない。それでも、少しぐらいはいい夢を見させてやってもいいじゃないか。
『だ、誰だ!ぼ、僕に何の用だ』
後ろを振りかってみたが、そこには誰もいなかった。たぶん、今のは幻聴だ。昨日は一睡もしていないから聞こえたんだ、と思う。気のせいに過ぎない。
僕は視線をフィギュアのほうに戻した。やはり、いつ見てもあみたんは可愛いな。僕の天使だ。マイエンジュル。モンアンジュ。どうやら、僕は三ヶ国語しか無理みたいだ。とは言っても、英語もフランス語も満足に話すことはできない。日本語すら怪しい、と言うのに。
とにかく、幻聴を無視して、自分の世界へと向かう。そこは天国のようだった。いや、天国そのものだ。
「幻聴ではない。その声は僕だ。君と同じ僕だ。僕の話を聞いてくれないか?いや、君はそうしなければならない。じゃないと、君はずっとそこにいることになるだろう。物語が一向に進めなくなってしまうだろう。だから、聞いて欲しい。僕の話を……」
僕はもう一度振り返った。やはり、そこには相変わらず誰もいなかった。あるのは、空の弁当とエロゲーのパッケージ箱とフィギュアの収納箱しかない。そこに誰かが隠れて、声を出すような空間なんてどこにもなかった。声が聞こえるなんて、幻聴以外はありえないのだ。
鬱だ。自分の頭がおかしくなってしまったのだろうか?悲痛だ。自分は何だかの病気を患ってしまったのかもしれない。そうだ、きっとそうに違いない。今からでも遅くない。病院へ行こう。
「おいおい、それは勘弁してくれないか。病院に行くということは答えを教えてもらうのと一緒なんだぜ。いきなり、ここの世界を終わらせるのはなしだぜ。もう少し付き合ってもらおうじゃないか」
また、幻聴が聞こえる。彼の言う通り、この声は幻聴ではないのか?それとも、ただの妄想に過ぎないのか?僕は分からなかった。何ひとつとして分からなかった。どうすればいいのだろう?彼の話を信じればいいのだろうか?それとも、病院へ行くべきなのか?
『う、うるさい!だ、誰なんだよ、お前は!ぼ、僕の邪魔をするな!ど、どっかに行ってしまえ!』
確かに信じることなんてできないのかもしれない。僕は彼の前に姿を現すことができない。いや、彼から見ることなんて、不可能なんだ。あくまでも、僕は彼であり、彼は僕であるのだから。ある意味では、幻聴、と言っても間違っていないのかもしれない。誰も自分というものを見つけることができないのだから。自分以外の人格がある、と誰も思えないのだから。どう言えば、彼に信じさせることができるのだろうか?
「お前は知っているか?『光と土の狭間にいる僕』という物語を?」
『光と土の狭間にいる僕』という物語を、何故か僕は知っていた。そんなタイトルの本を一度だって見たことがないのに。もしかしたら、誰かの創作物なのかもしれない。出版されていない、誰かの。そういえば、自分はよく小説を書いていた気がする。いや、確かそうだった。
僕は自分の記憶を頼りに辺りを探し始めた。まず、机の上。次に、引き出しの中。今度は押入れの中。ダンボールが何個かあった。ひとつふたつ開けたが、思い当たるものはない。最後のダンボールを開く。ノートばかりが入っていた。そこにあるのは全部自分の創作ノートだった。恥ずかしく、人に見せられるものではない。拙い文章ではあったが、その当時はこれが精一杯だったのかもしれない。色々と読んで分かったことは、自分は愚痴という言葉しか発しない少年だということだ。
結局、肝心なものは見つけられずにいた。やはり、あのタイトルに聞き覚えがあったのは、ただの記憶違いだったのかもしれない。随分と無駄な時間を過ごしてしまった気がする。溜め息を吐き、目頭を押さえる。さっきまで、暗い部屋でフィギュアを眺めていたせいだろうか?いや、普段あまり使わない部屋の電気を点けてしまったせいだ。慣れない光は使うものではないようだ。
『く、くそお、一体何だってんだよ?ど、どうすればいいんだよ?こ、これから、ぼ、僕は何をしなければならないんだよ?な、なあ、あ、あんたは僕なんだろう?お、教えてくれよ?』
彼が探しているものはすぐに分かった。自分で書いた小説のノートを探している。『光と土の狭間にいる僕』のタイトルが付いたノートを探している。だが、どこを探したってそんなもの見つかるはずがない。それは庭に埋めてあるからだ。たぶん、彼はそのことを憶えていないだろう。
教えてやるべきだろうか?それとも、このまま黙って、彼の成り行きを見るべきだろうか?いや、このままでは彼に希望を与えることができない。絶望だけの人生なんてあんまりだ。彼に希望を与えることができるのは僕だけしかいないんだ。僕だけが彼を救うことができる。だから、僕は彼の頭のなかで呟いた。
「……」
そのはずだった。だが、ノートが庭に埋められてあることを話そうとすると、口が一向に開けないのだ。すぐに誰の仕業かは分かった。それは彼自身であり、僕自身であった。そして、土のなかの世界を創った張本人である。僕と彼とはまた違う人格を持った僕である。一体、あいつは何をしたいのだろう?彼の人生を潰すということは自分の人生を潰すのと一緒ではないのか?何故、助け合いということをしないのだろうか?そうすれば、あんな人生でも上手くいくことができるかもしれないのに。
『だ、黙っていないで、な、何か言ってくれよ。こ、このままじゃ、ど、どうすることもできないじゃないか。た、頼むから』
結局のところ、あの声は幻聴に過ぎなかったのだろうか?だけど、僕は何故か釈然としなかった。さっきまで、あれほど疑っていたのに。そうなってしまったのは、たぶんあの作品のタイトルを聞いたせいだろう。記憶違いって片付けたけど、本当にそうなのだろうか?どんなに考えても僕はそうとは思えなかった。きっと存在するはずだ、そう思い始めている。
『お、おい、お、お前はどこにあるのか知っているのか?わ、分かっているのなら、お、教えて欲しい』
彼に僕の想いが伝わった気がした。そうだ『光と土の狭間にいる僕』というタイトルのノートがあるはずだ。それは庭に埋まっている。だが、たぶん彼はこの部屋から一歩も出たりはしないだろう。彼にはノートを埋めた記憶がないのだから。じゃあ、何で僕が知っているのか?それは簡単なことだった。僕にはノートを埋めた記憶があるから。ただ単にそれだけの話。
彼に信用されたのはいいが、これからどうすればいいのか分からなかった。ノートが庭の中に埋められていることは分かっている。だが、問題なのはそれをどうすれば彼に伝えられるか、だった。たぶん、庭というキーワードは使えなくなっている。あいつがあえてそうしたのだから。
「……」
くそ、ノートの居場所を伝えることができないということも制限されている。何であいつはこんなことをしなければならないんだ?そろそろ、僕の堪忍袋の緒が切れそうになっていた。この苛立ちは久しぶりだ。いや、土のなかにいてから、ずっとそれを感じていたはずだ。だが、今回は悪意が丸出し、となっている。
『お、おい、黙っていないで、な、何か言ってくれよ。な、何も言わないなんて、そ、そんなの反則だよ……』
何だか、もうどうでもよくなってきた。見つけて、一体自分の何が変わるというのだろうか?たった、一冊のノートで何が変わるというのだろうか?僕は今の時間がとても幸せだった。フィギュアに囲まれた生活はとても充実している気がする。現実で上手くいってなくても別に構わない。そこに僕の居場所なんてどこにもないんだから。
僕は一番のお気に入りのフィギュアをずっと握り締めていたことに気付く。まさかだけど、ノートを探しているときもそうしていたのだろうか?だが、僕のなかにフィギュアを離したという記憶はない。そのせいで、僕のあみたんは少し関節がおかしな方向へ曲がっていた。
『う、嘘だろう?ぼ、僕のマイエンジュエルがーーー!ど、どうしてくれんだよ!こ、これを買うのに、ど、どれほどの時間と金を費やしたか』
涙が出そうになった。いや、もう流している。こんなことってあるのだろうか?何で僕だけ、こんな残酷な仕打ちを受けなければならないのだろうか?くそ、これも全部あの幻聴のせいだ。あいつが僕の邪魔ばかりするからだ。まさか、これが狙いだったのか?僕をここから出すためにやったことなのか?だとしても、こんなことをするなんてあんまりだ。
そんな風に怒鳴っても、どうしようもなかった。そうしたところで、フィギュアが戻ってくるわけではない。いや、別に、壊れて原型を取り戻せなくなったわけではない。関節が少し変な方向に曲がっただけだ。だから、あいつに怒ったとしても何の意味もない。それでも、僕は何かを憎まなければならなかった。そうしなければ、一体何のために彼女の腕が壊れたのか分からないじゃないか。とは言っても、結局のところ悪いのは自分なんだけどね。
『く、くそ!な、何だってんだよ!むかつく!』
僕は彼が持っている少し関節が曲がったフィギュアを見て、あることを思いついた。もしかしたら上手くいくのではないか、と思えるほど、いい案を考え出した。そうやって、大袈裟に言っているが、こんな馬鹿げた方法なんて他にはないだろう。はっきり言ってしまえば、こんな恥ずかしいことを人様に見せたくない。こんなことは土のなかだから、できることだ。
『ねえ、○○くん、私の関節のことなんて気にしないで』
『え?』
今度は本当に幻聴だ、と思えた。女のような声がこの部屋から聞こえてくるなんてありえない。こんな男臭い部屋に。いや、僕以外に誰かがいるという時点でおかしな話だが。この部屋には誰もいるはずがないんだ。完全防音のこの部屋で階下にいる親たちの声なんて全く聞こえたりしない。ついに逝かれてしまったんだ。いや、あいつの声が聞こえた時点で、もうそうだったのかもしれない。
ただ、今回の声は明らかにあってはならなかった。聞こえるはずがないんだ。この世界に存在してはならなかった。ありえないことが起こっているということは、僕の頭がどうかしているというわけだ。確かにアニメの世界に没頭しているが、さすがにアニメを現実にするような、頭がいかれている奴だ、とは思っていなかった。だが、こんな二次元的な声が聞こえるというのは明らかにそういう奴だ、ということだ。
『○○くんの大好きなあみたんだよ。私はあなたのために二次元の世界から出てきたの。あなたに会いたいがために』
自分で言ってなんだが、男が女のアニメ声で喋っているなんて、相当な気力がないとできないだろう。だが、僕にはこの方法しかなかった。こうしなければ、彼が反応してくれないのは明らかだった。羞恥心を捨てて、僕はあの声で喋るしかない。そうしなければ、ならないんだ。
『き、君は一体誰なんだ?さ、さっきの男とは違う奴なのか?』
どうすればいいのか、今の僕には分からなかった。この状況をそのまま飲み込んでいいのだろうか?まあ、さっきの男の声に比べたら、今の二次元的な声のほうが圧倒的にいいはずだ。少しぐらい付き合ってもいいのかもしれない。自分の幻聴に。
『ぼ、僕のために会いに来たの?な、何でわざわざ僕のために、に、二次元の世界から出てきたの?』
どうやら、話を聞いてくれるようだ。とは言っても、信じてはもらえていないだろう。いくら、彼がオタクだから、と言って、現実と妄想の見分けが付かないわけではないだろう。だが、男の声よりは女の声のほうがいいだろう。ちなみに、どうやって声を出しているのかは秘密にしよう。それを語るということはこの世界の仕組みを語ってしまうことである。と言ったその時点で、もう答えは出ている、と思うが。
『あなたに伝えなければならないことがあるの。だから、今から言うこと全部信じてくれない?』
僕は彼女の言葉を信じるべきだろうか?この幻聴を信じるべきなのだろうか?いや、信じるとかそういうことではない。少しくらい付き合ってやろう、というだけだ。本当にそれだけだ。彼女の声に応えたいとかそういうわけではない。ちょっとコンビニでも行こうかな、ぐらいの軽い感じである。
『『光と土の狭間にいる僕』という作品を探して。きっと……の中に埋まっているはずだから』
もしかしたら、大丈夫かもしれない、と思ったが、どうやら無理だったみたいだ。いくら、声が違ったとしても、そのなかにいるのは僕に過ぎないのだから。どうにかして、彼に伝えなければならない。直接的な表現を避けなければならない。今まで書いた作品を思い出しながら、僕は適切な表現を探し出さなければならない。
『おいおい、これ以上は困るぜ。彼には彼なりの物語の進行があるんだ。答えを出させるわけにはいかない』
その声が誰なのかはすぐに分かった。僕であり、彼であり、あいつだった。
『折角、お前を傍観者にさせてやったのに。あいつが不幸になるところ、見せてやろうとしたのに。何で、お前はあいつを救おうとしているんだ?いや、違うか。お前は救おうとはしていない。もっと不幸にさせてやろうとしている。それなら、別にそれでいいんだがな。あいつが不幸になれば、それだけでいいのだから。だけど、何かお前は企んでいるようにも見える。あいつを不幸にさせるだけじゃないように思える。なあ、お前は一体何を考えているんだ?』
「違う、僕はただ単に彼を救いたかっただけだ。何にも考えていない。何で、お前はすぐにそうやって自分を苦しめるようなことをするんだ?」
『僕なら分かるはずだろう?そんなことわざわざ聞くまでもないよ。仕方がないんだよ。誰もが公平に幸せになることができないのだから。僕たちは同じ人間でもね、違う人格を持っているんだよ。だから、こんなことしかできないんだよ。こんなことね、わざわざここで言う必要なんてどこにもないんだよ。それよりも、君はもうこの世界から消えてもらうよ。そうしたほうがいい』
何故、彼女もあいつと同じようなことを言うのだろうか?一体、何を企んでいるのだろうか?恐ろしくなった。ここから、一歩も動きたくなかった。何が『光と土の狭間にいる僕』だよ。何で、僕はそのタイトルを聞いたことがあるんだよ。どうにかなってしまいそうだよ。
『た……から……しん……くれ』
聞きたくない、聞きたくない。何にも聞きたくない。僕のことなんか放っておいてくれればいいのに。ひとりにさせて欲しい。もう何も考えたくないんだ。僕は今の生活で満足しているんだ。何で、邪魔をするんだ。そこまでして、僕を苦しめたいのか?何だってんだよ。
『ち……う、そ……じゃない。きい……くれ』
僕は眼を瞑った。耳を塞いだ。何もかも閉ざした。もう、何ひとつ情報を入れたくなかった。ずっとこのままでいたい。永遠に部屋に引きこもって人生を過ごす、それでいいじゃないか。何で、こんなことになるんだよ。もう嫌だ。
『ぼ……は、てきない……。おね……い』
「う、うるさい!だ、黙れ、黙れ!き、聞きたくない!な、何ひとつ聞きたくない!ど、どうして邪魔をするんだ!ど、どういうつもりなんだよ!ああ、か、考えたくない!な、何にも考えたない!ぼ、僕は今の状況で満足なんだ!な、何で、何でそうやって……もう嫌だ!」
耳を塞いでも、眼を瞑っても、あいつの声は聞こえ続ける。椅子を持って、机を叩き壊す。それでも、聞こえ続ける。何度も何度も、椅子で机を壊す。机は頑丈でできているのか、それともただ単に椅子が脆いだけなのか、椅子だけが壊れた。
何で僕はこんなことをしているのだろう?たかが、幻聴が聞こえただけじゃないか。この部屋を壊す必要なんてどこにもない。何でこんなことをしているのだろうか?何でこんなことをしなければならないのだろうか?
僕の破壊衝動は一向にとまる気配がなかった。ただ、壊し続ける。椅子や机以外にも壊し続ける。僕の好きだったフィギュアも、エロゲーも、イラスト集も、パソコンも全部。これが終わった後、僕は後悔し続けるだろう。それでも、とめられなかった。
「な、何で、こ、こんなことになっちゃったんだよ。い、一体、ぼ、僕が何をしたってんだよ……」
全てを壊した後、僕は涙を流していた。
「じょ、情緒不安定かよ」
何もかもが霞んで見える。
もう、僕の頭のなかにあいつの声は響いてこない。もう、いなくなったんだ。僕はほっとした。やっと、苦しみから逃れられる。本当にそうなのだろうか?本当にそうなれる、と思っているのだろうか?いや、違った。まだあるはずだ。このあとに僕の人生を終わりに迎えさせる何かがあるはずだ。
「ひ、『光と土の狭間にいる僕』か」
何で僕はあんなに否定し続けたのだろう?彼女があんなことを言わなければ、僕はあいつのことを信じていたはずだった。『光と土の狭間にいる僕』その作品に一体、何があるというのだろう?
いや、もうそんなことなんてどうでもいい。今日は疲れた。何でこんなことになっているのだろう?頭が痛い。
「ほ、本当にどうでもいいよ」
とか言っておきながら、僕はスコップを持って庭に来ていた。何年ぶりだろうか?陽の光を浴びたのは。何で僕はここに来たのだろうか?別に来る理由なんてどこにもなかったはずなのに。
自分の思い通りに事って進まないんだよな、とか思いながらスコップを握り締める。どこを掘ればいいのだろうか?辺りを見回してみるが、どこに埋めてあるのか分からなかった。とりあえず、眼の前にある土を掘ることに。
『グサッ、グサッ』
とりあえず、ノートを埋めるぐらいの土を掘ったが何にも出なかった。この作業を何回か繰り返さなければならない、ということを考えると憂鬱になった。
『グサッ、グサッ』
『グサッ、グサッ』
『グサッ、グサッ』
『グサッ、グサッ』
『グサッ、グサッ』 『グサッ、グサッ』
『グサッ、グサッ』 『グサッ、グサッ』
『グサッ、グサッ』
『グサッ、グサッ』
『グサッ、グサッ』
『グサッ、グサッ』
『グサッ、グサッ』 『グサッ、グサッ』
『グサッ、グサッ』
『グサッ、グサッ』
『グサッ、グサッ』
『グサッ、グサッ』
どこにも見つからない。
『グサッ、グサッ』 『グサッ、グサッ』
『グサッ、グサッ』
『グサッ、グサッ』
『グサッ、グサッ』
『グサッ、グサッ』
『グサッ、グサッ』
『グサッ、グサッ』 『グサッ、グサッ』
『グサッ、グサッ』
『光と土の狭間にいる僕』
見つけた。陽が落ちる前に何とか終えることができた。ノートは土の中に入っていたせいか、茶色く黄ばんでいた。何で、このノートを土の中なんかに埋めたのだろうか?僕には分からなかった。それでも、見つけることができた。
ノートを開く。
「う、嘘だろう?あ、あんまりじゃないか。こ、こんなの小説なんかじゃないよ。た、ただのひとりよがりの妄想じゃないか」
僕は震えながら、ただそのノートを土に埋めるしかなかった。深く深く掘って、誰にも見られないように。
『だから言ったじゃないか。お前は残酷なことをしたんだ。何が救うだよ。まだ何もしないほうがマシだったんだよ。僕はねえ、他の住人と違って醜い争いをしたいわけじゃないんだよ。ただの傍観者でいたかった、本当にそれだけなんだよ』




