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最終話

 都市を脱出し、どことも知れぬ森の中をあてもなく歩いたユニティは、やがて当然の帰結として、飢えるという事態に至った。


 無学で屋外生活の経験もないユニティに、森の中で食用に適した木の実を判別したり、森の動物を的確に狩ることなどは、できるわけもない。

 当てずっぽうで食べたキノコに当たって腹を下すなどの課程を経て、彼女は数日の後、行き倒れるに至った。


 ユニティが次に気が付いたときには、彼女は見知らぬ家のベッドの上で寝ていた。

 その家の住人は帝国訛りの言葉を喋り、ユニティは敵意をあらわにしたが、その家の小さな子どもはあまりにも無邪気にユニティの心配をして、その母親も、少女に厚意を与えてくれた。


 そうなればユニティとしても、感謝するよりほかのことが、できなくなってしまう。

 それは、少女が抱いていた帝国民のイメージと、あまりにもかけ離れすぎていたのだ。


 母親の名はリーシャ。娘の名はリリアーナ。

 ユニティは、リーシャの介抱と、リリアーナの無邪気な善意を受けて、二、三日の後には人間らしい姿を取り戻していた。


 ユニティは、リーシャに敵意を向けたことを謝り、自分の過去の出来事と、兵士となって見てきたものを語った。

 まだ本調子ではなく、病み上がりといった様相で椅子に座り語るユニティの言葉を、機織り機で麻布を織りながら聞くリーシャ。

 ちなみに、娘のリリアーナはというと、今はお昼寝の時間で、ベッドの上で健やかに寝息を立てていた。


「これは兵士だった旦那から、聞いた話なんだけどね」


 ユニティの話を概ね聞き終えたリーシャは、布を織る手は止めずに、今度は自分の話を始める。


「戦場っていう場所は、誰もが『まとも』じゃいられなくなるって言ってたわ。

 昨日まで自分の目の前で一緒の釜の飯を食べてた友人が、今日には自分の目の前で死体になっていて。

 一方で自分は、敵対する人の命を自分の手で奪って──その剣を持つ手の生々しい感覚と、自分が殺した死体の姿が目に焼き付いて、忘れられなくなる。

 だから、そんな中にずっといたら、真面目な人間ほどおかしくなるし、おかしくならないんだとしたら、そいつは元々まともじゃない。

 結果として、まともじゃない人間しか残らないって、そう言ってた……まあ、あの人の個人的な見解では、あるんでしょうけどね」


 話を聞くユニティは、俯いて黙っている。

 機織り機の紡ぐ規則的な音のみが、静寂の中で響き渡る。

 やがてユニティが、ぽつりと質問する。


「……旦那さんは、どうしたの?」


 やっぱり戦死なの、と言わないのは、礼儀知らずのユニティなりに、それは言ってはいけない言葉である気がしたからだ。

 しかし、リーシャから返ってきたのは、ユニティが想像していなかった言葉だった。


「自殺よ。それまでもときどき、戦場で殺した相手のことを思い出してうなされてたんだけどね、とうとう我慢できなくなって、死んじゃったみたい。……まったくさあ、私やリリのことより、罪悪感の方が大事だっていうんだから、失礼しちゃうわ」


「…………」


 ユニティは、リーシャの話を聞きながら、戦場に立った自分のことを思い起こしていた。


 人と人とが殺し合うことを肯定し推奨する場にあって、そのことを恐れたり躊躇ためらったりする自分を、そうであってはならないと考え、変わろうとしていた。


 そこに必要なのは、憎しみであったり、相手を自分たちと同じ人間ではない何か「殺してもいい存在」と思い込むことであったり、心を殺した冷徹さであったり、あるいは殺人を楽しむ心であったり──


「んぅ……ふああああ……」


 ちょうど話が途切れた頃に、リリアーナが目を覚ました。

 大きくあくびをしながら起き上がって、その小さな手で、眠たげに眼をこする。


「……おはよう、リリ」


 ユニティが優しげな顔で、リリアーナに声を掛ける。


「おはよー、ユニおねえちゃん。……あれ、おねえちゃん、そこ、やぶけてるよ?」


「えっ……?」


 寝起きのリリアーナが、ユニティの腋を指さす。

 ユニティが左腕を上げて見てみると、たしかに衣服の腋の部分が破れて、素肌が露出していた。

 今まで気付かなかったが、森の中をあてどなく歩いている間に、木の枝にでも引っ掛けて破れてしまっていたのかもしれない。


「いいよ、リリがなおしてあげる。ほら、ぬいでぬいで」


 ユニティは、そう言って服を脱がそうとする小さな子どもに押されて、されるがままに服を脱いで、リリアーナに渡す。

 リリアーナは裁縫道具を使って、少し不手際ながらも、破れた部分を修繕してみせた。


「えへへー、できたよ。どう、ユニおねえちゃん?」


 直し終わった服を自慢げに見せるリリアーナを見て、ユニティは、そこに過去の自分を投影してしまった。

 ユニティはリリアーナの頭を、優しくなでてやる。


「リリは凄いね。……私、リリぐらいの年には、そんなことできなかったもん」


「へへー。……あれ、ユニおねえちゃん、どうして泣いてるの?」


 気が付くと、ユニティの目から、涙がいっぱいに溢れていた。


「どうして、だろうね……。ホント……どうしてこんなことに、なっちゃったのかな……」


 ユニティはリリアーナを抱き寄せ、その温もりを感じながら、ぼろぼろと泣いた。

 抱き寄せられたリリアーナは不思議そうな顔をしていたが、やがてよしよしと、おしゃまにユニティの頭をなで始めた。

 その様子を、リーシャは機織りをしながら微笑み、見守っていた。




 ユニティはそれからしばらく、リーシャの家で、二人と一緒に暮らした。

 リーシャもちょうど労働の人手が足りなかったと言って、畑仕事や薪割り、家畜の世話などを手伝うことを条件に、ユニティを歓迎した。


 二、三日も経つとユニティの体調はすっかり回復し、元の元気を取り戻した。

 兵士として鍛え上げた体は、並みの女性とは一線を画する肉体労働力を発揮し、リーシャを驚かせた。

 一方で、女性らしいことがあまりにもできないことにも、驚かれたのだが。


 そうした平和な日々によって、ユニティは年相応の明るい少女の姿を取り戻していった。

 過去を忘れるということはできなかったが、穏やかな日々の積み重ねは、徐々に少女の在り方を塗り替えてゆく。




 ──だが、そんな平穏な日々は、長くは続かなかった。




 それはユニティが、村の近くの川まで、水汲みに出ていたときのことだった。


 どんよりとした灰色の雲が立ち込める空の下、ユニティがなみなみと水の入った水桶を運びながら家路についていると、村の方から悲鳴のような声と、武器を持って争う金属音が聞こえてきた。

 ユニティは即座に水桶を放り出し、村へと走った。


 途中、地面に埋めてあったレイピアを掘り返して、腰に吊るす。

 リリアーナたちと暮らす日常で、すぐ手に届くところに置いておきたくはなかったが、完全に捨て去ることもできなかったものだ。


 村にたどり着いてみると、ユニティが怖れていた通りのことが起こっていた。

 ユーリーン王国の兵士たちが、村を襲っていたのだ。


 そして──


「ママをはなせ! いやがってるでしょ!」


「リリっ! いいから早く逃げて!」


 村の道端でリーシャを引っ掴み、地面に押し倒して服を破り裂いている王国兵と、それを止めようと懸命に兵士にしがみついているリリアーナ、そして悲鳴のようなリーシャの願いの声。


 その光景が、ユニティの視界の、だいぶ先の方で展開している。

 あそこまで全速で走っても、どうしたって十数秒はかかるという距離。


「……ちっ、うるせぇガキだな」


 王国兵がそう呟いたのは、ユニティには聞こえなかったが、しかしその動作はしっかりと見えた。

 王国兵は剣の切っ先をリリアーナへと向け──


「やめてえええええええええっ!」

「やめろおおおおおおおおお!」


 リーシャが絶叫する。

 ユニティも全速で走りながら、声の限りに叫んだが、現実は何も変わってはくれなかった。


 ──王国兵の剣が、リリアーナの胸を突き刺し、その後に、引き抜かれた。


 幼い娘の体は、ことんと地面に倒れて、動かなくなった。

 地面に赤い染みが広がってゆく。


「うわああああああああああっ!」


 ユニティは叫びながら、怒りのままに疾走した。

 ぐんぐんと現場に近付く。

 その目と鼻の先まで来て、レイピアを鞘から抜き放ち──


「えっ、お前、確か──」


 そう間抜けな顔で言う王国兵の眉間みけんを、レイピアの切っ先が貫いた。

 頭蓋骨を割り、脳を通過して、剣先が後頭部から突き出る。


「はあっ、はあっ、はあっ……このっ!」


 ユニティはその王国兵の顔を足で蹴って、レイピアを引き抜いた。


「リリっ! リリっ! ねえ、返事してっ、リリっ!」


 王国兵が死んでその魔の手を離れたリーシャが、倒れたリリアーナを抱き上げ、悲鳴を上げ続ける。

 だが、その腕の中のむくろは、何も答えない。


 血塗れたレイピアを手にしたユニティが、天に向かって絶叫する。


「──ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう! 何なのよ! 何なのよこれはああああああっ!」


 そこにぽつり、ぽつりと雨が降ってきて、それはすぐに本降りとなった。


 その後、ユニティは土砂降りの雨の中、村を襲う王国兵を、怒りのままに四人までレイピアで貫いて殺した。


 しかしその後、多数の王国兵に取り囲まれた少女は、背後から迫った王国兵の剣に背中から胸を貫かれ、そこに殺到した別の王国兵の剣や槍でトドメを刺され、息絶えた。


 それが、戦火の中に生きた少女剣士の、最後であった。


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