Dai ni wa
再び歩き始めて30分程度。もう既に俺の心は折れかかっている。相変わらずの周囲の視線、全く見当のつかない警察署、駅の場所。裸足のままで歩くのは本当に痛いし、何より冷たい。冷えた汗も身体から体温を奪う一因となり、風通しの良いパジャマがそれを助長する。
もう疲れた。どうしたらいいんだ。目に入る街並み、大都会の喧騒はテレビで見ていた日本の東京と変わらない。東京タワーやスカイツリーこそここからは見えないが。
疲れと未だに残る緊張、混乱から身体全身がどんよりと重い。歩くペースもどんどん遅くなる。そんな時だった。
俺はおそらくこの辺りで言うメインストリートの一つにぶち当たった。人通りも多く、何より車などの交通量もすごい。一瞬慣れない人混みに酔いそうになりながらも、目の前の信号に従って横断歩道の手前で立ち止まった。
言葉が理解できない俺でも分かった。周囲の人が叫んでいる。彼らが指差すのは横断歩道の真ん中。コロコロと転がったサッカーボール。そしてソレを追いかける一人の少年。歳は6歳ぐらいだろうか?幼い瞳は目の前のボールしか映していない。なんてベタな。なんでこんな大都会の真ん中でサッカーボールなんか追いかけてんだ。普通そういうのは公園の近くとかだろ。
少年はようやくボールに追いつき、道路の真ん中で立ち止まる。焦った瞳に安堵の光が灯り、そして彼の表情はーーーすぐに驚愕へと塗り替えられた。
時速60キロ程度で走ってくる軽トラック。宅配便っぽい外装のソレは既にブレーキを踏んでいるんだろうが、自動車はそう簡単には止まらない。
人間、やっぱりこういう時に思考が早くなったりするんだろうか。横断歩道の向かい側に立つ人々は、驚きこそすれ助けに一歩踏み出す奴は誰もいなかった。気配で分かる。俺のいる側も同様だ。瞬時に思考が巡る。助けるべきか。当たり前だ。あれはもう間に合わないんじゃないのか。いや、俺なら間に合う。何のために長いこと陸上短距離やってきたんだ。
結論から言えば、俺は考えながらも既に飛び出していた。咄嗟の判断、と言ってもいい。むしろ先程の思考は考える前に動いた肉体運動への後付けだ。
誰かが悲鳴を上げた。甲高い女性の声だ。奥の歩道の方、少年を見つめる人々の奥で、買い物袋を下げた女性がこちらを振り返っていた。
少年は驚いた表情のままトラックの方を凝視している。不意に彼は右の掌をそちらに向けた。自分の身を守る反射だろうか。
……大丈夫。間に合った。
俺は少年を両手で奥へと突き飛ばす。体勢はもうほとんどヘッドスライディングみたいな感じだ。少年は突然の横からの衝撃にその大きな目を目一杯広げた。
音が消える。俺は、信じられないとでも言った目をこちらに向ける少年に微笑もうとーー
ーーーー瞬間、トラックはパジャマ姿の男子を跳ね飛ばした。
プッ…プッ…という心電図の音が遠くから聞こえる。
俺、生きてたか。
目を閉じたまま、俺は静かに思った。
予想通りというか、俺の身体は一切動かない。感覚すらない。最悪のパターンが頭を過る。脊髄でも損傷したかな。これから一生寝たきりかな。それは……なかなか辛いな。
あの子は助かったはずだ。でも実際生き残ってみて、もし一生寝たきりになってしまうなんて想像をすると、なんで俺自分の身を犠牲にしてまであんなことしたんだ、なんてクズな俺が顔を出してくる。
いや、その考え方はあまりにも悲しいな。……頭が痛い。重い。
そうだ、とりあえず目を開けてみよう。
瞼を開ける、その動作にここまで体力を使うとは。ぼやけた視界の中で、辛うじて俺の顔を覗き込む女性がいるのだけは分かった。
女性の声が遠く聞こえる。俺に呼びかけているようだ。しかし、「だれ」と言おうとしても、掠れた息が漏れるのみだった。
女性のシルエットが遠ざかる。そして見えなくなった。視界は未だ不明瞭だ。あぁ…眠い。耐えられない。
俺の意識はまた深く沈んでいった。
「5;6;/6()……¥」/」」@……」
「gh-)6)あjhじゃkmk&&。い&2¥¥77)¥/&@…かj&-)(78や…。」
「)(/(¥&&@@09yがhか…」
誰かと誰かが話している。女性と男性の声だ。
ドアが開き、誰かが部屋から出て行く。
シャー、というカーテンを開ける音。暖かな日差しが顔の左半分を照らし、俺の意識は穏やかに水面へと上っていった。
「ここ…コホンっ……ここは?」
痰が喉に引っかかり、思ったように声が出なかった。ガスガスの声を捻り出す。長い間眠っていたのか、喉もカラカラだ。
俺は呟きながらも、同時にここがどこか推測していた。ここはおそらく病院だ。白い壁紙、白い布団。特有のなんとも言えない臭い
ぼやけていた視界も瞬きをする毎に次第にクリアになり、俺は目の前で驚きに口元を押さえた女性を見つめた。
……誰だ、この人。無意識に自分の母親だと思っていたのだが、よく見れば違う。おそらく年齢は俺の母親とさほど変わらない。多分40代半ばだろう。セミロングの黒髪におっとりとした垂れ目は、それだけでこの女性の母性と優しさを伝えてくる。身長は160程度と割と高めの細身で、赤いセーターがよく似合っていた。
「ひsh)/)¥--&? いsじゃk? )/(/)28?」
相変わらず何言ってるか分からない。でも、彼女の表情から俺を本気で心配しているのは分かる。「大丈夫?」だろうか。自信はないが、俺はぎこちなく頷いた。
「¥)/)8¥@@…。じゃh¥-)! ¥/)/7うshj!」
そんな俺の様子に女性は一瞬安心した様子を見せると、同時にハッと何かを思い出したかのように俺に言葉を投げつけ、その顔からは想像もできないダッシュで病室から飛び出していった。
一体何なんだ…。呆然としながらも、ポツンと一人残されるとそれはそれで無性に心細くなる。てか、何気に個室取ってもらえてんだな…。
何気なくそんなことを思いながら彼女が出て行ったドアを見つめていると、再び複数人の足音と話し声が外から近づいてくる。
開いた扉の先には医者と数人の看護師、そして最後に例の女性と続き、俺はそこから診察が始まった。
いろいろ質問されたり話しかけられたのだが、何一つ理解出来なかった。