姉妹
神前桜花はおおいに悩んでいた。
八畳ほどのさして広くない、しかし1人の生活スペースとしては十分な広さを有している部屋には、所狭しと洋服や、装飾品が並べられていた。
「うーん」
桜花は部屋に置かれた姿見の鏡の前に立ち、次々と洋服を自身の身体に合わせていく。
「これだったらさっきの方が。いやでもやっぱりスカートの方が……」
「どうしたの?」
後ろからした声に、一瞬ビクッと反応した桜花だったが、自分の見知った人物の声だと気づいて胸を撫で下ろした。
「もー弓塚さん。驚かさないでくださいよー」
「ごめんごめん。一応ノックしたんだけどね」
自分が近距離の人間の気配を察知出来ないなどという事は、今までほとんどなかった。それだけ作業に集中していたっいう事実に、今更ながら気づく。
ノックをした女性は弓塚由美。年の頃は20代半ばの女性で、桜花達のチームのバックアップを担当している。自身も数年前まで現役のヒーローをしていただけに、その状況判断はいつも的確だ。
前線に出れば今でも並のヒーローよりも腕が立つと評判で、桜花も信頼を寄せている上司の1人だ。
「それよりもこの部屋はどうしたの?」
弓塚は少し意地の悪い笑みを浮かべ、桜花を問いただす。
「えーとこれは……そのですね……」
「まあしょうがないか。今日は愛しの九条君と五年ぶりの再開なんだもんねー」
「愛しの九条君」という弓塚の言葉に桜花は赤面しながらも、笑みを浮かべる。
事実、桜花は紅太郎との再会に浮かれており、今も着る洋服やアクセサリーに悩んでいたところだった。
「ええそうなんです。やっと紅太郎とーー会えるんです」
6年前。怪人の人質になってしまった紅太郎は瀕死の重傷を負わされた。
通常の医療では回復は難しいとの医者の判断から、特殊な医療機関に搬送されてしまったため、桜花は事件後一度も会うことができなかった。
桜花は何度も紅太郎との面談を希望したが、面会謝絶の状態がずっと続いていた。
1年程が経過して、さすがに長すぎると司令に相談してみたところ、記憶を失っていることが分かった。
担当の医師曰く、「精神が安定していないので下手に刺激を与えない方が良い」との事だった。
正直、紅太郎が今でも記憶を失っている事は残念には思う。
それでも、たとえ自分の事を覚えてなくても、紅太郎が元気な姿で戻ってくる事が、桜花は本当に嬉しかった。
「ええ紅太郎と会えるだけでも嬉しいのに、まさか、同じ場所で……2人で……ヒーローとして一緒にいられる様になるなんて」
桜花は心の底からそう思っていた。
「でも浮かれてばかりはいられないわよ。英雄期間での仕事は、どの仕事でも普通の仕事よりは危険なものなの。まして常に最前線に立つヒーローの危険度は、ほかのどの仕事に比べても高いわ」
「ええ。わかっているつもりです。紅太郎の事は何があっても、……私の命に代えても守ってみせます。
「……」
「弓塚さん?」
弓塚は何かを言い淀んでいる仕草をとったが、意を決して口を開く。
「桜花のその気持ちは分かる。けどね、同じヒーローとして、仲間として相手を助けてばかりじゃダメなのよ。そもそも九条君や六花ちゃんが人質にとられたらどうするの?」
その言葉に桜花の顔は大きく歪む。
もし人質にとられたら……
ソンナコトハキマッテイル……
この世界の全ての悪は私がーー
桜花の瞳は暗く沈み、焦点が合っていなかった。
その身体からは、おおよそヒーローのものとは思えない魔力がにじみ出る。
「ゴメン。言い過ぎたわ。」
「……」
「わ、私も紅太郎君のヒーロー特性を疑っているわけじゃないわ。退院したばかりの人間を桜花に会わせるだけだったなら、わざわざヒーローとして配属する必要はないし、何より長官がそれを許すはずがない」
「それでも今回の人事には私は不満を持っているの。あなたと紅太郎君を同じチームに配置するのは、やっぱり良くないんじゃないかって」
「私と紅太郎は同じチームじゃない方が良いですか?公私混同はせずにきちんとけじめはつけるつもりです」
「ううん。それはあんまり心配してないの。なんていうか近しい人だから危ないというか。まあでもそれを言ったら六花ちゃんと、桜花もそうなんだけど……」
「?」
弓塚が何か良い言い回しがないかと考えているところに、二人の端末が同時に鳴り響く。
「この回線は……指令?」
緊急回線の相手に疑問を覚えつつ、代表して弓塚が応答する。
「はい弓塚です。現在英雄機関の桜花の自室に居ます。桜花と二人だけです」
弓塚が手早く自分たちの現状を伝える。
この回線は通常のものではない。
緊急性が高く、なおかつ秘密裏に連絡を取りたい時に使用する非常回線だった。
「現在英雄機関の敷地内、南ゲート付近で戦闘が発生している。」
「……」
それだけならば、秘密回線を使う必要はない。
警鐘を鳴らし、ヒーローを招集。保有する戦力で迎撃を計るだけだ。
何か事情があるのだと察し、桜花と弓塚は次の言葉を待った。
「戦っているのは神前六花と九条紅太郎だ」
「「なっ」」
弓塚と桜花の声がハモる。
なんで六花と紅太郎が……
桜花の頭の中は、半ばパニックになっていた。
「両名の戦闘行為は表ざたにしたくはない。速やかかつ隠密に二人の戦闘を辞めさせてくれ。方法は任せる。以上だ」
回線が切れると同時に、桜花は自らの端末から六花への通信を試みる。
がしばらくコールをしてみるものの応答がない。
「出るつもりは無いようね……」
「六花のやつ何を考えているんだっ! なぜ紅太郎とっ」
弓塚が少し考えるそぶりをみせ、桜花に指示を出す。
「とりあえず桜花は現場に急行しなさい。あなた一人ならすぐに着くはず。私も後で追います」
弓塚は言葉を続ける。
「二人が戦闘を止めない場合は武力行使に出てください。ただし手加減を間違えないで。仲間に怪我をさせたくないわ」
「わかりました」
返事をすると同時に、桜花は部屋を飛び出していた。