潜入初日
今より少し前、この国ではヒーローと悪の組織の戦いは絶えなかった。
かつては1日に小競り合いも含め数百もの戦闘が行われていた。各地では死傷者が絶えない日々が続いていた。
しかし、いつまでも悪の組織をのさばらせておくわけにはいかない。そう決意した国家は、悪の組織を駆逐するために、英雄機関計画計画を発動させた。
具体的には各地で散発的に活動をつづけていたヒーロー達を、一つの機関に集め運営していくというものだ。
最初は各ヒーロー達の反発が起こるものと考えられていたが、実際にはそういう事は起こらなかった。
英雄機関の傘下に入ったヒーローの待遇は思いの外良かったからだ。バックアップの態勢は完璧だったし、物資や人員が不足している時も各支部と連携をとり対応してみせた。
圧倒的に人員の増加した正義の味方に、悪の組織もそれまで通りに活動する事は、困難になっていった。
しかしそもそもとしてヒーローの数はけして多くない
突然変異による覚醒、または悪の組織による改造人間。はたまた未知の生物の融合など、様々な理由でヒーローとなる人間はいる。
そのようなレアケースに頼るのではなく、もっと合理的に、かつ多数のヒーローを生み出すにはどうしたら良いか。
その答えが、特別政令指定都市サイタマである。
人口300万人。
世界でも有数の規模を誇るこの都市は、半分以上の人間が英雄機関、およびヒーロー育成機関等に関わる人間で構成されていた。
システム化された育成機関によるカリキュラムは、卒業生の90%以上の人間を英雄機関の関連組織に就職、もとい配属させている。
そして稀に才能のある者はヒーローとしてデビューし、活躍している。
また安全性を考慮して、ヒーローは普段チームを組んで行動している。ヒーローとしての才能も重要だが、よりチームワークを重視する事によって、才能に恵まれていないヒーローも活躍することが可能になっていた。
チームの自体も互いの能力を補完するように組まれており、ここ数年でヒーローの死亡率が下がっているらしい。
そしてそんな敵地のど真ん中に、紅太郎達ナインライブズの本拠地はある。
なぜそんな危険な場所に本拠地を作ったのか?
昔玉藻に尋ねてみたが、便利だからと回答が返って来た。
紅太郎には全くわからなかったが、玉藻に言わせれば当然の事らしい。
「人がいなければ商売は成り立たない。誰もいない田舎に組織をつくっても、やることがないだろう」
と聞いた時には紅太郎も納得したが、同時に危険には違いないと思った。
そしてこれから紅太郎は、その危険な英雄機関の本拠地に向かわなけば行けない。
総帥に命じられた特殊任務を遂行するためにだ。
朝9時半。
英雄機関への配属日、もとい潜入日。
紅太郎たち2人は交通機関を乗り継ぎ、徒歩で英雄機関へと向かっていた。
「いやーいい天気でよかったですね」
紅太郎は隣を歩く少女ーー雪乃を見て思う。たしかにいい天気といって差し支えはない。その言葉自体に紅太郎は何の異存もなかった。
しかし紅太郎の気分は天気とは裏腹に、曇りのち雨の様相だった。
正直これからの任務を考えると、憂鬱にならざるを得なかった。
「どうかしましたか?」
「いやまあいいんだけどね。うちの組織は怪人二人しかいないから、バックアップはお前だってわかってたし」
隣を歩く雪乃の姿は、先日の遊園地の服装とは異なり、先日送られてきた英雄学園の制服を着用していた。年齢的には背が小さい事もあってか、中学生にしか見えないが、別に学園に年齢制限はないので問題ない。
「まあでも思ったよりも違和感なく見えるな。養成学校に通ってる学生に見える、ってどうした?」
雪乃はチラチラと紅太郎の方を見ながら歩いていた。その不審な動作は、日頃、他人に興味を持たない雪乃からは、考えられない動きだった。
「お前さっきからなにか言いたそうな顔で見てるよな。俺の格好なんか変か?」
制服なんか着るの初めてだからな。何かおかしいところでもあるのかもしれない。
そう思い、紅太郎は自分の体を見回してみる。
見た感じ変な所はなさそうだが、今のうちに指摘してもらった方が良いかもしれない。
「ええ、実は気になるところがあります」
「やっぱりそうか。どこが変なのか言ってみてくれ」
「結局五センチと一メートルどちらにしたのですか?」
「手術してねーよ! そのままだよ。そのまま」
雪乃の目は明らかに、紅太郎の下半身を凝視していた。無意識に、紅太郎は自らの股間を鞄で隠す。
「そうなんですか。私としては1メートルを期待していたのに残念です。大は小をかねるともいいますし、やはりいざという時のために、大きいほうが良いのではないでしょうか?」
真面目な顔をして諭すように語りかけてくるが、依然として雪乃の視線は下を向いたままだった。
「ありえねえからな!んなもんぶら下げて生きていけるわけねえだろ」
実際、目覚めた後、紅太郎は何度も何度も自らの下半身を確認してみたが、これといって変化は見られなかった。
(多分……大丈夫な……はずだ……)
少なくとも現状自らのイチモツが1メートル、もしくは極小になっていなかったことに、紅太郎は心から安堵していた。
「さて冗談はさておき」
「冗談なのかよ」
「自己紹介は大丈夫ですか」
雪乃の質問に紅太郎はピタリと足を止めた。
今回の潜入任務は、英雄機関ににいる玉藻の知人に協力もらっている。
『桜花を紅太郎に惚れされる』
その任務の都合上、紅太郎と桜花の接触は多いほうがいい。
紅太郎と雪乃は桜花と同じ職場。すなわち英雄機関のヒーローとして、迎えられることになっていた。
初対面の印象は何よりも重要、と考えた紅太郎はとっておきの自己紹介を用意していた。
「まあな」
紅太郎は悪人らしくニヤリと笑い答える。
「果てしなく不安ですね。ちょっとここで披露してもらってもいいですか」
紅太郎は自信満々に、「おうっ任せろ」と言って、深呼吸をし、一息でまくしたてた。
「本日英雄期間に転籍しました九条紅太郎です。趣味は料理を作ることです。得意料理は肉じゃがとハンバーグです。休日はペットの犬と公園に遊びに行きます。この町は初めてですのでわからないことだらけですが、一日も早く戦力になれるよう頑張ります。よろしくお願いします」
「キモいですね」
「キモいゆうなっ」
雪乃は心底あきれた表情を浮かべていた。
「本に動物好きな男は好かれるって書いてあったんだよ。後料理ができる男はポイント高いってな。大体料理できるのは本当だぜ」
紅太郎は、言い訳がましく鞄から本を取り出し、雪乃の目の前に掲げる。
『お見合いのための自己紹介、経歴書の書き方。異性をモノにする百八の技』
婚期を逃したアラフォーの読むような本だった。雪乃の刺すような視線が、紅太郎に突き刺さる。
「読む本を著しく間違っていると思いますが、今更です。もう英雄機関についてしまいますけど、少しでも考えておいてください。あ、あとこれは必要ないので、私が預かっておきます」
ガサゴソと鞄を開け、雪乃は本をしまいこんでしまった。
「あと学校に来た転入生ではないので趣味とかいらないですから。そもそもですね、あなたの自己紹介は……」
雪乃は自己紹介の講釈を始めるが。しかし残念ながら紅太郎の耳には全く入らなかった。
やはり今回の任務は今までと勝手が違う。生まれてからずっと、怪人として生きてきた紅太郎には、恋愛経験が全くない。いくら恋愛に関する本を読んでも、実感がわかないというのが本音だ。
しかしプライドにかけても、やったことがないから出来ない。などと言いたくないし、また言える立場にない。
任務を与えられた以上、全力で達成してみせる、と先日とはうって変わってやる気になっていた。
「というわけで自己紹介というのは実に奥深いものなのですよ? 聞いてますか? 紅太郎?」
「あ!?……ああもちろんだ。まじで助かったよ」
話は全く聞いてなかったが、そんな事を言えるわけがない。適当に話を切り替える事にする。
「そういやお前も変身能力って封印してるわけ?」
「ええもちろんです。英雄機関には僅かな力でも検知してしまう優秀な機器がありますからね。確実にばれます」
そうなんだろうと紅太郎は思う。
検知されないのであれば、そもそも怪人の力を抑制する必要などないのだから。
「紅太郎ーー」
雪乃がピタリと足を止め、紅太郎を呼び止める。
「ん?どした?」
雪乃に言われてあたりに注意を払うが、周囲には誰の気配もなかった。いつの間にか英雄機関の入り口近くまで来ていたようで、英雄機関の車両や建物が目についた。
ーー誰もいないーー
その違和感にようやく紅太郎も気づく。周囲からは完全に人の気配が消えていた。