秘密結社ナインライブズ
昼下がりの午後。
空には雲一つない、五月晴れ。
まさにレジャー日和ともいえる日曜日。
総合アトラクション施設、ドリームランドは、カップルや家族連れの客で、ごった返していた。
ドリームランドは近年、特別政令指定都市サイタマに建設された、人気のレジャー施設だ。
海岸沿いの広大な埋め立て地を敷地に、莫大な予算を投資して造られたこの施設は、その予算に見合うだけの成果をあげていた。
そのエントランス付近の中央広場のベンチに、どう見てもカップルには見えない、一組の若い男女が座っていた。
「これでいいのですか。紅太郎」
少女が無表情のまま、隣の少年に向かってつぶやく。
少女の名は白戸雪乃。女子であることを差し引いても背が低く、隣の紅太郎と呼ばれた少年にと比べると頭一つ分以上の差がある。
小さな耳を隠す程度の短い白髪に、ぱっちりとした大きな目。美少女と言っていい顔立ちだが、表情に乏しく、どこか達観したような様子を醸し出していた。
「ああ、サンキューな。神前の奴は俺に任せてくれ。雪乃は他の奴の相手を頼む」
紅太郎と呼ばれた少年が、笑みを浮かべて答える。
毛先のはねた黒色の短髪に、黒色の意思の強い瞳。獣の風貌を思わせる顔だが、まあまあ美男子といって差支えないだろう顔立ちをしていた。
二人はまるで、普通の人間のようにしか見えなかった。
「しかしあなたも懲りませんね。何回負けたら気が済むんですか?」
雪乃は呆れた様な口調で紅太郎を蔑んだ。
「勝つまでに決まってんだろ!ていうか負けてないから。今までずっと引き分けが続いてるだけだから!」
紅太郎は無意識に拳を握り締めて答えた。
「引き分けと言いますが、実質的には全敗では?毎回紅太郎が撤退しているわけですし……」
「ちげーよ。あれは玉藻のやつが撤退しろっていうから、仕方なくだな……戦略的撤退って奴だ。」
「負けず嫌いは困りますね……」ボソッ
「ん、なんか言ったか?」
「いえ別に」
「とにかく生きていれば必ず勝てる。死ななきゃ勝ちっていうのが、俺の座右の銘だからな。」
雪乃は、呆れた様な眼差しを紅太郎に向けて来るが、本人は全く気付いていなかった。
「わかりました。今回も死なない様に頑張ってください。スノーホワイトより全戦闘員に通達、作戦を開始します」
ブシュゥゥ
雪乃が小声で戦闘員に指示をすると、突如、何かが噴き出す音とともに、遊園地の至る所で白煙が発生する。
煙が瞬く間に遊園地全体を覆っていく。突如視界を奪われた来場者達の絶叫が、園内に響き渡っていた。
「今回逃走ゲートは、お化け屋敷、ドリームシアター内、フードコートに一つずつ設置してあります。屋外では先ほどお伝えした10ヶ所に設置してあります。撤退時には速やかに移動してください」
言いながら、雪乃は紅太郎にゲートを利用するための暗号キーを送る。
ゲートでの移動は、瞬間的な移動を可能にするため非常に便利な技術だ。しかし敵に追跡を許しては意味がない。暗号キーは利用可能なものを限定するため必要なものだった。
視界の悪い中、雪乃に身を任せる紅太郎からは、変異の前兆である黒い煙が立ち上る。
「ん? お前は変身しないのか?」
紅太郎は雪乃から変異の煙が上がっていないことに、疑問を抱く。
「ええ。私は戦闘が始まったら入り口付近で増援部隊を迎撃します。それまでは茂みに隠れていますので、怪人への変身は行いません。気配を察知される恐れがあります」
2人の会話は5秒にも満たなかったが、既に紅太郎の変身は完了していた。
形こそは一応人間のフォルムを保っているが、元の紅太郎の体を分厚い黒い物体が覆っていた。変異後の紅太郎は2 メートルを超える巨体に変化する。濡れた金属を思わせるそれは、その見た目以上に強い魔力を内包していた。
ただそこに存在しているだけで、周りの空気を圧倒するほどの魔力が、漏れ出していた。
「今回の作戦で神前桜花を倒すことができなければ……わかっていますね?」
「ああわかってる! 負けたら玉藻の奴の特殊任務を受けるんだろ」
「ええ今回も勝てなかったら、しばらく神前桜花とは戦えません」
玉藻の特殊任務とやらは気になるが、あいつのことだ、ろくな任務じゃないだろう。
そればかりが理由ではないが、紅太郎は改めて気を引き締める。
ふと強い風が吹き、園内に充満していた白煙を吹き流していく。
白煙が晴れると、遊園地内には全身黒づくめの格好をした戦闘員が現れていた。
「怪人だっ! 逃げろ―っ。殺されるぞッ」
来場者は再び絶叫をあげ、出入口方向へ殺到する。
本来ならばただの人間が全力で逃げたところで、身体能力が根本から違う、戦闘員から逃げ切れるようなものではない。
しかし現れた戦闘員たちは、人々には目もくれずに、ベンチやモニュメントを破壊していた。
もしもここに冷静に観察している者がならば、怪人たちの目的が自分たちではないことが分かっただろう。
だが来場者は蜘蛛の子を散らす様に逃げ惑っていた。結果紅太郎のいる広場には、誰一人として残っていなかった。
「こちらスノーホワイト。各員そのまま破壊行動を続けてください。偵察班は引き続き周囲の警戒をお願いします」
雪乃の事務的な声が、紅太郎を含めた全戦闘員に指示を与える。
その動きは良く訓練された兵士さながらであり、紅太郎達の所属する、秘密結社ナインライブズの戦闘員の質の高さを物語っていた。
しばらくすると、園内に紅太郎たち以外の人影はなくなっていた。
先ほどまでいた戦闘員の姿もなく、園内には雪乃と紅太郎の二人だけになっていた。
「ぼちぼち来るかな……」
紅太郎が呟くと、タイミングを計ったかのように偵察部隊から連絡が入る。
「こちら偵察班。神前桜花、正面ゲートに到着しました。まもなく中央広場方面に向かうものと思われます」
「了解しました。園内にいる戦闘員は所定の位置についてください。繰り返します……」
報告を受けた雪乃が素早く指示をする。
「予定通りだな」
紅太郎は誰にというわけではなく呟く。
英雄機関最強のヒーローである神前桜花。
その並外れた能力は一騎当千と評するに相応しいが、ヒーローにありがちな、単独先行をすることはほとんどない。
よって1対1の勝負を望む紅太郎は、他の部隊から桜花を引き離す必要があるのだが、他のヒーローがいる中では正直難しい。
よって今回の作戦は桜花がプライベートで1人でいるところを狙っている。
「やはり予想通り一人のようです。敵の増援を食い止められないと判断した場合、また紅太郎のダメージが一定量を超えた場合、全軍撤退してください。紅太郎も指示には必ず従ってください。わかりましたね」
雪乃は最後に注意を促して、茂みの中へと姿を隠した。
紅太郎は雪乃の姿が見えなくなったのを確認すると、正面ゲート――桜花のいる方角を見据えた。
先ほどまで人でごった返していた広場には、紅太郎1人しかいなくなっていた。
「みーつけた!」
中央広場へものすごい勢いで駆けてきた少女――神前桜花は、紅太郎の目の前に降り立ち邪悪な笑みを浮かべる。
「ヒヒっ怪人は皆殺し!!皆殺しだーっ」
「!?」
桜花は一方的に叫び、そして瞬時に紅太郎の懐に入り込み、回し蹴りの態勢をとる。
――早いっ
相変わらずアブナイ奴だが、その戦闘力だけは折り紙付きだ。
直撃すれば、いくら防御力に自身のある紅太郎でもただでは済まないだろう。
紅太郎は瞬時に魔力を集中、演算を完了し、シールドを多層展開する。瞬時に展開されたシールドは厚さ1センチほどの薄く透明なものだったが、その強度は見た目通りのものではない。
銃弾であれば余程高威力のものであれば完全に防いでしまうし、こうして多層展開させれば、たとえトラックが暴走して突っ込んできたとしても完全に防いでしまう代物だ。
しかしその超高強度のシールドは、桜花の高速廻し蹴りを僅かに、一瞬だけ受け止めるがあっさりと砕け散った。
「ぐへっ」
ガードは間に合わず、蹴り足が紅太郎の腹部に突き刺さる。200キロ以上ある紅太郎の巨体は軽々と吹き飛ばされた。
ガッシャーン
派手な音を立てて吹き飛んだ紅太郎は、近くにあった土産売り場の建物内に吹き飛ばされていた。
「フヒヒヒヒッ!!思い知ったか!今日こそ貴様を滅してやる!ヒャッハーッ」
高笑いを続ける正義の味方ーーのはずの桜花からドス黒い殺意のオーラが滲み出る。
神前桜花は英雄機関最強のヒーロー。それは間違いない。正面からの戦いであれば、1人で1組織の壊滅も可能だろう。
その上ヒーローらしからぬ言動。そして悪即滅を信条とする戦い方に多くの怪人達を震え上がらせていた。
そんな桜花との戦闘を望む怪人は、サイタマ市の中では誰一人としていなくなっていた。唯一の例外を除いてはーー
ガラガラガラッ
紅太郎は瓦礫を跳ね除け起き上がる。
「くそっ相変わらずむちゃくちゃな上に、めちゃくちゃ強えー」
紅太郎は高密度の魔力を身体に循環させ、先程とは比べものにならない量のシールドを多重展開させる。
顔まで黒い仮面に覆われてしまっているため、その表情は変化しない。しかしその仮面の中で紅太郎は笑っていた。
「紅太郎。大丈夫ですか。あまり油断しないでくださいね。こちらは増援部隊を牽制する為、援護できませんからね」
今度はこちらの番、とばかりに駆け出しかけた紅太郎に、雪乃から通信が入る。
「大丈夫だ必要ねーよ。ちっと油断しただけだ」
「負けっぱなしのくせによく油断できますね。サザッーーどうやら敵部隊が到着したようです。私も戦闘にはいりますので。健闘を祈ってます」
ブッ
嫌味を言われ一方的に回線を切られる。
紅太郎は正直頭に来たが、事実なだけに否定もできなかった。もう2年間も戦い続けているが、一度も勝った事が無いのは事実だったからだ。
「……フゥ」
少し落ちついて深呼吸をする。紅太郎には雪乃の意図がわかっていた。要は頭を冷やして冷静に戦えってことだ。
紅太郎は雪乃に感謝しつつ、再度スピードを付け駈け出す。仁王立ちで紅太郎を迎え撃つ桜花に、今度は紅太郎から攻撃をしかけた。
ズガガガガッ
その鈍重な見かけからは想像もつかないスピードで紅太郎は突進し、連続で打撃を放つ。
速射砲の如く放たれた紅太郎の攻撃に対し、桜花もそれを防ぎ、いなし、反撃を仕掛けてくる。
断続的に破砕音が鳴り響き、衝撃波が広場を揺らす。
「イヒヒヒヒヒッ!この私とここまで戦えるのは貴様だけだ!」
桜花はおよそ正義のヒーローとは思えない形相で笑っていた。
自分が全力で戦っても壊れない相手。まるでそんな存在を待ち焦がれてたかの様だった。
「アアアァァーー」
叫びながら桜花は一段ギアを上げる。ただでさえ常識外だったスピードが更に上がる。
踏み込みの衝撃に耐えられなくなったアスファルトは、紅太郎を中心にしてめくれ上がる。
「ちょっ!ぐっ!ヤベッ」
紅太郎の動きに余裕がなくなり、段々と押され始める。
捌ききれなくなった蹴りや拳が、紅太郎の体に当たり始める。クリーンヒットこそまだないが、防御力特化型の紅太郎でなければ、一撃死する威力だ。
「アァァァッ」
再度桜花が叫ぶと、スピードはそのままに威力が増してくる。桜花の拳からは黒い炎の様なオーラがほとばしっていた。
ーーまずいっ
紅太郎は背筋に冷たいものを感じていた。
桜花の体を包みつつある黒いオーラは、ヒーローや怪人だったら誰でもやっているもので、要は身体に魔力を循環させる肉体強化だった。
ナインライブズでは総帥である玉藻の方針のため、一般の戦闘員ですら魔力による肉体強化は使える。
技術的にも難しいものではなく、もちろん紅太郎もいま、現在進行形でその術を行使していた。
たがもしも桁外れの身体能力ーー例えば素の状態で悪の怪人を上回る強さを持つ者が、更にその身に宿した魔力が馬鹿げた総量を持つ者が、その全てを肉体強化に当てた場合どうなるのだろうか。
紅太郎の目の前にいる、若干16歳の少女がその答えだった。
「がッー」
桜花の渾身の力を込めた踵落としを、紅太郎が腕を重ねてブロックする。
ドズンッ
しかし紅太郎はどうにか耐えられても、地面は耐えられない。その衝撃で紅太郎の足元の地面はクレーター状に砕け割れ、紅太郎の足はアスファルトに埋没していた。
その衝撃波は大気を振動させ、余波が園内に広がる。
(ぐっ!重いっ)
紅太郎は桜花の熾烈な攻撃をどうにか防ぎきったが、その衝撃で完全に動きが止まっていた。
そしてその隙を桜花が逃すわけはない。
桜花は瞬時に紅太郎の懐に入り込み、突きの態勢をとる。それは魔力を全力で込めた、桜花の必殺技「ブリューナク」の発動を意味していた。
紅太郎に戦慄が走るが、既に避けられるような状況ではない。
本能的に紅太郎が行ったのは回避行動ではなく、全力の防御だった。ありったけの魔力を込め、シールドを眼の前の相手に対し展開する。
と同時に桜花の光り輝く右腕が、凄まじいスピードで振り抜かれた。
「ブリューナクッ!」
右腕に圧縮された超高エネルギーが紅太郎の身体を直撃する。
インパクトの刹那の時。紅太郎は全ての魔力をシールドに込める。
「おおぉぉぉぉっ」
両者のエネルギーが拮抗する。だがしかし、紅太郎のシールドが桜花の拳に対して拮抗したのは、時間にしてわずかに一秒ほどだった。
すべてのシールドを貫通した桜花の右拳が紅太郎の身体に突き刺さる。
次の瞬間。
紅太郎は音速を超えるスピードで吹き飛ばされていた。
瞬間移動さながらに吹き飛んだ紅太郎は、射線上に位置していた建物を貫通、倒壊させていく。
ざっと200メートル程飛ばされて、ようやくその勢いを殺し地面に着地、もとい転がり回り止まることができた。
インパクトの瞬間にシールドを全力展開したおかげで、どうにか致命傷を避ける事ができた紅太郎だったが、受けたダメージや魔力消費は尋常ではなかった。
「紅太郎!?大丈夫ですか?いま神前のブリューナクの光がこちらからでも確認できましたけれど」
「だ……大丈夫だ。どうにか生きてる。久々に直撃したけどな……」
紅太郎は以前まともにブリューナクを食らった時の事を思い出していた。あの時は一撃で気を失い、雪乃に回収されるという無様な結果を残していた。
その事を考えれば今回は少なくとも意識はある。少なくとも進歩しているわけだ。
そう前向きに考え、紅太郎は立ち上がろうと身体に力を入れる。その拍子に自身の残存魔力が、半分を切っている事に気づいた。
「紅太郎。無理は禁物です。今回は諦めましょう」
タイミング良く雪乃から、撤退を促す通信が入った。
「いやまだ大丈夫だ。奴も最大出力のブリューナクを放ったせいで二割程度魔力を消耗している。次の奴のブリューナクを躱して、俺の全力の攻撃をカウンターで当てられれば、必ず倒せるはずだ」
「いえ、そんな確率の低い作戦に賭けるわけにはいきません。こちらも増援部隊と交戦中ですのでサポートはできません。紅太郎をサポートするのであれば、戦闘員の犠牲が拡大します」
「…………」
「自分でもわかっているのでしょう?分の悪い賭けということに」
「でしたら大人しく帰還してください」
「……わかった。全員撤退しろ。俺の事は構わないでいい。さっきの作戦が通用しなかったら俺も諦める。逃げる余力くらい残しておくから心配するな」
「……ええ。わかりました。玉藻様にそのように伝えます。…………………紅太郎。今玉藻様から通信が入りました。撤退の指示に従わない場合は自爆させるそうです。後5秒」
「おいどこにそんなもんついてんだよ。少しは人権尊重しろよ!!」
紅太郎は体をまさぐるが爆弾は見当たらない。
普通なら味方に自爆装置などつけないがアイツならやりかねないっ!
「3秒…………2秒」
「わかった。帰る!すぐに帰れば良いんだろっ!」
「了解しました。こちらも撤退を開始します」
乱暴に返事をした後、紅太郎は魔力を身体からソナーの様に打ち出し、身近なワープゲートを探索し始める。
幸いな事すぐ近くにその存在を感じとることができた。
どうやらこの建物内にあるようだ。
紅太郎はゆっくり起き上がり、ゲートへの移動を開始した。