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プロローグ

「それ以上近づいたらこいつを殺すぞ!」


 男は少女に向かって叫んでいた。


 目の前の男は左手で少年を動けないように羽交い絞めにしていた。


 その力は少年にとっては圧倒的で、抜け出すことはおろか身動きすら満足に取れそうもなかった。


 男の姿は異形の姿と言っても差し支えのないもので、その全身は甲殻類や昆虫を思わせる殻でびっしりと覆われていた。


 そしてその右手には、凶悪さの象徴ともいえる巨大な鋏が伸びていた。鋏はいびつな形をしていたが、同時に刃物を思わせる鋭利な刃を有していた。


 その右腕の凶器は少年の首筋に向けられていた。

 少しでも動けば少年の命はない。そう思わせるだけの凶悪さがその男には漂っていた。


 しかし今、目の前の男には余裕の色はなかった。


「いいか。一歩でも近づいてみろ! このガキの首掻っ捌いてやるからな」


 叫ぶ男の額から汗が一筋流れる。

 男が睨みつけているのは年の頃が10歳前後の少女だった。男に捕まっている少年と同じくらいだろう。

 身長140センチにも満たない細身の少女。普通ならばそんな子供に大の大人、まして悪の怪人である男が脅威を感じることなどありえない。


 しかしこの少女は普通の小学生ではなかった。

 少女は最年少ながら英雄機関に所属するヒーローだった。


 ……紅太郎のことは必ず助ける


 その少女は捕まっている少年の身を案じながらも、怪人を睨みつける。


 捕まっている少年――紅太郎は少女の幼馴染だった。


 少女から目の前の男……怪人までの距離は約十メートル。

 いくら少女が非凡な力を持つヒーローであっても、怪人に気づかれずに接近し、紅太郎を救出するのは難しかった。


「僕はどうなってもいいから! こいつを倒すんだ!」


 紅太郎は凶器を首筋に突き当てられながらも、少女に向かって必死に叫ぶ。

 しかし少女には紅太郎の願いをかなえることなどできなかった。


 怪人は今までにわかっているだけでも、二百人以上の人間を殺害している凶悪犯だ。

 近づいたら殺すと言っているのは嘘ではない。

 今までそうしてきたように、少女が動けば躊躇なく紅太郎を殺すだろう。


 仮に怪人の希望通り逃走させたとしても、人質としての価値がなくなった紅太郎を無事に解放するとは思えなかった。


「うるせぇ! ぶっ殺すぞ! 手前の立場が分かってんのか!」


 怪人は紅太郎の言葉を遮るように、首筋に右腕の鋏を突きつける。

 紅太郎の首に刃が当たり、その首筋に一筋の血が流れる。

 怪人が少しでも力を入れれば、紅太郎の命は失われてしまうだろう。


 少女は覚悟を決めたように一瞬目を瞑り、深く呼吸をする。

 紅太郎は絶対に死なせない。そのためには……


 少女は眼を開き、覚悟を決めて口を開いた。

「……もうすぐ仲間がここにやってくる」

 少女の言葉に怪人はピクリと反応する。少女から目を外さないが、怪人は明らかに周囲を警戒し始めていた。

 少女は言葉を続ける。


「仲間が来れば貴様が助かる道はない」

 少女の声からは、その愛らしい外見にそぐわぬ殺気をはらんでいた。

「しかし我々は貴様の逮捕よりも、人質の解放を優先したい」


 ジリッ


 怪人が紅太郎を抱えたまま後ずさる。見るからに怪人は動揺していた。

 当たり前だ。この状態で増援が来れば怪人に勝ち目はない。

 少女は怪人に気づかれないよう、タイミングを計り間合いを詰める。


「今すぐ人質を解放しなさい。そのかわりに我々は……貴様が安全圏に到達するまで手を出さない」


 もちろん少女には増援の当てなどなかった。

 そもそも仲間が本当に近くにいるのなら、こんな事態を招いてはいなかっただろう。

 怪人の動揺を誘い、隙を見て一気に間合いを詰めて紅太郎を助ける。

 それが少女の作戦だった。

 実際にその考えは作戦といえるものではないだろう。

 しかし若干十歳にして組織の中で最高戦力となった少女は、その驚異的な身体能力を駆使して今まで数多くのミッションを成功させてきた。

 幼いが故の無謀な特攻ではなく、十分勝算のあるものだった。


「私はヒーローだ。嘘はつかない」


 少女は怪人をまっすぐに見据えていた。

 怪人は紅太郎を羽交い絞めにしたまま沈黙している。少女の言葉を信じるか否か悩んでいるようだった。


 実際少女にしてみれば、紅太郎の救出こそが最優先事項だ。

 事実怪人が紅太郎を解放するようだったら、約束を守り、怪人を逃がしても構わないと本当に考えていた。

 それほど少女にとって紅太郎は大事な存在だった。


 少女はいつでも動けるように、かつ怪人に気づかれないよう隙をうかがっていた。

 怪人は周囲の様子が気になるようだったが、少女から目を離さない。

 紅太郎の顔は青ざめていたが、その眼は力を失っておらず少女のことをまっすぐに見据えていた。


 ――桜花に任せる。


 紅太郎がそう言っているように桜花は感じていた。

 物心のつく前からずっと一緒にいた二人だ。

 言葉を交わさなくとも二人の心は通じ合っていた。


 後はタイミングを……


 桜花がそう思っていた矢先、思わぬ第三者の手によってその隙は作られた。


「いたぞ! 怪人だ! 男の子が捕まっている」


 その男の発した声は決して大きくはなかった。しかし桜花と怪人はその驚異的な聴覚によって、その声をはっきり捉えていた。

 反射的に怪人が声のした方向へ顔を向ける。


 ――いまだっ。

 怪人の意識は声のしたほうに向けられている。

 紅太郎を救い出すチャンスは今しかないっ


「――ッ」


 渾身の力を込めた少女の足が地面を抉り、爆発的な推進力を生み出す。


 ――このタイミングなら間に合うっ


 怪人が少女の突進に気付いた時には、少女は怪人の目の前にまで接近していた。

 反射的に鋏に力を込めるが、それよりも早く少女の手が怪人の腕をつかんでいた。

 その手に込められたすさまじい力に、本来超硬度を誇る怪人の鋏は周囲の甲殻とともに容易く砕け散る。


「ぐあっ」


 すさまじい膂力にその身をさらされた怪人は、たまらずうめき声をあげる。

 そのまま桜花は怪人の腕を逆方向に捻じ曲げ、地面に叩きつける。


「ぐっ……くそっ」


 完全に極められた腕の痛みで怪人の顔は大きく歪んでいた。


「紅太郎! 大丈夫か?」

 少女は怪人の腕を極めながらも、近くにいるはずの紅太郎の名前を叫んでいた。

「だ、大丈夫。僕は無事だよ」

 紅太郎は起き上がりながら返事を返す。

「……良かった」

 桜花は紅太郎の無事に心から安堵していた。


「く、くそっ、この化け物がアアアァァァァッ」


 怪人が何とかして少女から抜け出そうともがくが、抑え込む力は凄まじく、全く体制を変えられずにいた。


「観念しろお前の力では抜け出すことはできない」


 事実、桜花と怪人とでは如何ともしがたい実力差があり、怪人は必死に抵抗するものの、身動き一つすることができなかった。

 脱出できないことを悟ったのか、怪人は抵抗をやめ、おとなしく地面に横たわる。

 それを見つめる桜花と紅太郎に、油断の色は一切なかった。


 しかし桜花はこの時のことを後悔する。

 なぜ紅太郎だけでも安全地帯に移動させなかったのか?

 なぜ怪人を殺さなかったのか?

 なぜ私は……


「くっこの手は使いたくなかったが」

 怪人が呟くとともに、桜花の極めている腕から凄まじい力が溢れ出す。

「死ねっ」


 直後、辺り一面が白い光で満たされーー

 


 雷鳴の轟くような爆砕音を伴う大爆発が起こった。



 ーー自爆。それが怪人のとった選択肢だった。



 その爆発は凄まじく、桜花も少なからず傷を負っていた。

 爆発により粉じんが舞い上がりほとんど何も見えない。


「くっ」


 爆発の直撃を受けながらも桜花は受け身をとり、素早く立ち上がる。

 先ほどの爆発は尋常な威力ではなかったが、それでも桜花にはロクにダメージを与えられていない。


 だがしかし……せいぜい普通のヒーロー程度の力しかない紅太郎はそうはいかない。


 今の爆発の威力は紅太郎にとって、十分致命傷になりうることを桜花は本能的に悟っていた。


「紅太郎、紅太郎は無事か!」


 爆発とともに巻き上がった砂埃で視界が悪い。桜花から紅太郎の姿は確認できなかった。


 ふと視界の端に動くものを捉える。

「紅太郎?」

 しかしその姿は紅太郎ではなく怪人だった。

 怪人は自ら生み出した爆発で右腕を失くしていたようだった。

 満身創痍であったが、ふらつきながらも逃走を試みている。しかし少女にとってそんなことはどうでもよかった。


「紅太郎! 返事をしてくれっ」


 桜花は泣きながら、必死に紅太郎の名を呼び続けた。


 凄まじい爆発だったが近くにいるはずだ。


 その時、一陣の風が吹き砂埃を吹き流していった。

 そしてやっと見つけた紅太郎は、桜花が予想していた最悪の状態のものだった。


「紅太郎っ」


 桜花は急いで紅太郎のもとに駆け寄ると、体を起こし顔を覗き込んだ。


「大丈夫! しっかりして!」


 桜花は必死に呼びかけるが、返事はない。


「血、血が……」


 紅太郎の腹部深くえぐられていて、とめどなく血が溢れ続けていた。

 流れ出る血液が桜花のその身を真紅に染めていく。

その暖かい血液が流れている様子は、まるで紅太郎の生命力そのものが流れてしまっているようだっだ。


「早く、だれか来てっ。このままじゃ死んじゃうっ」


 桜花は助けを求めて大声で叫んだ。


 傷が深い……このままじゃ……


 爆発によるダメージは深刻だった。おそらく内臓器官が複数損傷している。その傷は少女の目から見ても致命傷だった。


「……お……ぐ……がっごほっ」


 紅太郎は苦しそうに血を吐き出す。


 ――私が悪かったんだ。私のせいで紅太郎が……


「お願いだから、なんでもするからっ。誰かっ!!誰が助けてよっ」


 桜花は紅太郎の体を抱きしめながら、何度も何度も叫び続けていた。

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