最終話 先生と僕
本当は、僕は。
やっぱり伝えたかったんじゃないだろうか。
渡せるものなんて、何も思いつかないから。
せめて、自分がいたことを、いることを、心の中に留めておいてもらえれば。
秋名先生の最後の授業も終わった。
もうすでに帰りの会。
いつものように笑っているけど、秋名先生はなんだか元気がない。
「えっと……1ヶ月、すごく早かったです。
3年1組のみんなと過ごせて本当によかったです。ありがとうございました」
一つ一つ言葉を考えながら、でもありきたりな言葉しか思いつかない。
なんとなく僕と似てる、なんて思いながら先生の一言一言を聞く。
学級委員ふたりが、すっと教室を抜ける。
秋名先生はきゅっと口を結んで、うつむいている。
倉沢先生が「今日で秋名先生は最後です」みたいな感じでしゃべる。
こんなに集中して倉沢先生の話をみんなが聞いているのは初めてなんじゃないだろうか。
しばらくして、学級委員のふたりが戻ってきた。
ひとりは色紙、もうひとりは大きな花束を持って。
「えぇっ?…」
情けない声を出して、先生が口元を押さえる。
目からは大粒の涙が次々と、ぽろぽろあふれてくる。
やっとのことで色紙と花束を受け取り、先生は顔を上げられなくなってしまった。
「ほんとはここで『聞こえる』かなんか歌えるといいけどな」
「あっ、うん!歌おう歌おう」
倉沢先生の一言で、今文化祭に向けて練習中の課題曲を歌うことになった。
机をガーッと下げて、簡単に床を掃いて。
みんながここまでテキパキしてるのを見たことがなかった。
…だけど、まぁ、僕自身も今までで一番テキパキしてたと思う。
秋名先生はずっとどうしようって顔をして、涙を流しながらなぜか困ってた。
準備が3分ほどで整い、みんなが真剣な表情になる。
今まで散々バカなことばっかやってた拓も、アツも、そして僕も。
いっつもうるさい女子も、こういうときはとてもきれいな表情になる。
みんなが指揮者に集中する。
先生の涙はずっと止まらなかった。
僕たちの歌は今までで一番きれいに響いた。
「…よしっ、りょーたしっかりやれよ」
「最後の一迷惑だぞ」
「…う、うん」
5時55分まで、拓とアツは教室に残ってくれた。
それで、ここからは僕一人で待つように言われた。
…やっぱり帰ろうかな…
時計の針が進むのが、速いような遅いような。
僕は意味もなく机の中を整理したりして、緊張を必死に解こうとしていた。
…ふと、僕の目にはあるものが目に留まった。
理科の、ワーク…
あの時、先生は泣いてた。
それは、間違いない。
泣きながら授業の準備をしてた。
がむしゃらに、何かを考えないようにしている、みたいに…見えた。
…あれは、なんだったんだろう。
「あっ、菅谷くん」
もう涙もすっかり乾いた秋名先生が来たのは、僕がそうやって理科のワークをぱらぱらやってた時だった。
「菅谷くん、斐川くんどこにいるか知ってる?なんか呼ばれたんだけど…」
「あぁー、アツだったらもう帰っちゃいましたよ」
「えっ?あれー…?」
秋名先生は、ただ「来い」と言われただけで、ほんとに何も知らされてないみたいだ。
困った顔で「どうしよう…」とか言いながらその辺の机をちょっと直したりなんかしてる。
「先生」
「んー?」
「あんとき、何で泣いてたんすか?」
あっ。
やべ…
聞くつもりなんかなかったのに。
無意識って怖い…
「あんときって、あんとき?」
「あ、あの…話したくなかったらいいんですけど」
「ううん、…あんときはねー…ちょっと落ち込んでた」
秋名先生は少し恥ずかしそうに笑った。
「なんか、みんなと話してるときはすっごく楽しかったんだけど、授業になると頭真っ白になっちゃってさ。
谷中先生にもけっこういろんなことたたかれちゃってて。
それで、落ち込みながら次のところの準備してたときだったから…」
…あの、クソババア。
やっぱり秋名先生のコトいびってたんだ。
「でも、ありがとう菅谷くん」
「はい!?」
勝手に谷中先生に向かって怒ってたら、いきなりお礼を言われて。
感謝することはあっても、されることなんか全然ないと思ってたからびっくりして変な声を出してしまった。
「すっごくタイミングよかったんだよね、菅谷くんの言葉が」
「えっ、俺なんか言いましたっけ?」
「うん、私の授業面白いって言ってくれて」
「あ、あー…」
なるほど。
やっと、わかった。
あのときの先生の涙の理由。
「…俺、好きですよ。先生のこと」
「…え?」
「…あ…」
…口から言葉が勝手に出てきて、言ってから我に返った。
先生はすごくびっくりしてて、大きくて澄んだ目で見つめられるとかなり焦ってしまった。
だけど、言ってしまったものは仕方がなくて。
僕はとりあえず深呼吸をして。
「いや、すんません、困らせるつもりとかじゃなくて…、先生といて、すっごく楽しかったから」
「…………」
「だから、もう会えなくなるなら、最後に言っとこうと思って…」
「…………」
先生の大きく見開いた茶色い目の中で、僕がかっこ悪く焦っている。
いつもふんわり微笑んでいるピンクの唇が、今はかたく閉ざされている。
やっぱり困らせてしまった。
…言わなきゃよかったのかも…
そんなことを考えて、僕はいつの間にかうつむいてしまっていた。
軽く握った自分の手が見える。
…と、その僕の手に白い手が重なった。
「……ありがとう。菅谷くんのこと、絶対忘れない」
秋名先生の実習が終わって、もう1週間たつ。
週の初めはやっぱり、少し…いや、かなりさみしかったけど。
少しずつ、先生のいない日々に慣れつつある。
ものっすごいかっこ悪いんだけど、僕は土日ずっと熱を出して寝込んでしまっていた。
原因は…わかりきってる。
電話にも出られない状態だったから、拓にもアツにも報告することはできず。
…それをどんな意味としてとらえたのか知らないけど、今日になるまでふたりは何も聞いてこなかった。
「りょーたよぉ…それで、お前は『漢』になれたのか?」
さも言いづらそうにこんなことを言ってきたアツに、僕は笑った。
「『絶対忘れない』との言葉をいただきましたよ」
「おおーっ!!」
「漢だーーーー!!!」
僕の言葉に、心底うれしそうに顔を輝かせる拓とアツ。
…ほんっとバカだ。
こいつらが友達でよかった。
最初の日と最後の日に、僕は秋名先生から『絶対忘れない』って言葉をもらったわけだけど。
最初と最後じゃ、『絶対忘れない』理由が秋名先生にとっても変わっていて欲しい。
僕は、今まで高校とか将来の目標なんかがとてもあやふやだったけど。
なんか、なんとなく、教師を目指そうかなーなんて考えるようになった自分がいる。
…国語では、ないだろうけど。苦手だから。
あの時見つめた、先生の大きくて茶色い目。
あの時握った、意外と小さな、白く柔らかい手の感触。
僕は絶対忘れない。
もう会えなくなるって言ってはいるけど、会うのが難しくなるだけで絶対会えないわけじゃない。
先生は大学生で、僕は中学生で。早生まれの先生だけど、年は5つも離れてて。
だけど、同じ時間の中を生きているのだから。
また、いつか。
そしたら、その時はきっと。
僕はまた笑顔で秋名先生に会うことができるだろう。
ここまで読んでくださってありがとうございました(^^)読みづらい部分も多々あったと思いますが、感想をいただけると嬉しいです。