08:個人授業と雪解け
魔法学校の臨時教師として働ける事になったは良いが、この学校は現在長期休業に入っていた。この状況では出来る仕事も限られ、涼香としてはとても歯がゆい状況である。
「授業っていつから始まるの?」
深く、溜息を吐きながら問いかけるが、別段、返事を求めてはいなかった。ただの愚痴、或いは弱音が漏れただけの事だったが、直ぐ傍で本を読んで居たランスイは律儀に「来週からだ」と短く答えた。
「来週、ですか……」
そう呟いて、涼香はふと思った。『一週間』は自分の知っている一週間と同じだろうか?異世界なのだから、言葉が同じだからと言って油断をしてはいけない。
ギースが居れば、ギースに聞いてしまう所だが、生憎と校長の用事で此処には居ない……。
「あの、余裕があればで良いんですけど」
そう前置いてから、ランスイにこの世界の時間や期間、季節等に関して教えて欲しいと伝えた。
(やっぱり、バッサリ切られるかな……?)
ランスイに嫌われては居なさそうだ、と言う事は辛うじて分かるが、ギースとのやり取りや、冷たい印象を受ける物腰から、涼香はランスイに話しかけたり、問いかける事に些か不安を抱いていた。
「そうだな」
そう言うと、ランスイは読みかけていた本をパタと閉じ、涼香の方を真っ直ぐに見た。
「最低限の常識位は知らんと、何かと不便だろうからな」
「あ、ありがとうございますっ!」
素直に礼を述べるが、ランスイはふん、と視線を逸らしてしまった。素直じゃないだけで、良い人なのだろう事は分かる。分かっていても、まだ不安を感じてしまって居るのだから仕方ない。
「まず、先ほど話した『来週』が分かる様に時間に関して説明していく」
コホン、と咳払いをしてから真面目そうな解説が始まる。
――トン
目の前に用意された円盤、中心から伸びる太く短い針、細長い針、一際細い針の3本の針がチクタクと動いている……。
「コレが何かは分かるか?」
何が分かって、何がわからないか、と言う点が、異世界へ行ったことのあるギースと違いランスイには分からない為、一つ一つ確かめながら説明を進めて行く。
「時計、ですか?」
涼香の知る時計に酷似しているが、刻まれるべき数字『12・・3・・6・・9・・』の代わりに『天・・地・・炎・・水・・』と文字が入っている。干支で時刻を表すのと同じ様な意味合いなのかもしれない。
「そうだ。時間の単位は一番短い区切りが『刹』一番細い針で刹を指す。次が『計』。この長い針が示している。最後に『刻』短い針が示しているのがこれだ」
ランスイは此処まで一気に説明すると、大丈夫か確認するように涼香の方を見た。
一時間が一刻、一分が一計、一秒が一刹。涼香は頭の中でそれだけ確認すると、ランスイに「大丈夫です」と頷いた。ランスイは大丈夫である事を確認して安心した様に次の説明へと移る。
それから、天と地の間の時間を命一刻、命二刻、地と炎の間を糧一刻、糧二刻。炎と水の間が力一刻、力二刻、水と天の間が気一刻、気二刻と読み、短い針が円盤を一周すると半日、二周で一日になる等、細々と説明を進めて行く。
(教え方ってやっぱり個性が出るよね)
ギースの説明は大まかにざっくりと、と言った説明に加え、子供の興味が逸れない様な工夫が見て取れた。一方、ランスイの説明は細やかに丁寧に、と言った調子でとにかく痒いところに手が届きそうな細やかさで、彼の性格は真面目で几帳面なのだろうと連想させられる。
「この『一日』が七回、七日で一星週期と言う」
『週』と単純に略す場合もある事、そして先ほどの『来週』とは次の一星週期を指す事を事細かく説明した。
(単位の名称に差はあるけど、そう違いはない見たい。良かった)
差異の少なさに、ほぅと胸を撫で下ろした。その様子を見ていたランスイにも、涼香の世界との差異が少なく理解しやすかった様だと朧げながら伝わったらしく、小さく安堵の息を洩らしたのを涼香は見逃さなかった。
涼香に見られていた事に気付き、コホン、と咳払いを一つしした。
(ちょっと怖いけど、やっぱ良い人なんだ)
それから、月、季節、一年についての説明が始まった。月はそのまま一月、一ヶ月など涼香の知った数え方だったが、一月、二月……等、各月の呼称はまた違っている上、一年が二十四ヶ月で構成されているのだと言う。季節は春夏秋冬の四季で、一つの季節が六ヶ月位続くのだそうだ。各季節の中での細かい季節があり、それを三季と呼び、一つの季節が『寒季』『暖季』『中季』の三つに分かれ、それぞれその季節の中での『寒めの気温』『暑めの気温』『基本の気温』と分かれているらしい。
「これは余談だが、暦士と言う、季節を読み、暦を作る仕事がある」
一つの季節が約六ヶ月、三季が約二ヶ月ずつ、と言う事になるが、前年の気候等の細かい環境の変化具合により少しずつズレる物で、正確な暦を作るには暦士の存在が不可欠なのだと言う。この国の学校では暦を見て、その年の長期休業の期間を決めるのだそうだ。
「って事は、お休みの長さって毎年違うんですか?」
「そうだ。夏は暑さの厳しい期間、冬は寒さの厳しい期間、春は春呼樹に花が咲く期間が休みになる」
夏休み、冬休みは涼香の知る物と同様の理由でできている休みらしく、休みの長さが変わってくると言う事にも、なるほど理にかなっている、と頷いた。
「春呼樹って、どんな樹なんですか?」
気になるのはその樹だった。春を呼ぶ、と言う訳ではないが、漠然と桜の木を思い描くが、実際はどうか……。
「どんな、か。そうだな、この世界で恐らく一番古い種の樹だ」
その樹は、神話の時代からずっと進化も退化もせず、変わらず聳え立つのだと言う。
「そして、春を知らせるどんな物よりも早く、薄紅色と刈安色の花を咲かせる」
「一本の木で二色の花が咲くんですか?」
「あぁ」
確か、昨年の花見で撮った写真があったはずだ、と言いながら引き出しの中を探った。
パッと見える限り、ランスイの机はきっちりと整頓されていて、関係ない物は何も置かない主義の様に見えた。
(本当に写真なんて入れてるのかな……?)
「あぁ、やはり奥に入っていたな」
これだ、と見せられたのは大きな樹の前でランスイと、ランスイによく似た姿で、穏やかに笑う眼鏡の男性と、その男性に寄り添う様に佇む柔らかい笑顔の女性。そして三人の少女たちがランスイの横に並んでいる和やかな写真だった。
「ご家族ですか?」
「あぁ、兄とその家族だ」
写真の中と同じ様に、心なしか微笑んで見えて、涼香は貴重な物を見てしまった様な気がして、俯いた。
(なんか……照れるっ)
ランスイもバツが悪かったのか、小さくムクれて視線を外した。
「この後ろの大木、これが春呼樹だ」
咳払いして、言葉早に話題を戻した。写真の中の春呼樹の花を指差し二色のどちらも同じ一本の木に咲いている事、刈安色の花は花の咲く時期の最初と最後にだけ咲くと言う事を説明した。
「この樹は、冬の終わりを知らせる、と言う意味で『雪解樹』と言う呼び方もあり……」
この樹の葉に溜まる雪解け水はとても貴重な、魔法薬の材料になるのだとも説明を加えた。加えた、と言うよりも此方が本題だとでも言う勢いで、雪解け水を使った魔法薬の話が始まった。
「あの、魔法薬についてのお話、凄く面白いんですけど、今の私じゃ理解しきれない部分が多くて……」
折角の説明が勿体無いやら、申し訳ないやらで、涼香は精一杯、本当に興味は有るんだと言う思いだけは通じる様に弁解した。
「あぁ、そうか。そうだったな」
すまない。そう言って、饒舌になりすぎたと反省した様子で、居心地悪そうに他の話題を探そうと視線を泳がせた。
「もう少し、分かる様になったらまた聞かせて下さい!」
詳しく知りたい気持ちだけは、これでもかという程ある。足りないこの世界に関する知識量が恨めしい。
「あぁ。もっとも、元の世界とやらへ戻ったら何の役にもたたん知識だろうがな」
此処で生活する最低限の知識と言う訳でも無ければ、涼香の居た世界で役立つ知識でも無い。本当に不要な知識なのだと言いながら、自身の講義に興味を示された事が嬉しかったのか、涼香の頭を撫でてやりながら、涼香には見えない様に微かに笑みを浮かべた。
(そうだ。どの位居られるのか分からないけど、帰る日が来るんだった……)
一時的な居場所だと、分かっていた筈なのに、『元の世界に戻った時』を思うと何故か、寂しい気持ちになった。
「っ、ど、どうした」
ぎょっと表情を崩して涼香を見た。
驚かれて、初めて自分が泣いているのだと涼香は気がついたが、泣いた理由は自分では分からなかった。
「なん で も、ない……です」
袖で涙を拭いながら、慌てて答え様とするが、ランスイに腕を掴まれ拭うのを阻まれた。涼香は何が起こっているのか理解しきれず間の抜けた表情でランスイを見た。
「袖で拭くな。菌が入るぞ」
それだけ言って、自身のハンカチを取り出し涼香の涙を拭った。
拭われている間も、涼香はどうして良いか分からず、硬直して拭い終わるのを待った。
(恥ずかしい)
もう、大丈夫だな。拭い終わったランスイがそう呟いた。涼香は寂しい気持ちなど忘れ、突然泣いた驚きと、涙を拭われる羞恥の板ばさみでそれ処では無かったのだから、寂しさに関して言えば、確かに大丈夫だった。
「あ、あの、有難うございます」
心配してくれて。
涙を拭ってくれて。と、心の中で呟きながら、もう大丈夫です、と言う様に笑って見せた。
「大丈夫なら、いい」
居心地の悪さはお互い様だったらしく、ランスイもそれだけ言うと、視線を逸らした。涼香もどうして良いか分からずに視線を落とした。微妙な沈黙にどうして良いか分からず、必死に話題を探そうとするが、まだ頭の中は真っ白で言葉が浮かばない。
そんな沈黙の後に、漸く口を開いたランスイによって再びこの世界の常識についての個人授業が始まった。今度はもう不安は無く、興味の赴くままに質問し、ランスイもまたそれに丁寧に答えた。