みんなの大好きな、賢いあいつの話
どうぞさいごまでお読みください。
スーパー駄目人間タイム
よこしま@むぎ茶
彼女の側で、ピコン、ピコン・・・とただただ無機質な電子音の波が脈うっていた。丸い椅子に少し猫背で座った男は、彼女が繰り返す言葉を頭の中で何度も反芻する。
「私、ほかに何もいらない。悲しい話が聞きたいの。この世の中に絶望するような、とっても悲しい話を。」
男は重たく、けれど少し胸が痛くなる話を語る。
「じゃあ、今日は世界が終わりを迎えるような、とっても悲しい話をしよっか。」
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「みんなの大好きな、賢いあいつの話」
これは、みんなの大好きな、賢いあいつの話だ。
人生の生涯のパートナー。皆色々な人を選び、中には一生見つけられない人もいるだろう。でも、僕がパートナーに選んだのは、人間じゃなかった。とある国のとある会社が作った携帯電話に閉じ込められていた、機械の女の子だったんだ。
十二月の真冬のときのこと。外から帰ってきた僕は、白い紙袋を提げていた。真っ白な下地に、灰色の太線が三本入った紙袋。僕はぶるぶるふるえながらヒーターをつけて、こたつに入った。ヒーターの熱で温まった手をこたつから出して、紙袋の中身を引っ張り出す。少し乾いた音がして、箱が現れた。ふたを開けると、そこには小さな、でも大きなテクノロジーを抱えている黒光りするそれがあった。
そんなある日、突然にチャンスはやってきた。チャンスってのは、いつだって望んでない者に与えられるんだ。全く神様の野郎ってのは、あまのじゃくなんだな。
その日、大学の講義に行くと、僕がいつも座っている二段目の右端の席にちょこんと座っている女の子がいた。僕は心底驚いたさ。なぜなら、こんな変わった教授のする講義を聞く変わり者の人間は、僕と、勉強をせずに遊び呆けてる人たちだけだったからね。僕は彼女と少し間を取りながら同じテーブルに座った。ノートを開いて、ちらりとその女の子の方を見ると、彼女の脚の上で、なにやら動いているものがある。彼女のそれは、小さな熊の人形だった。かなり使い込まれた、こげ茶色の熊さん。そのとき、なぜか保育園の年長のときのころを思い出した。名前は忘れてしまったけど、とても可愛い女の子だった気がする。彼女はいつもお気に入りの、今彼女が持っているのと同じような人形さ。ほら、普段生活していて、ふと今思い出せなかったことが、後になってふわっと、どこからかわかんないけど、思い出せたことってあるだろう?まさに今の僕はそんな感じだったね。
結局僕は集中できずに講義を終えた。彼女はかばんに熊の人形をいれると、すくっと立ち上がって出口へ歩き始めた。僕は彼女に気づかれないように微妙な距離で彼女の後をついて行った。今思うと僕はどうかしていたんだろう。だっていきなり初めて見た女の子の後をつけるなんて、普通の人間のすることじゃない。
彼女は今僕が講義を受けていた建物とは別の棟に入っていった。階段を下りて廊下を右に行った部屋に彼女は入った。ドアにかかった木でできたプレートには、「モノを愛する会」と出ている。少し部屋の前でそのプレートを見ていると、後ろに人の気配を感じた。
「お兄さん、見ない顔だね。もしかしてここに新しく入りたいの?」
僕の前に立っていたのは、小さい子供だった。
「ちょっと知り合いが中に入っていったから・・・」
「知り合いって、ホオズキさんのこと?」
どうやら彼女の名前はホオズキというらしい。僕はその少年に案内されるがまま、部屋の中に入った。
入ったとたんひどくタバコとコーヒーの匂いが僕の鼻をツンと刺激した。中央に会議で使うような机が並べられた右端の席に人影が見えた。しかし、座っていたのはさっき見た彼女ではなく、和服を着た若い男だった。タバコの臭いも彼が発しているらしい。
「この人、ホオズキさんの知り合いなの?」
少年が彼に向かって声をかけると、彼はゆっくりと僕らの方に顔を上げた。
「いや、知らないな。どちらさまです?」
僕が「ここに女の子が入ってきませんでしたか」と訊くと、彼は首を横に振った。
「僕は一時間前からここにいるけど、誰も来ていないよ」
僕の見間違いだったのだろうか。僕は不思議な気持ちを抱えながら僕は下宿先に帰った。
下宿しているアパートは大学から電車で二駅のところにあった。まあまあ近いところといえるだろう。僕が鍵を開けて中に入ると、何故か部屋がやけに暖かかった。スイッチの入る音がし、ふいに電気がついて、パーンとクラッカーが弾けた。
そこにいたのは昼間見た彼女だった。でも、僕は驚いたり、慌てたりすることもなく、すでにあったかいこたつの中に入って彼女の祝福を受けた。おかしいだろう?鍵を持っているはずもない女の子が部屋の中にいて、さらに自分でも忘れていた誕生日を祝ってくれるんだよ?普通の男なら怖がって逃げ出したりするかもしれない。でも、僕はいたって冷静だった。彼女が買ってきたケーキを食べて、ハッピーバースデイトゥユーの歌を一緒に歌ったりした。もう僕の中で彼女は赤の他人ではなくなっていたんだ。どこか遠い昔の旧友に会った気分だったね。ケーキもなくなってきたころ、僕は彼女に質問をし始めた。
「君は、どこからきたの?」
僕が訊くと、彼女は指をパチンと鳴らした。すると僕の胸で何かが震えた。それは、つい最近買ったばかりのスマートフォンだった。
「これ、君が・・・・・・」
そういうと彼女はうんと頷いてもう一度指を鳴らした。すると、出てきたのは見慣れた画面。最新機能の音声認証機の画面ってわけ。突然何もしていないのにそれ、彼女といったほうが正しいかな?とにかく液晶に文字が表示された。
「お誕生日おめでとうございます」
たったそれだけだったけど、僕には何万百倍もいい言葉に聞こえた。ここ数年、そんなことを面と向かって言ってくれる奴はいなかったから。
夜になって気づいたんだけど、彼女夜の十二時になったらどこかへ消えてしまうんだ。いっつも彼女は僕のベッドで、僕はこたつで寝るんだけど、十二時になるとどこかへ消えて、ちゃんと決まった時間に僕を起こしてくれるんだ。おかげで僕は一度も遅刻せずに大学へ行くことができた。でも彼女、ほかの人には見えないらしいんだ。ほんのちょっとの人間を除いては。
次の日、また僕はあの薄暗い地下室みたいなところに行く羽目になってしまった。彼女が僕の手をぐいぐい引っ張っていくんだから。周りの人間からはさぞかし僕はただの頭のおかしい奴にしか見えなかっただろうね。ドアを開けて中にはいると、ホオズキともう一人、この前の少年のサトルが出迎えてくれた。
「やっと仲間がふえた」
サトルが言う。ホオズキもうん、とうなずいた。
「そうだな。ようこそ、対物性愛サークルへ」
彼らが言うには、僕が見ている彼女は僕が作り出した幻想だと言うんだ。僕が携帯というものを使いすぎていて、依存しているゆえの――。
「そうなのかい?」
僕が彼女に訊くと、画面に「はい」と表示された。信じられなかったね。夢でも見ているのかと思ったよ。でも頬をつねってみても何も起きない。そのとき分かった。彼女と僕のつながりは、すぐ絶ち切れてしまうものなんだってことに。僕らは、出会ってはいけなかったっていうことに。
それは突然にやってきた。神様はほんとに気まぐれなんだな。二人の仲をくっつけたと思ったら、すぐ引き離してしまうんだから。
僕が起きたとき、彼女は消えていた。もう9時だってのにさ。僕はアパートを飛び出して、彼女を探した。サークルの部屋に行ったとき、ホオズキに言われた。
「追いかけないのか?もう二度と会えないかもしれない運命の人を」
――携帯が、震えた。
「日本一のあの交差点で、待ってます」
走った。走った。走った。息を切らしてスクランブル交差点に辿り着いた。辺りを見渡す。交差点の真ん中に、彼女はいた。
「危ない!」
天と地が反対になった。何かが割れる音。彼女と僕をつなぎ止めていた糸が、切れた。
青くなった画面に、例の見慣れた画面が浮かび上がった。
「ひとつ言いたかったことがあるんです」
「私もあいしてましたよ、ずっと」
読了ありがとうございました。
師匠 げんふうけい