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イフ

作者: 柊 新一

「どっちにしようか・・・」

会社の休憩室の一角に設置された自動販売機の前で、僕は悩んでいた。


疲れた頭には糖分が必要だろ?それだったらこっちの「砂糖とミルクたっぷりコーヒー」か・・

いやまてよ、最近ちょっと太り気味なんだよなぁ。

ストレスのせいか?

だったらこっちの「ブラックコーヒー」だよな・・


よし。

そう呟いた僕は、並ぶ二択の内から、黒を基調としたコーヒーの「ボタン」を押した。

=ガシャコン=


僕は取り出し口からホットの「ブラックコーヒー」を取り出した。


「あ~あ」

不意に後ろで声がした。


「ブラック売り切れちゃった」

振り返るとそこに彼女がいた。


「あぁ・・これで売り切れみたいだね」


「ま、いいか」

そう言って、微笑んだ彼女の顔を見て僕はどきんとした。


「もし良かったら・・これ・・」

「え?・・いいよいいよ。別の買うから」

そういって手を振る笑顔の彼女を見て、僕はなんだか自分でもわけがわからなくっていた。


「これ、おいしいもんな」


「え?」


しばらくの沈黙の後、吹き出して笑っている彼女を見て、今、自分がどの位まぬけな返答をしたのか僕はようやく気が付いた。

真っ赤になっている僕を見て、笑いを押し殺した彼女は言った。


「おいしいですよね」


アキは今年の春に入社した新入社員だった。

会社という組織は部署の違う人間とはなかなか、話す機会が少ない。ましてや新入社員ともなればなおさらだ。でも、こんなおかしなやりとりがきっかけとなり、僕と彼女との距離は少しづつだったが、縮まっていった。


だがその一方で僕には既に、彼女と呼ぶべき女性がいた。

同い年のキャリアウーマン。

「仕事で認められたい」

彼女はそんな気持ちが人一倍強い女性だった。

彼女の男勝りの性格は、僕はよく元気付けた。

「結婚したら主夫してよ」

そんな冗談なのか本気なのかわからない様な事をよく笑いながら言っていた。

それでも僕は考えていた。そんな彼女と、どちらかといえばのんびりしている僕とでは、求めるものや価値観が違い過ぎる。僕達ははたしてうまくいくのだろうか。

いつからかそんな事を考える様になっていた。


そして僕は、アキを選んだ。

彼女に別れを切り出した時、彼女が声をあげて泣いた事は正直意外だったが、それでも僕はアキを選んだ。

そして彼女は別れを受け入れてくれた。

僕は思った。

これでいいんだ、と。



ほどなくして僕は会社を辞めた。アキの実家が会社をやっており、そこの社員となったのだ。

要するに僕はアキの家に婿入りした。

苗字が変わった事はやはり違和感があったものだが、それでも何かにつけてアキの父親がよくしてくれ、僕はいつの間にかアキの会社の専務、つまり次期社長になっていた。

結婚して十年が経っても二人の間に子供はできなかったが、それでも僕達は幸せだった。


そんなある日、見知らぬ男が僕を訪ねてきた。

男は言った。

「あなたの会社で開発されているモノのデータを買いたい」

男は続けた。

「まさか来春より全中央省庁で導入予定の「次世代暗号解析プログラム」がこんな田舎で開発されているとは・・誰も気付いていなかったでしょうね」そしてニヤリと笑った。

確かにそうだった。アキの父親が病に倒れ、実質的な経営が僕に移ると、それまでの既存客オンリーから新規顧客開拓へと路線を変更し、業務を拡大していったのだ。


昔の僕には考えられない様な事だったがそれでも会社のため、アキのため。

僕はどんな汚い事にも手を染めていた。


男は海を挟んだ某国の人間だった。

巧みな日本語で僕に言った。

あなたの会社でコレが開発されるにあたり、政府の中枢と不自然なパイプで繋がっているという証拠を我々は持っている。

もしこれが公になれば、あなたはおろか家族、そして会社も終わりだ。

とはいえ、我々はけっして恐喝しているわけではない。取引きをしようと持ちかけているんですよ。

そう、ビジネスライクにね。

男は口元を緩めこう続けた。


「選ぶのはあなたですよ」


僕は協力せざるをえなかった。


アキのため

会社のため


そして自分のために。



数ヵ月後、僕は逮捕された。


会社にはマスコミが押しかけ

そして倒産した。


暗く狭い部屋で過ごす僕に一つの知らせが届いた。

それは「アキが自殺した」という知らせだった。


そしてそのアキのお腹には、アキ本人もまだ気付かなかったであろう小さな命が宿っていたという事も。




僕は闇の淵にいた。

何もかもが無で

そして孤独だった。

二つの命を失ったという現実と

それは自分のせいだという事実が

僕を押し潰していた。

呼吸する事すら苦痛だった。


「何故あの時・・・」


焦点の定まらない視線は冷たい壁を彷徨う。


「何故あの時、あの男の言いなりになったのだろう・・」


「何故あの時、あんな汚い仕事をしたのだろう・・」



「何故あの時僕は、アキを選んだのだろう」


僕と結婚していなければアキは。



そして、アキと結婚していなければ僕は・・





「どっちにするかな・・・」

会社の休憩室の一角に設置された自動販売機の前で、僕は悩んでいた。


よし。

そう呟いた僕は、並ぶ二択の内から、茶を基調とした砂糖入りコーヒーの「ボタン」を押した。

=ガシャコン=


僕がコーヒーを取り出すと、後ろに立っていた誰かが入れ替わり自販機の前に立った。


その人は何も言わずにボタンを押した。


=ガシャコン=



この次はブラックにしてみようかな。

僕はそんな事を、ふと思った。


★「バタフライ効果」

カオス理論を端的に表現した思考実験のひとつ。

初期条件のわずかな差が時間とともに拡大して結果に大きな違いをもたらすというもの。。そのことが「北京で蝶が羽ばたくとニューヨークで嵐が起こる」とよく例えられ、これをバタフライ効果と呼んでいる。この理論を題材にした映画、『バタフライ・エフェクト』が2004年全米で公開されている。

<by Wikipedia>


(2005年11月25日初出)

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