番外 Project.A ②
「キリさんキリさん」
とあるバーの隅っこ、壁にべったりと背をくっつけて、これ以上ないほど存在を消していた紗衣が、同じく隣でぼんやりしていた桐原を呼んだ。
彼はカクテルを傾けながらくっきりとしたアーモンド型の目だけを紗衣に向け、何? と促した。
「ところでこれ何事ですか」
「あー」
バーの中央には出来合いの食べ物がこれでもかと並べられ、大勢の男達がビールなどを掛け合いながら騒いでいる。
紗衣が部屋の隅から動かないのは、飲み物の飛沫さえ掛かりたくないからだ。
食べ物は桐原に頼んで幾つか運んできてもらっている。床がびしょ濡れになるほど液体が飛び交う中を縫って歩いているのに、どうして長身の彼は一適も掛からないのだろうと観察していてもよく分からなかった。
そして馬鹿騒ぎがパーティーであるらしい事は理解できるにしても、一体何なのか。
学校帰り、どこかで見た事のあるような厳つい男子高校生に拉致られてみれば、既にこの通り。
「今日ね、オレの誕生日」
首を捻る紗衣に桐原は少し言い難そうに、困ったように笑って言った。
「そうなんスかー……え? うそ、知らな……ていうか皆さんがそれを知っててせこせこパーティーの準備してるなんて微笑ましい光景ってどうなの」
「平和だ」
「それをアナタが言いますか」
桐原と初めて出会った日を紗衣はよく覚えている。大きな満月の明るい夜、屍累々の中で返り血を浴びながら一人狂的に微笑む壮絶な絵を忘れられない。
紗衣と二つしか歳が違わない桐原は、二桁という人数の不良を束ねるリーダー。そんな彼と今こうして会話をしているのだから、処世術は大切だ。
紗衣が有無も言わさず潰してきたような、夜のこの街をウロついている人達の大半は会話が成立する前に手が出ている場合が多いが桐原や須藤は違う。
話せば解ってくれる。それにここまで大きく組織的な集まりになった所を崩してしまうと逆に治安は悪化の一途を辿るだろう。
だから紗衣は、桐原・須藤ともう一人と交渉し、彼らの要求を幾つか飲むのを条件に、彼ら自身にこの街を守ってもらう事にしたのだ。
その時から付き合いは続いている。
「おめでとうございますキリさん! プレゼントに強面男スカウトしてきますね、目が合っただけでアアン? てめーやんのかコラー的な」
「いらない。これ以上モサい大所帯になっても嬉しくないから」
「可愛い系がご所望ですか……」
可愛らしい不良ってなーっと難しそうに考え込む紗衣。見てくれがどんなでも男はいらない。放っておいても勝手に増えていくのだから。
どうせなら手に入りにくい物が良いに決まっている。
「さーい」
「はぁい?」
呼ばれて反射的に顔を上げた瞬間、フラッシュが焚かれた。ちかちかする目を何度も瞬きさせる紗衣に桐原は手に持っているデジカメを見せる。
イタズラが成功した子どものような、我が儘な猫のような、そんな表情。
「撮り、ました?」
「バッチリ。あ、この前奥のソファで寝てたときのもあるんだよ」
「何してんスかー!?」
紗衣が叫んだのと同時に何処からか伸びてきた手がデジカメを掴もうとした。
だが桐原は予期していたかのように軽やかにかわす。
「環っつぁーん!」
半べそ状態の紗衣を一瞥し、無言のまま環と呼ばれた男は桐原に鋭い目つきで向き直った。
彼はプロジェクトが始動した際、自分の身を守る術を持たない紗衣の護衛にと付けられたボディガードだ。
普段は何処に隠れているのか、あまり紗衣の隣にいる事はないが、こうして直ぐに出てきてくれる。
紗衣は本気で彼の事をお庭番だと思っているし、山野井はもう一人いる護衛と併せてスケさんカクさんと呼んでいる。
「何やってんですか」
環に気を取られていた桐原の背後に気配無くたっていた少女がそのもう一人。環ソックリの顔をしている椿は彼の年子の妹。
椿は呆気なく桐原からデジカメを取り上げるとデータを漁り始めた。
出てきたのは気持ち良さそうに寝ている紗衣と、さっき撮られたもののみだった。
「桐原さん駄目じゃないですか、こういうのは撮ったらすぐ加工して際どい感じに仕上げないと」
「何のアドバイス!?」
冗談です、とあっさり否定した椿の言葉は真実味を帯びていない。
「……椿」
「はいはい、分かってますって」
無表情に窘めた兄には逆らわず、椿はデータを全削除してから桐原に返した。「つまらないわ」と文句を言いながら。
顔とは違い、この二人の性格は全く似ていないようだ。
「あーあ残念、前のはパソコンに残ってるけどね」
「キリさん隠し撮りはやめましょ?」
「誕生日プレゼントに紗衣自身をくれるんなら」
「……一先ずこの男殺しますか」
「え、いや環、初っ端からそれ最終手段だから。それ以上どうしようもないから」
物騒な発言も周囲がスルーしているのは、環と桐原はいつもこんな感じだからだ。
桐原を慕う部下達が止めてくれでもしたら楽なのに。そんな紗衣の思いは誰にも届かない。だから紗衣が何とかするしかないのだ。
「もーキリさん、あんまし環いじらないでもらえますか」
「先に邪険にしてくるのはそっち」
「うん、環も誰でも彼でも噛み付くのやめようね」
黙って頷いた環だが、態度が改まる事はないだろうと心密かに椿は思う。
彼の行動は偏に紗衣を守るため。それが騒動の火種になっては元も子もないと環は気付いているだろうか。
「気付いてるわけないか」
一人呟いた椿は手に握っていた携帯電話を開いた。
前に翳したディスプレイに映っているのは、桐原と環の間に立って困り果てている紗衣という図。
カシャリと無機質な音を立てた事で漸く三人が環の方を見た。
「つ、椿ちゃん? 今までの話の流れ聞いてた? なんなら前回までのあらすじ~みたいな感じで説明するけど」
「いえリアルタイムで見てたので大丈夫です」
「だったら人様を勝手に撮ってあまつ誰かに画像送ったりしたら駄目……ってその携帯ストラップめっちゃ覚えがあるんですけど、その携帯アタイのなんですけど!」
学校の友達に厄除け効果があると言って貰った、余り可愛くないぬいぐるみだ。
全国何処の雑貨屋でも売っている、機械作業で量販されているものだから、その効果は全くと言っていいほどない。
「まったく、この辺りは治安が悪くて」
「今現在椿が一人で悪くしてるよ! お母さん、スリをするような子に育てた覚えありません!」
「そうだぞツバちゃん、あんまりお母さんを困らせるんじゃないよ。なにお父さんが心行くまで慰めていいの?」
紗衣の肩を抱いた桐原に環が殴りかかる。
「脳みそ腐って死ね」
「ていうか、ツバちゃんってなんか唾液みたいで汚らしい。やめてもらっていいでしょうか」
いや、それよか携帯をね、という紗衣の言葉は虚しく消えていく。桐原はノリが良いが、悪ノリになる場合が多々あるのが難点だ。
一々桐原に突っかかる環が面白いらしく椿が態と煽るのもある。
家帰ろうかな、とこの現状をほっぽりだそうとした時、店の外で爆音がした。動物のようにエンジン音で車種を判別出来るほどの聴覚は持ち合わせていない。
だがこれは。この音には覚えがあった。
椿の手にあった携帯を引っ手繰る。メールの送信履歴を確認した紗衣は絶叫した。
「はやー!! 来るのはやーっ!! ちょー椿なんで須藤さんなんかに送ったの!?」
「誕生日はみんなで祝うものだと思ったので」
「へぇあいつ来てんの?」
今まで安穏としていた桐原の瞳が妖しげに細められた。
「じゃあ盛大に祝ってもらおうかな。須藤が潰れてくれんのが最高のプレゼントだし」
瞳孔が開いている。一瞬にしてアドレナリンが分泌されまくっているらしい桐原から紗衣は無意識に距離を取った。
騒いでいた人達に外に出るよう促しているのをハラハラしながら見守る。
「今のうちに帰りましょう」
表情筋を一切使わず環が言う。その意見に激しく賛成の紗衣は大きく頷いた。
「紗衣も来な。面白いものが見れるよ」
「へ、わたしはもうお暇しようかと……」
窓から脱出する前に桐原に捕まりずるずると引き摺られる紗衣をにこやかに見送ったのは椿。
環はその椿によって阻止されたが為に間に合わなかった。
「何がしたい」
「目的を忘れてんじゃないわよ環。紗衣にはきちんと働いてもらわないと」
「危険な目に合わせてどうする」
「馬鹿ね、そのために私達がいるんでしょ」
椿達は紗衣を危険から遠ざけるために行動を共にしているのではない。
血の気の多い奴等が犇く中に身を投じるしかない紗衣を守る為だ。
なら、さっさと終わらせるに限る。
「キャーーストップーッ!! だめだめだめ、須藤さんバイク降りてこっち来ないでイヤァァ……」
外から聞こえる紗衣の叫びは途中からバイクのマフラーの爆音に掻き消された。
「ほら出番」
椿はどこか楽しげな表情を浮かべてドアを開けた。




