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「きゃあっ!?」
悲鳴を上げるわたし。
目の前には、細長いなにかが迫る。
それは、わたしたちの行く手を遮るかのように伸び、幾重にも広がっていく。
「どうやらこれは、植物のツルみたいね」
冷静な声を上げながらも、わたしとつないだままになっていた美子ちゃんの手は、汗でじっとりと濡れていた。
「ロリちゃん!?」
困惑を浮かべて名前を呼ぶ来武士くんの声が響く。
わたしたちの前には、力強く一歩前に踏み出す蚕ちゃんの姿があった。
「……わらちに、任せてくださいです!」
言うが早いか、両手をすっと振り上げると……。
やっぱりというか、予想どおりというか。
蚕ちゃんは、家庭科室や科学室のときと同じように、滑らかな動作で――、
踊り出した!
「ほら、笑歌! あんたも一緒に踊らなきゃ! コンビでしょ!?」
美子ちゃんが叫ぶ。
「はう、違う~~~っ!」
わたしは戸惑ったまま反論を返す。
でも、わたしでどうにかできるのなら、するべきなのかもしれない。
そんな思いも浮かぶ。
とはいえ、こんな状況で一緒に踊るなんて、できるはずもなかった。
植物のツルは、わたしたちの周りを取り囲み、その包囲網を徐々に狭め、目と鼻の先にまで迫っていたのだから。
蚕ちゃんだけならともかく、わたしまで一緒に踊るスペースなんてなかったのだ。
美子ちゃんとしても、本気で言ったわけではないのだろう。
わたしが怯えてガタガタ震えているのを握った手のひらから感じ取り、元気づけるために、そんなからかいの言葉を向けた。
それによって、怯えの念は一瞬で消え、わたしの思考は別の方向へと変わった。
さすが美子ちゃんだ。わたしの扱い方を、よく熟知している。
ともかくここは、蚕ちゃんに任せよう。
そう思った矢先のことだった。
ドタン!
ど派手な音を立てて滑って転んだ蚕ちゃんは、お尻を強打していた。
「痛たたたた……。はみゅ~ん……。ドジっちゃったです~……」
雨で床がぬかるんでいたからだろうか、それとも踊るにはスペースが狭すぎたからだろうか、足をツルリと滑らせてしまったようだ。
そんな状況を察知して、迫りくる植物たちが動きを止める、なんてことがあるはずもない。
ツルは互いに絡み合い、さながら壁のようにわたしたちの周り三百六十度すべてを囲う。
不意にその壁から、数本のツルが触手のように伸びてきた。
「きゃっ!」
「危ない!」
まっすぐ美子ちゃんに向かっていた一本のツル。
とっさのことで身動きの取れなかった美子ちゃんの前に自らの身を投じて庇ったのは、ヒーローのように素早く飛び出した来武士くんだった。
来武士くんはツルに打ちつけられた衝撃のせいなのか、美子ちゃんの前で片膝をついていた。
「だ……大丈夫、か……?」
「来武士くん……、ありがとう……。でも、そっちこそ、……大丈夫?」
苦しそうな表情を浮かべながらも、美子ちゃんを気遣う来武士くん。
美子ちゃんは困惑していたけど、来武士くんに心配の声をかけていた。
「……おいらは、大丈夫……、痛っ!」
強がろうとしたのだろう来武士くんは、痛みで顔を歪め、うめき声をこぼす。
美子ちゃんがすぐに屈んで来武士くんの肩に手をかけた。
「ほら、無理しないで。本当に大丈夫? 肩、貸そうか?」
「大丈夫だよ……」
いつもわたしに向けられている美子ちゃんの優しさ。それが違う人に向けられているからか、なんとなく、ふたりの雰囲気に嫉妬のような感情が芽生えてしまう。
と、そんなことを考えてぼーっとしてしまったからなのだろう。
わたしはさらに別の方向から迫っていた植物のツルにまったく気づかなかった。
次の瞬間には、わたしの体は何本かのツルによって、がっしりと絡め取られてしまっていた。
わたしは必死に身をよじる。
だけど、どんなに力を込めて抜け出そうとしても、身動きが取れなかった。
――このまま、潰されてしまうのかな?
この期に及んで、他人事のようなボケた感想を抱いていたわたし。
美子ちゃんは来武士くんにつき添っているし、蚕ちゃんは転んで倒れたまま。
わたしはもう、ダメかも。
そう思った、その瞬間。
助けは天からやってきた。
正確には、上から、だけど。
三百六十度、周りを覆っていた植物の壁。そう、それはまさしく壁だった。
つまり、上空には植物の壁(というか天井)はなかったのだ。
見上げる余裕があったならば、真っ暗な空が目に映っていただろう。
その壁の上にある空間から、それらは身を伸ばし、植物の壁の内側に絡みつく。
それはさながら、迫りくる壁を押さえつける腕のように、植物の動きを封じた。
「これって……」
わたしは驚きの声を上げる。
わたしたちを守るように飛び込んできたそれらは――、
ヒマワリだった!
しかも、わたしはなんとなく感じていた。
このヒマワリは、わたしたちが小学生だった当時、花壇で育てていたあのヒマワリたちなのではないかと。
「江窪さん!」
不意にすぐ目の前で声が響く。
「海路くん!」
海路くんは、いつの間にかわたしのそばにいた。
植物のツルで形成された壁の内側にいて、数本のツルに巻きつかれてしまっているわたしのそばに。
どうやって、ここに?
そんな疑問を浮かべるよりも早く、海路くんは、ツルに巻きつかれて身動きのできないわたしに優しい声を向ける。
周囲は目を疑うような、そして信じられないような、不可思議で緊迫した状況だ。
そんな中に身を置きながらも、頬を撫でて吹き過ぎる初夏のそよ風のように温かい響きを持った海路くんの声を、わたしは夢見心地になりながら聞いていた。
「大丈夫だよ。ほら、怖くなんかない」
ツルのあいだから出ていたわたしの手を握ると、幼な子を諭すような瞳を向けてくる海路くん。
「嬉しくってちょっとやりすぎたけど、みんな、歓迎してるだけなんだ」
海路くんの声に、はっと目を覚ましたような感じになる。
わたしに絡みつく植物のツル。
それは、優しくわたしを抱きしめているような、もしくは子犬がじゃれついてきているような、そんな温かさで満ち溢れていた。
「ぼくの言うとおりでしょ? だから、怖がらないで、笑って。ね?」
屈託の笑顔を向ける海路くんの言葉に促されるように、わたしも自然と微笑んでいた。
もう植物のツルは、わたしたちに敵意をむき出しているなんて、微塵も感じられなくなっていた。
最初から、危険なんてなかったってこと?
それは心に思い浮かべただけだったけど、海路くんは黙って頷きを返してくれた。
ともあれ、疑問が残っていたわたしは、思わず口に出していた。
「さっき来武士くんは、ツルに攻撃されてたよね? わたしには来武士くんがツルに打ちつけられて、それで倒れ込んだように見えたんだけど……」
その問いに答えたのは、当の本人である来武士くんだった。
「あっ、おいらはとっさに飛び出したから、足がつっただけだよ」
そんな来武士くんのそばに屈み込んで心配していた美子ちゃんは、一瞬驚きと怒りが入りまじったような表情になっていたけど、すぐにそれは深いため息へと変わっていった。
――と、突然。
和やかな雰囲気に包まれつつあったわたしたちに、様々な色の光と激しい轟音が矢継ぎ早に襲いかかってきた。
わたしたちはその音と光の発生源へと、一斉に視線を向ける。
そこに繰り広げられていた光景、それは――。
★★★★★
うふふ、わたくしからのささやかなサプライズは、楽しんでいただけたみたいですね。
……あら、このあとはまた、別のサプライズが待っているんですのね。
あの子、最初からこのタイミングに合わせて、ここまで誘導していたということかしら。
さすがですわ。純粋な想いの成せる業、ってわけですわね。
ふふ、せっかくですから、最後まで見届けることにしましょうか。
わたくしにとっても、最後の夏となるのですから――。