獣人の依頼主
とある日の朝──。
メイヴェリアス家の依頼を無事に終えたわたしたちは、しばらく忙しい日々を過ごしていた。
最近は珍しく仕事の方も好調だ。
上流階級からの依頼の成功。
あれで内々に世間の評価が上がったのかもしれない。
少なくとも、手間に見合った報酬の仕事が回って来るようにはなったと思う。
ブラック労働者からの脱出である。
ごく稀にだが、最近はジョブセンターに行かずとも、直接仕事の連絡が来ることもある。
おかげで、最近は通話用の魔動機の前で番をするのも楽しみの一つになっていた。
着実に人生をステップアップしている。
いずれ、わたしの魔術師としての名声も世に轟くようになることだろう。
歯磨きを済ませ、鏡の前で笑顔の練習をする。
うん、今日も可愛いぞわたし。
さて、営業開始だ。
本日もウキウキで一日を始めようとした──、そんな日の朝だった。
「お邪魔致しますわー!」
外からやたら聞き覚えのある声が聞こえてきた。
お客様──ではないな、これは。
とりあえず無視するわけにもいかないので、わたしはドアまで行くと鍵をあける。
すぐさまガチャリと開かれる扉。
銀髪お下げの天真爛漫なお嬢様が、隙間からひょっこりと顔を出した。
「おはようございますですわー!遊びに来ましたのよー!」
なんだかんだで会うのは数日ぶりだ。
彼女はそのまま玄関へと足を踏み入れる。
そして、ぐるりと周囲を見渡した。
「あら。お二人のお家はここだと、じいやが言ってましたのに。もしかして倉庫と間違えたのかしら?」
「……いえ、まあ……。そうですね」
突っ込む気持ちも失せて、わたしはがっくり項垂れる。
アンジェお嬢様に悪気は一切ない。
だが、大金持ちの貴族と底辺の貧民の壁はあまりにも大きいのだ。
もはや、双方の価値観の差を埋められる気がしない。
助けを求めてリルの方を見る。
すると、彼女はお気に入りのソファから体を反転させ、こちらをじろりと見つめていた。
「あぁん?何しにきたんだよアンジェ。ここはお子様のお遊戯場じゃねぇぞ。帰れ帰れ」
仕事中だ仕事中、と再びソファに寝転がって手を振る魔族の少女。
言ってることと行動が全く噛み合ってない。
だがまあ、その主張だけは正しい。
わたしは遊び時間と仕事時間はきっちり分ける派なのだ。
「あの、アンジェさん。一応仕事時間内ですので……。遊びなら平日でなく週末にでも来ていただけませんか?」
「あら、残念ですわ。せっかくお土産も持ってきましたのに」
アンジェは抱えていた桐の箱を床に置く。
なんだか気品のある拵えだ。
まとう空気からして、高級そうな気配がぷんぷんする。
「お父様が異国から取り寄せた名酒なのですけど……。仕方ありませんわ。またの機会に致しますわね」
「おい、ラフィ!何してんだ!さっさとお嬢様に茶でもだしてさしあげろ!」
「………。」
一瞬で敵に回った相棒を白い目で見つめる。
そんなわたしの視線などつゆ知らず。
うきうき顔で箱の中身を取り出す二人の少女。
なんだかもう怒る気も失せてくる。
「……リル。一応言っときますが。仕事中は飲んじゃダメですよ」
「はぁ……」
わたしの警告に、リルは盛大に肩をすくめて首を横に振った。
「いいか、アンジェ。こいつみたいなケチくさヤローになっちゃダメだぜぃ。貧乏症がうつるからなぁ。貴族の淑女なら懐は広く持つもんだ」
「ほう……、朝っぱらから喧嘩ですか……。いいですよ、景気付けに買ってあげましょう」
この間、ちょっと見直したと思ったらすぐこれだ。
やはりリルには飴より鞭多めの方がいいらしい。
酒の入った箱をリルと奪い合う。
魔術で外に放り出したいくらいだが、せっかくの贈り物をむげにはできない。
対して、元凶のお嬢様はどこ吹く風だ。
きらきらしたひとみを輝かせ、部屋中を歩き回っていた。
そんな朝の最中。
唐突に、扉を叩くノックの音が聞こえてきた。
「──す、すみません……。どなたかいらっしゃいますでしょうか?」
入口の向こう。
こちらを呼んだであろう、かすかな声がした。
わたしもリルも思わず喧嘩の手を止める。
なんだか随分とか細い声だ。
吹けば飛ぶような声量である。
アンジェの声量を100とすると、この声の主は10にすら満たないだろう。
まあ、お嬢様が少々エネルギーに溢れすぎている気配はあるのだが。
「はいはい、今あけますわー!」
なぜか部外者のお嬢様が、自らドアを開けに走る。
「どうぞお入りになってくださいまし──。って、あら?」
ドアを開けた瞬間。
アンジェはぴたりと立ち止まる。
その後、彼女は扉の前に立っていた人影を見て、パッと顔を輝かせた。
「あらあらあら!獣人族の方ですの!?わたくし間近で初めて見ましたわ!とっても可愛らしいですわぁ!」
そう言って、アンジェは唐突にその人物に飛びついた。
声の主は、「きゃっ……!」と愛らしい悲鳴を上げる。
ぐらぐらと揺らされる頭。
茶色い癖っ毛な髪の毛の隙間から、ぴょこりと小さな猫耳が飛び出していた。
(獣人族……。パルメさんと同じ、猫の獣人さんですかね?)
お嬢様流の派手なスキンシップを受けているその少女を観察する。
一口に獣人族といっても様々だ。
猫や犬、狼や狐など──。
その外見の特徴は多岐にわたる。
まあ、近年は獣人族自体が数を減らしていると聞くし、その存在自体が稀になってきている。
実際にはそんなにいろんな人に会えるわけではないのだが。
とりあえず、いったん話を聞かないといけない。
頬擦りを続けているアンジェの襟首を掴み、無理やり引き剥がす。
「いきなりすみません、大丈夫ですか?」
こちらの問いに、「ふわぁい……」と気の抜けた声をあげる少女。
どうやら、あまりアクティブな人間との触れ合いには慣れていないらしい。
くらくらと目を回していた。
背丈はリルやアンジェより少し大きいくらいだろうか。
他人種の歳当てには自信がないが──。
見た目的には、まだけっこう子供に見える。
幼い、というほどではないが、まだ大人とは言い難い年齢に思えた。
彼女は、けほっ、と小さな咳をしたあと、こちらに顔を向けた。
「えっと、突然すみません……。こちらはラフィーリアさんとリルさんのご自宅で間違いないでしょうか……?」
所在なさげに合わせられる両手の指。
服の裾から見える尻尾が小さく震えている。
察するに、この少女はおそらく依頼主だ。
つまり、請負屋へ仕事を持ってきた客である。
最近指名の依頼もたまにあるし、この子もきっとその一人なのだろう。
大口の客には見えない。
だが、千里の道は一歩からだ。
まずは頼ってきてくれる客の期待に応えるのが大事である。
「はい。そうですよ。お仕事の依頼でしょうか? こちらは事務所も兼ねてますので、まずはどうぞ中へお入りください」
笑顔で手のひらを室内へ向ける。
明るく朗らかに接客。
客の信頼を得るには、まず元気な挨拶から。
最近流行りのハウツー本にもそう書いてあった。
わたしは部屋の奥のテーブルに彼女を通す。
一部屋を無理やり仕切っているだけなので、狭いのは勘弁して欲しい。
「リル、お茶出して!」
「はぁ?なんであたしが……」
ぶつくさ文句を言いながらもリルは台所へと向かう。
ああ見えて、振られた仕事はきちんとこなすのが彼女だ。
まあ、客の目がなければ腹を出して寝ているのもまた彼女なのだが。
わたしは気弱そうな獣人族の少女に向き直る。
そして、にこりと笑顔を投げかけた。
「わたしのことはラフィと呼んでください。あっちでお茶をいれてるのがリル。あとは……、一応この子がアンジェです」
部外者の少女が、いつのまにかわたしの隣で目をキラキラさせている。
説明するのも面倒なので、もう関係者ということにしてしまおう。
獣人の少女は、「はぁ……」と少し不安げな表情で頷く。
まあ依頼主の大半は、最初はこういった反応だ。
ゆっくり話を聞いていくことにしよう。
「それで、今日はどういったご用件ですか?」
テーブルの前の椅子に座ってもらうと、わたしは早速話を切り出した。
善は急げだ。
相手の気が変わる前に話を進めること。
これも愛読書に書いてあったことである。
獣人の少女は、おずおずとあたりを見回す。
そして、上目気味にこちらに視線を向けた。
よく見ると顔色はあまり良くない。
もともと病弱なのか、もしくは疲れているのか──。
もしかすると、その両方なのだろうか。
獣人族は体が丈夫でアウトドア派なイメージだったが、彼女には全くそんな雰囲気は感じられない。
むしろ、彼女は普通の人間よりもずっと、体の弱い内気な子供といった感じに見えた。
「あの……。わたしはリコッタといいます。今日は依頼をお願いするために来ました……」
彼女はか細い声でそう言った。
どうやら客だという予想は間違いなかったらしい。
心の中でガッツポーズする。
リコッタと名乗った少女はしばらくテーブルの前で逡巡していた。
リルが運んできたお茶の水面をじっと見つめている。
だが、やがて小さく深呼吸すると──。
意を決したように、真っ直ぐにこちらを見つめた。
「──人探しを、お願いしたいんです」
なるほど、人探し。人探しか……。
最近似た展開をどこか経験した気がするが……。
「えっと……。それは、人で間違いないですか?ペットとか、グリフォンとかではなく……」
「……?」
「いえ、こちらの話ですので気にしないでください!それで、その探して欲しい方というのは?」
きょとんとした顔で首を傾げる少女。
わたしは慌てて彼女に続きを促す。
どうやら今回は本当に人探しの依頼らしかった。
彼女は、「じつは……」と控えめに話を切り出す。
「探して欲しいのは、わたしのお姉ちゃんなんです」
「お姉ちゃん……。ご家族の方ですか?」
「──はい」
声に不安と心配の色が乗っている。
きっと彼女なりに、頑張ってわたしたちの元を訪ねてきたのだろう。
奥手な様子ではあるが、その目は先ほどからずっと真剣な色を帯びている。
きっと、大事な人なのだろう。
力になってあげたいと思わせる姿だった。
先程まで弱気に見えたリコッタという少女は、意を決したように目線を上げる。
そして、テーブルから身を乗り出すように腰を上げた。
「お願いします……!お姉ちゃんの──。パルメお姉ちゃんの居場所を、探してくれませんか……?」
「………え?」
獣人族特有の細い瞳孔が揺れる。
彼女は縋り付くように、そう告げたのだった。