友達
──唐突に、目が覚めた。
見覚えのない白い天井だ。
あたりにはほのかに薬品の匂いが漂っている。
カーテンの隙間からは、すっかり日の沈んだ夜空が覗いていた。
いつのまにか随分時間が経っていたらしい。
どうやらあたしはどこかのベッドに寝かされているようだった。
上半身を起こすと、全身にぎしりと引っ掻くような痛みが走る。
まるで体を針金で縛られているかのような不快感。
思わず顔をしかめてしまう。
さて──。
とりあえず、まずは現状把握からだ。
眉間に皺を寄せたまま、ゆっくりと己の記憶を辿る。
(あたしはグリフォンを蹴り落とした。そんで、アンジェを助けて、それから──)
そこからの先の記憶が曖昧である。
おそらく地面に激突した瞬間に気を失ったのだろう。
とすると、ここはメイヴェリアス家の医務室とかだろうか。
自分の体が包帯でぐるぐる巻きにされているのを見ると、おおかたその予想で間違いはない気はする。
「そうだ。あいつは……」
ゆっくりと体をずらし、ベッドから足を出す。
アンジェは無事だろうか。
自分が下敷きになったとはいえ、あの高所からの落下だ。
下手すると骨の一つや二つくらいは折れているかもしれない。
というか、それを理由に報酬減額なんてされたらたまらない。
まさに骨折り損というやつだ。
あたしはやきもきした気持ちを抱えながらベッドから立ちあがろうとする。
だが、体はまったく言うことを聞かない。
これは……、今日いっぱいは満足に動けなそうだ。
さすがにちょっと気分が下がるな……。
どうにかこうにか行動を起こそうとやっきになっていた、そのときだった。
不意に部屋のドアがガチャリと開いた。
扉の向こうから、見慣れた顔のエルフがひょっこりと顔を出す。
「──リル!目が覚めたんですね!よかったぁ……」
とたんに、ふにゃっとした笑顔を浮かべるラフィ。
ずいぶん緊張していたのだろう。
彼女は糸がきれたようにその場にへたり込んでしまった。
どうもそれなりに心配をかけてしまったらしい。
少しだけ申し訳ない気分になる。
エルフの少女はおずおずとこちらを見上げ、様子を伺いながら声をかける。
「その……。体は平気ですか?」
「あぁ?見りゃわかるだろうが。平気じゃねぇよ。関節動かすだけで全身クソ痛いわ」
面倒臭いが、いつものように返してやる。
すると彼女はようやく安心したのだろう。
声に張りを戻すと、いつもの素顔に戻って頷いた。
「その程度なら安心ですね。しばらく安静にしてればよくなるはずです。身体強化を重ねがけした後遺症でしょう。心臓が爆発しなくて本当に良かったです」
「え……?」
それ、もしかして冗談じゃなかったのか……?
今更ながらゾッとする話である。
もう二度とやらん。
あたしはようやく立ち上がったラフィに目を向ける。
さて──。一番気がかりな件について話をしなければならない。
あのときはなんだか気恥ずかしいことをいろいろ叫んでしまった気がするので、少々切り出しづらいのだ。
しかし、このままためらっていても仕方がない。
思い切ってラフィに声をかける。
「……えーと。その、……あいつは無事なのか?」
頭に浮かぶのは、銀髪のおさげを揺らす破天荒な少女の姿。
面倒くさいやつだが、あの表情が曇るのはこちらだって本意じゃない。
ラフィはあたしをちらりと見ると、にっこりと笑顔になった。
その表情にいつもの生意気さが戻ってきているのを感じて、元気づけたのをちょっとだけ後悔する。
「ええ。『お友達』のアンジェさんも無事ですよ」
「………。」
やけにお友達という単語を強調してくるラフィ。
これみよがしに舌打ちを返すと、ますますにっこりしやがった。
クソ恥ずかしい。
あんなこと言わなきゃ良かった。
「オルトーさんの怪我も、命に別状はありませんでした。もちろん、タルトちゃんも」
「……そうか。そりゃよかったな」
「……リル。今回は本当に良く頑張ってくれました。報酬もたっぷりいただけますし、何より──」
不意にベッドの隣に立つエルフの少女。
彼女はそのまま、ゆっくりとこちらに頭を寄せてきた。
彼女の滑らかな金色の髪が鼻先をくすぐる。
ふわりと漂う柑橘の香りに、思わずどきりとする。
「お、おい、何すん──!」
「──とってもかっこよかったですよ、リル。わたしは今、とても誇らしい気持ちです」
そのまま、頭を抱えるように抱きしめられた。
ラフィの体温と鼓動の音。
心地の良い暖かさに、一瞬くらりとする。
ヤバい……。このままだと、なんだかダメな方に流されそうだ。
「……あーもう、わかったって! いいから離れろ! 今体痛くて動かせねーんだって!」
「いいじゃないですか。無茶をしてわたしを心配させた罰です。あとこの際なんで、ついでに頭も撫でときましょう。よしよし」
「あたしを子供扱いすんじゃねえ!てめぇ、体動くようになったら覚えてろよ!」
文句を言ったら、ますます強く抱きしめられた。
なんだか痛みと息苦しさと心地よさで気が遠くなってきた。
それに、なんかこいつ、やけに良い匂いするし……。
「──コホン。失礼致しますわ」
わざとらしい咳払いとともに、見慣れたお嬢様が部屋へと入ってきた。
慌ててラフィの顎に頭突きを一発。
ようやく難を逃れる。
なんだかお嬢様に微妙に白い目で見られた気がするが……。
文句ならそこで顎を押さえて悶絶しているエルフに言って欲しい。
アンジェはそのまま、すたすたとベッドの前まで歩いてくる。
そして、スカートの裾をつまむと──。
丁寧に腰を折ってお辞儀をした。
ずいぶん彼女らしくない仕草に思える。
これじゃあ、まるで貴族のお嬢様だ。
「リル様。この度は、当家に多大なるご助力をいただき、誠に感謝しております。メイヴェリアス家の次期当主として、心より御礼申し上げますわ」
彼女の口からついて出た言葉──。
これもまた、やけに丁寧な物言いだった。
天真爛漫。
あらゆることに興味深々。
明朗快活という言葉をそのまま生き物にしたような人間の仕草とは思えない。
もしかして、落下した時に頭でも強く打ったんだろうか……。
なんだか急に不安になってきた。
「な、なんだよ急に改まって……」
「わたくしを庇ってこんな大怪我をされたのです。礼を尽くすのは当然ですし……。むしろわたくしなんて友人失格ですわ……」
深々と頭を下げるアンジェ。
彼女なりにけっこう気にしているのかもしれない。
どこまでも自分中心。
傲慢なだけのクソガキだと思っていたが──。
どうやら少しは可愛げも残っているらしい。
やはりまだまだ子供だ。
「あー……。ほら、あれだ。ブローチ」
「?」
「あたしは今更あれを捨てる気なんてねぇからなぁ」
「……?」
頭にはてなマークを浮かべている少女。
察しの悪いやつである。
そんなアンジェを見かねたのだろう。
ラフィが人差し指を立ててにやりと笑って言った。
「つまり、『あれがわたしたちの友情の証だ。あたしは友達を辞める気なんてさらさらねぇぜ』とリルは言ってます」
ほんと余計なことしか言わねぇなコイツは……。
大袈裟に舌打ちをかますと、ラフィはクスクスと笑っていた。
しばらくポカンとしていたお嬢様。
だが、すぐにパッと顔を輝かせる。
ようやく調子が戻ってきたのだろう。
鼻息を荒くしたアンジェは、がさごそと自分のスカートのポケットをあさる。
「そうですわ、これがわたくしたちの友情の証なのですわ!」
そう言って、ポケットからブローチを取り出したアンジェ。
だが、突き上げられた右拳に握られていたのは──。
見るも無惨。
粉々になったブローチの残骸だった。
「あーっ! わたくしたちの友情の証が!ばっきばきですわー!」
再びこの世の全てに絶望したかのような表情を浮かべるアンジェであった。
あー……。空から落っこちたときか……。
まあそんなに頑丈そうなものでもなかったしなぁ。
だが、お嬢様はまだ諦めない。
なんだかんだで心の強いガキである。
すかさずこちらを凝視するアンジェ。
「い、いえ!まだですわ! まだリル様とラフィ様のブローチがありますし……」
ふむ。まあたしかにブローチは全部で3つだった。
アンジェの言葉に、あたしは動かない腕をぷるぷるさせながら尻ポケットをまさぐる。
──当然の如く。
ポケットからは、粉々になったブローチが現れた。
まあそりゃそうだ。あたしはさらにアンジェの下敷きになったわけだし。
「わ、わたくしたちの友情の証がぁ……」
尻すぼみに小さくなっていく声。
絶望感にまみれたアンジェの顔を見ていると、さすがのあたしもちょっと可哀想になってくる。
「お、おい、ラフィ!さすがにおまえのブローチは大丈夫だろ?さっさと出してやれって!」
「うっ………」
あたしの言葉に、ラフィはおずおずと両手を差し出してくる。
その手のひらの上には──。
やはり、ぱっきり二つに割れた友情の証が乗せられていた。
「す、すみません……。わたしもタルトちゃんに襲われてこけたときに、お尻で踏んじゃったみたいで……」
「いや、それでこんなんなるのかよ!おまえどんだけケツ重いんだよ!」
「う、うるさいですね!人が気にしてることをずけずけと……!これだから子供体型は……」
「ああ?! てめぇ、今言ってはならん侮辱を言いやがったなぁ!?」
ぎゃーぎゃーと喧嘩を始める横で、アンジェがやれやれと首を振る。
そんな中、ちょうど夕食の時間を告げにきた執事が部屋の扉をあけて顔を出した。
「皆様、お食事の準備が──。おやおや、これはいったいどのような争い事ですかな、お嬢様」
「ま、友情なんて元々脆いものってことですわ」
そう言って、彼女はクスクスと楽しそうに笑うのだった。
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「そういやさぁ。あのグリフォン、今は正気に戻ったんだろ? そもそもあいつが暴れてたのは、何が原因だったんだぁ?」
あーん、と口を開けると、ラフィがあたしの口にフォークを突っ込んでくる。
濃厚でジューシーな肉の味が口全体に染み渡る。
うむ、美味である。
さすがはメイヴェリアス家の夕食だ。
こりゃもう安肉なんて食えたもんじゃないな。
ラフィはあたしの代わりに口元を拭う。
そして、「それなんですが……」と小さく首を傾げた。
これを見てください。
そう言って、ラフィは懐から何かを出すと、テーブルの上に乗せた。
やけに小さい石の欠片だ。
一見すると魔石の破片のようだが──。
帯びている魔力に、どこか禍々しいものを感じる。
「タルトちゃんが墜落の衝撃で吐き出したんですよ。ほら、鳥って光るものが大好きなので……」
つまり、この魔石を飲み込んでいたせいでおかしくなっていたということだろうか。
まあ石は石だし、体に良いものではないだろう。
だが、こんな小さな石ころ一つであんなに凶暴化するもんか……?
「ま、パルメにでも見せりゃなんか分かるだろ」
あたしは再び口を開けた。
すかさずつっこまれた肉をもぐもぐと咀嚼する。
まるで鳥の餌付けだ。
だが、腕が上がらんので仕方がないのである。
「──そういや、最近パルメのやつ見ねぇな」
「そうですね。このあいだの飲み会のときもさっさと帰っちゃったみたいですし」
あいつはいけ好かないヤツだが、情報屋としては優秀だ。
この謎の石のことも何か知っているかもしれない。
用もできたし、帰ったらたまには連絡してみるか。
そう考えながら、あたしは口を開けて次の肉を待つのだった。