小さな淑女
『──まあ!なんて小さくて可愛らしい鳥さんなんですの!』
わたしの手のひらほどの大きさの雛。
そのつぶらな瞳が、とても愛らしい仕草でこちらを見ている。
『お父様、ありがとうございます!名前は何にしようかしら……』
『好きに決めると良い。そして、改めてお誕生日おめでとう、アンジェリカ。今日からその子は家族になる。大切にしなさい』
優しげなお父様の声が聞こえる。
5歳の誕生日。
わたしの家族にグリフォンの雛が招き入れられた。
ちっちゃくてふわふわな黄金色な体。
名前は──、そうだ。タルトちゃんにしよう。
わたしの大好きな、チーズたっぷりのお菓子の名前だ。
『それとアンジェ。誕生日を迎えたキミに伝えておくことがある』
『なんでしょう、お父様』
記憶の中の父はいつも優しい。
だが、わたしは父の他に何人も優しい人を知っている。
執事のじいやに、わたしの世話をしてくれるたくさんのメイド。
守衛のおじさんも、たまにこっそり飴玉をくれる。
みんなとても優しく親切な人だ。
けれど──。
わたしは、父だけはどこか特別な人だと思っていた。
優しさの中に、どこか威厳を感じるのだ。
わたしはずっと、心の奥底でその理由を知りたがっていた。
『アンジェ。私たちは貴族であり、とても強い権力を有している。おまえもいずれ人の上に立つ存在になる。もちろん人間として、他者への優しさや思いやりを忘れてはならない。だが──、それだけではダメだ』
父はそっとわたしの頭に手のひらを置く。
無骨で暖かい手が、そっと髪を撫でた。
『常に傲慢でありなさい、アンジェ。それさえ忘れなければ、キミはもう立派な貴族のレディだ』
お父様はそう言って微笑んだ。
思いやりを持ち、人に優しく、傲慢であること。
相反するような言葉の羅列。
けれどあの日から、わたしは立派な淑女になると心に決めた。
その言葉の明確な意味は、まだよく理解できていないのかもしれない。
だがせめて──。
選択だけは、心のままに。
わたしに関わる全ては、わたしが決める。
そう、誓ったのだ。
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「あのバカガキ……!!」
あたしは唇を噛み、空を見上げる。
木々の上空を暴れ飛び回るグリフォン。
その背にしがみつき、振り落とされんと必死なアンジェ。
絶対絶命な状況だ。
もしあの高度から勢いよく落下でもしたら──。
ひ弱なヒト族の子供など、文字通りぺしゃんこだろう。
とにかく、なんとかして助けなければならない。
あいつは依頼主で、一応ラフィの命の恩人だ。
襲いかかるグリフォンに飛び乗るなんて、本当にバカな行動をしたとは思う。
だが、そのおかげで大事な相棒の命が助かったのも事実だ。
ちらりと横目で確認する。
地面に尻をついたまま起き上がれないエルフの少女。
彼女は空を見上げて、動揺した様子で目を泳がせていた。
「リル……!ア、アンジェさんが……!どうしよう、わたしのせいです!わたしがとろかったから……!」
「落ちつけ、ラフィ。いいか、どうにかしてあのグリフォンを捕まえなきゃならん。その目的は最初からなんも変わってねぇ」
「は、はい……」
ごくりと唾を飲み込むエルフの少女。
そう。やることは変わらない。
あとはその方法を考えるだけだ。
あんな上空では、ラフィの魔術は当たらない。
ただでさえ精度の悪いピストルで、はるか先の的を狙うようなものだ。
もちろん範囲魔法もダメだ。
グリフォンの背中にいるアンジェを巻き込んでしまう。
それなら、もはや自分がなんとかするしかない。
だが、どうやって──。
あたしは、くんと鼻を鳴らす。
先程の戦闘のせいで、あたりが埃臭くて鼻がもげそうだ。
なんだか普段よりもずっと感覚が鋭敏なように思える。
そうか、これはラフィの魔術の効果で……。
──いや、待てよ。
そんなことを考えたとき。
ふと、頭に妙案が浮かんだ。
「……ラフィ。感覚強化魔術が使えるんだ。身体強化の魔術も使えるよな?」
「え──?は、はい……。でも、わたし、元々運動神経がちょっとだけ悪くて……。少し身体能力あがったくらいじゃお役には……」
「ちげーよ。誰もおまえにアクティブに動き回れなんて言ってねぇ」
「え?」
きょとんとした顔で、耳と首を傾げるラフィ。
……つーか、ちょっとだけってレベルじゃねーだろ、おまえの鈍臭さは。
喉まででかかった皮肉をグッと飲み込む。
今は呑気にこいつをからかって遊んでる場合じゃない。
あたしは、一度息をつく。
そして、ビッと親指の先を自分に向けた。
「それをあたしに使え。あたしの身体強化と二重で重ね掛けだ」
魔力出力の大きいラフィの強化魔術。
さらに、身体強化は感覚強化魔術の上位版だ。
ちゃんと詠唱を挟めば、それなりに効果も期待できるはず。
おそらく瞬間的だが、大出力のスペック強化を可能にするだろう。
一瞬ぽかんとしていたリルは、慌てて首を横に振る。
「だ、ダメですよ! いくらなんでも身体への負荷が高すぎます! あれは強力なドーピング薬みたいなものなんです! わたしは加減は苦手だし、それを二つも重ねたりなんかしたら心臓爆発しますよ!」
「おまえがそれ言うと冗談に聞こえねぇんだよなぁ……」
苦笑いで彼女に答える。
けれど、もう悠長に選択肢を探している時間はない。
もう、アンジェの腕力がいつまで保つかわからないのだ。
「大丈夫だ。あたしは頑丈だしな。それにもう、これしか方法はねぇ。パルメでもいりゃあ精密射撃とかでなんとかなったかもしんねぇが……。あたしらにできることは、どうせ力技だけだ」
「………。」
ラフィはごくりと息を呑む。
そして、目を閉じると、素早く魔力を高め、詠唱を開始した。
相変わらず、理解したあとは判断が早い。
サポート役の相方としてはこれ以上の適任はいないだろう。
あたしは視線を空へと向ける。
「おい、バカガキ、──アンジェ!聞こえるかぁっ!?」
全力で大声を出す。
すると上空から、「聞こえてますわぁー!」と可愛らしい叫びが戻ってきた。
「今からてめぇを助けに行く!もうちょっと我慢して耐えてろ!絶対に手ぇ放すんじゃねぇぞ!」
こちらの声が届いたのだろう。
上空で暴れ鳥にまたがるアンジェは、喉がはちきれんばかりの声で返した。
「はい!リル様を信じてますわ!」
まだ幼さの残る子供の声だ。
種族的にも貧弱だし、体力も魔力も人並み以下の少女。
だがその声は──。
なぜか、妙にはっきりとあたしの耳に届いた。
「──だって、《《わたくしが選んだ》》お友達の言葉ですから!」
「………っ!」
……ああ、そうか。
その返答で──、ようやく理解した。
わたしが友人の条件を自ら定めていたのと同じだ。
あの言葉こそが、あいつの本質。
行動規範なのだ。
あいつにとっては、こっちがどう思っているかなんて関係ない。
信じたことは決して曲げない。
きっと、あたしがいくら否定しようと、アンジェはあたしを友達だと言い続けるのだろう。
全てが自分中心。
なんて我儘で傲慢な考え方だ。
まさに金に汚ねぇクソ貴族の考えそうなことである。
だけど──。
(なんでか、不思議と悪い気はしねぇ……)
唇の端を噛み、少しはにかむ。
情けないため息が口からこぼれる。
心の中で、何かがぽっきりと折れる音がした。
まるで、強大な敵に一撃でのされた気分だった。
「ったく……、またあたしの負けかよ」
ぼそりと呟く。
それに対して、詠唱を終えたラフィが首を傾げた。
「……何か言いましたか、リル?」
「なんでもねぇよ。それよりもう行けるか?」
「はい、準備完了です!」
以前、自分に黒星をつけたエルフの少女。
彼女の凛とした声が、西日の差す林に響き渡る。
彼女に視線を向けると、あたしは少しだけ苦笑いで答えた。
「よし。じゃあ頼むぜぃ、相棒」
両足に力を込める。
こちらも覚悟は完了だ。
大きく息を吸ったあと、あたしは再び上空へと顔を上げた。
「──ちょっくら、お友達ってヤツを助けてくるからよ」
「───! ……ええ、そうですね! お願いします!!」
ラフィの身体強化魔術が体に染み渡る。
その瞬間、ドクン、と心臓が跳ねた。
体中の血管と筋肉が悲鳴をあげるのを感じる。
腹の中で打ち上げ花火でもあげられているような気分だ。
だが、それもなんだか清々しい。
全力で地面を蹴る。
手頃な木に足をかけ、一足飛びに高所へと駆け上がる。
まるで体が羽になったかのようだ。
あたしは一瞬で木々のてっぺんへと駆け登ると、全身のバネを使い──。
一息に、跳躍した。
ぐん、と体が重力を振り切るのを感じる。
風を受ける顔面が痛い。
だが、遥か高みから見下ろす街並みはとても綺麗で気持ちが良かった。
青い空が視界いっぱいに広がる。
目の前には暴れるグリフォン。
そして、目をまん丸にしてこちらを見つめている、アンジェリカお嬢様の姿があった。
「──わりぃな、鳥畜生」
意表をつかれたグリフォンの瞳に、挑戦的な笑みを浮かべる自分の姿が映り込む。
「ちょっと痛えだろうが、これも仕置きだと思って我慢しろよ!」
ゴン、とグリフォンの延髄に蹴りをかます。
一瞬で意識を刈り取られた獣は、そのまま地面へと自由落下を始めた。
仮にも頑丈な空の獣だ。
ひ弱なヒト族の子供と違って、地面に落ちても死ぬことはないだろう。
「──アンジェ!手ぇ伸ばせ!」
「はいですわ!」
あたしは彼女の手を取り、思い切り引っぱる。
グリフォンの背から飛び出した彼女の体が宙を舞った。
そのまま抱き抱えるように引き寄せ、自分の体を彼女の下にする。
ぐんぐんと高度が落ちる。
それに応じて速度も上がっていく。
「──アンジェっ!」
「なんですのー!?」
風を切る音がとても煩い。
落下に合わせて、空気の弾ける音がする。
まるで耳元で竜巻でも起きてるみたいだ。
「てめぇは、今日からあたしの友達だぁ!」
あたしは、今までの鬱憤を全部込めて、抱き抱えたお嬢様へと叫んだ。
だが──。
腕の中のお嬢様は、不満そうに口を尖らせる。
「──いいえ!リル様はわたくしの友達ですわー!」
世間知らずの貴族の娘。
ひ弱なただの子供のアンジェリカお嬢様。
彼女は、あらんかぎりの微笑みとともに──。
腕の中で、面と向かってそう叫び返してきた。
その言葉に、思わず吹き出してしまう。
(──ったく。ほんと、傲慢なやつだぜ。)
唐突に、背中から強烈な衝撃が届く。
肺の中の空気が勢いよく吐き出される。
地面に激突した、と理解したあとに、全身にちぎれそうな痛みが走った。
涙が出そうになるくらいの激痛だ。
だが、なぜかとても清々しい気持ちに包まれて──。
あたしの意識はその瞬間、ブラックアウトしたのだった。