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裏庭の戦闘

 メイヴェリアス家の裏庭。

 広い針葉樹の林の中で、わたしたちは一匹の猛獣とにらみあう。

 

 どうやら、タルトちゃんは正気を失っているらしい。

 ギラギラとした猛禽の瞳と、嘴から垂れ落ちる涎。

 理性を飛ばしてしまうような何かがあったのかもしれない。


「ラフィ!──わかってんな?!」

「はい!」

「じゃあ行ってくるぜぃ!」


 それだけ告げると、リルは一足飛びにグリフォンへと飛びかかった。


 彼女が自ら前に出るときは時間稼ぎを行うときだ。

 普段はその間に、わたしが攻撃魔術の詠唱を行う。


 だが──。

 今回はその前にやることがある。

 獲物にされる直前だった、この屋敷の執事を助けなければならない。


「オルトーさん!」

「じいや!」


 二人で膝をつく執事に駆け寄る。


 ……酷い血だ。

 回復魔術はたしなみ程度には使える。

 だが、あくまで気休めだ。

 けれど、痛みが抑えられるだけでも随分マシにはなるだろう。

 とりあえずすぐにでも病院に運ぶべきだ。

 

 すっかり青ざめた顔のお嬢様が、執事の前に駆け寄ってくる。


「じいや!いったい何がありましたの……!?その傷は……?」


 心配そうに彼の傷を見つめるアンジェ。

 オルトーさんは顔を伏せて少し咳き込んだ。

 その後、お嬢様の方に視線を合わせると、小さく頭を下げた。


「すみません、お嬢様。念のため屋敷内をもう一度捜索していたところ、タルトに出くわしました……。連れて帰ろうとしたのですが、どうにも強い錯乱状態に陥っているらしく……」


 彼は再び、ゴホッと咳き込み背を曲げる。


「──結果、このざまです。お見苦しいところをお見せして申し訳ございません」


 オルトーさんの紳士然とした態度。

 それを振り払うように、アンジェはぶんぶんと首を横に振った。


「そんなことどうでもいいですわ!はやくお医者様のもとに参りましょう! そ、そうですわ、運転手の方を呼んでこないと……!」

「大丈夫です……。見た目ほど傷は深くはありません。わたくしの胸ポケットに非常用のポーションがあります。……飲ませていただけますか?」

「わ、わかりましたわ!」


 彼のスーツの内ポケット。

 傷に触れないよう、アンジェは慎重にその中を探る。


 取り出した瓶入りのポーションは、ほのかに魔力の籠った光を放っていた。

 蓋をあけると、急いで中身を執事の口へと流し込む。


「ど、どうですの、じいや!もう大丈夫ですの!?」

「ええ……。ありがとうございます、お嬢様」


 ポーションを飲むと、執事は先ほどよりずいぶん楽になったようだった。

 傷もゆっくりと塞がっていく。

 凄い効果のポーションだ。


「ご主人様の計らいで、使用人はこれを一本ずつ持たされているのです。命の危険が迫った時に使うようにと。あの方は本当に聡明でお優しい方です」

「お父様……」


 執事の手を握るアンジェが、ようやく安心したような笑顔を見せる。

 わたしも回復魔術をかけながら、ほっと息をついた。


 しかし、昔より簡単に手に入るようになったとはいえ、これほど強力なポーションだ。

 決して安くはあるまい。

 製薬に関してはさすがに専門外ではあるが、以前道具屋のレイオスが、近年の濃縮ポーション製法について語っていたのを覚えている。

 素材も工程もかなり複雑そうな印象だった。

 やはりそうとう高価な物だと見て間違いはないはずだ。


 福利厚生にしては行きすぎなほどの待遇。

 アンジェの父親は、さぞ立派な人格者なのだろう。

 勝手に成金の頑固者を想像していた自分が恥ずかしくなる。


「……ちなみにこれ、おいくらなんですか……?」

「少なくとも──。私めの月のお給金の、三倍ほどですな」


 どれくらいだろう。

 ちょっと想像がつかないが、詳細に聞くことはやめておこう。

 みじめな気持ちになるのは間違いないし……。


 オルトーさんの背を木の幹に預けて座らせる。

 彼は一度胸に手を当て、深く息をついた後──。

 針葉樹の林の向こうを心配そうに眺め、こちらに声をかけた。


「それよりも──、リル様は大丈夫でしょうか」


 彼の視線の先に、魔族の少女の姿は見えない。


 彼女は速攻でグリフォンと戦闘状態に入り、わたしたちから遠ざけるように林の奥へと向かっていった。

 今は木々の向こうに隠れてどこにいるかわからない。

 ときおり、激しい戦闘音だけが聞こえてくるだけだ。


 リルは魔族だ。

 戦いにおいても熟練している。

 戦場において、彼女ほど安心して背中を任せられる者はいない。

 きっと純粋な戦闘力ならば、グリフォンにも引けを取ることはないだろう。


 ──だが。


 今回ばかりは少し話が違う。

 この間の魔獣のように、相手を容赦なくぶちのめせば良いというわけではないからだ。


 あのグリフォンは依頼主の大事なペットだ。

 まずは押さえつけて大人しくさせる必要がある。


 そのためにはきっと──、わたしの助けが必要だ。


「──アンジェさんとオルトーさんはここにいてください。わたしはリルの援護に向かいます」


 二人にそう言い残し、わたしは林の奥へと入っていった。




==============================




(──クソめんどくせぇ!)


 あたしは攻撃をかわしながら、目の前の猛獣をにらみつける。


 わかっちゃいたが、ただの獣とは随分かってが違う。

 四足の獣のくせに、木々の間を縫うように飛び回るのだ。


 ヒットアンドアウェイと言うやつか。

 一撃で仕留められないのなら、一度離れてまた次の一撃を狙ってくる。

 ある意味確かに鳥類の捕食者の動きだ。

 正面からの殴り合いを得意とする自分には少々やり辛い。


 だがそれでも、アレを倒すだけであれば簡単だ。

 この間の魔獣のように、度を越した硬さを有しているわけでもない。


 やつが攻撃に移った瞬間。

 その生意気な顔面を狙い、カウンターで一撃を喰らわす。

 あたしの拳なら、その硬い嘴ごと粉砕し、一撃で首から上を吹き飛ばすことも容易だろう。


 だが──。


 さっきから、脳内にあの天真爛漫なお嬢様の顔がチラつく。

 こいつはあのアンジェとかいうクソガキのペットらしい。

 

(もし傷つけたり、最悪殺しでもしたら──。やっぱりあいつは悲しむんだろうな……)


 あの満面の笑みを曇らせた、自分の未来の姿が脳裏をよぎる。

 それは、酷く心がもやもやする光景で──。

 


 ──そこまで思考し、はっと気がついた。



 いったいあたしは何を考えてる……。

 べつにあいつが泣こうが喚こうが、自分には関係のない話だ。


 依頼内容はペットの確保。

 捕獲が目的で、殺傷は失敗を意味する。

 当然、報酬がパーになるのは避けるべきだ。

 そう……。あのグリフォンを容赦なくぶちのめせない理由は、それだけだ。

 それ以上でもそれ以下でもない。



「──リル!」


 林の向こうから、聞き慣れた声が聞こえた。

 草と木の根を踏み分け、ラフィが息を切らしながら走ってくる。

 どうやら執事の応急処置は終わったらしい。

 正直一人では攻めあぐねていたところだ。

 あいつの援護は素直にありがたい。


「──ラフィ!捕縛用の魔術とかでヤツの動きを止めらんねぇか!パタパタ飛び回りやがって、らちがあかねぇ!」


 相方のエルフに大声で叫ぶ。

 彼女はすぐさま、「わ、わかりました!」と返事を返し、即効で詠唱を始めた。


 あいつの良いところはいくつかあるが──。

 一つは、一度腹を決めると行動が素早いところだ。


 普段はビビりで優柔不断。

 それなのに、一度動き出してからはエンジンがもの凄い勢いでぶん回る。

 こと戦闘において、それはとても大事な性質だ。

 判断が遅い奴は、いくらスキルがあっても役には立たない。


 あたしは相棒が詠唱を開始したのを確認すると、高い木の枝の向こうに陣取る猛獣に向き直った。

 だがやはり、内心には未だに不安が残る。


(たぶん、あいつの魔術じゃ……)


 唇を噛んでグリフォンを睨む。


 ラフィの魔術は威力に関しては右に出る者がいない。

 だが、精度に関してはまだまだだ。

 上空を縦横無尽に飛び回る獣に捕縛魔術を当てられるとは到底思えない。


 そうこうしているうちに、グリフォンは再び上空を大きく旋回した。

 その後、力を溜めて勢いよくこちらに飛びかかってきた。

 目標は獲物の心臓。

 太陽を背に、目にも止まらぬ速さで突っ込んでくる。


(──あっぶね!)


 再びギリギリで突進攻撃を避けた。

 今のはなかなか際どかった。

 そして、そのまま体を抑え込もうと手を伸ばすが──。


「ちっ……」


 伸ばした腕は、あっけなく空を切った。


 ただでさえ巨体な上に、上空から一気に飛びかかってくる。

 スピードも威力も並大抵のものではない。

 それに、あの鋭い爪と嘴。

 いくら魔族の頑丈な体とはいえ──、まともに直撃を受ければ、腹にぽっかり風穴が開くだろう。


(くそっ、容赦なくぶん殴れれば楽なのによぉ……っ!)


 柄にもなくイライラする。

 

 詠唱を終えたラフィが捕縛魔術を放つが、案の定、グリフォンはたやすくそれを避けていた。

 ラフィの額にも冷や汗が滲んでいるのが見える。


(いっそ、広範囲の攻撃魔術を使ってもらうか……?)

 

 ──いや、ラフィは加減が苦手だ。

 下手すると黒焦げの林と鳥の丸焼きが出来上がる。


 だが、このままではジリ貧だ。

 最悪、いちかばちか、ヤツを殺す覚悟でカウンターをかませば──。


 あの巨体だ。

 おそらく生命力もそれなりに強い。

 二度と飛べない体にはなるだろうが、運良く生き残ることもあるかもしれない。


 けれど──。


『タルトちゃんはわたくしの家族も同然なんですのよ!』


 そう言って嬉しそうに笑っていたアンジェの顔が頭をよぎる。


『──贈り物なら、友達として普通のことでしょう?』


 そう言って、笑顔でプレゼントを渡してきた彼女の姿が、脳裏から離れない。


 くそっ……。

 全部あのクソガキのせいだ。

 あいつが余計なことしやがるから、あたしも余計なことばかり考えちまう。


 いつもなら、殺し合いの最中にこんなことは考えない。

 目の前の敵を倒すこと。

 それ以外の思考は、自分や他人の命を危険に晒すからだ。


 そうだ。

 他に手はない。

 ここでとり逃せばヤツはまた別の場所に逃げ去ってしまうだろう。

 警戒心が芽生えた獣を探すのは至難の業だ。

 ──そう、二度目はないのだ。

 多少の犠牲を払っても、ここで蹴りをつけるべきだ。


 拳を握り直す。

 そして、一瞬伏せていた顔を上げ、目の前を見つめる。



 そこで。──ふと、気づいた。



 先程まで木々の間を飛び回っていたグリフォンの姿が見当たらない。


(──どこだ……?どこ行きやがった……!)


 冷や汗がどっと流れ落ちる。

 戦闘中に敵を見失うなど、あってはならないことだ。

 やはり、今日のあたしはどうかしてる……!



 上空をぐるりと見回し、気配を探る。

 だが、やつの姿は見えない。

 まずい、いったんこの場を離れた方がいい……!

 そう思い、ラフィの方へと振り返った。


 そして──。


 相棒のエルフのさらに背後。

 木々と木々の間の影になった場所。

 そこからゆっくりと獲物へと這い寄る猛獣の影に──。


 ──ようやく、気づいた。


「しまっ───」


 上空ばかりに気を取られていたあたしを嘲笑うかのように、捕食者はゆっくりと獲物のエルフに忍び寄る。


「ラフィ──!逃げろっ!!」


 あたしの声に、エルフの少女は反射的に背後に振り返った。

 ──だが、一歩遅かった。

 グリフォンの鋭い爪。

 獲物を引き裂くために存在するその鋭い凶器は、既に彼女に届く直前だった。


(ダメだ……!間に合わねぇ……っ!!)


 必死に手を伸ばすが、距離が遠すぎる。

 グリフォンの爪は獅子の牙も同然。

 魔族の頑丈な体ならともかく、エルフの柔肌など簡単に引き裂いてしまうだろう。


(くそっ、あたしのせいだ……!あたしがいつまでも悠長に攻めあぐねていたから……!)


 目の前の光景が、やたらとスローモーションに感じる。


 振り下ろされるグリフォンの爪。

 見開かれるラフィの瞳。

 舞い上がる落ち葉の先で、今まさに相棒の命が散らされんとしていて──。



「──ラフィ様!」



 ──その瞬間。

 グリフォンの背に飛び乗る、一人の人影が目に映った。



 突然の背後からの衝撃。

 グリフォンは驚き、大きく上体を逸らす。

 今にもエルフを引き裂かんとしていたその爪も、空振りをして空を切った。


 あたしは呆然としてその光景を見つめる。


 腰を抜かしたエルフと、無謀にもグリフォンの背に飛び乗った人影──。

 ずいぶん小柄な体だった。

 自分とそう変わらないくらいの華奢な体。

 暴れるグリフォンにしがみつき、彼女の銀髪のおさげが左右に揺れる。



「──アンジェ……っ?!」



 メイヴェリアス家の箱入り娘。

 ろくに世間も知らないひ弱なヒト族のお嬢様が、グリフォンの首に手を回して必死にしがみついていた。


「タ、タルトちゃん、落ちついてくださいまし! わたくしですわ! ほら、イライラするときは、こうしてゆっくり深呼吸して気持ちを落ちつかせて───って、 うひゃぁあああっ!?」


 暴れるグリフォンは、アンジェの言葉に耳をかすことなく大きく翼を広げた。

 そして、その場で地面を蹴る。

 一匹の猛獣は、一人の少女を背に乗せたまま、上空へと飛び上がった。


 ひょえええっ!と間抜けな声をあげるお嬢様の声が、空へと遠ざかっていく。


「──くそっ! あのバカガキっ!」


 思わず叫ぶ。

 上空で暴れ回るグリフォンと、必死にしがみつくアンジェ。

 あたしは冷や汗を流しながら、その光景を見上げていた。

 

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