アンジェとペット
探索魔術の示した先は、見覚えのある邸宅だった。
結局外を一周して戻ってきてしまった。
微妙に遠回りをした感じで、なんとも言えない気分になる。
「まあ!ここは、わたくしのお家ではありませんのー!」
アンジェのほんわかした声があたりに響く。
うひゃー、と変な声をあげながら、彼女はびっくりした様子で周囲を見回していた。
驚いていると言えば、それはこちらも同じだ。
魔術の反応は、たしかにこの家の敷地内から続いている。
やはり目的地はここで間違いない。
しかし、灯台下暗しとはこのことか。
どこかに飛んでいってしまったと思っていたお嬢様のペットは、どうやら実家の庭に潜んでいるようだった。
「おい……。今度はくるくる回り始めたぞこれ。大丈夫かよ、この花びら」
リルの声がした方を見ると、触媒の花びらがあたりをうろうろしていた。
近すぎるせいで、目的地の方向が曖昧になっているようだ。
もう道しるべとしては役に立たないだろう。
だがここまでくれば関係ない。
あとはしらみ潰しに探すだけだ。
タルトちゃんの発見も時間の問題だろう。
わたしは心の中で気合いをいれると、三人の方へ振り返った。
「それじゃあ手分けして探しましょう。多少面倒ですが、三人ならすぐ見つけられるはずです」
「えっと、……本当に三人で探しますの?」
お嬢様が小首を傾げる。
三人で、とはどういう意味だろうか。
たかが家の庭の一つや二つ、三人もいればすぐに見て回れると思うのだが──。
「……………。」
はたと気づく。
そして、あらためて周囲に目を向ける。
そのままぐるりと体を回し、その後、屋敷の敷地を360度見渡した。
そして一秒後──。
わたしはアンジェの言葉の意味を遅まきながら理解した。
( 庭……、広すぎじゃない……?)
絶望である。
わたしたちの家何個分だ、これ。
あまりにも大金持ちを舐めすぎていた。
お嬢様の目からすると、わたしたちの家なんて便所の手洗い場みたいなものなのかもしれない。
──ダメだ。
三人では日が暮れる。
せめてあと数人いれば、捜索も捗るかもしれないのだが……。
「──じいやー!じいやは居ませんのー?」
アンジェが屋敷に向かって声を上げる。
そうだ、オルトーさんに相談すればいいじゃないか。
守衛の人を動かすわけにはいかないが、外に出ているという従者なら呼び戻してくれるはずだ。
お手伝いさんが何人いるかはわからない。
だが十人も揃えば夕飯までには間に合うかもしれない。
ちょっとだけ希望が見えてきた。
しかし、他の従者はほとんど全て出払っていると、オルトーさんは言っていた。
つまり今は、お屋敷に関わる仕事は、オルトーさんが全て一人で行なっているということだ。
まさに超人である。
良家の執事に恥じぬ働きっぷりだ。
だが、あまり無理して体を壊さないようにしてもらいたい。
アンジェは返事が戻ってこないことに気づくと、再び声を上げる。
「じいやー!……いないのかしら?いつもは呼んだらすぐ来てくれますのに」
「仕事さぼって昼寝でもしてんじゃねーの」
「いや、リルじゃないんですから……」
しばらくアンジェは執事を呼び続けたが、返事は返ってこない。
これは早速出鼻をくじかれたかもしれない。
……仕方ない。
少しでも人数を増やして捜索範囲を狭めたかったが、そういうわけにもいかなそうだ。
明日までかかっても、地道に辺りを捜索するしかないだろう。
「せめて表側か裏庭か……。それくらい絞れればいいんですが……」
わたしは改めて敷地を見渡す。
入口の方の庭は、すっきりしてかなり見通しも良い。
来客が入ってくる方向なので、見栄えを気にするのは当然である。
対して裏庭は背の高い木も多く、ちょっとした林といった感じだ。
夏場に少し涼みに行くにはちょうどいい感じに見える。
手入れは行き届いている様子なので、この風景も屋敷の主人の趣向ということなのだろう。
そこまで考えて、はたと気づく。
「……そういえば、タルトちゃんてどんな鳥なんですか?」
わたしはアンジェに声をかける。
間抜けなことに、肝心の特徴を聞くのを忘れていた。
これでは探しようがない。
色や形、鳥の種類なんかの情報が必要だ。
インコやオウムとかだろうか。
あまり小さなやつだと、茂みや生垣の中までひっくり返して探さなければならない。
なんなら家の廊下や家具の隙間に隠れているということも考えられる。
それはちょっと想像したくない大変さだ。
こちらの問いかけに、お嬢様は「あら?」ときょとんとした顔になる。
「言っておりませんでしたっけ。これは失念していましたわ。タルトちゃんは、えーっと……」
たしか、じいやが前に教えてくれたような……、と腕組みをするアンジェ。
「──そうそう、思い出しましたわ。たしかグリフォンという種類の鳥さんでー……」
「ぶっ……!?」
突然ぶっ込まれた衝撃発言に、わたしとリルが同時につんのめる。
……鳥?……いやあれ、鳥でいいのか?
たしかに体は馬だが頭は鳥だ。
翼も生えている。
特徴で判断するなら、半分以上は鳥といってもいいかもしれないが……。
「……えっと。ちなみにその子……。どのくらいの大きさなんですか?」
「そうですわねー。だいたいラフィ様とリル様とわたくしを合わせたくらいかしら?」
口元に人差し指を当てて首を捻るお嬢様。
いや……、でかすぎでは?
完全に猛獣とかの類である。
それをペットに与えるとか、金持ちの嗜好は本当によくわからない。
ドン引きなわたしの表情に気付いたのだろう。
お嬢様は腰に手を当てて弁明を図る。
「たしかにタルトちゃんはちょっと見た目がいかついですけど、ほんとに優しくて良い子なんですのよ。体ももふもふであったかくてー……。翼なんてまるで羽毛布団で……。ああ、もちろんお二人にも触らせてあげますわ!とっても気持ちがいいですのよ!」
「あ、ありがとうございます……」
小柄なリルなんか頭からぱっくりいかれそうだ。
怖いのでわたしは遠慮しとこう。
だがまあ……、居場所は絞れる情報だった。
さすがに表の庭には、そんな巨体を隠すような場所はない。
もちろん邸宅内にもだ。
ならば──。
怪しいのは、おそらく裏庭の林だろう。
(──まあ、裏庭だけでもけっこうな広さなんですが……)
ついでにもう少し居場所を詰めることができれば最高である。
隣で呑気に口笛を吹いている魔族の少女をちらりと見やる。
「……リル。その、なんかこう……。においとかでタルトちゃんの居場所がわかったりしませんかね?」
「はぁ!?あたしは犬じゃねぇんだぞ!」
呑気な空気から一転。
犬歯を剥き出しにしてきゃんきゃん吠える魔族の少女。
印象的にはとても犬っぽい。
「そこはほら、リルの身体強化でなんとか……。なんならわたしも感覚強化の魔術を重ね掛けしますから……」
「ちっ……。まあこのままだらだら探すのもなんだしなぁ。しゃーねぇ、やるだけやってみるが期待はすんなよ」
リルの魔力が小柄な体を覆っていく。
もともと種として恵まれた彼女の体。
それが、さらに頑強なものとなっていく。
この小柄な体格で、あれだけの身体能力を生み出せるのだ。
貧弱な一般エルフとしては羨ましい限りだ。
神様は本当に不公平である。
リルの身体強化に合わせて、わたしも彼女に感覚強化の魔術を上乗せする。
こちらは単純な詠唱で済むお手軽魔術だ。
もちろん、効果のほどはその分お気持ち程度である。
さて、あとはリルの地力しだいだが……。
──身体強化魔と感覚強化。
二つを重ねた魔族の少女が、くん、と小さく鼻を動かす。
それからしばらくあたりのにおいを嗅いでいたリルだったが──。
「ん……?」
ふと、顔をしかめる。
何かそれらしいにおいを嗅ぎつけたのだろうか。
彼女は「うーん……」と首を捻ると、何も言わずに裏庭の方へと歩いていく。
しかしまさか本当ににおいで嗅ぎ当ててしまうとは。
じつに優秀なワンちゃんである。
早速、脳内で犬耳と尻尾をつけたリルを想像してみる。
ついでに可愛らしいポーズもとらせてみた。
……うん。これは意外と良いものだ。
「……おまえ、今あたしで変なこと考えてるだろ」
「──べ、べつに?気のせいではないですか?」
「うるせぇ、おまえわかりやすいんだよ!どーせあたしを犬畜生扱いしてこき使う妄想でもしてたんだろ!」
惜しい。
わたしの妄想はもうちょっと欲望寄りだ。
「おいクソガキ!おまえもあたしを指差して笑うのやめろ!……ったく、これだからガキのお守りはよぉ」
ひとしきりキレ散らかしたあと。
さっさと行くぞ、とリルは再び歩き出した。
生垣を越え、木々の間を縫うように進む。
リルの背中を追いかけるように、わたしたちは黙々と後ろをついていく。
多少歩きづらいが、特に気にするほどではない。
お嬢様の方も、足取りは軽いし問題なさそうだ。
まあ文字通り彼女の庭なのだから当然か。
しばらく林の中を歩く。
木漏れ日の下をくぐり抜け、ひたすら奥へと進んでいく。
すると──。不意に少し開けた場所に出た。
リルの足がぴたりと止まる。
どうかしましたか──?
そう言いかけて、わたしは自身の言葉を飲み込んだ。
リルの尖った視線が、空き地の奥を見つめている。
「……やっぱりか。どうも『血』の臭いがすると思ったぜ」
ぼそりと呟くリル。
その言葉に不穏なものを感じ、わたしは彼女の視線の先を追う。
立ち並ぶ背の高い針葉樹の木々。
大きく太い幹の数々。
その間の開けた草地に、二つの影が見えた。
一つは巨大な動物の影。
頭は鳥。体は馬。背には見事な翼が生えており、猛獣の持つ鋭い鉤爪が足の先から覗いていた。
おそらくあれがタルトちゃんだろう。
どう見ても可愛らしい名前と本人の印象が一致していない。
そして──、もう一人。
グリフォンの足元に膝をついて崩れ落ちている人影があった。
見慣れた白髪の後ろ姿だ。
整えられた黒いスーツの背が丸まっている。
自身の肩を押さえる彼の右手。
その指の隙間からは──。
──じくじくと、とめどなく赤い血が滲み出ていた。
「───!? タルトちゃんと……、じいやですわ!?」
アンジェの張り詰めた声が響く。
その声で初めて気付いたのだろう。
彼女が見つめる先で、メイヴェリアス家の執事は驚いたように振り返った。
「──来てはなりません!お嬢様!」
執事の制止の声。
肩口を血で赤く染めた彼の姿を、アンジェは戸惑った瞳で見つめる。
傷口は彼の黒いスーツを貫通し、袈裟斬りに荒々しく切り付けられていた。
どう見てもナイフや剣でつく傷ではない。
あの傷口は──。
……そう。
『獣』の爪跡だ。
「……リル。いけますか?」
「あぁ。」
わたしの言葉に、彼女は短く返事を返す。
そして、じろりと目の前の『敵』をにらみつけた。
「ご主人様に歯向かうクソ鳥には、きつい仕置きが必要だよなぁ?」
リルの魔力が体を包む。
彼女の研ぎ澄まされた威嚇の気配に──。
狂乱の獣は、大きな咆哮で返したのだった。