贈り物
その日の夜は、メイヴェリアス邸に泊まらせてもらった。
お嬢様とオルトーさんのご厚意だ。
豪勢な夕食に、寝心地の良いふかふかのベッド。
きっとしばらくは元の住処に戻っても、この体験が恋しくなってしまうだろう。
庶民の体にはある意味とてもつらい毒である。
──さて、翌日。
わたしたちは中央区画の街へと繰り出した。
もちろんペットのタルトちゃんを探すためだが、まずは遺失物を探すための魔術──。
その触媒が必要なのだ。
昔はその辺の道具屋にでも売っていたものだが──。
今はめっきりそういう店は見なくなった。
大型のマーケットに並ぶのは、一般人に向けた売れ筋の商品ばかり。
魔術触媒なんかはそれこそ専門店を探すか、今なお細々と営業を続けている知る人ぞ知る個人店を探すしかない。
そして、そういう店はたいてい少し怪しげな裏通りに残っている。
正直、あまり大きな声ではいえないようなものもたくさん並んでいる。
それこそ子どもの教育によくないようなものも売られているのだ。
だからこそ、リルと二人で来るつもりだったのだが──。
「まあ!こちらのブローチ、人魚の瞳のようにとても綺麗な色をしてますわ!」
雑多に商品が並べられた裏通りの小売店。
その一角に、明らかに場違いな少女が一人──。
物珍しげにあたりを見回していた。
そう。
アンジェリカ=メイヴェリアスお嬢様、その人である。
彼女は見るからに怪しいアクセサリー類を手に取り、きゃっきゃと楽しげにはしゃいでいる。
そんな彼女の言葉に、店主が真っ先に返事を返した。
胡散臭い伊達メガネがキラリと光る。
「やあ、お目が高いね、お嬢さん。それは百年に一度、恋に落ちた人魚が一粒だけ流すという秘宝でね。人魚の涙と呼ばれているんだ。それはそれは縁起の良い──」
「──贋作になっております」
被せるように、店主の横から追加情報がねじこまれた。
「ちょっとフィフィくんっ、お客様になんてこと言うんだい!」
「嘘はいけません、ご主人様」
「べ、べつに嘘じゃないさ。あとで言おうと思ってただけだし……」
彼らは魔術具店の主人とその従者。
名前はダークエルフの錬金術師レイオスと……。もう一人の方はフィフィと言ったか。
ここは、魔術素材の購入のために稀によく訪れる店だ。
だからリルとわたしは彼らとも顔見知りである。
まあそれなりに長い付き合いだが、関係としてはけっこう浅い。
店員とお客様。
それ以上でも以下でもないくらいの関係である。
そもそもエルフとダークエルフは元々仲が悪い種族だ。
今でこそ強い隔たりも過去のものとなったが、古い爺婆たちはいまだに彼らに抵抗感を持ち続けている。
こうして彼の店に訪れるだけでも、わたしはエルフとしてはかなりマシな方だ。
わたしは怪しげな店主と怪しげな商品を、じろりとひと睨みする。
「レイオス。あまりうちのお嬢様に変なもの見せないでくださいね」
「変なものとは随分だね。見ての通り、うちの商品は一級品ばかりだよ!」
大袈裟に両手を開いてアピールするレイオス。
その様子をフィフィが無機質な視線で見つめていた。
彼は少し気まずそうに咳払いすると、横目で店の入り口を眺めながら、わたしに問いかけた。
「というか、あの子誰だい?エルフと魔族って子供は作れたっけ?」
「いや、それ誰と誰の子供って想定で話してます……?」
わたしもリルも立派なレディなんだが。
冗談にしても、ほんと失礼なやつである。
そんなやりとりをしていると、話題のお嬢様の声が飛んできた。
ころころとした鈴のような声だ。
まさに見る物全てに興味津々といった感じである。
「店主のおじ様!こちらの綺麗な宝石のブローチはなんというものですの?」
「ああ。それは昔、とある高名な魔術師が作ったというマジックアイテムでね。身につけている者をあらゆる災厄から守ると言われている──」
「そう言われているアイテムの贋作です」
「ちょっとフィフィくん〜!キミ、どっちの味方なんだい!」
「もちろんお客様の味方ですが」
言い争いを始めた二人の前で、しげしげと物珍しげに宝石を見つめるアンジェ。
そんな光景を横目に、リルがわたしの横腹をつついてきた。
「なあ、ラフィ。あいつ連れてきてよかったのかぁ?お世辞にもあんまり治安がいいところじゃないぜ、この辺は」
「仕方ないですよ。オルトーさんのお願いですし。報酬も上乗せを約束してくれましたから」
それだけ信頼してもらっているということだろう。
まあ、わたしはともかく魔族のリルが一緒なのだ。
彼女が睨んでいれば、たいていのやからは手を出してくることはない。
オルトーさんもそれがわかっているからこそ、こうして外出を許したのだろう。
「はぁ〜。ったく、ペットさがしの上にガキのお守りかよぉ」
リルがぶつくさ文句を言っているが、まあこれも仕事の一つ。
彼女も一応プロである。
内心では、ちゃんと割り切っているはずだ。
外の世界を見せてあげてほしい──。
そう、オルトーさんは言っていた。
大事なお嬢様を預けてくれるほどの厚い信頼。
その願いを無下にはできない。
さて、わたしはと言うと──。
商店の店先で、目的の魔術触媒を探していた。
必要なのはマンドレイクの花と、月花草の葉。
さすがにマニア御用達の店を選んだかいもあり、目当てのものはすぐに見つかった。
だが──。
(──げっ……、今こんなに高いんですか、これ……。)
数十年ぶりに購入する魔術素材。
だが、想定していた値段よりも三割り増しくらいに値が上がっている。
理由はまあ……、想像はつく。
最近はマンドレイクが自生する森も減ったと聞く。
効果の高い薬草類は企業で栽培されるようになったから、むしろ昔より安くなった。
だが、需要の低い魔術素材などは真逆だ。
冒険者が定期的にとりにいく習慣もなくなったせいか、値段は地味に上がってきている。
つまり需要が少ない上に、在庫不足のせいが大きな理由だ。
さて、どうしたものか。
店主のレイオスは比較的話のわかるやつだ。
だが、気分で商品の割引きなんかは絶対にしない。
しばらく腕組みをして唸っていると、
「──あら。ラフィ様。そちらの素材が必要なんですの?」
後ろから声をかけてきたアンジェに振り返る。
「ええ、まあ……。でもその、ちょっと高くて……」
「あら、それならわたくしのお金を使ってくださいまし。毎月お小遣いはもらっていますから、このくらい平気ですわ!」
「ええっ?……いや、いいですよ!大丈夫ですから!」
慌てて両手を振って断る。
ちょっとの金すらケチって子供のお小遣いに手を出すとか……。
エルフ人生末代までの恥である。
さすがに受け取るわけにはいかない。
「あら、わたくしたちはお友達なのですから。遠慮などしなくてもよろしいですのに……」
むー、と口を尖らせるアンジェ。
なるほど、彼女なりに友人とのコミュニケーションを図ったということか。
だが、このやり方はよくない。
きちんと早めに矯正しておく必要がある。
「いいですか、アンジェさん。お友達でも、安易にお金のやりとりをするのはよくないことなのです」
「そうなんですの?」
「ええ。世の中にはお金に対してがめつい人や、お金をちらつかせると目の色が変わる人もたくさんいるんですよ」
「──なんだぁラフィ。自己紹介かぁ?」
ニヤけ顔で口を挟んできたリルを、じろりと睨みつける。
「………。お金に対してがめつい『悪い』人や、目の色が変わる『悪い』人もたくさんいるのです!だから、こういうことは友人と思っていてもしない方がいいんです」
アンジェは、うーんと唸った後、「わかりましたわ」と笑顔で頷いた。
本当に素直で良い子である。
できればこのまま真っ白のままでいて欲しい。
だが、この世界は美しいものばかりではない。
いつか子供時代の色鮮やかなフィルターが剥がれ落ちる日が来るだろう。
そのときのために──。
多少の汚れを知っておくことも、この子の将来のためには大事なことのはずだ。
わたしはしばらくアンジェと二人で店内を見て回った。
彼女はずいぶんいろんな物に興味を持ったようだった。
好奇心は人一倍のようだ。
屋敷の中の狭い世界では随分窮屈な思いをしていたのだろう。
ぴょこぴょこと跳ね動く銀髪の頭が、ほんの少し不憫に思えた。
その後──。
わたしは渋い顔をしながら、魔術触媒をレイオスから購入した。
手を擦り合わせて礼を言ってくるレイオスの姿に無性に腹が立つ。
アンジェも何やら気に入ったものがあったのだろう。
わたしの後に、店主となにやら商品のやり取りをしていた。
彼女にとっては初めての体験。
初めての買い物なのだろう。
邪魔しないように遠くで見守りつつ目を光らせておく。
店主のやつも、まさかわたしとリルの前で子供相手にぼったくりに走ることはないと思うが……。
念のためひと睨みしておくと、レイオスは「ひっ」と声を漏らして縮まっていた。
「──さて。買い物も終わりましたし。そろそろ行きましょうか」
あー腹減ったぜぃ〜、と呟きながら歩くリルの後ろをついて店を出る。
なんだかんだ商品を物色していたら、いつのまにか時刻はお昼になっていた。
とりあえず、昼食の前にやれることをやっておきたい。
ご飯はその後だ。
わたしは二人を引っ張ると、その足で人の気配のない路地へと入る。
この魔術を使用するには、魔法陣が必要だ。
床と壁に直接記載する必要がある。
だが、道路の落書きが発覚するとマズい。
またジョブセンターのお姉さんにイヤミを言われてしまう。
……まあ、路地裏ならそうそうバレることはないだろう。
あとでちゃんと消しておけば平気なはずだ、たぶん……。
わたしが、いそいそと魔術の準備に取り掛かろうとしたときだった。
つんつんと脇腹を突かれる。
何ごとかと振り返ると──。
そこには、もう見慣れた顔の、銀髪のお嬢様が微笑んで立っていた。
「お二人とも!どうぞこちらをお受けとりになってくださいませ」
「これは……?」
彼女の小さな手の平の上。
その上には、先ほど店主から購入したらしい小物が三つ──。
アンジェの両手の中に、ちょこんと置かれていた。
「おそろいのブローチですわ。三つ購入しましたの。店主さん曰く、身につけている人を守ってくれるアイテム──のガンサク?らしいですわ」
きっと素晴らしいものに違いありませんわー!とはしゃぎ回るお嬢様。
あの感じだと、贋作の意味はわかってなさそうだ。
アンジェは小首を傾げて笑顔を浮かべる。
そして、ふわりとした優しい声で、彼女は言った。
「──ラフィ様。お金のやりとりでなく贈り物なら、お友達として普通のことでしょう?」
裏表のない善意の言葉──。
大人になってからは滅多に聞けない言葉だ。
たしかに、安物ではある。
おまけにレプリカの偽物だ。
本来、贈り物としては全く適していないのだろう。
でも──。その気持ちが、本当に暖かくて嬉しいのだ。
「……ありがとうございます、アンジェさん。とっても嬉しいです。ほら、リルもお礼を言いましょう」
「あ、ああ……。ありがとな、お嬢様」
笑顔で贈り物を受け取るリル。
だが、その表情の中に──。
少しだけ複雑な心情が隠れていることに、わたしはふと気づいてしまったのだった。