メイヴェリアス家
西日が傾き始めた夕飯時。
わたしたちは執事のオルトーさんの車に乗り、ジョブセンターを後にした。
そこからだいたい二十分ほど。
見るからに高級住宅が立ち並ぶ一等地のど真ん中を、わたしたちを乗せた車が滑るように抜けていく。
このあたりは元々新興地だったが、この百年で随分地価も上がったらしい。
わたしの遥か昔の記憶では、このあたりはゴブリンたちの住む静かな森だった。
だが、街の急激な発展に伴い、近郊の土地は次々と開拓され──。
緑豊かだったこの場所も、今では石と煉瓦に囲まれた広大な住宅地になったのだ。
住処を追われたゴブリンたちのほとんどは、今では魔石の鉱山で働いているらしい。
少し可哀想な気はしてしまうが──。
しかし、金がなければわたしたちだって明日は我が身なのだ。
そういった意味ではこの世界は平等になったのかもしれない。
いくつかの角を曲がり、車は進んでゆく。
道の両側に佇む屋敷の数が段々と減っていく。
一つ一つの屋敷の敷地が広くなっているのだ。
その中でも一際目立つ大きなお屋敷。
背の高いお洒落な門の前で、執事のオルトーが運転する車は滑るように停車した。
「お待たせいたしました。こちらがメイヴェリアス家のお屋敷にございます」
どうぞ、と初老の執事は後部座席のドアを開く。
まるで自分がお嬢様になったかのような扱いだ。
今まで受けたことのない紳士的な扱いに、思わず胸が熱くなる。
「オルトーおじさま、素敵ですよね……」
「げぇっ、おまえジジ専かよ」
魔力を込めた左手でリルの後頭部を全力ではたく。
頭を抑えて悶絶する魔族少女。
オルトーさんに聞こえてないだろうな。
まあ、紳士的な彼なら笑って許してくれそうな気はするが……。
幸い何も言われることはなく、執事はわたしたちを車から下ろすと、先導して庭先を歩いていく。
長い庭道の先。
先ほど車から見えた大きな屋敷が、敷地の奥に鎮座しているのが見えた。
白い花と緑に囲まれた庭園。
赤い煉瓦造りの品性溢れるお屋敷。
どう見ても金持ちの中の金持ちの家だ。
庭先を飾る小さな石像一つとっても、おそらくわたしたちの給料では手が届かないようなものなのだろう。
なんだかちょっと肩身が狭い。
魔獣を相手にするほうが、まだ胸を張って対峙できる気がした。
わたしが内心やきもきしていると、初老の執事が軽く振り向き言葉をかけてくれた。
「どうぞ、ご気分を楽にお持ちください。当家の主人、アンジェリカ=メイヴェリアス様は、じつに気さくなお方ですので」
彼はそう言って柔和な笑顔を浮かべた。
こちらの緊張が漏れていたのだろう。
本当に気の利く人である。
さすが良家の従者というところだろうか。
オルトーさんに礼をいって、再び彼の後ろをついて歩く。
庭園の庭木を眺めながら、わたしは先ほどの名前を反芻していた。
メイヴェリアス、メイヴェリアスか……。
稀に聞く名前だ。
わたしも世情には疎いほうだが、それでもたまに他人の雑談の中で耳にすることがある。
よほど有名な名家なのかもしれない。
ダメだ、またちょっと緊張してきた。
「えっと……、アンジェリカさん……?その方が今回の依頼主になるんでしょうか?」
こちらの問いかけに、オルトーさんは「ええ、その通りです」と流麗な仕草で頷く。
「それと──、どうぞ、お嬢様のことはアンジェと愛称でお呼びください。わたくし共も普段はそう呼ばせていただいております。それに、その方がきっとアンジェお嬢様もお喜びになられますから」
「はぁ……、わかりました」
本当に大丈夫だろうか。
いきなり、「この無礼者のエルフの首をはねておしまいなさい!」とか言われたりしないだろうか。
まあ、たしかに話を聞くかぎり、ずいぶんと懐の広い性格のお嬢様のようである。
一等地に豪邸を構える良家のお嬢様。
いかにも金持ちですといった感じだし、もっと高飛車な性格を想像していた。
オーッホッホ、的なテンプレのあれだ。
こちとら社交界の礼儀作法など全く身につけていない。
正直、顔を合わせるなりイヤミでも言われるんじゃないかと心配だったのだ。
そんなことを考えながら歩いていると、リルが隣から小声で話しかけてきた。
「ラフィよぉ。今思い出したぜ。メイヴェリアスっていやぁ、魔石の採掘業で成り上がった家系だ」
リルの言葉に、わたしもようやく気づいた。
魔石の需要にいち早く気づき、今は各地の魔石鉱山の採掘をほぼ独占している大企業──。
それの元締めが、たしかメイヴェリアスという名前だった。
「たしかノース&ウェストって会社だったっけなぁ。それならこのいけ好かねぇ豪邸っぷりも頷けるぜ。まあ?今でこそノリノリだけどよぉ。元は辺境の貧乏貴族だったって聞くぜぃ」
「そうなんですか?」
「ああ。つまり、ただの成金クソヤロウってこった。だからそんな仰々しく構える必要なんて──」
「言い方っ!」とリルの頭頂部に全力の拳骨をお見舞いする。
魔族の少女は「おうふっ!?」と目を白黒させて頭を押さえた。
「──ってぇな!さっきから頭叩くんじゃねぇ!身長縮んじまったらどうすんだ!」
「それ以上縮んで妖精族にでもなる気ですか!リルはもう少し礼儀とかデリカシーを学んでください!」
ぎゃあぎゃあと押し相撲しながら言い争いを始めるリルとわたしであった。
すると──。
不意に前を行くオルトーさんが、「はっはっは」と軽快な笑い声をあげた。
わたしとリルも、思わず互いを牽制していた手を止める。
……どうしよう。
さすがに目障りだっただろうか。
それともリルの無礼な物言いが気に障ったかな……?
初老の執事は足を止めて振り返る。
そして、目を細めて小さく頷いた。
「いや、失礼。やはりあなたがたに依頼をお願いして本当によかった。今、そう思ったのです」
「………?」
わたしはリルの頭を鷲掴みにしながら首を傾げる。
リルの超絶失礼な態度に、この馬鹿みたいな喧嘩。
こんな不躾な光景を見て、なぜそんな言葉が出てくるのだろうか。
正直叩き出されても文句は言えない光景である。
首を傾げていると、オルトーさんは少しだけ目を伏せて言葉を続けた。
「じつのところ……。最初はただ、あなたがたが女性の二人組だからという理由で声をかけさせていただきました」
初老の執事はそっと瞼を閉じる。
「メイヴェリアス家に関わる者には、その莫大な財産を狙う不遜な輩も少なくはないのです。それに、当主であるお嬢様は、少々歳若く、世間知らずなところがございます。
人手は欲しい──。ですが、見も知らぬ荒くれ者の男共をお嬢様の元に近づけさせるわけには参りませんでした」
オルトーさんの瞳が今度はまっすぐにこちらを見つめる。
その目には、こちらを疑う色は少しも見えない。
彼は背すじを伸ばし、「けれど──」と、はっきりとした声で続ける。
「少なくとも、あなたがたは人を選んで嘘をつくような人間ではない。裏表のない方々です。つまり、心から信用できる人たちです」
突然の執事のその言葉。
そのあまりにも真っ直ぐな内容に、思わずあわあわと戸惑ってしまう。
まさに、これ以上ない信頼の言葉だ。
あの傲岸不遜なリルですら、ちょっと照れ臭げに顔を逸らしている。
なんだかちょっと幸せな気分だ。
職業柄、あまりこういった高潔な人に出会う機会は少ない。
加えてこちらを手放しで信頼してくれる人間などは皆無に等しい。
……うん。
彼がこれほどまでにこちらを信用してくれているのだ。
わたしもしっかりと期待に応えなければならないだろう。
「ありがとうございます。安心してわたしたちに仕事を任せてください。必ず成功させますから。──ね、リル」
「………ああ」
魔族の少女も視線を横に逸らしたまま、素直に頷く。
「……それと、さっきは成金とかバカにして悪かったな、おっさん」
……凄いものを見てしまった。
あのリルが自分から謝ったのなんて何十年ぶりだろうか。
初老の執事はわたしたちの言葉に朗らかな笑顔を見せた。
そして、ふと何かを考えるように遠くを見る。
その後、あらためてわたしたちの前に立つと、手のひらを胸にあてて言った。
「……これは依頼とは関係なく、あくまでわたくし個人のお願いなのですが──。依頼を完了した暁には、どうかアンジェお嬢様とお友達になってはいただけないでしょうか」
「お、お友達ですか……?」
お嬢様とお友達……。
光栄なことだが本当に大丈夫か?
こちとら、飲んだくれて日銭にも困るダメ人間の集いなんだが……。
わたしが返答に困っている最中。
オルトーさんは、ふと何かに気づいたように屋敷を見上げた。
彼の目が少し細まる。
「──ああ、噂をすればというやつですな。ご紹介致します。あの方が当家の主人、アンジェお嬢様でございます」
執事が見つめる先。
背の高い庭木を越えた向こう側。
屋敷二階の右端の窓から、こちらにぶんぶんと手を振っている人影が見えた。
「じいやー!その方々が例の請負屋の方々ですのー?!」
はち切れんばかりの笑顔のもと。
アンジェと呼ばれた少女が、元気一杯にこちらに向かって呼びかけているのだった。