どうやって持ち帰ったのか
全身に揺れと冷たさを感じて意識が浮上した。
足がプラプラと揺れていて、布団や床で寝ていたときの地に足が付いた感覚がなく、心もとない。
うっすらと目を明けると、硝子みたいに煌めく葉の群れがまず見えた。
「阿佐ヶ谷、気が付いたんだ」
声のする方に顔を向けると、くすくすと控えめに笑う岡本の顔があった。
見つけたときには足元にいたはずの目線が私よりも高くなっていて、思わず下を見れば、二本の足ですたすたと歩いている。
「驚き過ぎだよ。気絶されるとは思わなかった」
ああ、そうだった。
ここは人魚となった岡本を見付けた山の麓で、私は岡本を見た後に気を失ってしまったのだった。
岡本は濡れてくたくたになった服を着ているから、体の後ろ側が冷たい。風が吹くと汗ばむ季節が嘘のように更に冷える。
しかしどうして、私が岡本を抱えているのではなく、岡本が私を抱えているのだろうか。私が連れ帰って浴槽に押し込んだというのに。
なぜ、岡本に足があるのだろうか。
「ねえ」
こちらの思考を切るように岡本が切り出す。普段通りの他愛ない世間話をするときのような顔をしている。
「結ばれない人魚は、好きになった人を殺さないといけないんだってさ。泡にならないために」
脅しかと聞けば、かもねとあっさり返ってきた。あまりにも軽い声色だったので、こちらまで大したことでないように錯覚してしまいそうだ。
そこは命乞いとか泣き落としとかじゃないの。もしくはこのまま私を手頃な崖とか斜面に放り投げるときに言う言葉でしょ。
「御伽噺と同じなんだ。妖怪寄りだと思ってた。不漁の兆しとか不死の薬とか」
「それも兼ねてるよ。何なら食べてみればいい」
物は試しだと岡本は笑っているが、あまりにもリスキーなチャレンジである。
物は試しで人魚を食べた人間の末路なんて、ろくなものではないだろう。
「嫌だよ。皆に先立たれるんでしょ」
それは寂しすぎる。同窓会のメンバーがだんだん減っていくとかは序の口で、後輩とか、友達の子供とかにまで置いていかれるなんて考えたくない。
そもそも、不老も兼ねるのだろうか。もし、兼ねていたら誰よりも先に同窓会に参加できなくなるのではなかろうか。もっと嫌だ。絶対に食べたくない。
幸せな不老不死者なんてものがいるわけがないだろ。ひっそりと人を避けて生き続けているイメージしか沸かない。
「少しだけ齧ればいいんだ。大丈夫、俺も長生きだから、一緒ならきっと退屈しないさ」
そういう問題じゃない。引き攣る口元のせいで声が震える。
「安心してよ。人魚の声は人の気持ちを変えることができるから。きっと、楽しく暮らせる」
「岡本はずるいね。人魚姫は足の代わりに声を失ったのに」
「多分、違うものがなくなったんだ」
「パッと見じゃ分からないな」
内臓だろうか。人魚の足と引き換えに腎臓一つとか。いや、腎臓の他にも要るだろうか。そう考えると人魚というものが妙に生々しくキナ臭く感じる。
「多分命じゃないかな。俺さっき死んだから」
「なら何で動いてんの」
確かに、ずぶ濡れだとしても岡本の体温は死体のように冷たく、触れた胴体からは鼓動が全く感じられない。
だが、死んでいるというのであれば、なぜ岡本は動いているのだろうか。
「何でだろうね。俺も知らない。きっと、生かされているんだよ」
何に。とは聞いてはいけない雰囲気だった。
「でも、もう死んでるんだったら、私は殺されないんだね」
言葉の綾ではあるが、ここで黙っているのも心許ないので、無理くり話を続ける。
不老不死も嫌だけど、殺されるのも嫌だ。逃げようにも、足のある岡本から逃げられるはずがない。
「ううん。殺さないと泡になるんだ。自我を失って海の泡の一部になるなんてさ、気持ち悪いよね」
「じゃあ、岡本のこと好きにならなきゃ私だけ取り残されるじゃん」
「そこなんだよね」
人畜無害で恐ろしいこと提案してくるじゃん。岡本じゃなかったらうっすら嫌いになってるかもしれない。
「だったら、私の気持ち変えちゃえば」
歌で。
笑いながら言うと岡本は眉をハの字に歪めた。
「本気にしちゃうよ」
「すれば」
岡本が間抜けな顔をする。いつもより幼く見えてかわいいなと思った。
「だって、気持ち変わっちゃうんでしょ。違和感すらなく。それはもう嘘とかじゃないよ」
「阿佐ヶ谷の気持ちはどうなるんだよ」
「私が疑問を抱かない限り、私も岡本も幸せでしょ。少なくとも、私の立場での不満はないよ」
「嫌だ」
岡本は頑なで、それに何だかいらついた。何ふり構わないのが好きってことじゃないの?
「何だ、乙女か純情か」
「そうやって、人のことからかって」
咎めるように言われたって、からかってなんかいないんだから知らない。
「それが嫌なら、殺すしかないじゃん。泡になっちゃうんだから」
「それは絶対に嫌だ」
そしたらどうしようもないじゃん。自分の気持ちなんて、どうにもできないのに。
「タイムリミットは?」
「ある。ギリギリまで頑張る」
それがいつかまでは言わなかった。
「そっか」
「それまでに好きになって」
とても真剣な顔付きと声に、何て言っていいか分からず押し黙る。
岡本はしばらく返事を待っていてくれたけど、ひとつため息を吐いて、それから何か言った。
そこで目が覚めてしまった。