◇7
朝、ポーレットを起こしに来たのはメイドではなくテスだった。
「おはようございます。ポーレット、よく眠れましたか?」
養女になっても、テスは丁寧な話し方を変えない。使用人にも同じ口調で話しかけるから、元々こういう人なのだろう。
「おはようございます。ええ、とても」
「じゃあ、着替えましょうか」
わくわくした様子で言われた。
なんだろうと思っていると、テスの合図と共に目を見張るような数の衣服がメイドによって運び込まれてきた。呆然としているポーレットに、テスはうっとりと語る。
「あなたのように綺麗な子が身なりに構えないなんて、勿体ないにもほどがあります。今日からはいくらでも綺麗なドレスを着せますからね」
趣味で服飾店を営んでいるというテスは、服が大好きなのだろう。かといって、自分自身がけばけばしく着飾るわけではないのだが。
ああでもない、こうでもない、とメイドたちと楽しげにポーレットのドレスを選び始めた。ポーレットはもう、自分の意見は挟まずに任せることにした。ただし、体はひとつしかないから一着に絞ってほしい。
襟ぐりの広いローブデコルテのドレスに落ち着く。色はワインレッドだ。髪はメイドが手早くまとめてくれて、鏡を見ると金の髪飾りで留めてある。
そのまま軽く化粧も施された。化粧をしたのは夜会に出た時だけで、その時ですら口紅を少し塗った程度だった。
「ポーレット、とっても綺麗ですよ」
テスに褒められて嬉しくなった。
「ありがとうございます、テス伯母様」
こんなにも立派な恰好をさせてもらえただけで、これまでの苦労が報われたような気分になった。けれど、テスは言う。
「あなたは今後、夜会に出なくてはなりませんから、そういう格好にも慣れておかないと」
「えっ? 夜会?」
貴族ではなくなったはずが、まだ夜会に出なくてはならないとは思わなかった。
「そうですよ。ランベール様を射止めないといけませんからねぇ」
と、テスは悪戯っぽく笑った。
ポーレットが赤くなると、メイドたちは妙に優しい目をしてうなずいていた。
「で、でも、どうして夜会ですか?」
「夜会にいらっしゃるからですよ。ランベール様はプランシェ子爵家の御令息ですから」
ポーレットはほとんど社交場に出ていないから、貴族たちの名前も顔も覚えていないのだ。軍の指揮官には貴族も多い。
ポーレットは男爵家の生まれでも今はそこを出たのだから、身分的にはランベールと釣り合わないのかもしれない。
弱気になったのをすぐに見抜かれたらしく、テスは苦笑する。
「諦めるのは、すべてやりきってからにしましょう」
「う……」
こうして声が出るようになったのだ。あの頃と比べたら、なんだって不可能ではないはずなのに、つい怖気づく癖がついている。これではいけない。
ポーレットは思いきりうなずいた。
「が、頑張ります!」
そんな姪の奮闘を、伯母は優しく見守ってくれるのだった。
◇
ポーレットが、ポーレット・ミシリエからポーレット・ディルマンになって三日後。
最初の夜会に招かれた。
テスの亡くなった夫は貴族でこそないが、造船業で財産を築いた人物で、その功績によって国王から勲爵士の称号を賜っていたという。ミシリエ家のように身分はあれど貧しい貴族も多い中、彼女は裕福な資産家だった。
そんな未亡人とお近づきになりたい人々が、ひっきりなしに夜会の招待状を送ってくるらしい。テスは気が向いた時しか出席しないというから、父とヴァレリーがテスをよく知らなかったのは、純粋に会ったことがなかったせいだろう。
ディルマンという姓を聞いても何も思い当たらなかったのも、貴族にしか目を向けていないせいだ。
ポーレットは礼儀作法やダンスの指導は実家にいた頃にひと通り受けているが、場数を踏んでいないので何かにつけて自信がない。
正直にそう言ったら、一日だけ講師を呼んで予習させてくれた。もう少し練習する時間がほしかったけれど、それを言っていると間に合わない。
「二週間前のあなたと乖離した行動を取るのはよいことです。どんどん社交場へ行きましょう」
そう言ってテスは出席の返事を出したのだ。
ポーレットはこの日、深紅のドレスで黒髪を肩に垂らし、赤い薔薇のモチーフで飾るというかなり派手な装いだった。口紅も赤くて、衣装負けしていないかと気後れしてしまう。
「目立たないと、ランベール様に見つけてもらえませんよ」
馬車の中でにっこりと笑うテスも、いつものような控えめな恰好ではない。夜会に相応しい華やかな黒いレースをあしらっている。こうしていると、服飾店店主というよりも確かにマダムだ。
「何かにつけてランベール様って……」
「あら? お会いしたいのではなかったかしら?」
「そ、それは……」
その名前を出すとポーレットが赤くなるのを楽しんでいるような気がしてきた。
テスは黒い羽根でできた扇を閉じて口元に添える。
「この夜会にはこれまでのあなたを知る人たちもいることでしょう。これまであなたを虐げてきた人たちを見返してやりなさい」
そんなことができるだろうか。
できたらいいな、とこの時初めて思った。