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◇11

 泣いたら化粧が崩れてしまうから、ポーレットはギリギリまで我慢した。

 庭の木に寄りかかり、夜空を見上げて涙を呑み込もうとする。


 ポーレットにとっては特別な出会い、特別な人であったとしても、ランベールからするとそんなことはなかったらしい。誰が相手だろうと助けたし、特別なことをしたつもりはなかったのだろう。

 むしろ、たったあれだけのことで重たい気持ちを押しつけられては困るというふうだった。


 初恋は実らないと誰かが言っていたけれど、本当に難しい。

 可愛いと言ってくれても、それはポーレットに自信をつけさせるためでしかないのだろう。


 目頭を指で押さえ、込み上げてくる涙と戦っていると、近くに人がいた。男性の礼服はそろって黒っぽいのですぐに気づけなかった。

 薄暗いのでよくわからないけれど、相手は笑ったような気がした。


「先ほどの歌を聞かせて頂きましたが、とても素晴らしかったです。できれば踊って頂きたいと思ってあなたを捜していたのですが、見つからなくて。まさかこんなところにおいでとは」


 そう言って、男性は近づいてきた。

 今は見知らぬ人と平然と会話ができる気分ではなかった。

 遠慮してほしい。ポーレットは密かにそう思った。


 顔を背けて木に寄りかかると、その男性は余計に近づいてきた。ポーレットの心情を汲み取り損ねている。


「もしかして、気分が悪いのですか?」

「い、いえ……」


 どうしたら放っておいてもらえるのかがわからず、ポーレットは上手く返せなかった。それが余計にいけなかったらしい。


「どこか休めるところへお連れしましょう。ああ、あちらにベンチがあります」


 放っておいてほしいのに。どうしたら失礼なく断れるだろう。

 失恋の傷を癒している最中ですので、とは正直に言えない。

 何やら自分の名前や身分をつらつらと語っていたけれど、全部耳から滑り落ちた。


 男性はポーレットの肩を抱き、体を支える。

 たったそれだけのことにゾッと肌が粟立ってしまった。ランベール以外の人に触れられるだけで不快に思ってしまう。

 この人は善意から助けようとしてくれているだけかもしれないのに。

 それでも、触ってほしくなかった。


「ひ、一人で歩けますので」


 そう言ってやんわりと押し戻そうとすると、男の手が肩から腰に回った。

 ポーレットが体を強張らせたのは伝わったはずなのに、離れるどころか耳元で囁かれた。


「まあそう言わずに。もっとあなたのことを知りたいんです」


 好かれたい人には好かれないのに、どうでもいい人が寄ってくる。

 嫌なことが重なりすぎて、感情が追いつかなくなってきた。


「あの、私……」


 我慢していた涙が零れた。そこに声が割って入る。


「ここにいたな。ほら、帰るぞ」


 スタスタと歩いてきたランベールが、男の手からポーレットをもぎ取った。男は何か言い返すかに見えたが、ランベールの顔を見た途端に黙った。一体、どんな表情を浮かべていたのだろう。


 ポーレットの足が浮くほど速く連れ去られ、涙を拭く暇もなかった。今、とてもひどい顔をしている自覚がある。そんな顔を見せたくないと思うけれど、見せても見せなくてもどうせポーレットに対するランベールの評価は変わらないのだろう。


 ランベールは途中でピタリと足を止めた。


「こんな場所で、泣きながら一人で暗がりに行くヤツがあるか」


 怒ったような声で言われた。けれど、泣かせたのは誰だとも思う。


 そして、急にポーレットのことを片腕だけで抱き締めた。

 ランベールの心音とため息が聞こえる。


「あんたが俺に見切りをつけるまでは、ママゴトみたいな恋愛ごっこの相手くらいはしてやる。でも俺は独身主義だ。普通の女が求めるような安定とは無縁だってことは頭に入れておけ」


 ――テスが言ったように、本当に難儀だ。

 この人は特定の女性を求めていない。特別にはなれないらしい。

 たった一人に縛られるのを嫌い、自由を求める。

 それをわかっていてそばにいるか、無理だと諦めるか。どちらかしか選べない。


「私がずっと見切りをつけなかったら?」

「その頃には俺が飽きてる」


 にこりと笑って言われた。

 足元のおぼつかない娘に手ほどきをしてやる慈善事業のように考えているのだろうか。

 この人の心がほしいのに。




 ホールへ戻ると、シャンデリアの灯りが眩しく感じられた。

 最初に到着した時よりも人々の視線が刺さるのは、歌なんて披露して変に目立ってしまったせいだろうか。余計なことはするべきではなかったのかもしれない。


 ポーレットを捜していたらしきテスがパトリスを連れて速足でやってきた。


「ああ、いた! ポーレット、今日はもうお暇しましょうか」


 笑顔だけれど、どこか苛立ちを抑えているようにも感じられた。

 父とヴァレリーがテスにひどいことを言ったのかもしれない。


 テスに悪いから、もう帰った方がいいのだと思った。

 できることならば、もっとランベールといたかったけれど。

 多分、テスにはそんなポーレットの気持ちは透けて見えたのだ。ランベールに向けて愛想よく言った。


「ランベール様、また我が家へおいでくださいね。船に乗ってしまえば何か月も出かけたきりになるのですから、なるべく近いうちに」

「俺みたいなのを可愛い姪に近づけない方がいいんじゃないのか?」


 ランベールはそんなことを言って笑っている。テスも声を立てて笑った。


「こればかりは仕方ありませんので」


 なんだかこの二人といると、自分が生まれたての赤ん坊のような気がしてしまう。

 無知で未熟で子供のままだ。それが少し恥ずかしかった。




 帰りの馬車の中。


「まったく、ルネは予知夢こそ確かでしたが、男性を見る目が――」


 そこまで言ってテスは言葉を切った。


「あらごめんなさい、あなたのお父様ですのに」


 よっぽど腹に据えかねているらしい。父がどんなことを言ったのか、なんとなくわかるだけに庇う気にもなれなかった。


「いいえ……」


 そんな父もまた、後添えにヴァレリーを選んだ辺り、女性を見る目があるのかどうかはわからない。

 テスはそこで優しくため息をついてポーレットと向き合う。


「それで、手ごたえはありましたか?」


 その話題はつらいが、正直に言うしかない。


「簡単にあしらわれた気がします」

「まあ、そうでしょうね。いきなり上手くは行きません」

「あの、伯母様と旦那様の馴れ初めをお聞きしたいです。どうしたら男女の仲は進展するのでしょうか?」


 ポーレットにはこんな相談ができる友達がいなかった。だからテスに訊いてみることにしたのだ。

 テスは目を瞬かせた後、目尻に皺を刻んで微笑んだ。


「向こうは大会社の御曹司、私はしがない町娘でした。夫が何故私を選んだのかといえば、簡単になびかない相手だったからでしょうね」

「そうなのですか?」

「夫は女性に不自由したことがなかったのでしょう。自分から声をかければ誰でも喜んでついてくると思っていた節があって、私はそれが不愉快で、常にお断りし続けました」

「こ、断ったのですか?」

「ええ。何度も断られて、向こうも意地になっていたのだと思います。でも、そんなことを毎日続けていると、彼が顔を出さない日の方が気になってしまって、気づけば私は彼を待っているようになったのです」


 気持ちが、嫌いから好きに変わる。そんなこともあるのだとポーレットは意外に思った。

 うなずきながらテスの話を聞く。


「押して駄目なら引いてみろ、などと世間では言いますね。男女間では駆け引きが大事だとも」


 駆け引き――。

 そんな高度な技が使えるだろうか。

 ポーレットは悩んだ。だから、テスの言葉の最後の方はあまり耳に入っていなかった。


「……でも、ランベール様のような男性に駆け引きは逆効果でしょうから、下手なことはしない方がいいですよ」


 その日、ポーレットは知恵熱を出すほど悩みながらベッドに潜った。


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